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とある事情の  作者: 海月
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お掃除

 まずは役所で大切な書類をもらってくる。失敗したときのために複数枚もらっておこう。


 2人で暮らしているマンションの部屋に急いで引き返す。幸いなことに,彼は今日も深夜まで実家の会社の手伝いだと言っていた。最近は会社を継ぐことを見据えて,見習いと称して久我社長の下で働いているらしい。

 最も,彼は優秀で既にMBAを取得しているし,日本語・英語に加えて中国語・ドイツ語も堪能である。見習いと称して会社に引っ張っていかれているのは,手が足りないから手伝えという意味合いが強いらしい。最近,他企業を買収して新事業に手を出したせいで手が足りないそうだ。


 まあ,彼の帰りが遅い,もしくは帰ってこないのは,全部が全部仕事のせいではないのだろうが。

彼から女物の香水の匂いがしていたのにも気づいていたし,私の目を見て話さなくなったのにも気づいていた。

最初から契約での結婚だったのに,彼は変に律儀なところがあるから,私に気兼ねしていたのだろう。ここのところ続いていたお土産もお詫びのつもりなのかもしれない。


 それなら彼に申し訳ないことをしたと思う。

彼は私のことを恋愛の対象としては見ていないが,これだけ長い間暮らしていたので家族としての情くらいは持ってくれたのかもしれない。彼は優しいから,私に面と向かって出て行ってほしいとは言えなかったのだろう。


 継母に見せられた真実に,まったく心が痛まないこと言えば嘘になる。この4年間ずっと一緒に生活する中で,彼は「私」という個人を認めてくれた,気遣ってくれた,口は悪いけど優しくしてくれた。母が死んでから,そんな風に自分を見てくれたのは彼が初めてだった。嬉しかった。

いつか終わる関係だとわかっていたから,彼に惹かれそうになる自分の気持ちには,必死に蓋をしようとした。でも,それは出来なかった。

 だから,この関係がいつか突然終わるかもしれないと覚悟してきた。そして,その時は優しいけれに気兼ねさせないように消えようと決めていた。


そのためには今が格好のチャンスだ。

彼が帰ってくるまでにあと5時間ほどある。私の荷物はそれほどない。大抵のものは実家に置きっぱなしだし,この時のために物は極力増やさないようにしてきた。服も大きめのスーツケースに全て収まる。

 

 必要なものは全てスーツケースに収まった。私専用の通帳も忘れないように入れておく。食費とは別に,私が生活に必要なものを買うためのお金を,毎月久我社長の秘書さんが振り込んでくれていたのだ。あまり手を付けていないので,結構な金額がある。これまでのお給料だとでも思って,ありがたく貰っておこう。


 あとは,部屋の中を徹底的に掃除する。私の痕跡を1つでも残さないように。私専用のタオル,マグカップ,お茶碗,箸,すべて段ボールにまとめて預かってくれる店に持っていく。1か月5千円くらいで預かってくれるらしい。新居を見つけたら送ってもらえるようだ。便利な世の中だと感心した。


 こうして私の持ち物は全て片付けられた。明日が燃えるゴミの日だったことも幸いした。私の部屋の家具だけは勘弁してもらおう。まあ,もともと私のものでないのだからあまり気にならないだろう。調理用具も私専用だったが,あって困るもんでもないし置いて行ってもよいだろう。


 最後にリビングのテーブルに彼の署名だけを残した離婚届を置いておく。

この時になってはじめて気づいたが,私と彼は指輪さえ持っていなかった。まるで,それがこれまでのあいまいな関係を示しているようだ。


 そして,一筆便せんに「お幸せに」とだけ書いておく。私の気持ちは微塵も悟られないように,余計なことは書かないようにする。 

 さようなら,と書かないのは私の最後の我儘だ。


コートを羽織って,スーツケースを引きずって玄関を後にする。鍵をかけ,鍵からストラップを外し,ポストの中に入れておく。

 これで,やるべきことは全て終わった。



 


 

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