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成人式の前日

作者: 狸塚ぼたん

成人式の前日


 いつの頃からか、あたしは周りの人には見えないモノが見えるようになっていた。これは、嘘なんかじゃない。母親が言うには、あたしは赤ん坊の頃から何もない壁を見て笑っていたらしい。


 そのまま成長して三歳頃、周りから見たら一人で笑ったり喋ったりしている気味の悪い子と思われていたかもしれない。けれど、あたしは一人じゃなかった。そこには、ちゃんと友達がいた。周りの人たちには見えない友達が。


 友達と言っても、その人は立派な大人だった。煤竹色の和服に身を包み、丸眼鏡をかけた背の高い男の人。名前は思い出せない。その人はいつもあたしの側にいてくれた。色んなことを教えてくれた。


 その人を、あたしは幼いながらに先生と呼んでいた。この呼び方も、先生自身があたしに教えたものだ。先生と呼ぶ前、その人をなんて呼んでいたかはもう思い出せない。


 先生が言うことは常に正しかった。あたしが何かしたことに対して先生が「叱られますよ」と言ったら、必ずあたしは母親か父親に叱られた。


物事の良し悪しが分かる今では、叱られて当然のことだったと思うのだが、当時のあたしには先生が予言者のように見えていた。


 小学校に上がってからは、幼稚園の頃よりも友達ができた。周りの人に見えないものが見えるあたしは、気味悪がられながらも人気者となっていた。


というのも、あたしが通っていた小学校は歴史が古いためか、廊下やトイレ、理科室に視聴覚室という至る所で周りの人には見えないモノを見かけることが度々あり、その都度あたしは周りの友達にそれを伝えていたのだった。


今思えば、あの行為はとても浅はかだったと思う。当時のあたしは、周りに見えないものが見えるということを利用して友達を作っていたようなものだから。


けれど、そんな苦労をして友達を手に入れたのに、あたしは人付き合いが苦手で低学年までは友達と放課後に外で遊ぶようなことはほとんどしなかった。それに、遊びに行くと先生が来てくれないから友達と遊んでも楽しくなかった。


先生は幼稚園までは一緒に来てくれたのに、あたしが小学校に入学してからは学校に着いて来ることはなくなった。だからあたしは、直ぐにでも学校から帰りたかったし、休日は外から出たくなかった。


 小学四年になったある頃から、あたしは小説を書くようになっていた。きっかけは、先生が勧めてくれた本だった。家でも学校でも、ノートに書き綴るようになり、先生もあたしがせがむと時々何かお話を書いてくれた。


けれど、今はもう先生のお話の内容も覚えていない。先生はあたしが読み終えると、それを決まって直ぐに破り捨てた。先生は、私の文章をここに残してはいけないと言っていた。今なら、先生がそう言っていた意味が分かるような気がする。


 そんな先生との細やかな楽しみを満喫していたちょうどその頃、あたしは父親と母親の仲が悪くなっていることも同時に子どもながら気づいていた。気づきたくないあまり、あたしはひたすら文章を書き続けた。


最初は、原稿用紙を買ってもらえなかったので、ノートを縦書きに使って書いた。それを先生に見せると、先生は楽しげに読んでくれた。書いていれば、その時だけ現実の嫌な部分を見ないですむ。先生も褒めてくれる。あたしはますます書くことにのめり込んだ。


 けれどある日、いつも通りあたしが小学校でノートに話を書いていると、それに目をつけた男子がノートを奪った。そして、その中身を読むなり、それを馬鹿にした。


子どもは純粋ゆえに残酷とはよく言ったもので、純粋にあたしの書くものが気に食わなかった男子は、純粋にあたしの書いた文章を貶していた。あたしは、それから書くことをやめた。


 先生は、あたしが書かなくなったことを話さなくても全て知っているようだった。書くことをやめたあたしを、ただ優しく受け入れてくれた。ふと気が付けば、父親は平日でも帰ってくることがなくなり、母親は少し痩せていた。


何も知らない妹だけが、父親が帰って来ないことを仕事が忙しいからだと信じていた。


 五年生になると、あたしの中からふと、先生の存在がなくなることがあった。それが怖くて仕方がなかった。小学校の宿題、読書、ゲーム、その他何かに集中すると、先生の存在があたしの記憶から消えて、先生の姿も見えなくなった。


けれど、ふと思い出して探し回ると、先生は普通に部屋の隅で本を読んでいる。先生は慌てるあたしを見て、その理由を知ってか知らずかいつも優しげに笑っていた。


「先生、ずっと一緒にいてくれるよね? いなくなっちゃったりしないよね?」


 あたしは、不安から、先生にこんなことを聞いたことがある。


「私はいつまでもあなたのそばにいますよ」


 先生はそう言ってくれたけれど、あたしは安心ができなかった。どうしたら、先生とずっと一緒にいられるんだろう。そう考えて、あたしはある考えに至った。



「先生、あたしと結婚して」



 あたしは、多分あの頃から馬鹿だった。その時の先生の様子を思い出すと、もう穴があったら更に深くまで掘り起こして仕舞には出入口に岩戸をして数年は篭っていたくなる。


 けれど、あたしはもう先生と結婚できないということがわからない歳ではなかった。あたしが馬鹿だったのは、その事実を分かっていながらわからない振りをして、先生を困らせたから。


先生は、周りの人には見えない。何年も昔から同じ着物を身に纏っているのに、汚れ一つついていないし、匂いすらしない。あたしは、やっぱり気づかない振りをしていた。父親と母親の関係のように、先生の正体も、気づいてはいけないような気がしていたから。


 先生は、全てを知っていたんだと思う。だけど、それを口に出すことはなかった。


「大人になったら、考えましょう」


 大人になったら、あたしは先生と結婚できる。その日からあたしは、自分にそう思い込ませることにした。


 そうして、六年生。あたしの苗字は、中学へ進学と同時に変わることに決まった。そして卒業の間際、市で発行している文集に小説や詩、随筆などを応募するという企画が小学校で立った。


優秀作品は、文集に掲載されるというもので、六年生は強制的に全員参加となった。あたしは正直乗り気ではなく、提出せずにことなきを得ようとしていた。


 けれど、なんでもやってみなくてはいけないと先生に言われ、渋々学校から渡された原稿用紙と睨めっこし続けた。睨めっこの時間はほんの数分だったと思う。が、あたしには数時間のように感じられた。以前はすんなりと出てきた文章は、全く浮かばなくなっていた。


 試みようとしただけ偉いと自己完結してゴミ箱に原稿用紙を捨てると、それを先生はすかさず拾う。そして、再びあたしの前に突き出した。


「あなたの好きなように書けば良いのですよ」


 あたしは、好きに書いたところでそれが高い評価を得られるわけではないことを知っていた。どうせ、また馬鹿にされるだけ。書いたところで無駄なんだと、先生に突き返した。


「書は人から良い評価を得るために書くものではありません。また、強制されるものでもありません。あなたがどうしても書きたくないのであれば、好きにしなさい」


 先生の態度は、これまでにないほど冷たかった。あたしは、思い留まって原稿用紙を先生から受け取る。書きたくないわけじゃない。けれど、それを誰かに見せることが嫌だった。


「昔のように、好きに書いてみなさい。人の評価に左右される必要はありません。書は自己満足の塊なのですから。あなたはあなたらしく、好きなように書き続けなさい」


 先生の言う事は、いつだって正しかった。だから、今回だって正しいに決まっている。そう思って、あたしはもう一度机に向かった。自分の書きたいように、書く。考えてふと思い浮かんだのが、家族への想いだった。


今までずっと目を逸らし続けてきた現実。あたしは、家族への想いをひたすら綴った。


 あたしの書いた文章は、満足のいくものではなかった。でもまあ、これが家族に見られることはないだろう。市の人や学校の先生など、そういう一部の大人の目に触れてそれで終わりで良かった。


 なのに、あたしの書いた拙い文章は、市の文集に載ることとなってしまったのだった。文集は学校に無料配布され、全ての生徒に行き届いた。


さすがに親には恥ずかしくて言えずにいたら、余計な機転をきかせたらしい担任が母親に報告していて、既に知っていた。半ば強制的に母親にその文章を見せる形となり、結果的に母親は涙ぐみながら喜んだ。先生も、「良い文章が書けましたね」と大いに褒めてくれた。


 有終の美と自分で表現するのもどうかと思うけれど、そんなものを飾って、いよいよ小学校を卒業する日を前日に迎えた。その日、小学校で二十歳の自分へ手紙を書いた。


二十歳の自分などとても想像できなかったけれど、先生との約束があるため大人への憧れはとても強く、すらすらと書けた。


 家に帰ると、卒業式用の制服が届いていた。あたしは、その日の夜それを母親の前で試着して見せた。中学の制服に身を包んだあたしは、この姿を早く見せたくていつものようにその人がいるあたしの部屋へ向かった。


 部屋を開けると、白い勉強机にベッド、タンス、本棚があるいつもどおりの部屋が、そこにはあった。誰もいない、いつもどおりの部屋。それなのに、何故かとても寂しく感じた。


ところで、あたしはどうしてこんなに急いで自分の部屋にやってきたんだっけ。何かを取りに来たわけでもない。不思議で仕方がなかった。


 その日、卒業式の前日から、先生を見ることはなくなった。それと同時に、周りの人には見えないモノを見ることもなくなった。先生の存在は、幼い頃の記憶のようにそっとあたしの中から消えていったのだった。



 今日、成人式の前日、あたしは何年かぶりに小学校へ向かった。かつての同級生は、驚くほど変わっている人から全然変わっていない人もいて、見ていて楽しかった。


昔話に花を咲かせる中、あたしたちは卒業式前日に書いた自分への手紙をかつての担任から受け取った。


もう、何を書いたのか覚えていなかったけれど、ただ、あの頃のあたしは大人への憧れが強かったことだけは記憶にあって、正直読むのは気が引けた。それは、今の自分があの頃のあたしの期待に添えるような大人だと胸を張って言うことができないからだった。


それでも、読まずにはいられない。あたしは、恐る恐る手紙を開いた。



『はいけい、未来の私様


 お元気でしょうか。私は、明日この小学校を卒業します。これから始まる中学生活が、すごく楽しみです。でも、同時にとてもさみしいです。


小学校の思い出は、たくさんありますが、中でも八ヶ岳に行って川で輝石というキラキラ光る石を拾って友達と交換したことが一番楽しかったです。どうか、この思い出を忘れないでください。


 突然ですが、私は未来なんてとても想像ができません。だから、凄く興味があります! 色々聞きたいことはありますが、書ききれないので一つだけ。


先生のことです。先生とは、結婚できていますか? 仲良しですか? それが心配です。


 では、体に気を付けて、幸せになってください。』



 あたしの記憶に、先生の存在が戻ってきたのはこの手紙を読んだ時だった。


 今、あたしの目の前には、小学生の頃に書いたお話が詰まったノートの束がある。読んでみると、最初の頃のものは情景描写や心情描写もなく、ただ登場人物の台詞が羅列されているだけのものだった。


正直、全く話が読み取れない。でも、不思議と読んでいて笑顔になった。そのノートの中には、市の文集に出した随筆の下書きまで書かれていて、読んだ瞬間にあの頃の恥ずかしさが込み上げてきた。


 しばらくノートをぺらぺらめくっていると、最後のページに気になる部分を見つけた。何も書かれていないページに、シャープペンシルで書いてその後消したような跡。あたしは、試しに鉛筆でその跡を塗ってみた。



『いつまでも、あなたのそばに』



 黒い背景に浮かんだ達筆な文字。この筆跡は、見たことがあった。昔、せがんで先生に書いてもらったお話。それも、こんな達筆な文字で読むのに苦労した。


 あたしは、ノートを閉じて便箋を取り出した。そして、ゆっくりと手紙をしたためる。



『拝啓 過去の私様


 お手紙ありがとうございます。そして、ご卒業おめでとうございます。今日、あなたからの手紙を読ませて頂きました。大切なことをたくさん思い出すことができて、本当に良かったです。


 私は明日、成人式に出ます。振袖は、濃紺色の煌びやかな柄のものです。この振袖は、呉服屋を営んでいたあなたのお祖母さんが買ったもので、叔母の代から大切に着ているものだそうです。


 あなたは大人になった私にとても興味を抱いていましたね。ですが、大人とはあなたが思っている以上に子どものままです。辛いときは泣きたくなるし、腹が立つ時は立ちます。


これからあなたは、たくさんの経験をするでしょう。家族ではなく他人に怒られ恥をかいたり、苦労もたくさんあります。それでもきっと、それはいつかあなたの糧となるでしょう。私は、そう信じています。


 先生とは、今でも仲良しです。いつも私のそばにいてくれます。結婚はまだまだ遠そうですが、心配せず前へと進んで下さい。文章と同じく、あなたはあなたらしくいればいいのです。


それで、他人から評価されたなら、それは運が良かったというだけです。慢心したりせず、自由にあなたらしさを追い続けて下さい。きっと、先生もそれを望むはずだから。


 長くなりましたので、このくらいにしておきます。それでは、健康に気をつけて。』


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