旅路
薄◯鬼を初めてプレイした時、一目惚れしたのが永◯新八さんで、攻略できないと知って絶望したのが懐かしいです。
もやもやした気持ちだろうが、そのせいで寝不足気味だろうが、夜明けは無慈悲に訪れる。朝一番の鐘と共に起こされて、あくびを噛み殺しながら階段を降りると、既に俺以外の7人はとっくに準備を終えて集まっていた。クラウディアスとは何となく視線を合わせ辛くて、ついアンディの視線を探した。
「おはようございます、トール様。よく眠れましたか?」
爽やかな笑顔と共にそう言われると、思わず頷かざるを得ない。閉じそうになる瞼を必死にこじ開けながら、俺はさも元気そうに足取りも軽く城門を潜って、タルトス砦への旅路を進み始めたのだった。
考えてみれば、城を出て城下に広がる王都の街並みを歩くのは初めてだった。何しろ城自体が一つの街かと思うほど広大なので、ずっと城内にいても全く違和感が無かったのだ。それに騎士達も普段は一日中城内で過ごしていることが多かったので、彼らと行動を共にしていると、どうしても城外に出る機会は少なくなってしまう。
王都アルゴニアは王城を中心に放射上に街路が広がり、円形の市街地は巨大な三重の壁ですっぽりと囲まれている。この壁は戦時に敵国の軍勢を食い止めるもの、それはわざわざ説明されずとも王都の民の共通認識となっている。この壁が本当は、万一の時に壁の中に災厄を閉じ込めるものだと知るものは、騎士達の中にすらいないだろう。
ぼんやりとそんなことを考えながら歩いていると、アンディがそわそわしているのが見えた。
「どうしたんだ?」
声を掛けると、少し気恥ずかしそうな顔をしながら、躊躇いがちに答える。
「いえ、この近くに実家があるものですから、両親はどうしているかと思いまして。申し訳ありません、つい私事に気を取られて。」
そう言って頭を下げるアンディに「気にするなよ」と言ってから、他の騎士達も少しそわそわしていることに気付いた。考えてみれば、騎士達は皆、俺とほとんど変わらぬ年齢なのだ。最年長のルーファだけは20歳だが、セルジュとイライジャは19歳、アンディとエーリヒは18歳、クラウディアスは17歳、そして最年少のティトはまだ15歳だ。ティトはもちろん、エーリヒも少し寂しそうな表情を浮かべているのには驚いたけれど、年齢と状況を考えれば無理もないかもしれない。何しろ守護騎士候補に選ばれてから半年近く、家族と会えていないのだから。
そこまで考えてから、自分の境遇を思って惨めな気分になる。俺はこの世界に来てからまだ半月ほどだけれど、儀式が終われば家に帰ることも出来る騎士達と違って、いつになったら帰れるのか、そもそも元の世界に帰れるのか自体が分からない、むしろゲームの展開を考えれば帰れない可能性の方が高いとすら言えた。つい暗い方向に行きがちになる思考を振り払って前を見ると、城壁に設けられた門が間近に迫っていた。
城門の外には、美しく整備された城壁内とは全く様相の異なる光景が広がっていた。みすぼらしく、今にも崩れ落ちそうな家々。ぼろをまとった痩せこけた人々。鼻をつく悪臭。王都の城壁の外に広がる貧民街の、もう一つの世界の現実だった。
この世界の一つ一つが、どれくらいゲームの「設定」に沿っていて、どれくらい独自のものなのかは分からない。ゲームの中では貧民街の存在は示唆されていても細かい描写は無かったし、主要キャラクター以外の兵士や役人もほとんど登場しなかったけれど、この世界ではそうじゃない。ただ一つ言えるのは、この世界に生きる人々が、感情の無いキャラクターでは無いということ。そうでなければ、クラウディアスに対するあんな嫌がらせはあり得ないだろう。そう、誰もが、人間らしい美点と欠点を持つ、生身の人間なのだ。
「酷い匂いですね…。何の匂いなんでしょう?」
クラウディアスを除く6人の騎士の疑問を代表するように、ルーファがぽつりと呟く。見当外れの答えを交わしている騎士達の隣で俺にはその答えが分かったけれど、それを口にしていいのか迷って、正解を教えてくれた少年をそっと見遣った。他の騎士達から少し距離を取って歩いているクラウディアスは、その整った顔に何の感情も浮かべてはいなかったけれど、微かに俯いて他の騎士達から視線を逸らしているように見えた。
少し迷ってから、歩くスピードを落としてクラウディアスの方に近付く。6人から離れて自分の方に歩み寄る俺の姿を見て、クラウディアスは微かに驚いたような表情を浮かべてから、すぐに感情を消した元の表情に戻った。
「えっと…」
「ここは表通りなので、まだ奥に比べればずっとマシなのですよ。家も、人も、匂いもね。少なくとも、瀕死の病人が打ち捨てられてはいないでしょう?」
どう声を掛けていいか戸惑っている俺を前に、クラウディアスは皮肉っぽい口調で辛辣な言葉を吐いた。それから、「あの方達には想像も出来ないでしょうが」と言ってアンディ達の方を暗い瞳で見つめる。言葉に窮してから、なぜか弁解するようなことを口走った。
「あいつらはたぶん、全く悪意は無いんだ。ただ、知らないってだけで。お前に対してだって、別に…」
「分かっていますよ。だからと言って、良い気分にはなりませんが。」
冷たい口調のまま、クラウディアスはにべも無くそう言った。少し前にアンディが言った言葉が思い出される。クラウディアスは誤解を招く行動をしがちだと。こういう態度が、「誤解を招いて」いるのかもしれない。
けれどそれは、クラウディアスが悪いのだろうか?困難な環境で育ち、卑劣な輩からの嫌がらせに耐え続けているこいつが、無知で無思慮な発言にまで迎合しないといけないのだろうか?もちろん、だからと言って、アンディ達が悪いとは言えない。自分にとって無関係な世界にまで常に関心を持ち、善意をばら撒き続けるのは、例え誠実で思いやりのある優しい人間であっても不可能だ。つまりこれは、誰にもどうにも出来ない問題なのだ。俺がいた世界でもそうだったように…。
「あいつらは王都に家族がいるらしいけど、お前はどうなんだ?家族とか親戚、友達でも良いけど。長く住んでたんだろ?」
話題を転じるように話を向けてみる。クラウディアスの両親はとうに他界しているはずだが(実はそれには、物語の展開に関わる重大な秘密が関わっているが、それはひとまず脇に置こう)、他の親戚や友人は残っているかもしれない。何となく儚い期待を抱いて尋ねた俺に、クラウディアスは首を横に振りながら淡々と答える。
「私は捨て子だったんです。育ての親は、私を便利な労働力程度にしか思っていませんでした。幼い頃から働き詰めでしたし、友人と言えるほどの者もいませんでした。」
絶句する俺に対して、クラウディアスはどこか自虐的な笑みを浮かべて続けた。
「それでも、私は運が良い方なのですよ。騎士としての才能が有ったから、掃き溜めでの生活に別れを告げて、ずっとマシな生活を手に入れることが出来ました。」
「じゃあ、お前が騎士になったのは…」
「もちろん、今の生活を捨てたくないからです。確かに色々と嫌なことは有りますが、糞にまみれながら蛆の湧いた腐った肉や石ころまじりのパンで飢えを紛らわし、泥水で渇きを満たす生活、鼠が走り回るボロ屋で虱だらけの布団で寝る生活、朝起きると街角に刺殺体が捨てられているのが当たり前の、死と隣り合わせの生活よりは遥かにマシでしょう?私の頭にあるのはそんなことだけ、今の生活を守ることだけですから、神官様が私をお嫌いになるのも無理からぬことですね。」
一気にそう言ったクラウディアスの言葉に絶句してから、何とか「そういうわけじゃ…」とだけ呟いた。
「違うのですか?まあ、私にとってはどうでも良いことです。いずれにしても、私はこういうことには慣れておりますから、神官様もあまりお気になさらず。」
すっかりいつもの調子を取り戻してそう言い切ったクラウディアスを前に、どんな言葉を掛けたら良いか分からず、結局アンディ達のところに戻ろうと歩みを速めた。数歩分だけ離れた時、躊躇いがちに揺れるクラウディアスの声が耳に届いた。
「昨日は本当にありがとうございました。それから、神官様に他意は無かったのに、あのような言い方をして申し訳ありませんでした。非礼を重ねながら、今日も…」
その言葉に、驚いて振り返る。クラウディアスは、これまで見たこともないようないっぱいいっぱいの表情を浮かべながら、自分自信の言葉に戸惑っているような様子で続けた。
「今日も色々とお気遣い頂き、ありがとうございます。こういう性分なもので、つい嫌な物言いをしてしまいますが、神官様には、その、感謝しています。」
クラウディアスはそう言ってから、「それだけです!」と言って、呆然とする俺を抜き去って早足でアンディ達の方へ行ってしまった。
ゲームの中で感じたことと、この世界に来てから感じたこと。それが乖離するのは当たり前かもしれないけれど、その乖離は日増しに大きくなっていた。そして、その乖離が一番大きかったのは、俺が一番嫌っていたはずのクラウディアスだった。
もちろん今でもクラウディアスのことは嫌いだ。ゲームの中のクラウディアスは大嫌いだし、こっちのクラウディアスだって、甘い言葉で毒を吐き散らす時は大嫌いだ。けれど、昨日見せたような弱さや素直な笑み、そして今見せたような表情を嫌うことは出来なかった。
自分の中の感情が変化しつつあることに戸惑いながらも、俺もアンディ達に合流する。ひとまず、話題を貧民街のことから今後の旅路に変えさせた。クラウディアスと一瞬目が合い、あいつは微かに会釈したように見えた。
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