二話 始まり
始まり
神からの概ねの予備知識や少しばかりの環境、心のケアらしきものや暮らしの助けをもらい異世界での暮らしが始まった。
ありがたいことに赤ん坊から始まったわけではないが前世の記憶が残ったまま新しい自分の今までの記憶との折り合いに悩まされる始まりだけでなく、さらには少しばかりの環境なんていうのは嘘だろうという過酷な状況で目覚めている。
なにせ、記憶によれば親族が賊の類に刺殺されあまつさえ自分をも始末しようとせまっていたのだ。
新たな人生は暮らしの助けにと与えられたスキルとでも呼ぶ剣技による、殺人から始まるとは思わなかった。
賊の始末を終えると剣を放り棄てた。
記憶によれば自分の名はルーベン、歳は今年で16歳、下級貴族の生まれであることは伝えられていたとおりで間違いない。しかしながら記憶にあるのはその血筋、遺体となった養父である叔父に聞かされた記憶に顔をしかめるしかなかった。
この賊の類が環境を整えるためだったのなら神を恨みかねない。それでも今は神との連絡など取れないと後処理に取り掛かることにした。
叔父の遺体を丁寧に扱い、部屋を後にする。ここはいわゆる宿、それも小さな町の小さな宿である。宿の主人は想像通り売上目当てに殺されていた。賊はすでに始末している。逃げ去った者もいるだろうが主だった面々は二階の部屋や廊下に死体と化して転がっている。恰好も装備も粗末なものだったためどちらかというと小さな集団で間違いなさそうだ。わずかな売上は散乱している。確かめると宿泊客に生存者もいたため、衛兵を呼びに行かせた。
ルーベンはこの町の出身ではない。叔父の都合での道中で見舞われた事件である。領地も持たない法衣貴族の養子として叔父の後を継ぐべく任地に向かう最中だった。
「だいじょうぶですか。」
宿の厨房などで従業員たちに声をかける。皆怯えながらもルーベンの指示通り食堂に身を寄せていく。
しばらくすると衛兵たちが駆けつけ、従業員たちが状況を説明した。
「くそ、」
「気持ちはわかるがまずは、賊の死体を集めろ。」
俺の横で若い衛兵が上司に諭されている。どうやら知人が被害にあったようで悔しそうに涙をこらえている。
「すまないが宿泊客は身分を証明してくれるか、それと賊を退治してくれたのは誰だ。事情を聞かせてくれ、身分証も確かめてさせてもらいたい。」
中年の衛兵に声をかけられ、ルーベンとしての身分を証明するために叔父の遺品から任命状とルーベン用に用意されていた小さなカードのようなものを取り出した。
「ルーベン・バックフェルメント・サンドマン様ですか、あなたのおかげのようですね。叔父上のこともありますでしょうし、翌朝でもけっこうですので詰所までお越しくださいますでしょうか。こちらから王都の役所にも手紙を送りますし、ご迷惑をおかけいたしますがご対応の程お願いいたします。」
一応貴族だからか丁寧な言葉づかいにかえ衛兵が願い出る。小さい町とはいえ領主のいる町で貴族がなくなっていることから頭を抱えている様子が見受けられた。
賊の侵入を許したことを気にしているのだろう。それは仕方なかったと思っているものの相続などの手続きの煩わしさや、叔母に連絡を取らねばならない。このまま叔父の任地に向かうわけもいかない為、衛兵の配慮には感謝を示した。
翌朝、詰所に行きそれから当面の宿を紹介してもらえた。昨晩は宿で一夜を過ごしたがこの町には他の宿もなく、役所や叔父の屋敷へおくる手紙の返事などのための借宿が必要だった。
領主からは見舞金が与えられ、当座の資金は何とかなった。任地はあと二日ほどの距離のためここから王都や叔母からの返事を待つには路銀が足らなかった。もともと倹約家、素直に言うと貧しい下級貴族の叔父の財布には各方面への手紙代さえ足りない始末、衛兵の配慮はつくづく感謝している。
さらにはわずかばかりの懸賞金がかかった盗賊たちだったため、後日懸賞金が届けられるそうだ。
ただ問題は盗賊に殺された叔父の立場だ。貴族としての体面もあるため、それなりの根回しが必要らしい。さすがにそこまでは領主も面倒は見てくれないが気を利かして助言を残してくれた。
生活費だけでは足らない。この状況に頭を抱える羽目になった。
ルーベンの記憶にはこの町はもちろん、目的地の知識などはない。下級貴族ではありながらもその血筋から身分以上の教養は教わっていた。その結果、貴族としてある程度の知識はあるものの剣も魔法も才能がない、平凡な跡継ぎのはずだった。
魔法の存在も神から伝えられていたが前世の記憶を思い出した時点でルーベンの能力は様変わりしている。
神曰く
「お前には死なれては困るので神の加護と呼ばれる力も与えておくから」
あの神は神とは思えない言葉づかいだったうえ、頼み事もかなり人間臭かった。世界を救えとか勇者になれとかではなく、ただ一人の女性を助けてくれというものだった。しかしそこは神らしく「必ず出会う運命だ。」などと必要以上の情報を伏せ、お告げのようにしか伝えられていない。その為には力をつけねばならないとも伝えられていたため、いわゆるスキルとでもいえばいいのかわからないが能力を授かっている。
その代表格が昨晩、盗賊たちを返り討ちにした剣技だ。過去のルーベンでは間違いなく命はなかっただろう。いやもしかしたらルーベンの命がなくなったから覚醒したのかも知れない。もちろん事実はわからない。
叔父を助けられなかったのは仕方ない。最愛の養父でもなかった。むしろ叔母のおかげでこれまで養われていたようなものだ。叔父からはルーベンに流れる高貴な血に対する過度な期待にプレッシャーさえ感じていた。ルーベンを利用したい、だが妻の目が気になって言い出せない。
残念なことに叔父の死後にその期待に応える能力を宿すことができている。
前世が犯罪者さらに心が死んだ状態だったとはいえ、やはり魔法には憧れる気持ちもある。
借宿に顔をだしたら時間と場所を見つけてはさっそく魔法を使う気になっていた。
町を出ればすぐに深い森が広がっている。明日くらいには出かけてみたいとも思っている。
借宿は昨晩の縁から衛兵を通して宿屋の従業員の実家を紹介されている。命の恩人だからと是非にと強く勧められている。貴族を引き受けようとするほどの身分ではないが町のはずれの農家では裕福な部類に入る家なので気兼ねなく滞在できるそうだ。
町の中心部では昨晩の事件で今もあわただしい。
衛兵からは盗賊の動向を見極めるまでは身を隠すつもりで仮にも貴族が泊まるには相応しくない家でとも考えているようだ。
もちろん貴族なんて意識も薄くなっている自分ならなにも文句などない。
支度が済むまでルーベンの記憶や神からの予備知識を整理するつもりでぶらぶらと町中を歩いたり、店などをのぞいてみたりと時間をつぶす。
前世の記憶で見た映画、それも最愛の人とみた思い出の映画の中にいるような気分に囚われるものの、神に施された心のケアによるものなのかあまり苦しく感じることはなかった。
刑務所で決められた時間に見ることのできるテレビで目にした映画や番組ではコメディーやバラエティーですら思い出が蘇り苦しく、涙したこともあり、挙句の果てにはテレビさえ映さないようになっていた。
きっとあのころの自分は本当に死んだのだろう。彼女への気持ちはいまだ消えることもないものの囚われていることもない。
あの時の精神状態ではと施された心のケアは神からの配慮なのかもしれない。
その他この世界に適応できるようにもいろいろと施されてもいる。
代表的なのは文字や言語、いままでつかってきた日本語のように当たり前のように話せ、読み書きもできた。今まで使ったこともない魔法も使えるだろうと確信できている。剣なんて日本で習ったこともない。剣道ですらしたことがない状態で授かったスキルは難なくつかえている。適応していることを肌で実感していた。
ただし、違う意味でさすがに現代とのギャップになじめないものもすぐに見つかる。町中の衛生面であったり、昼食をとった際だったり、ルーベンの記憶はありながらも嗜好も考え方も全て前世の記憶に左右されている。現代で食べなれているパンの味にかなうはずもない粗末なパン、生ぬるい水、正直受け付けないほどの味に現代と異世界のギャップを感じてしまう。まだ刑務所の食事の方がマシだ。
とはいえ比べても仕方ない。
評判の飯屋などに出向いたりして、口に合う料理くらいは見つけよう。
この世界で生きていくためには工夫も必要そうだと思ってしまうのである。