初回
安い金で旅人の護衛&仲間として付いて来てくれる組織のあるエルピーダという街は、森を抜けていかないと辿り着けないところだ。
その抜ける森は、普段狩りに行っていた森とは違う森。名はブルーナという。
ブルーナの森は通常よりも強い魔物が出る森として世界でも有名で、強くなるために魔物を倒しに訪れる旅人も少ないと聞いている。
あたし達は勿論ブルーナの森に入ったことはない。全て、果実の採れる―――アッサーの森で取れる食料で十分だったし、何よりコメットさんがブルーナの森に入ることを禁止したからだ。
だから、あたし達は今初めてブルーナの森に入るのだ。
入って早々、こんなことになるなんて想定してなかったけど。
★
「立ちはだかる者切り裂かん!―――<デコパージュ>!」
風の下級魔術を詠唱すれば、ささやかな風が目の前の魔物に襲い掛かる。
それに続いてルディの斬撃が炸裂し、魔物―――ウルフは血を噴き出して地面へと叩きつけられた。
ビクッビクッと痙攣したきり、少しも動かなくなる。その光景に、命を奪うというのはこういうことなんだなと思った。
ウルフの体の下から少しずつ血が広がり、その光景を眺めていたルディの靴先が赤く染まる。
あたしは杖を下ろした。
「ルディ」
「うん。これぐらいで迷ってなんかいられないよね」
ルディは頷く。自分に言い聞かせるように、何度も。
あたし達はブルーナの森を抜けるため、奥へと歩き出した。
魔物はウルフの他に兎が凶暴化したラパンやヒルシュ(鹿)、サングリエ(猪)など様々だ。
あたし達はそれらに遭遇するたびに二人で協力して地道に倒していった。
前衛で独りのルディはあたしを守るのにも苦労していた。玉の汗が米神に伝って、そろそろ疲労の色が強くなってきている。
やっぱりあたしも前衛で闘おうかと言っても、ルディは「カレンちゃんの魔術は強いから後ろで詠唱してて」の一点張りだった。
それでルディが少しでも楽になれるならと魔物に遭遇するたびにただ只管詠唱を続けた。
しかし確実にルディは疲れを蓄積していっている。いくら治癒魔術を施しても、一向に回復した様子がない。
魔術は、使用し続けることで魔玉の流れをより汲み取って効果を発揮する。つまり、今のままでは治癒魔術を使ってもあまり効果はないということだ。
「傷を癒さん―――<ベッセルング>」
あたしの掌から僅かに温かみの感じられる光がルディの傷に吸い込まれていく。
でも、ルディは依然疲れた顔をしている。あたしの力が及ばないことに悔しさを感じて、もう一回、と詠唱を唱えようとしたときだった。
―――ズゥゥゥン!
地響きと共に木々の隙間から何かが顔を出した。
それは―――あたし達の二倍、三倍は体長がある大きな金色のウルフ、ゴールデンウルフだった。
ゴールデンウルフはぎらぎらと輝く瞳でぎょろりとあたし達を睨みつける。思わず背筋に冷や汗が伝った。
ちなみにゴールデンウルフは本や図鑑の中でしか見たことが無い。弱点も何も知らない、疲労しているあたし達二人はまさに絶体絶命だった。
剣を取って立ち上がろうとするルディを無理矢理木の後ろに追いやって、あたしは杖を握りゴールデンウルフの目前に躍り出た。
ごくりと口内に溜まった唾液を呑み込む。後ろを見遣れば焦った様子のルディが剣の柄を握って立ち上がろうとしていたが、あたしは「来るな!」と叫んで杖を体の前で構えた。
はぁ、はぁ、と自然と息が荒くなる。緊張からくるものだろう。心臓は早鐘を打っている。
頭は恐怖と緊張のせいで全く回っていない。どの魔術を詠唱すればいいのか、またその魔術の詠唱はどんなものだったか、まるで記憶を喪失したように丸ごとすっぽり頭の中から飛んでいってしまったようだった。
ゴールデンウルフはあたしを舐めるように見ている。悪あがきをと嘲笑っているのだろうか。
とにかく、頭に浮かんだ魔術の詠唱をゴールデンウルフから一旦離れて唱えた。
「呪いの傀儡……、っ!」
詠唱を始めると、当然ゴールデンウルフから攻撃を受けた。危機一髪避けることができたが、頬に爪が掠って血が流れた。
獲物を狩ることを本能として持ち合わせている魔物は、勿論隙を逃さずにあたしを的確に狙ってきた。
攻撃を避けているうちに、あたしはどんどん体力を消耗していった。
(これは、ヤバイかも……っ!)
「カレンちゃん!」
後ろからの悲鳴と同時に、ゴールデンウルフの爪が勢いよくあたしに襲い掛かった。
避けられない―――戦闘では目を閉じれば負けだというのに、思わずギュッと目を瞑ってしまった。
やっぱり無謀だったんだ……と諦めたとき、
バンバンバンバンバンッ!
発砲する音と、一向に痛みが来ない事に疑問を感じてそろり目を開いた。
目の前には額と目に銃弾を受け、血を流して地面に横倒しになっているゴールデンウルフの姿。
バッと後ろを向くと、ルディのすぐ横で両手でピストルを構えた男がそこに立っていた。
齢は二十代前半程に見える。抹茶色の髪の毛で右目に眼帯をしている男は、息絶えたゴールデンウルフを見てニィッと笑った。
「おい、無事か?」
太腿のホルスターに二丁のピストルを仕舞い込んで、男があたしに問いかけた。
あたしが頷くと、男は人のいい笑みでルディと一緒に近づいてきた。
ルディはあたしに走り寄り瓶を差し出してくる。
見たことの無いそれに、疑心が生じた。
「なにこれ?」
「ヴァイヴァッサー(聖水)だって。この人に貰ったんだよ」
「……そう」
瓶のコルクを引っこ抜いて中身を煽った。
すると身体に染み渡り段々と疲れが取れていく感覚がして、あたしの疲労感は一瞬のうちに消え去った。ヴァイヴァッサーには治癒作用もあったようで、体中の傷も跡形もなく消え去っていた。
ふう、と一息ついて、男の方を見る。……随分と軽装なのね。あたしらが言えた事じゃないけど。
「……助けてくれてありがとう」
「いやいや、無事でよかったよ。俺はクラン・セミリア。あんたらは?」
「僕がルディ・オルブライト。この女の子がカレン・コールウィルだよ」
「ルディにカレンか。ところで、こんなところにいた理由は?」
「僕達この森を抜けた先のエルピーダに行きたいんです」
「エルピーダに行く?……じゃあお前さんら、ひょっとして村……マックリンの人間か?」
ううんとクランが考える素振りを見せる。
「……そうだけど、何かいけないことでもあるの?」
「ああ、いや。そんなことはない。ちょっと驚いただけだ」
……驚く?あたし達は二人して顔を見合わせた。
クランはあたし達の怪訝な表情に気付いたようで、慌てて弁解するように手を振る。
「じゃあ、エルピーダまで俺も一緒に行く。それでいいか?」
「いい、カレンちゃん?」
「……勝手にすれば」
ついと顔を逸らせば、苦笑する二人。
背筋を伸ばしながらエルピーダ方面へと歩き出す。その後に二人もついてくる。
……二人とも、犬みたい。
一瞬見えた耳と尻尾の幻覚を首を振ることで頭の中から掻き消して、森の中を歩き続けた。
ていうかクラン、煩い!