入学
~私、月宮神楽。
先日中学を卒業し、今は高校に入るまでの春休みを満喫していた。
今日は友達と隣町へショッピング、
しかし準備に手間取った私は近道をするために普段は利用しない裏道を使った。
なのに━━、どうして━━、こうなるのよ~~~!!~
「なー、いいじゃんか。ちょっとくらい時間あるだろ?」
「俺達とお茶しようぜ?おごるからさー」
「うまいケーキのあるいい店知ってるんだ。きっと君も気に入るよ」
見知らぬ三人組の男に話し掛けられる。
「あの……私急いでますので……」
「おっと。まま、そう言わずに」
この辺りの治安はあまりよくなく、薄気味悪く感じた神楽はすぐに逃げ出そうとしたが、一人の男に道を塞がれてしまった。
「ほら行こうぜ」
「やめてください!」
腕を掴んで強引に連れ出そうとす男の手を神楽が振りほどいた時、男は突然よろよろとした足取りで大勢を崩した。
「イッテッ、肩が」
「おいおい、大丈夫かよ。これ脱臼してんじゃねーか?」
「はあ?あんた達バカじゃないの?今時そんなのテレビだって通用しないわよ?」
「なんだと!?」
「俺達になんか文句でもあんのかよ」
「なによ!吹っかけて来たのはそっちじゃないのよ!」
あからさまな演技に神楽は不服を訴えたが、それを聞いて男達は逆上した。
「舐めやがって、このガキ」
「えっ、ちょっと待ってよ。私が何したって言うのよ」
「うるせえ!」
三人で取り囲み、男達は神楽を壁際に追い込むと殴りかかったが、そこへ不意に他の男が顔を見せた。
「白昼堂々女の子に手を出すとは頂けねーな」
「なんだテメェ?俺達とやろうってのか?」
「女相手におめえ等三人で寄って集って恥ずかしくねーのかよ。これだから下界の人間は」
<それはまるで御伽噺の世界で、私のピンチをその人はあっという間に助けてくれました>
少年の助けもありその場を抜けることが出来た神楽は無事に友人と会うことが出来、一時の買い物を楽しんだ後喫茶店で話し込んでいた。
「で!その人が周りのやつを一瞬で返り打ちにしちゃってさ、も~、とっっても格好よかったんだから」
「はいはい。で、その白馬の王子様に一目惚れしちゃったと。神楽って本当単純だよね~」
「別にいいじゃない。自分の気持ちには正直に生きるのが私のモットーなの」
彼女の名前は一条綾。
神楽とは小さい頃からの幼馴染だった。
そんな彼女達も高校では別の学校に進学することになり、今日はお互いの門出を祝う日でもあった。
「ま、神楽のそういうところ私は嫌いじゃないけど。でもよく御影学院に入れたね、あそこって特別な能力を
持った人達の養成施設なんでしょ? 神楽、手から炎が出せるだけじゃん」
「そうなのよね~、私も御影から招待状が来た時はビックリしちゃったよ」
この世界には能力者と呼ばれる資質を持った人間が存在する。
その力はディールと呼ばれ、能力は千差万別だが彼女のような冴えない能力者はこの世界にはごまんと居た。
中学で義務教育を終え、高校に進学する者は主に二つの道に分かれる。
普通の文学を学ぶ公立高校と、自分の持つ能力を鍛え磨き、開花させるための養成学校。
一般的に彼女のような能力者は見込みがないため普通の学校に通うのだが、潜在能力を期待された子供は稀に養成所から声が掛かることもあった。
その中でも御影学院は特異体質者だけをよりすぐったエリート中のエリート校。
そのようなところから直々に招待された彼女は休みの間中ずっと浮かれっぱなしであった。
「今からでも遅くないからやめときなってば。いくらタダだからって、あんなところに行っても後悔するだけだよ。現実はそんなに甘くないよ」
施設に入るには巨額の大金が必要だが、招待状を受け取った者はそれらを一切の免除で面倒を見てもらえる。
しかし彼女の言う通り施設に入ったからと言って必ず能力を開花させられるわけではない。
死ぬほど努力を重ねてもその大半は能力を開花させることが出来ずに居るのが能力者の実情だった。
そして仮に能力を開花させられたとしても、その中で活躍出切るのはほんの一握りの実力者だけである。
「でもそれは私に秘められた物がなかったらの話でしょ?大丈夫だって。すっごい力を呼び起こして見せるんだから」
「神楽の意思は変わらないんだね……。ならまあ私もこれ以上は何も言うまい。いつかちゃんと帰ってきなさいよ、その時は歓迎するからさ」
「ありがと、綾。私頑張って来るからね!」
そしてこの春、月宮神楽は御影学院へと入学した。
大都市のど真ん中に設立された御影学院。
門構えの素晴らしさからもその格式が高いことを伺え、入学初日、初めてそれを目にした神楽はかなり緊張していた。
ごく一般の中学に通っていた彼女にこの場で居合わせるような知り合いが居るはずもなく、圧倒されてしまった神楽は門前で立ち止まっていたのだが、そこへ先日路地裏で助けてくれた少年の顔を見かけ、彼女は先ほどまで抱いていた緊張も忘れて駆け出していた。
「あ、あの人!あの、この前はどうもありがとうございました」
「お、あんたこの前の。あんたも御影に?」
「はい!私、月宮神楽って言います。能力の方はまだ全然何ですけど、なんか御影から招待状もらっちゃって」
「へえ、今年の特待生ってあんただったんだ。俺、柊快都。御影は少数精鋭だから一クラスしかねえし、これからよろしくな」
こうして神楽は快都との再会を果たし、これから始まる学園生活に期待に胸を躍らせた。
この時の彼女はまだ知る由もない。
これから始まる世界を懸けた戦いに、自分が少しずつ足を踏み入れてしまっていることに。
そのまま教室へ移動した神楽は名前を貼られた座席へ腰掛けると、その姿を見るや否や一人の女性が話し掛けてきた。
「やあ。あなたが今年の特待生だよね?月宮神楽さん」
「へ?」
「でもまさか御影が下界から特待生を引き入れるなんて、学院創設から今まで前例のないケースなのよね~。あなたがどんな潜在能力を秘めているのか実に興味深いわ」
「あ、あの……、どこかでお会いしましたっけ?」
「おっと、これは失礼。あたし氷室南、こっちの世界じゃそこそこ名の売れた情報屋なの。とは言っても、あたしもディールの方は全然なんだけれどね。下界出身者なら欲しい情報も多いだろうし、何かあったら相談してよ。仕事柄、あなたの情報は手に入れておきたいし、特別に安くしておくわ」
「じゃあ早速ですが、その下界ってなんですか?」
「はい……?」
「あ、いや、だからその……」
聞きなれないその言葉を神楽はなんとなしに尋ねたのだが、あまりにもきょとんとした南の表情に声を詰まらせた。
「あなた、まさかそんなことも知らないで御影に入ってきたの!?じゃあ何?まだギルドにも所属してなかったりする?特待生なんでしょ?騎士の任命は!?」
「何の話か全く……」
「あっちゃぁ……、どんな天才が紛れ込んで来たのかと思えば……これは先が思い遣られるわ。あなたここがどこか分かってるの?天下の御影よ?もうちょっと御影の生徒としての自覚を持たないと、この世界ではやっていけないわよ?」
自分が世間知らずではないと思っていた神楽だが、南のその口振りはどうも事実のようだった。
そもそも御影学院に来るような生徒は中学から名のある名門を卒業して入ってくる。
その環境も育ちも自分とは全く別で、指定の制服がない御影で神楽は私服だったが、周りの者のほとんどが家紋らしき模様が入った正装姿だった。
「……はぁ、まあいいわ。じゃあ特別サービス!この世界の基本的な知識だけまとめて教えてあげるわ」
「でも私お金持ってないですよ?」
「別にいいわよ。私が今ここであなたに情報を提供すれば、私のことも少しは信用してくれるだろうし、将来の株投資だと思えば安いものよ。情報屋にとって信用は商売の要だからね」
「じゃあお言葉に甘えて」
「うむ、素直でよろしい。飛び入りで御影に入って来たあなたには分からないだろうけれど、能力者の育成って何も高校からだけじゃないのよ。選抜はこの世に生を授かった瞬間から行われ、身分や家柄によっては生まれたその日から一人前の能力者として力を発揮出来るよう訓練が始まる」
「いやいや、それはおかしいでしょ。能力の開発は十六を過ぎてからって法律で」
「だからあなた達が『下界の人間』って呼ばれるのよ。例えば有名な能力者の子供が普通の公立学校で十六年も無駄に過ごすと思う?ありえないわよ。確かに世間一般には公表されてないけれど、隠れた個人の養成施設があって早い子なら十六になる頃にはすでにトップクラスの実力者と肩を並べるところまで成長している。単純に住む世界が違うのよ」
「でも能力開発には莫大な資金が……」
「そのためのギルド、言わば派閥の連合体みたいなものよ。自分達のギルドから優秀な実力者を産出し、その見返りとして多額の援助を受け取る。ちなみにこの御影も国が保有する唯一のギルド。高い入学金をせしめておきながら裏では何をやっているのやら。ま、早い話が非合法的に行われてる出来レースみたいなものよ」
「そんな……」
能力を開花させその第一線で活躍出来れば一生安泰を約束されたようなもので、この学生生活は人生を大きく左右する分岐点でもあり、その話を聞いた神楽は肩を落としたが、話はまだ終わらなかった。
「驚くのはまだ早いわ、黒い話はこの先よ。そもそもなんで能力者の養成がここまで盛んに行われているのか。一般的に行われる能力開発って文明の発展や技術の向上が目的だけど、一部の上流階級の人間には『騎士』と呼ばれる戦うことを専門に教育された使用人がつけられている。それがギルドの資本金の正体。なぜ彼等のような物騒な人間が存在するかと言うと、この世界では殺し合いが行われてるからよ」
「殺し合い!?」
突然声のトーンを落とした南だったが、その物騒な話に神楽は驚いた。
「しっ。声がでかい。まあ当然の話よね。この世界には開門橋と呼ばれる異世界に繋がるゲートが存在し、その先には世界を変えてしまえるほどの秘密の力が隠されているらしいの。彼等はずっとそれを追い求めている。考えただけでぞくぞくするでしょ」
「ぞくぞくって……。私、もしかしてすごいやばいことに首突っ込んじゃってる?」
これまでの環境とどれだけ違うところへ自分が入り込んでしまったのか、南から話を聞いて神楽は徐々に焦りを感じていたが、南はそんな神楽を見て気遣いを見せた。
「それはあなた次第かな?ギルドの運営に死ぬほど費用が掛かることは事実だから、上流階級の人間との取引は必須だし、騎士に任命出来るのは志願者だけ。これはあくまで互いの利害関係が一致したギブアンドテイクの関係よ。第一騎士を持っていても大半の人は護衛用としてつけているだけ。御影は合法的に運営されている養成施設だから授業の内容は世界一だし、そういう危なっかしい連中は門前払いされてるって噂よ。信用出来る後ろ盾もないみたいだし、何かあれば学院に頼めばいいわ。この高い入学金にはそういうケアを行ってくれるちゃんとした理由もあるからね。でなきゃこんな事実を知ってるあたしが大枚叩いてまで入学するわけないじゃない」
「あっ、それもそうだね。なんか今の一言でホッとしたよ」
「ちなみにあたしも元は下界の出身。ついでに言うとディールは使えないわ」
「え?どういう事?あなた何をしにこの学校へ入ったの?」
「下界出身者が一番苦労するのは所属出来るギルドが限られていることなのよ。まあギルドからしても下界の人間を引き入れたところで何のメリットもないからね。かと言って安っぽいギルドに所属しても受けられる恩恵に魅力がない。その点御影に入れば質の高い交友関係も広げられるし、バックアップの手厚さも郡を抜いている。有名なギルドに席を置くことによる風評、ブランドに拘ったり派閥争いがしたいのなら一文の価値もないけれど、ギルドとしてのポテンシャルは御影もトップクラスと言っていいわ。つまり下界の人間が目指すギルドはここしかないってわけなのよ」
「そうなんだ。氷室さんは何でも知ってるんだね」
「あたしはこの情報力と言う力でここまで上り詰めてきたからね。その世界の秘密とやら、あたしの手で必ず暴いて見せるわ」
「氷室さんはそっちへ進む気満々なんだ……」
「当たり前でしょ、でなきゃこっちの世界に入ってきた意味がないじゃない。後、あたしのことは南でいいわ。これからよろしくね、神楽」
「うん、ありがと、南」
そう言って南が手を差し出すと、神楽は軽い握手を交わした。
「あなたディールは?」
「大層なものは使えないけれど、手から炎を出せるくらいかな」
「ふーん、なんか地味ね。御影から招待状もらったんでしょ?天才肌でなければ特殊なディールを持っているわけでもない。何か他に心当たりないの?」
「そんなの私に聞かれても分からないわよ。と言うかあんた今さりげにひどいこと言ってるわよ」
「あー、ごめんごめん。でもまああなたが特待生として招かれたのは事実だし、どうせなら知名度の高い今のうちに騎士でも見つければ?」
「騎士ってお金で雇う護衛のことでしょ?さっきも言ったけど私お金ないってば」
「確かに上流階級の人間が優秀な騎士をお金でやとってることは本当だけれど、それは言わばギルド間の紹介料みたいなもの。騎士にとってお金って言うものには価値がないのよ。言ったでしょ?騎士になるのは志願者だけだって。彼等は主に仕えることに命を捧げ、その行為に対して誇りを感じている。その絶対的な忠誠の見返りはただひとつ、騎士の担い手として必要な高貴な身分や実績、人柄なの。つまり自分で見つければタダってこと。特待生として初めて下界から招かれた今のあなたなら、あなた本人に実力がなくてもそれなりの能力者がついてくれると思うけど、ねえ、仮にこのクラスから選ぶとしたらあなた誰がいい?」
「誰って言われても、今日初めて会う人達ばかりなんだからそんなの分からないよ」
「違う違う、これは一種のゲームよ。あなたに見る眼があるのかどうかのね」
「難しいこと言うなあ、そんなの見た目で判断出来るわけないじゃない」
「匂いよ、匂い。まあこればっかりは経験を積んでいかないとね。今がその第一回目よ。でもヒントなしもかわいそうだから一個だけ、騎士の男女比は九対一で圧倒的に男性が多いわ。まあこれは単純に男性の方が戦闘に向いたディールを発生しやすいだけなんだけどね」
「ん~」
言われて教室を見渡すと、唯一の知り合いでもある快都は自然と神楽の目に止まった。
<そういえば柊君ってどうなのかな。もし柊くんが私の騎士になってくれたら━━、いや、だめだめ。今はまだ南には知られたくないし、適当な男の子選んじゃえ>
そこで神楽は正装姿をした男性の中から適当な人を指したが、その選択に南は口笛を鳴らして感嘆した。
「じゃああの子なんかはどうかな?見た目は大人しそうだけど、根は真面目って感じでよさそうじゃない?」
「ヒュー、これまた……えらくピンポイントで当てるわね。もしかして彼のことどこかで聞いた?」
「いや?知らないよ?」
「そうなの?まあ基礎知識もないあなたが知らなくても無理ないか。名は礼上卓。そのずば抜けた才能によって付けられた異名が蒼嵐のブリューナク。彼、世界最強のギルド、キングダムの出身よ。家柄もその実力もお墨付き。正直、この学園で主席を取るのは彼で決まりね。でも残念、彼はすでに売約済み」
「売約?」
神楽が小首を傾げていると、白のとんがり帽子とローブに身を包んだ女性がその男の名前を呼びながら走ってきた。
「卓~」
「おはよう長瀬。高校生になっても相変わらずだな」
小柄な彼女は卓の胸に飛び込むと、人目を気にせず抱き付いた。
「ギルド、セントヘベル所属、長瀬琴美。彼女が蒼嵐のブリューナクの担い手。形はあんなんだけれど、分かりやすく言えば由緒正しい名家のお嬢様。彼等のペアが今世界で最も開門橋に近い存在とされているわ」
「へえ」
「セントヘベルは王族の血を引く家系だから身分は言うことないし、キングダムはプライドも高くてかなり真っ当なギルドだから彼女が目をつけるのも無理はないわね。けどセントヘベルって昔から悪い噂が絶えなくってさ」
「悪い噂?」
「彼女達王家の一族はディールの中でも極めて異質な召喚の類を使えるの。あまりにも現実離れしたその強さはなんでも裏でエルフとの繋がりがあるとか、古の時代に悪魔と契約した見返りとかなんとか。ま、王族が妬まれることなんてしょっちゅうあることだし、どこまでが本当の話か分かったもんじゃないけどね」
「なんか難しい話ばかりでやんなっちゃうなー。ねえねえ、じゃあ彼は?柊君。結構いけてない?」
「柊?聞いたことない名前ね。ギルドにすら入ってないんじゃない?」
「え~、絶対いけてると思ったのに」
「あたしが聞いたことないぐらいだし、多分これからってところね。何?神楽、あなたああいうのが好みなの?」
「うるさいなあ、別にいいでしょ。ほっといてよ」
神楽はそれを聞いて不満に頬を膨らませてヘソを曲げた。
「はいはい、じゃあそろそろ授業も始まるし、また放課後にでも」
「南」
「ん?」
「なんかいろいろとありがとうね。始めはどうしようかと思ったけど、南のおかげで私ここでもやっていけそうな気がする」
「どう致しまして。同じ下界出身者同士、仲良くしようね」
「うん!」
程なくして授業時間になると、教員が壇上に立ってこれから始まる学校生活のおおよその流れを説明した。
「我々御影学院の目的は諸君等も知っての通り優秀な能力者の育成だ。しかし一概に能力と言ってもその種類は極めて多く、そのため我が校ではカリキュラムを用意していない。諸君等にはまず引き伸ばしたい能力の方向性を定め、それにあった授業を個人単位で受けてもらうことになる。生徒の数はざっと三十名、それに対して教員はあらゆるケースを想定して千近い人員を用意している。この数は我が校の実績を表していると考えてもらって構わない。何でも気軽に相談してくれたまえ。今年はキングダムとセントヘベルのゴールデンペアも在籍している。この世界に足を踏み入れる以上危険は否めないが、安全性を考慮し本校では全寮制を採用している。だが在学中のギルド間のいざこざはご法度だ。間違っても問題は起こさぬようにな。何かあればすぐに職員の方へ連絡すること。注意事項は以上だ。ではこれから自由行動とする。諸君等の今後の健闘を祈るよ」
そう言って教員は必要書類だけを配布して姿を消した。
生徒達はその書類に目を通しながら慣れた様子で必要事項を記入し、当面の目的や目指す方向性を明確にした後、個別指導を受けるために担当者の下へと足を運び始める。
それは彼等にとって入学前から考えていたことであり、この段階でどの教員から学び教わるのかもすでに決めてあるのが妥当だが、何も知らずここへ入った神楽はすでに蚊帳の外だった。
「はあ……、あんな説明されても私にどうしろって言うのよ」
ディールについて全く知識のない神楽は具体的にどうしたらいいのか分からず、ペンを投げ捨て机にへばりついたが、そこへ白いとんがり帽子の琴美が声を掛けて来た。
「どうかしたの?」
「能力の引き伸ばしたい方向って言われても、実際どうしていいのか全然分からなくて。水とか電気とかも出せるように訓練していけばいいのかなあ?」
「月宮さんディールに関して何か誤解してない?ディールって生まれた時から使える系統しか使えないよ?」
「そうなの?じゃあ引き伸ばすってどういうこと?」
「自分の持っているディールの汎用性を高め、攻撃型や防御型に派生させていくってことなの。中には特殊なディールもあってすでに補完状態に達していることがあるから、それ以上派生出来ない場合もあるにはあるんだけどね。月宮さんのディールってどんなものなの?」
「私?手から炎が出せる能力」
「へえ~、炎の具現化か~。ならいろいろと使い分け出来そうだね」
「でもあんまり危ないことはしたくないしなあ……。えっと……長瀬さんだっけ?あなたはどうするの?」
「私のディールはさっき言ったその特殊なものなの。だから特にすることもないかな。ここへ入学したのも卓と一緒に居たかっただけだし」
周りの者が少しでも早く成長しようと一分一秒を惜しむ中、呑気に自分と喋る琴美の余裕に、神楽は持って生まれた力に差を感じた。
「お嬢様はいいな~。お金と地位で何でも手に入っちゃうんだもんね。私にもお金や身分があれば好きな人を騎士に出来たかもしれないのに、世の中不公平よ」
「そうでもないよ?いつ卓の忠誠心が冷めてしまうか時々不安で眠れなくなることもあるし。確かに好きな人を騎士に任命出来ればずっと一緒に居られるけど、私が欲しいのってそういう気持ちじゃないんだよね。月宮さんも誰か好きな人でもいるの?」
恋話好きの神楽は琴美となら色々話せそうな気がして、その質問に小声で囁いた。
「うん。向こう隅に座ってる柊君」
「そうなんだ、うまく行くといいね」
「ありがと。ねえねえ、彼とはどこで知り合ったの?なんて言って騎士に誘った?」
「別に人に話せるようなロマンチックな話じゃないよ?小さい頃にママに連れられてキングダムの本拠地、大聖堂まで行って、そこでどれでも好きな騎士を選びなさいって言われただけだから」
「え?たったそれだけ?他にエピソードとかないの?こう、意識するようになったきっかけとかときめくような出来事とか。彼特別一目惚れするようなイケメンでもないような気がするけど」
「ん~、なんて言うのかな。人間の言葉で言えば赤い糸が見えたって言うか……、けど言葉で表現するのはちょっと難しいかな。選んだ理由は確かに些細なことなんだけれど、でも今の私は卓が誰よりも好きなの」
「そっか~、でもやっぱり羨ましいなあ」
「まあ恋話は後にして、今はディールの方向性を決めないとね。月宮さんのディールなら一本に絞ってしまうより幅広く応用を利かせる方がいいと思うよ。そのためにもまずはある程度の火力を引き出せるようにしないとね」
「教えてくれてありがとう。そうしてみるよ」
「どう致しまして」
具体的な案がまとまり神楽が書類に目を移したその時だった。
教室の扉がバンッと勢いよく開く。
その音に釣られて皆が視線を向けると、そこには黒装束をした不気味な連中が集まっており、それを見た南は表情を変えた。
「異端審問!?なんでこんなところに」
扉を開けて早々素早い動作で教室に入り込んだ黒装束は、脇目も振らずに神楽へと近付き、腰に携えた剣を引き抜いた。
あまりの手際良さに神楽や琴美、教室内に居たほぼ全員が反応出来ずに居たが、振り掛かるその剣を、琴美の騎士である卓がディールで作り出した雷で見事弾き返した。
「伏せろ!!」
卓の声を聞いて、琴美が神楽を抱えてその場に倒れ込む。
卓は敵の剣を左手で弾き返した後、右手で相手の腹部を両断した。
すると黒装束の下からは機械部分が顔を出し、断ち切られたそれはただの鉄くずとなって辺りに散らばった。
続く二体目、三体目も卓によって呆気なく破壊され、後方で構えて居た最後の四体目は不意打ちに失敗して素早く撤退した。
その姿に、教室隅の席で立ち上がり掛けて居た快都は再び腰を下ろした。
皆動揺を隠せず、一瞬の闘争劇はその場の空気を凍らせ、教室の中はざわつきどころか物音一つしない静まり返った状態だった。
「神楽大丈夫!?」
「何よこいつ等……」
南がそこへ駆け寄ると、神楽は恐怖のあまり腰を抜かしていた。
「政府容認の実力行使部隊、通称異端狩り。余程の事件でもない限り彼等が出てくることなんてまずないんだけれど……。礼上君、あなた何か知ってる?」
「いいや?第一ギングダムの俺が彼等と関わるようなことするはずないだろう」
「それもそうよね……」
散らばった鉄の破片を何となしに手にする南。
そうして南は神楽に視線をやった。
<となると、やっぱり原因はこの子かな……?>
~あの事件は一体何だったのか。
南によれば、あの黒装束の正体は政府が人工的に作り出した人型兵器らしい。
そのため対象の生死を問わない場合にしか使用されないとか。
しかし数日もすればほとぼりが冷め、私も日々の訓練に勤しんでいた。
御影からそれ専門の先生を紹介してもらって修行法を伝授してもらい、いざ訓練開始。
しかし私のような基礎すらなっていない生徒を見るに耐え兼ねたのか、先生は愕然としてしまい、練習法だけを説明して監督までは受け持ってもらえなかった。
その基礎と言うのは、両手を使って一度に大きな炎を作り出し、その状態を維持させるだけのこと。
ところが何度やってもうまくいかず、無理に力を込めればその分炎が暴れだし、今の私の力ではそ れすらも制御しきれなかった。~
「あ”-、もうっ、全っ然っダメ。やっぱり私才能ないのかなあ……」
ディールのおいて能力の発動、実体化、状態維持は人が『歩く』ことと同じように、無意識下で使えなければ『走る』と言った応用に繋げることが出来ず、神楽はまだディールを派生させるどころか、そのスタート地点にすら立っていなかった。
自分がどれだけ違う立場の人間と過ごし、どれほど無謀なことに挑戦しようとしているのか、それを日を増すごとに痛感してきた神楽は入学早々挫折しそうになっていた。
「才能云々よりもまずセンスがない。お前は不器用なんだから一般的な方法じゃ体が覚えるのに時間が掛かるんだよ」
「誰よあんた。初対面の人に随分な物言いね」
突然知らない銀髪男に神楽は声をかけられた。
「なんだよ、見るに見かねてせっかく人が厚意をやいてやってるって言うのに」
「見るに見かねてって、あんた私のことずっと覗いてたの!?」
「別に覗いちゃいないが、あんなことがあった後じゃな。警戒ぐらいするさ」
「お生憎様、見ず知らずの変態に助けてもらうほど私は切羽詰っていませんので」
「ったく━━。相変わらずかわいくねえなあ」
「んっ、こいつ……」
馴れ馴れしいその男にあえて余所余所しく振舞った神楽だが、その男の一言に顔を歪めた。
「ま、お前がそのままだと困るのは俺なんでな。足でまといにはならないでくれよ?」
そう言って男は神楽に一冊の本を投げ渡した。
「何よこれ……?って、あれ?居ないし……」
表紙や裏に何も書かれていない茶色のその本に神楽が目を奪われていると、男は忽然と姿を消していた。
「神楽、調子はどう?」
「あ、琴美。今変なやつ見なかった?」
「変なやつ……?」
「あ、ううん、やっぱりなんでもない。今日は礼上君は一緒じゃないの?」
「うん。卓はどっちかって言うと努力家だから、今は一人で特訓中」
「そっかぁ。礼上君ならディールのコツとかいろいろ知ってると思ったんだけどなあ」
「ん~、神楽と卓のディールって似ているようでも全く違うものだから、あんまり参考にならないと思うけど……」
「そうなの?」
「確かに卓のディールって属性は雷だけど、あれは分類的には魔剣の一種で、電気を放出するわけじゃないから使い方に大きな違いがあるの。だから防御型に引き伸ばすことはもちろんのこと、神楽みたいに用途に分けて幅広い使い方をすることは出来ないんだ」
「なんかディールって思ってたよりも複雑なのね」
「氷室さんだっけ?あの人ってとっても物知りなんでしょ?神楽とは仲いいみたいだし、あの人に相談してみたら?」
「それがダメだったのよ。私もそう思って一番に聞いてみたんだけど、南、ディールは知識として持っているだけでコツとか使い方とか、そういうのはからっきしで」
「そうなんだ。あ、じゃああの人なんかは?丁度今手空いてるみたいだし」
琴美が指した方向に神楽が目をやると、そこには快都の姿があった。
「ひ、柊君!?」
「柊く~ん、ちょっと今時間ある~?」
「ちょっと琴美!?」
「いいじゃんいいじゃん。きっかけは待ってても訪れないよ?」
「……なんか用?」
「なんかね、神楽が相談したいことがあるんだって。私これから用事があるから後お願いね」
「え、嘘!?ちょっと待ちなさいよ」
動揺してあたふたし始める神楽にお構いなしで快都を呼び寄せた後、琴美はそう言い残し大手を振ってその場を抜けだした。
「じゃあね~、神楽~。バイバ~イ」
「琴美~~!!」
その満面の笑みは彼女に一切悪意がないことの表れでもあったが、この状況に神楽は額の汗を隠せなかった。
「……何?相談したいことって」
「あ、いや、べ、別に大したことじゃないんだけどね。ちょ、ちょっと能力のことで行き詰っちゃって。も、もしよかったらコツとか教えてもらえないかなーとか思ったりして。あ、でも柊君も忙しいだろうし、無理に付き合ってくれなくてもいいよ。なんか琴美のやつが急に柊君呼んじゃうものだから私も困っちゃって」
「俺は別に構わないけど」
しかしその返答に神楽は目を丸くした。
「ほんとっ!?じゃあ柊君のディールってどんなの?属性は?使い方は?コツとかってある?誕生日は!?」
「そんなに慌てなくても時間はあるって。……場所を変えようか、出来れば人目に付かないところがいい」
そう言って快都は焼却所まで神楽を連れ出し、コンクリートの上でたきぎを組み始めた。
「あんたのディールって炎を操ることでいいんだよな?」
「操るって言うか、具現化?手から放出することが出来るの」
「まあ基本はどれもあまり変わらない。慣れるまでは自然の力を借りるのが一番手っ取り早いんだ」
そう言ってたきぎに火をつけ、しばらくすると木は程良く燃え始めた。
「焚き火?」
「そう。力は入れなくていい。むしろ肩の力を抜いて焚き火を自分の炎として操ることに集中するんだ」
後ろから神楽の手を支え、体で感覚を掴ませる。
「……こう?」
すると炎は円を描くように渦巻き始め、先ほどよりも大きな炎へと変化した。
「その調子。次は徐々に力を込めて火に自分の意思を伝えるんだ。ここからはイメージが大切。自分の作りたいものを頭の中で事細かに再現するんだ。形、大きさ、性質や特性。だが決まりきった形状があるからと言って先入観にとらわれてはいけない。炎には固定された姿がない。火特有の明るさや温度まで。その柔軟さを決して忘れないこと」
「説明が早すぎるよ。もうちょっと分かりやすく」
一度にたくさんの説明を受け、それを呑み切れなかった神楽は頭が一杯になると、自然と炎がどよめき出し、まるで心を映し出したかのようにゆらゆらと揺れ始めた。
それを見て快都は肩に手を当て、再度力を抜くよう神楽を促し、暗示を唱えるように耳元で囁いた。
「いいか? 目を閉じて俺の声に耳を傾けろ。イメージは輪だ。丸い円形。だけど百パーセントの円にする必要はない。輪の回りを炎がまとい、それはメラメラと揺らめいている。この火は決して熱くない。人肌のような温かい温もり。柔らかな光。あんたはそれを手に入れたいはずだ。自分の手の平の中に━━」
その声に耳を傾け、精神を一点に研ぎ澄ませる。
瞳を閉じて頭の中でそのイメージを何度も繰り返し想像し、細部に渡って事細かに構想し始める。
形、大きさ、状態。
優しい友人に囲まれ、日々精進に励むライバル達。
今はまだ遠い背中でも、自分もいつか彼等と同じように肩を並べて歩きたい。
誰に与えられるわけでもなく、それをこの手で掴もうと、彼女は必死に手を伸ばした。
「すごい……、出来た……、柊君見てみて!私出来たよ!!」
神楽が目を開けると、体の周りを一輪の炎がまとっていた。
まだか細く、今にも消え入りそうなわずかな灯だったが、手の届く距離、触れられるほどすぐ傍に、彼女はそれを具現化することに成功した。
「大したものだ、思ったよりも覚えるのが早いな」
「柊君の教え方がうまいからだよ」
「後は何度も繰り返し練習して感覚を掴んでいくだけだ。今はまだ支えが必要だろうけど、次第に複雑な形や今みたいな特殊な炎を作り出すことも可能になる。これはディールの形状変化と状態変化と呼ばれ、それを自分の力だけで具現化出来るようになれば基本はマスターしたも同然だ」
「ありがとう。ちょっと行き詰ってたんだけど柊君のおかげでなんか自信がついたよ」
「そいつはよかったな。でもあまり俺と関わるのはよした方がいい」
「どうして?」
「学院側は一応伏せてあるみたいだが、ここに集まった連中のほとんどは皆目指すところが一緒だ。要は全員がライバル。いらぬ感情は持たない方が自分のためだ」
「それって開門橋の事?私は世界の秘密にも力にも興味ないし、そんなの関係ないよ。それにそういう柊君だって今こうやって私に付き合ってくれてるじゃない」
「まあな。けど目の前の現実と真実が異なることなんてよくあることさ。ま、ほどほどにな。それじゃあ」
「うん、今日は本当にありがとね。また」
それから数日後、上機嫌な神楽を教室で見つけて南は声を掛けた。
「成果は上々みたいね、これも柊君のおかげ?」
「もう、ちゃかさないでよ南」
「ふふっ、神楽って本当分かりやすい性格してるわよね」
「あ、そうそう。南あの人知ってる? あの銀色のキザったらしいやつ」
そう言って神楽は先日声を掛けてきたあの見知らぬ男を指差した。
「杉並君?杉並隼人。なんでも古くから続く神社の跡取り息子らしいけど、彼も神楽と一緒で高校からの参加者。家柄はしっかりしてるけど取り分けて上げるような秀でたものもないし……、彼がどうかしたの?」
「なんか私、あいつに目付けられてるみたいなのよね」
「そうなの?ああいうところの家系ってギルドとして結成はされてないけど、血筋を大切にする習わしがあって、身内同士の繋がりで親が許婚を用意してるはずだから、外部の人間と下手に関わるようなことはしないと思うんだけど……」
「何それ?好きでもないのに決められた人と結婚するの?マジありえないんだけど。いくらみんな敵同士だからっていがみ合うなんてナンセンスじゃない?これじゃあせっかくの出会いも台無しよ」
「ん~、でもこういうのって思想の問題だからね~。騎士もそうだけど、自分がそれでいいと納得出来るならそれでいいんじゃないのかな?それに彼等の考えも一理あるよ。確かに仲間が居れば心強いかもしれないけれど、それじゃあゴールにたどり着いた時誰が力を手に入れるか絶対にもめるだろうからね」
「南って結構順応性あるよね」
「嘘に惑わされてはいけないけど、情報屋として他人の意見はちゃんと聞き入れないとね」
「南は大人だな~」
「おはよう、二人とも。何話してるの?」
「おはよう、長瀬さん」
「おはよ。琴美はさ、私達と敵対したりなんかしないよね?」
「どうしたの?急に」
「開門橋絡みのことよ」
そこへ琴美も話に入ってきたが、突然の振りに琴美が首を傾げると、南がさらりと付け加えてくれた。
「ああ。でも神楽って世界の秘密に興味ないんじゃなかったっけ?」
「何その言い方。じゃあ何?私に興味があれば変わるってこと?」
「まさか。今日の神楽なんか変だよ?妙に刺々しいと言うか」
突然ギロリとした目付きに変わる神楽に琴美はどうしたものか戸惑ったが、その気持ちが理解出来た南は琴美に分かるよう説明を加えた。
「そう言うことだから気にしないであげて。この子、この前柊君に言われて少しいらだってるだけだから。まあついこの間まで下界に居たんだから気持ちがついてこないのも無理はないんだけど」
それを聞いて琴美は神楽の手を取って面と向かって話をした。
「あのね、神楽、確かに私達は開門橋を目指しているけれど、それはあくまでも目的であってあなた達人間が感情を持っているように、私だって他人と仲良くしたり恋をしたりもする。神楽だってそうでしょう?人によって合う合わないはあるだろうけれど、気の合う人達を裏切ってまで目的を達成しようと思う?そういう人って端から他人と関わらないようにしてると思うけど……。少なくとも私はそう。だから安心してね、神楽は私にとって大切な友達なんだよ」
「ふーん。いい友達じゃない。大事にしなよ、神楽」
「ありがと、私も琴美が大好き」
「あっ……」
そう言って神楽は琴美に抱き付いたが勢い余ってそのまま押し倒してしまい、琴美のとんがり帽子が脱げてしまった。
倒れる瞬間にそれに気付いた琴美は反射的に手を伸ばしたが届かず、帽子の下からは獣特有の立て耳が現れ、それを見た南は驚愕した。
「えっ━━!?」
「何よこれ。付け耳?」
その珍しい物に興味津々の神楽は手を触れたがそれはどうも本物のようで、神楽に乗られた琴美は帽子を取り戻そうと必死になったが身動きが取れなかった。
「帽子……、早く帽子を返して……」
焦りと緊張、そして恐怖が一気に押し寄せ、突然涙ぐむ琴美。
しかしその姿に声を震わせたのは南の方だった。
「ハーフ……エルフ……」
「キャーーー、エルフよエルフ」
「おいなんだよあの耳、犬か?」
「バカっ、お前知らねーのかよ。どっからどう見てもエルフだろうが」
「いや……、見ないで……」
他の生徒も琴美のその姿に動揺し始める。
琴美は手でその耳を押さえたが隠しきれず、そもそもすでに遅かった。
「なんでこんなところにエルフが居るのよ!?」
「そんなこと俺が知るか!いいから早く誰かあいつをなんとかしろ!全員殺されるぞ!」
「見ないで……」
教室中から白い眼差しが容赦なく突き刺さる。
神楽も周りの異変にただならぬものを感じて立ち上がったが、琴美はうずくまったまま起き上がれずにいた。
そこへ琴美の騎士である卓も駆け付けたが、やはり彼の反応も周りの者達と然程変わりはなかった。
「長瀬……、これは一体……」
「すぐ……る……」
「っ……」
琴美は助けを求めるように卓に手を伸ばしたが、ほんのわずか、それははたから見れば気付かないほどの微かなためらいだったが、卓は意図せずにその身を引いていた。
「ぅっ……、……ごめんなさい……」
「長瀬!」
逃げるようにその場を去る琴美。
卓は琴美を呼び止めようとしたが、南はその手を引いて彼の足を止めさせた。
「あなた、まさか追いかけるわけじゃないでしょうね?」
「…………」
その質問に言葉を失う卓。
他の生徒達が二人に視線を注ぐ中、状況が全く読めない神楽は何がどうなっているのかてんでわからなかった。
「ちょっと南、これはどういう事よ」
「エルフは忌むべき存在よ。人の心を惑わし、死を司る種族。遥か昔に絶滅したって聞いていたけど、まさかその生き残りが居たなんてね」
「そんなのただの迷信でしょ!?琴美はそんな子じゃない!」
「そんなこと分かってるわよ!問題はそこじゃない、この世界において身分詐称は極刑に値する大罪よ。例の異端審問にもこれで納得がいったわ」
「何こんな時に冷静に分析してるのよ!礼上君もぼさっとしてないで早く追いかけないと!あなた琴美の騎士なんでしょ!?」
「バカね、追いかけられるわけないじゃない。騎士にとって主への忠誠は絶対的なもの。いかなる場合においても主はこれを疑ってはいけない。これが騎士と担い手における最低限のマナー。その様子だと知らされてなかったんでしょ?琴美の正体」
「くっ……」
南のその言葉に卓は奥歯を噛み締めた。
「図星のようね。騎士にとって主への忠誠を疑われることは顔を土足で踏みにじられるような屈辱のはず。担い手であるあの子がそのことを知らないはずないし、言い逃れは出来ないでしょうね。それに彼女がエルフである以上、下手に関わりを持てば汚名をかぶることにもなる。キングダムに在籍しているあなたがそれを知ってもなお彼女と関わりを持とうものなら、妙な噂が立つ前にギルドはあなたごと彼女を抹殺するでしょうね。悪いことは言わないわ、彼女のことは諦めなさい」
「琴美、これからどうなっちゃうのよ……」
「さあ?ギルドから汚点を出すのは不本意でしょうけど、エルフだとバレた以上はセントヘベルがかくまうはずないでしょうし、ギルドからは追放処分が関の山。身分詐称の時点で死刑は免れないけど、この場合はキングダムに一任されるでしょうね」
「一任って……?」
「言ったでしょ?キングダムはプライドの高いギルドだって。一番株に泥を塗られた状態で彼等が治まると思う?まあ公開処刑ってところね」
「南……、あんたって子は……。よくもまあそんなに客観的に物事が考えられるわね!友達でしょ!?」
淡々と語る南に神楽は腹を立てたが、その様子に南は大きなため息をついた。
「はぁ……、理解していないのはあなたの方よ、神楽。この世界において地位がどれほどの力を持っているか分からないの?衣食住に苦労することはないし、お金も━━、その気になれば人だって簡単に自分の物に出来る。現に彼女がやっていたようにね。人殺しなんかよりもよっぽどタチが悪いわ。それだけやってはいけないことなのよ、身分を偽るってことは。彼女は礼上君が騎士を引き受けてくれた時点で、少なくとも彼にだけは打ち明けるべきだった。自分の正体がエルフであることを。それでも結果は彼次第でしょうけど、彼の騎士道が本物なら告白すると言うその担い手の覚悟に納得したはず。けど彼女にはそれが出来なかった。彼女ははなから彼の忠誠心なんてこれっぽっちも信じていなかったのよ。これは紛れもない一方的な裏切り。彼女、終わったわね」
その後、身柄を拘束された琴美は一時法廷機関に預けられた。
数日後にはセントヘベルが琴美の追放処分を公にし、南の宣言通り、琴美の処罰はキングダムの本拠地大聖堂での公開処刑が決定された。
その死刑執行人の名は他でもない礼上卓本人であると発表して。
琴美の件でしばらく休校となった神楽は寮内の南の部屋で時間を過ごしていた。
「南~、琴美のことどうにかならないの?」
「無理に決まってるでしょ?セントヘベルは世界有数の王族ギルドだけど、その後ろ盾を失った今の彼女に余力があるとは考えられない。仮にあったとしても、今回の事件に関してはキングダムが司法取引に応じるとは到底思えないしね。ギルドに所属する最大のメリットはそのバックアップにあるはずなんだけれど、今回ばかりは流石のセントヘベルでも見捨てざるを得ないわ」
「エルフであることがそんなに問題なの?」
「エルフに様々な言い伝えや伝説があるのは知っているわよね?彼等には不思議な力があり、それは大いなる災いを呼ぶって」
「でもそれって神話や御伽噺の話でしょ?私エルフが実在する生き物だなんて思ってもいなかったわよ?」
「それは単にあなたが平和ボケしているだけよ。彼等の記録はれっきとして存在しているわ。エルフは死後の世界と現世を行き来することが出来、転生を繰り返しては力ある人間をほのめかしまとわり続ける。それが原因で彼等はずっと虐げられた種族なの」
「それって今の琴美とまるっきり……」
「考えたくもないわね。でも一番衝撃を受けたのはやっぱり礼上君よ。信じてきた主がよもやエルフだったなんてね。エルフの身分なんて言わば奴隷のようなもの、そんな彼女に仕えて居たんだから。あの時ばかりは口が聞けなかったのも無理はないわ」
「ねえ南……、礼上君って琴美のことどう思ってたのかな……?」
「さあね、騎士が主へ抱く感情って忠誠であって恋愛感情とは似て非なるもの。どっちにしろ結ばれない恋だったんじゃないのかな?」
琴美と仲の良かった神楽は彼女が卓をどう言う目で見ていたのかをよく知っていた。
本当に好きだから自分に自信が持てない。
本当に好きだからその一歩が踏み出せない。
今ある関係を壊してしまうのが恐ろしくて、そうしてしまうくらいならそれを諦めてしまえばどれほど楽で居られるだろうか。
そんな彼女の乙女心を、神楽は友達として一番にわかってあげたかった。
「そんなのって……、やってみなきゃ分からないじゃない!」
「やってみなきゃって━━、ちょっと神楽!どこへ行く気!?待ちなさい!!」
突然立ち上がり部屋を出て行く神楽。
南の制止も虚しく神楽は全速力で駆け出した。
<身分が低いからとかエルフだからとかそんなの関係ない!人を好きになるって気持ちはみんな一緒のはず!待っててね、琴美。あなたの思いをちゃんと礼上君に届けなきゃ>
ギルド、キングダム、大聖堂にて。
大観衆が見守る中、卓はその大きな扉を開けて中へと入った。
白を基調とした室内はとても広く、天井は遥か上空まで伸びていた。
中央に敷かれた赤いカーテンの上を気後れすることもなく進み、その先にある長い階段の上、壇上を目指す。
階段の脇に設けられた特別席には数名の人間が腰掛けており、その服装や顔付きには貫禄が感じられ、そのトップであろう老人に卓は一礼した。
「元老、少々お時間を頂きたいのですが、此度の処分方法は私に一存頂けないでしょうか?」
厳正なその場の雰囲気は息を詰まらせるほどしんとしていて、卓の声は聖堂中に小さく響いた。
「よかろう。これまで仕えていたのだ。心残りのないようその裏切り者にじっくりと思い知らせてやるとよい」
「感謝致します、元老」
老人の重荷のある声音に決してたじろぐことなく、再度深々と一礼を加えた卓は、精悍な顔付きでその長く続く階段を登り始めた。
高校生とは思えぬその堂々っぷりは一朝一夕で身に付くものではなく、彼が幼い頃よりどれだけ品質の高い環境下で育てられてきたのかを物語るには十分過ぎるものだった。
足音だけが静かに響き、それが徐々に遠のいて行く。
卓が階段を登り上がると、そこには十字架に縛り付けられた琴美の姿があった。
こちらには気付いているだろうが、目を合わせ辛いのか俯いたまま顔を上げない琴美。
聖堂内を一望出来るその高く見下ろしのいい場所で、卓は歩いてきた方角へ振り返り、そこから見える眺めを堪能した。
「ここで会うのも懐かしいな。俺達が6歳頃だから丁度10年前か。あの頃は緊張していたせいか、ここの静寂した空気が苦しかったっけ。そんな俺もお前の騎士に任命されて今やキングダムの中核にまで上り詰めることが出来た。正直嬉しかったよ、まだ実力も経験もないこの俺をセントヘベルのお嬢様が直々に指名してくれたんだからな。例えあれが子供の気まぐれだったとしても、騎士を志していた俺にとっては何よりも名誉なことだった。……だから最後にひとつだけ聞かせてくれないか?どうしてお前はこの数居る騎士達の中から俺を選んだんだ。俺より実力のある候補者はいくらでも居るし、ましてや当時の俺はまだ子供だった。あの選択はただの興味本位だったのか?」
身分、家柄、実力、品性、何から何まで超一流のギルド、キングダム。
壇上の下では彼の他にも数々の功績を上げてきた名実相伴う実力者達が顔を連ねていた。
再び琴美の方へ向き直る卓。
それでもやはり彼女が顔を上げることはなかったが、琴美は観念したかのように自白した。
「……もう隠す理由もないから正直に話すね。エルフには輪廻と呼ばれる生命の営みが見えるの。人は死んでも魂だけを残し、新たな肉体を得て再びこの世界に生を授かる。この世界はね、ずっと同じ歴史を繰り返しているの。あなたと私は過去強い因縁で結ばれていた。でもそれが愛情か憎しみかなんて私には分からない。それでも私はあなたのことが知りたいと思った。そして気付いた時にはもう取り返しが付かなくなってしまっていた……。私は……あなたのことが好き。でもエルフだと知られたらこの関係が終わってしまう。だからと言って距離を置いてしまったら意味がない。だから私はあなたを騙し続けた。そこで初めて気付いたの。どうしても欲しかったはずなのに、そうやって手に入れた気持ちに意味はないんだって。今までごめんね、卓。私、やり方間違えちゃった……。これから先もずっと、今あなたが抱いているその気持ちが次の私達を引き合わせてしまう。何度死んでも━━、何度生まれ変わっても━━、私……卓を嫌いにはなれないよ……。こんなことなら、出会わなければよかったのにね」
琴美の足元にぽたぽたと雫が垂れる。
彼女はそう言っていつものような変わらぬ笑顔を作ろうとしたが、卓はその表情を見るのが辛くなって目を逸らした。
「そうだな……。残念だよ、琴美」
処刑用の真剣を鞘から引き抜き手をぐっと握り締めると、卓は琴美の首元目掛けて剣をなぎ払った。
一方その頃、学校を抜け出そうとしていた神楽は銀髪の男、隼人に呼び止められた。
「そんなに血相変えてどこへ行く気だよ?大聖堂の場所も知らないくせに」
「あっ……」
その言葉でふと我に返った神楽は立ち止まった。
「お前は本当に無鉄砲だな」
「別にあんたには関係ないでしょ!大聖堂の場所くらい私も知ってるわよ」
「ほおー、なら仮にたどり着けたとしてその先はどうするつもりだ。形状変化もままならないやつが世界最強ギルド相手に正面から乗り込もうってか?そんな馬鹿げたことサルでもやらないぜ?普通」
「いちいちかんに障る男ね。あんたに琴美の何が分かるのよ!」
「確かにあいつのことは知らないが、騎士の概念ならお前よりも遥かに知っている。騎士として主を見限る決心がついていたのならあの場で問答無用に切り捨てればよかった。しかしあいつはそれをせずに口ごもった。なら答えはもう出ているだろ。お前が出る幕じゃねえよ」
「それって……」
「ああ、革命が起きる。歴史が変わる瞬間だ」
卓の払った剣が火花を散らして鎖を断ち切り、琴美が十字架から崩れ落ちると、卓は彼女に手を差し出した。
「え……?」
「お前の望みは一生叶わない。だって俺達、もう出会ってるじゃないか」
まだ状況を呑みきれずに呆然とする琴美を側に抱き寄せる。
しかしそれを見ていた観衆はざわめき始め、一人の騎士が声を上げた。
「卓!貴様一体何のつもりだ」
「お言葉ですがアレス卿、私は彼女の騎士です。例え命に代えることになろうと、身を挺して主を守るのが騎士の務めであると、私に教えてくださったのはあなたのはずですが」
「ふざけた事を。気でも触れたか」
「おかしなことを仰る。我々騎士と言うものは元来そういう役目のはず。それが正しいか否かが問題ではない。主君の言葉が自らの正義となる。このようなこと、目下の私の口から言わさないで頂きたい」
張り詰めた空気の中、一歩も譲る気がない卓に先ほどの老人も口を挟んだ。
「お主、そのような振る舞いが通るとでも思いか?」
「元老、調停委員長でもあるあなた様の発言はこの法廷における最高責任者です。よって今回の案件は私に一任されたはずですが?」
「おい、卓!いい加減にしろ!元老に対して口が過ぎるぞ!」
「アレス卿、私も騎士の端くれ。どんなことがあっても自分の信念だけは曲げません」
「すでにエルフに毒されたか……」
「いえ、これは騎士としての私の選択です。あなたのような安っぽい爵位など私には興味ありません。私が求めるものは騎士としてのプライドだけです」
「き、さまっ……!!」
アレスと呼ばれた男は侮辱されて頭に血が昇り、元老も卓の行いに我慢の限界だった。
「卓よ、このような狼藉、ただで済むと思うなよ」
「覚悟は出来ています。仮にここで命果てることになろうと、私は最後まで戦いましょう」
琴美を抱く手に自然と力が入る。
その手はわずかに震えているようで、それを感じた琴美はその手を握った。
これだけの人数を相手に勝敗は目に見えていたが、それでもやらなければ彼女を救うことは出来ない。
寄り添うその小柄な少女を一度目を遣ると、琴美もこちらを向いて強く頷いた。
それを見て卓も頷き返し、剣を投げ捨てディールを発動させる。
卓が体の重心を下げて低く構えると、背中のマントが大きくなびいた。
「俺は蒼嵐のブリューナク。彼女の騎士だ!」
「で、啖呵切って反旗を翻したと。よくもまあやるわ。本当ならあなた今頃血祭りにされているところよ?命があったからいいものの、ギルド蹴ってまで反逆を起こすなんて、あなた正真正銘の大馬鹿者よ」
「仕方ないだろ。琴美を救い出すにはああするしかなかったんだから」
「琴美ねえ……。どんな魔法を使ったのか知らないけれど、エルフであったがために身分詐称の罪人だった子が、キングダムの騎士を虜にして無罪放免。そのキングダムの騎士も暴挙にでちゃうもんだからから、内乱の被害を恐れた元老が太刀打ち出来ずに泣く泣く追放処分で手を打った。彼女のおかげでキングダムのメンツは丸潰れね」
あの後、ギルドに逆らった卓だったが正面衝突は避ける事が出来大事には至らず、琴美を連れて帰り着くことが出来た。
しかし有名な彼等二人がしでかした出来事は世間でも大きく報道され、卓がここへ顔を出したのは一月以上経ってからだった。
しかし南と卓の三人で話をしていた神楽だが、未だそこに姿を見せない琴美に心配していた。
「ねえ、その琴美は?無罪放免って社会的に認められたってことなんでしょ?なら学校にも来れるんじゃないの?」
「一応正式な手続きは踏んであるが、周りの人間が受け入れられるようになるには時間が掛かる。俺からしてみればお前達の反応の方が異常だよ」
身分詐称の罪に関しては問題ないが、琴美がエルフであることに変わりはなく、それを知った周りの人間は彼女をあまり快くは思わないだろう。
現にここへきた卓に対しても、エルフに味方する彼に他の生徒達の視線はやや冷たいものだった。
「そう思ってるならどうして引っ張ってきて上げないのよ。女の子って言うのはね、不安な時には好きな人に守ってもらいたいものなのよ?」
「いや、なんて言うか。実はあれからずっと琴美と口利いてなくてさ。顔が合わせづらいんだよな」
「もお~、何よそれ。あんたそれでも男なの?それは琴美も一緒でしょ?琴美も心配で部屋に引きこもってたらどうするのよ」
「クスッ」
「ちょっと南、今鼻で笑ったでしょ」
神楽の言葉になぜかくすりと微笑した南。
そもそも南は事件解決後、神楽と違ってかなり落ち着いていた。
「ふふっ、だってありえないわよ。彼女がそんな玉に見える?あなた達気付いてないみたいだけど、彼女ハーフなのよ?ハーフエルフの最大の特徴は耳と尻尾以外では人間との判別が付けられないこと。つまり切っちゃえば彼女は人間として生活を送ることも可能だったってわけ」
「切るって、そんなの痛いじゃない!」
「バカね、麻酔を打つに決まってるでしょ、どこの世界にハサミでちょん切るやつが居るのよ。まあそれで、彼女なんかの場合はそうすれば本物のお姫様で居られたわけでしょ?耳なんかおいといても厄介事しか持ち込まないのに、あえて危険を冒してまで彼女はそのエルフの象徴にこだわっていた。どうしてだか分かる?」
~それはエルフにまつわる話の中にもちゃんと隠れていました。
彼女達は元々争いを好みません、
知恵の働く彼女達はいつも平和的な解決を願って人々を誘導するそうです。
ですがそんな彼女達も人の上に立つことだけは極端に嫌います。
なぜならそれは、彼女達はその見返りとして愛する人に可愛がってもらいたいからだそうです。~
寮の自室で出掛ける準備をする琴美。
普段は肌身離さず付けていたトレードマークでもある白いとんがり帽子とローブをハンガーに掛けたまま、鏡で身なりを整えていた。
黄髪に混じる黄色い獣耳の毛並みを揃えて、彼女はふさふさの尻尾を振りながら教室に向かうと、入学初日と同様、大好きな彼の名前を呼びながらその胸に飛び込んで、神楽達の前に姿を現した。