その男 始動
公開情報~妖魔~
誕生の理由は、はっきりとは解明されていない。妖術(特殊な能力)をもち、地下世界を支配している存在。妖魔は地上に出ると妖力が半減してしまい、地下の奥深くに行けば行くほど妖力は強くなる。そして、妖魔は黒い煙を宿しており、傷を負うとその傷口から黒い煙を放出させる。妖魔の爪には妖毒があり、人間が妖毒を受けると様々な症状があらわれ、治療法は極めて少ない。生まれ持った潜在能力があり、一番能力が上の者が妖魔王になることができる。
「おっちゃん、腹減った」
「えい? 俺はあんたの召使じゃねぇよ。金で人を運ぶ船漕ぎじいさんだ」
船漕ぎと言いながらエンジンを吹かし、船のハンドルを握る男は言った。エンジンが粗末に取りつけられただけのボロ船は、波を立てながら移動する。男が船の後方で向きの調節をし、船の先端には1人の少年があぐらをかいて座っている。
「んなのわかってる。贅沢は言わねぇーよ」
少年は揺れる船体の上で寝転がった。日中のうだるような暑さに、めまいがした。
「じゃあさ、おっちゃんは金があればなんでもするのか?」
「はぁ? それは心外だなぁ、坊主。言葉に気をつけろ」
白髪の髭をジョリジョリ指で触りながら、男は背中を向けたままの少年に言った。
「俺はお前から行き先分の駄賃を貰った。だからお前を目的地に届けるのが仕事だ。無駄な話はしたくない」
面倒くさがる男に構わず、少年は話しかける。
「おっちゃん、腹減った」
「……」
エンジン音が鳴り響く。
「お前がそのセリフを吐いたのはこれで21回目だ。そんなに腹が空いてるなら、魚でも獲って食べたらどうだ」
「勘弁してくれよぉ~俺は水が苦手なんだ。早く陸地に連れてってくれ!」
がっくり肩を落とし、少年は手をブラブラ動かした。
「海より陸か……もしかしてあんた山育ちかい」
「うーん……」
はっきりとしない返事に、男は問い詰めるのを諦めた。
「なんだ、暑さにやられちまったか。ったくよぉ……」
「いや、違う。船酔い――」
男は「……そうかい」と呟いたまま舵をきった。そのままボロ船は大海原を進んでゆく。水平線が続くだけの航路に、やがて大陸が見え始めた。
「坊主、そろそろ着くぞ。あんたの好きな陸地のお目見えだ」
「陸地だぁぁぁぁぁぁぁああああああ!」
「……」
陸地を見た少年は、水をかけられた植物のように生き生きと立ち上がった。雄叫びを上げたあとは、うーんと背伸びをして元の位置に戻る。男は気分の上下が激しい少年を見て、目をパチクリさせた。
「それにしてもよぉ、あんた若いのにどうして旅なんてしてんだ? その歳なら学校とかに通っててもおかしくないじゃねぇか」
「おっちゃんには関係ねぇ」
そう言って腕を組んで、前方の陸地を眺めた。急にむっとした態度をしたのには、理由があるのだろうか――疑問に思ったが、男は深入りしないようにした。
海に面した陸地は自然豊かで人が住んでいると思われる町も見える。
「……坊主、気をつけな」
男は近づきつつある大陸を睨みながら静かに言葉を吐いた。
「俺は行ったことがねぇが……他の大陸とは少し違う所だそうだ。何が目的なのか、俺にはさっぱりだが――」
むしゃむしゃ。
なんだ!? この音は……
「……腹……減ったぜ! バリバリガリガリほむほむ……ぺちゃくちゃ……」
少年が食べていた物は船の船体だった。木材を粉砕する音が男の恐怖をかりたてた。
「ぎ……ぎいやぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!?? バ、化け物ぉぉぉおおおおおおおおおおおおお」
男の悲痛がだだっ広い大海原に響き渡った。
「すみまへーん」
「……な、なんだお前?」
門番の1人が少年に向かって槍を構える。
「何者だ!」
他の警備兵たちもかけつけ、少年の周りは武器を構える兵士たちで取り囲まれた。
「ほほひはひひはいっへいっへんふぁ」
「なに言ってるんだ?」
隣で槍を構える男兵は「さあ?」と答える。いきなり顔の腫れたびしょ濡れの少年が現れたものだから、兵士たちが警戒するのも無理はない。しかし、怪しい武器や備品は持ち合せていないようなので、数名の兵士は警戒を解いた。
「なんでうちに来た? ここから先、一般人は立ち入り禁止だぞ。それに、怪我をしているなら病院に行ってくれ」
「……まひまったぁぁぁ」少年は気がついたように大声をあげた。
「病院は坂を下りてすぐにあるからな。じゃあな」
気遣う兵士に促され、少年はテクテク戻って行った。「なんだったんだ?」「さあ?」
「ん? どうした?」
状況を飲みこめていない別の兵士がやって来て、坂を下りて行く少年を見守る兵士に尋ねた。
「あぁ、いや……なんか、赤毛の妙な言葉を話す男が来たもんだから、病院の場所を教えてやった」
「へぇ、病院? なんで」
「顔がすっごく晴れてたからさ、痛々しいもんだった」
別の兵士も「へぇ」と呟くだけで、特に気になった様子は見せなかった。しかし、少年がフラフラしながら坂から姿を消した瞬間、思い出したようにあっと声をあげた。
「赤毛だって!? まさか――」
「どうしたんだよ……」
「あぁー、散々な目に遭ったぜ……まったく。あのおっちゃん」
少年は病院の重いドアを開けて、外に出た。元々病院へは寄るつもりなどなかったのだが、優しい門兵たちに助言をもらって病院で診察を受けることにしたのだ。最初、なにやら棒のようなもので包囲されていたような気がしたが、顔がパンパンに腫れていたせいでいまいち状況が把握できていなかった。
「おお、顔が元通り! さすがだなぁ……」
店のガラスに映る自分の顔を見つけ、少年は嬉しそうに頬肉を引っ張った。しかし、顔がパンパンに腫れ、びしょ濡れになったのは理由があった。理由があるはずなのだが――空腹のせいか、思いだせなかった。ただ、船のおっちゃんに海に突き落とされたことは確かだ。
「まぁ、いっか!」
結果的に顔は腫れも引いて元通りだし、目的地の大陸にも上陸できた。何の問題もないといえば嘘になるが、大きな問題はないだろう。
「おっ……」
人行くなかを歩き始めると、巨大な看板が目に入った。センブリカンという文字が、筆で書かれてあった。誰かが手書きで書いたのか、特徴のある上手な字だ。
センブリカン――それがこの町の名前だ。人づてに聞いた話は本当だった。ある目的のために都合のよい町を見つけた少年は、こうして身1つでやってきた。思いのほか、規模は小さく、舗装されていない道路が少し田舎っぽいが、それはそれで良い景観だと思った。すべてが綺麗に整えられている方より、こっちの方が好いた。
少年はある学校を探していた。それは――学歴不問で簡単な面接を受けるだけで入学が可能な学校らしい。もちろん、単なる学校では無い。
「ようし、探すか」
少年はとある学校を探すために、目を凝らしながら歩いた。規模が小さいとはいえ、建物は何件もあり、密集している。そのなかから学校を探し出すというのは、手間がかかりそうだと思った。まず、服が濡れていて気持ちが悪かった。
「うぇー、ぐしょぐしょ……」
そう言えば、病院に入った時も怪訝な対応をされた気がする。それはこの濡れた服のせいだったのかもしれない。着替えたいと思ったけど、手持ち金はすでに尽きていたので服を買う余裕もない。早く学校を探し出して居場所を確保しなければ――
くたくたになって歩いていると、突然――どこかで轟音が鳴り響くのが聞こえた。雷のような、爆発音のような、区別がつけがたい音だ。ここでかすかに聞こえたということは、遠くが音源だろう。なにか、事故でもあったのだろうか?
「また妖魔が現れたのかしら……怖いわね」
「ママー」
偶然真横をすれ違った親子の会話に、少年は眉をピクリと動かした。そのままバックして親子の前に立ちはだかると、真剣な声色で尋ねた。
「またって、どういうことだ」
「えっ……またっていうのは、最近妖魔が多くて何人もの人が亡くなったから……あなた、知らないの?」
「……そうか」
頭の上にハテナを浮かべる親子は、独りごとを言いながら去ってゆく少年のことを不思議そうに見ていた。1つ情報を得た少年は、自然と轟音のした方向へと体の向きを変えて歩いていた。さっきの親子だけでなく、通行人の多くは轟音に驚いて非難したり、話をしたりしている。そんな人々の間を縫うようにして歩き続けていると、今度は黒い煙がモクモクと立ちのぼっているのが遠目でもはっきりと確認できた。疑いは確信へと変わった。あの轟音と煙は妖魔が原因のものだ。妖魔を倒してきた少年にとって、容易に判断のつくことだった。
そうと決まればあとは一直線に駆け抜けるだけだ。少年は妙なポーズをして立ち止まり、体勢を低くした。周囲の人間は、少年のとった不可解な行動に目が釘付けになった。
「ふぅ……」
空気を体に溜め込み、心を静める。そして――少年は走った。瞬きをする間に人々の視界からあの妙なポーズをしていた少年は消えていた。いや、実際に消えてなどはいない。少年の走る速度が尋常ではなく速いため、あたかもその場から消え去ってしまったかのような錯覚を引き起こしたのだ。
走れ、走れ、走れ。
2本の足と2本の手。使うのはこれだけだ。風を切るように高速で町中を駆けて行く。たとえ目の前に障害物があろうと、少年にとってそれをかわすのは朝飯前も同然だった。途中、市場のカラフルなテントを踏み台にして屋根の上に移動した。テントの主は強風でも吹いたのだろうかと見向きもしなかった。屋根に上がった少年は、黒い煙がのぼる方へ向かっていた。家の屋根から屋根へ――ここは障害物がまったくといっていいほど少ないので、より一層加速することができた。
「妖魔じゃあ! 妖魔じゃあ!」
錆びた鐘を手動でカンカンカンカンと鳴らす男――目の前には巨大な妖魔が黒煙を吐きだしながら暴れている。50メートルはある巨大な尾に、二足歩行する山羊のような頭をした妖魔だ。赤い目が悪魔のように鈍く光を反射し、大勢の人間に包囲された妖魔は咆哮をあげた。
ゴゥゥゥゥゥゥウゥオオオオ
地獄から這い上がってきたかのような、本能的に恐怖を感じる咆哮は警告鐘の音を打ち消した。
「早く町人を避難させろ! 妖魔の気がそれないよう見張っているから、急げ!」
「わかった!」
男は仲間と短い会話を終え、町の中心部に走って行った。
(急げ――。今日の妖魔はでかいぞ! もしかしたら以前取り逃がして急成長したのが舞い戻ったのかもしれないな……くそっ、だとしたら責任は俺たちにある!)
妖魔は神出鬼没で、いつどこにでてもおかしくない。歯を食いしばりながら男が町の中心部へと駆けていると――
ビュンッ
「え?」
思わず足を止めてしまった。今、確かに頭上を何かが通り過ぎた気がした。しかし上を見上げてもあるのは青い空だけだ。もしかして、また違う種類の妖魔だろうか――しかも今の風を切るような音は、妖魔の出没した方へと向かっていた。
「……なんだ、今のは……」
「頭を狙え」
「しかし――まったく隙が見えません」
建物の影で様子を探っている男に、少年は首を振った。
ガギュアアア
巨大な黒い手が人間を蹴散らし、町の建物を簡単に破壊する。
30人はいるだろうか――いずれも統一された服を身につけているが、気を抜いた者から次々に妖魔に倒れていく。
「あ、あぁ……やめてくれ」
「あいつ!」
1人の男が恐怖に嗚咽を漏らしながら、妖魔の足に踏みつけられた。ブチッという無残な音と共に、地面には赤い液体が散乱した。
「撃て!」
その瞬間何十発もの銃弾が発射され、標的の妖魔に当たった。火薬の臭いが辺り一帯に充満し、音が止んだと同時に周囲の人間は固唾をのんだ。無数の銃弾を受けた妖魔の体からは、黒い煙が立ち上る。
「……動きが止まった。あ、おい――キタエ」
キタエという少年は建物の階段を駆け上がりはじめた。動きが鈍くなった今、隙を見て上からの攻撃が一番良いと考えていたのだ。今日一番の速さで屋上に着くと、キタエは迷いなく屋上から跳び出した。
「このぉぉぉぉおおお!」
握った剣が妖魔の脳天に突き刺さった。
(やった!)
心のなかで歓喜の声をあげたのも束の間、突き刺した根元から大量の黒煙が噴き出した。
「うわっ」
グワアアアアアェェ
突然妖魔が暴れ出し、キタエはバランスを崩した。なんとか剣を離さないで宙ぶらりんになっていると、大きく黒い妖魔の手がキタエをがしっかりと掴んだ。すさまじい力に思わず剣を手放してしまい、恐る恐る目を開けると目の前には目をギンギンに光らせたおぞましい妖魔の顔があった。やがて大きな口を開けて――
「や、やめ……」
他の仲間が助けようと参戦するなか――
隕石のような速さの何かが真横から飛び出してきて、妖魔の首を吹き飛ばしたのだ。ド派手な音を立てて妖魔の頭は建物を壊して止まった。一瞬、この場の誰もが現状を理解できずに立ち尽くしていた。今にも妖魔の餌食になろうとしていたキタエは、何の前触れもなく目の前の妖魔の首が無くなったので、瞬きするのも忘れていた。
「わ、わ!」
もはや死んでしまった妖魔の残された体は、キタエを握ったままその場に倒れた。しばらくして、頭が突っ込んだ建物から1人の少年が現れた。
「しかし弱いなぁ……もう少し強いのがいるかと思ってたんだけど」
開けたままの口が塞がらず、周囲の人間はほぼ無傷で瓦礫のなかから参上した少年を見た。隕石ではなく――人間の少年だったのだ。
「なにもんだ! お前は……」
状況を一変させた少年を見て、別の男が「あぁああ!」と興奮したような声をあげた。
「ん?」
「あいつ――快速のチイタだぜ!」
その声に、物陰に身を潜めていた他の連中も「嘘だろ!?」と驚愕の顔をした。一気にこの場がざわつき始める。重い妖魔の体からなんとか脱出したキタエは、チイタのことを目に入れた瞬間、落ちていた鉄パイプを拾って相手の喉元に突き出した。あと数ミリでチイタの喉に当たる――そんな絶妙な距離を保ちながらキタエは口を開いた。
「なんでこの町にきた」
「……」
キタエの顔は真剣そのものだった。
「キタエ、止めなさい」
「デゼロネッタ先生、でも……」
獣のように睨みつけるキタエを制し、デゼロネッタという男がチイタの前に出た。彼の顔はほりが深く、そのせいで冷酷な目つきになった。巨大な妖魔をたった1人で倒したとは想像もつかないような細見の少年を見つめ、やがてゆっくりとした口調で言葉を吐きだした。
「お前、名前を言いなさい」
周囲の人間が突然現れた少年に注目するなか、質問の意味を理解した少年は息をすうっと吸って、思い切り吐きだした。
「チイタ・ロフィナルド! 妖魔王を倒す男だ」
一瞬この場の空気が張り詰め、途端に「なんだって……」「妖魔王?」「冗談だろ」というざわめきがおこった。
「静かに」
ここでまたもや群衆を静めたのはデゼロネッタという男だった。一瞬で静まったのちに、デゼロネッタはチイタに話しかける。
「では、チイタ・ロフィナルド。たった今、お前が妖魔を倒したことには大いに感謝する」
「いいっていいって!」
「是非礼がしたい。今日の夜――この場所に来てくれないか」
「ん?」
するとデゼロネッタは、なにやら紙を取り出し、筆をとり始めた。不思議そうにチイタがその行動を目で見ていると、書き終えた紙が突き付けられた。折りたたまれた紙を受け取ったチイタは、笑って「どうも」と、白い歯を見せた。




