先生編03
柳葉先生の大人の色気に当てられたのか、顔が急激に熱くなる。
熱すぎるので手でぱたぱたと扇ぐ。それでも顔から熱は引かない。
図書館にはクーラーが付いているはずなのにこの熱さはなんなんだろう。本当は分かっているのに私はわざとのようにとぼけた。
「東堂、顔が赤いな。クーラーの付けすぎで風邪でも引いたのか?」
顔を近付けた柳葉先生は私の額に自分の額をくっつけた。
これが、熱をはかるやり方なのか!逆にどんどん熱が高くなってくるような気がする。
「せんせっ、私はなんともないです!」
「先生ではないだろ。それにちゃんと計らないと後から大変なことになるのはお前だぞ?」
柳葉先生よ、言っておくがここは図書館だ。今は本棚に囲まれて周りから私達は見えないが、いつここにも人が来るかもしれないんだ。そのことを考えよう。
だが、逆にそんな状態だから柳葉先生は面白がってそんなことをしているのかもしれない。そう考えると少しだけイラッとくる。
私も何かを仕返しをしたい。柳葉先生ばっかりにやられているなんて耐えられない。
だけど、何をすれば仕返しになるのかが分からない。とりあえず、私は柳葉先生の名前を呼んでみることにした。
「伊吹さん、熱があるのは伊吹さんの方ではないんですか?」
柳葉先生の顔は別に赤くはないが言うぐらいはいいだろう。
顔を片手で離しながら柳葉先生の額に手を当てる。熱を計っているみたいにしたいからだ。
それにしても柳葉先生がさっきから何も言わなくなり、私がやることをジッと見ていることが気になる。そんなに変なことをしているのだろうか、私は。
「どうかされたんですか?」
「あぁ、どうかした」
「えっ」
問いかけにそう答えながら柳葉先生は彼の額に添えていた手を掴む。熱いぐらいの手で私の手を握りしめたのだ。
どくん、どくんと心臓の鼓動が激しさを増し、呼吸が出来なくなるぐらい苦しくなる。
「どうして、俺とお前は教師と生徒なのだろうな」
それはこちらが聞きたいことだ。
どうして柳葉先生は教師なのだろう。ここは乙女ゲームの世界なのにヒロインではなく私に接近しているのだろう。
苦しい胸の高鳴りをどうしたら抑えることが出来るのだろうか。これ以上、私に近付いて来て欲しくない。
「先生……近い、です」
俯いて言葉を発すると柳葉先生が笑った気配がした。その気配にハッと顔を上げると、彼は愛おしい者をみるような目で私を見て優しく微笑んでいた。
「今は、今だけは先生じゃないと言っているだろ」
後ろには本棚、前には柳葉先生。もう逃げることは出来ない。認めるしかないんだ、私は柳葉先生を意識しているのだと。
手を握り締めたまま、顔を近付ける柳葉先生。私は近すぎる距離に直視出来ずに瞳を閉じた。
「伊吹さん……」
自然に声に出していた名前を呟いた直後に唇に触れる柔らかい何か。それはすぐに離れたが、離れた後もずっと感触が残っている気がした。
閉じていた瞳を開けると、既に柳葉先生は私から離れていた。罰の悪そうな顔をしていたが、どこかしら嬉しそうな表情をしている。
「あのっ、さっきのはなんなんですか?」
私は知っている。あれはキスだということを。
だけど、そう問いかけたのは私が知らないからだ。柳葉先生自身の気持ちを。
私の気持ちを知ってのことか、柳葉先生は曖昧に微笑み、私の頭を何度も撫でる。子ども扱い、そう言うと彼は微かに声を上げて笑う。
「まだ子どもだと思ってないといけないからな。まだ、お前が俺の生徒ならば」
「今は先生じゃないって言ったのは柳葉先生の方じゃないですか」
「そうだな」
無邪気だけど何かを堪えるような笑みを浮かべた柳葉先生を私はずっと見つめていた。飽きることなく、今日だけは至近距離で見つめていた。
高鳴る鼓動を抑え付けながら、私はそっと笑う。夏休みが終わったら、いや明日から教師と生徒に戻れるようにと。
高校三年間はあっと言う間に過ぎ、楽しかった高校時代は終わりを告げた。
だけど、大概の人は一緒の大学に行くから寂しくはない。それでも私の心に感じる微かな痛みは消えることはない。
卒業式も三月の一日に終わり、それから数十日にも経った三月の終わり頃、私は一人で高校に来ている。在学生も今は春休みなので部活以外の生徒は誰もいない。
教室の窓から下を見下ろすと、学校で一番大きな桜の木が見える。桃色の綺麗な花を咲かしながら、己の存在を輝かせている。
『桜咲乃学園』
その名に相応しい光景が目の前に広がっていた。
「東堂……」
窓を覗いていたら後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。その声は私が聞きたくて堪らなかった声だ。
低くて艶のある声で私を魅了するだけしてあとは放置したという最低な男の声。
「私、もう生徒じゃありませんよ!」
勢いよく振り返り、キッと睨み付ける。
私から睨まれた彼、柳葉先生は肩を竦め「お前には負けるな」と呟いた。
窓際に近付いて来る柳葉先生よりも早く彼に近付いた。そうして、彼の腕を引っ張る。
私の力ではよろめきもしなかったが、わざわざ柳葉先生が私の目線に顔を持ってきたのでその唇を塞いでやった。もちろん、私の唇でだ。
「あの時のお返しですよ!」
そう言ってドヤ顔で笑うと、柳葉先生は驚いた顔をした後に嬉しそうに破顔した。
大人なのに、子どものような顔をする彼に鼓動が高鳴るのを感じる。
「なら、そのお返しをまた貰うために俺はお前にいろんなことをしてあげようか」
好き、とは言ってない。言ってないのに、柳葉先生の気持ちが伝わってきて嬉しくて涙を流した。
高校を卒業したのに、私はあの時から変わってない。彼に対する気持ちは何も変わってないんだ。
「もう、先生は逃げられないんですからね!」
「いいや、違うな。お前が逃げられないんだ、海砂」
それに先生じゃないだろ?と囁く彼の名を私は口にした。ありったけの想いを込めて。