会長編04
ついにこの日がやってきた。会長があの時に一方的に約束を取り付けた日がきたんだ。
一方的で嫌だというなら会長が待っているであろう場所に行かない。だけど私は待ち合わせ場所に行こうとしている。それは約束を取り付けてくれたことが嬉しいからだ。
お気に入りの服を着て、私は家を出る。
水着は持ってきてない。なぜなら、泳ぎに行こうとは言われてないからだ。それに会長が水着を着るなんて想像つかない。
駅までの道のりをドキドキワクワクといった感じで歩くが、ふと立ち止まってしまう。
空を見上げ、今日が雲一つない蒼天だと気付く。だけど、どこか寂しいと感じるのはなぜなのだろうか。
「会長……碓氷悠真」
ぽつりと呟く名前は彼の名前。今から会う人の名前だ。
嬉しいと正直を思う。それでも今日が終われば、彼を婚約者のところに返さないといけない。
ここはゲームの世界ではないんだ。報われない想いもある。あって当然なんだ。
会長の婚約者の円城寺先輩は会長が好き。それでいて、彼らは美男美女でお似合いだし、昔から知っているから仲がいい。
「あぁもうっ、うじうじ悩むなんて私らしくない!」
パシッと自分自身の頬を思いっきり叩く。嫌なことを考えるより、今から楽しいことを考えればいい。
楽しく遊んで振られるのは、悩んで嫌な気持ちになってから振られるより断然いい。
「うん、そうだよ」
私は見上げていた空をもう見ることはない。前を向いて歩く。向かう先は彼のもと。
しばらく歩いて着いた駅にその姿はあった。
青みがかった黒髪に誰もを魅了する紫の透き通るほど綺麗な瞳。整った顔立ちに遠目からでも目を向けてしまう。
近くにいた女の子達の話し声が聞こえる。「あの人、かっこいいね!」や「誰待ってるんだろう?」などと言っている。
それだけで自分は会長に似合わない人なんだと思い知らされる。それでも今日は楽しむと決めたんだ。
思い切って、私は会長のところに走り出した。
どうしてこんなに好きになってしまったのだろうか。好きになることが、こんなに辛いことなんて知らなかった。
「海砂」
私に気付いた会長は私の名前を呼ぶ。それだけで嬉しい気持ちになるなんて、恋する人だけの特権だ。
簡単なことで嬉しくなることだけは恋して良かったと思う。
「会長、お待たせしました!」
「いや、君が来るというだけで私はいつまででも待てるな」
「なっ!」
大袈裟に反応した私を見て、クックと笑い出す。いつもの会長の魔王笑いが、いつも以上に格好いいなんて嘘だ。
自覚した私って単純すぎると落ち込むが、まぁいいかと開き直る。
「顔が赤いようだが、大丈夫か?」
「大丈夫です。ただ会長が格好よすぎるだけですよー」
「……っ、君は」
「はい?」
何かを言いたげな会長だったが、それを隠すように微笑んだ。それは甘く、見ていた全員が赤面しそうなほど甘く微笑む。
そっと手を伸ばし、私の頬に触れる。優しく撫でる会長に心臓が破裂してしまうのではないかと疑うほど高鳴った。
「あの、会長?」
「会長とは学校での役名だろう?」
「え、あの……」
ここが駅だということを会長は忘れている。絶対にそうだ。
今だに頬を撫でている会長は艶やかな声色で囁く。私だけに聞こえるよいに耳元に唇を寄せ、囁いた。
「私の名は碓氷悠真だ。忘れたのか?」
耳元から唇が離れたら、ぶんぶんと首を振って忘れてないことをアピールする。
どくん、どくんと呼吸が難しくなるぐらい胸が苦しい。そんなことを言って欲しくなかった。そうすれば、前よりも好きになることなんてなかったのに。
会う度に話す度に触れる度に、私は更に会長のことが好きになってきているのかもしれない。
「今日は一日中、役名で呼ぶのは禁止だ」
「うっ、だめなんですか?」
「あぁ」
それならば、なんて呼べばいいのだろう。
頭をよぎるのは一度でもいいから呼んでみたいと思っていた名前。今日だけはいいかな?と思いつつ、口を開いた。
「悠真先輩?」
「………っ、海砂」
恐る恐る名前を呼んだら驚いたが、すぐに会長は私の名前を呼ぶ。なぜかは知らないが嬉しそうにだ。
「私のことはそう呼ぶように」
「はっ、はい!」
スッと最後に頬を一撫でしてから、会長は私の手を握る。そのまま連れ去るように駅の中に入った。
切符は既に購入していたみたいで私は何かを言う暇もなく、電車に乗せられていた。
「かいちょ……悠真先輩」
「切符代は受け取らない。代わりに君から貰うものがある」
握られた手は熱くて、心臓が落ち着かない。
今日だけはいい。今日だけは会長の隣にいられる。それでも、今日が永遠に続けばいいなんてそんなことを願った。
だけど、私はさっき会長が言った言葉の意味を考えてはなかった。いや、考えたのだが分からなかったのだ。私から貰えるものなんて何もないのだと思っていたのだから。




