会長編03
家の前まで来た私はくるりと後ろを振り返る。会長が手に持っているレジ袋を奪い、頭を下げた。
「ありがとうございました」
緊張したりドキドキしたりしたが、実際は荷物を持ってもらえて助かった。それに、何よりも嬉しかったんだ。会長が隣にいたことが。
この世界が現実でも会長との距離は遠い。今だけは近くに感じただけでもいいんだ。
「ならば、何かお礼を貰おうかな」
会長の言葉にバッと勢いよく彼を見る。
お礼とはなんだ。私は一体何をすればいいんだ。会長は何をすれば喜ぶのか検討も付かない。
麗しき会長の顔をジッと凝視しながらそんなことを考えていた。
「丁度、一週間後に海に行こう」
「……へ?」
「君の家から一番近い駅に朝の十時に待ってる」
最後に私の髪を一撫でしてから会長は来た道を戻っていってしまった。約束を一つだけ置いて、帰ってしまったんだ。
しばらく、家の玄関先で会長が去って行った方を見つめながら突っ立っていただけだった。
家に入り、私は母にレジ袋を渡して部屋へと早々に引きこもる。さっき合った出来事で頭が混乱しているためだ。
なぜ、会長は最後にあんなことを言ったのだろうか。私には全く分からない。
しかも一週間後だ。一週間後に海に行こうって、そんなことアリなのか!
「海って……」
どうするか、どうするよ。本当にどうするか、分からない。頭が混乱しすぎてマトモな思考回路に辿り着かない。
取り敢えず、泳がないにしても一応は水着を用意しなくてはいけないのでは?
頭を過った言葉に私は頭を振った。水着姿の私を晒すことは出来ないとそう思ってのことだ。
「もういいや、どうにかなれ」
いきなり海はハードルが高すぎるのでないかと私は思うのです。
あれですか、会長に呆れられてこいということでしょうか。それだったら簡単だ。とか考えたが、やっぱり心が痛くなる。私は会長に呆れられたくないんだ。
会長が楽しそうに笑う姿は好きだ。それはゲームをしていた時から変わらない。いや、実際に会長で出会って前よりもずっと会長の笑う姿が好きなんだ。
「もう、重症かも」
こんなことを考えるなんて、私は夏の暑さにやられてしまったのだろうか。
会長は超危険人物なんだ。婚約者がいる危険人物なんだ。好きになったら駄目だ。そう思うほど惹かれていくのはいけないことなのだろうか。
ふぅと息を吐き出し、窓から外を見る。もうすぐ夜になろうとしているのに外はまだ明るい。
「夜空が見たいな」
夜空は昼間と違い、月と星の明るさが美しい。つい空を見上げたくなるのが夜の空だ。
それはまるで会長に似ている。つい美しい紫の瞳を見つめてしまいたくなるんだ。
「本当に重症だ」
今から一週間後が楽しみなんてどうかしている。そして楽しみと思うと同時に怖くなる。本当に会長は来るのかと怖くなるんだ。
一方的な約束をされてから四日が経った。あと三日で会長と一緒に海に行くとなると、そわそわと心が落ち着かない。
溜まっている宿題が一向に進まない。そろそろやらないといけない。
夏休みの最初らへんに終わらせると意気込んだ私はどこいったんだ!とパシッと頬を叩く。
それで何かしらのスイッチが入った私はバッグに勉強道具を突っ込み、家を出て行く。向かう先は図書館だ。
図書館までの道のりを気分転換ということでいつもとは違う道を通る。その途中で噴水がある自然が多くある公園があった。
その公園が気になって、私は誘われるように公園の中に入っていく。そこで私はある人物に目がいってしまった。
噴水のところのベンチに座り、揺らめく水面を切なげに見つめるその横顔に何も言えなくなる。
「円城寺先輩……」
一際目立つ美しい彼女は、円城寺麗奈。会長の婚約者である。
彼女はなんでこの公園にいて、水面に映る自分自身を切なげに見つめているのだろうか。
どくっどくっと心臓が鳴り響く中、ゆっくりとした自然の動作で円城寺先輩はこちらを向いた。
「あら、海砂さん。お久しぶりですね」
「は、はい……久しぶりです」
会長とは違った意味で緊張する。前にも何度か合ったことがあるが、やっぱり慣れはしない。
円城寺先輩はふふっと笑って、ベンチから立ち上がり、私の方に歩いてきた。
「悠真から聞いたわ。海に行くそうなんですね」
「あっ、はいっ!」
「ふふっ、貴女は遠慮せずに悠真を自分のものにしていいのよ。そうしないと、わたくしに取られてしまうわよ?」
「えっ?」
どくんっと心臓が跳ねた。
円城寺先輩は本当は会長のことが好きなのかもしれない。それを私は邪魔している。
ただ面白いから私に関わっている会長はそれに気付くべきだ。私よりもいい人が側にいるということを。
だけど、だけど、なんでこんなに胸が苦しいのだろうか?
「なんて冗談ですわ。だから、悠真を自分のものにきちんとするのよ。あの子は意外にヘタレなのだから」
そう呟いた円城寺先輩の言葉は既に私の耳には届いていなかった。いや、届くはずがなかったのだ。
綺麗な笑みを浮かべ、私に最後の言葉が聞こえていると思っている円城寺先輩は去って行ってしまった。その方向を見つめながら、痛み出す胸をキュッと握り締める。
「苦しいよ……こんなに私って会長こと好きになってたんだ」
気付いた時には既に遅かった。いいや、この気持ちには気付かなければよかったんだ。そうすれば、会長と円城寺先輩が楽しそうにしてても二人を見てにやにやすることが出来たというのに。
「だから、三日後だけは私に会長をください」
そっと手を合わせ、私はそう願った。




