超人体験
スポーツ根性論かもしれませんが、根性出して何が悪いのでしょうか?
ううっ、オシッコがしたい。でも始まっちゃう。
礼、と同時に垂れ流し。大雨降りということもあり、審判の先生が体育館の天井を気にする。大会補助員の中学生が五、六人、モップで床を拭きまくる。
私は初めて出た剣道の大会で、礼と同時に放尿するという前代未聞をやってのけました。
しかもその大会では、決勝まで勝ち進むという離れ業をやってのけました。親や道場の先生は、私が緊張のあまり小便を垂れたのだと思い込み、私の放尿事件は、後の天才剣道少年の微笑ましいエピソードとして道場の後輩達に後々まで語られました。
断じて言わせてもらいます。私は決して緊張などしていなかったのです。
当時小学校一年生の私は、トイレの場所がわからずに右往左往していただけなのです。
そこを道場の先輩に捕まり 「お前の試合次だぞ」と面垂れを捕まれ、無理矢理試合のコートに立たされたのでした。
小学校四年制以下の部に一年生が出場して決勝まで勝ち上がるということは、今にして思えばなかなかスゴいことだったのでは?と思いますが、やってる本人はただ、メチャクチャに竹刀を振り回していただけです。何しろ、そのときの私は剣道のルールさえわからなかったのですから。
その後の私は順調に上達し、県大会では常に優勝、東京の武道館で行われた全国大会でも二位になることができました。
さて本題はここからです。 皆さんは今までに、この『なろう』に限らず沢山の小説、または沢山の漫画等を読んでこられたと思います。そこには実世界ではまず有り得ないことがよく描かれていますよね。
例えば漫画『バガボンド』での柳生石舟斎。主人公の武蔵が石舟斎の寝室にまんまと潜り込みます。天下無双を目指している武蔵は熟睡している石舟斎を殺そうとしますが、その攻撃は尽く、しかもやすやすと防がれてしまいます。
こんなことが現実にあるのでしょうか?
普通に考えればあるわけないですよね。
大袈裟な例を出しましたが、私が言いたいのは、世の中には凄い達人が本当にいる、ということなのです。
それは皆さんの想像を絶する能力の持ち主なのです。それはもう超人としか思えない位に。
話はまた私のことに戻ります。私は地元の剣道の名門高校に入学しました。顧問の先生は三十五才で七段の、全国でも名の通った先生でした。朝二時間、放課後二時間、夜二時間の稽古は地獄のようでした。血尿が出たことも一度や二度ではありませんでした。
でもその甲斐あって、高校三年になった私は、県内に敵無しの剣士になっていました。何しろ若いから目がイイ、反射神経がイイ、体のバネがイイ、と良いことづくめで、五段、六段の大人と対戦しても全く負ける気がしませんでした。スピードが全然違うのです。当時の私は、自分が強いのだと完全に錯覚していました。今私に打ち込まれているこの大人達は、一生私より弱いものだと思っていました。
例えば当時のエピソードをひとつ挙げてみますと、剣道の世界個人チャンピオンで大阪のM先生(御存命)という方がおられました。その先生が、或る全国大会の見せ物として、公開稽古というものをなされました。
それはM先生が、各高校から厳選された八人の選手を、一人あたり三分の持ち時間でどれだけ痛ぶるか、という趣向でした。私も運良く(?)選抜され、八番目に掛かっていくことになりました。
流石にM先生は世界一の剣道家でした。
一人目は竹刀を宙に飛ばされ、二人目はメッタ打ちにされ、三人、四人、五人目といいように遊ばれてしまいました。しかし六人目、七人目になるとさすがに疲れが見えてきて、動きが鈍くなってきたように私には感じられました。
いよいよ私の番になりました。私は生意気な盛りでしたし、そのときは何故かM先生にも打ち込まれない自信がありました。いくら試合前の余興のようなものだとはいえ、一泡吹かせる気が満々でした。そして私の思惑はまんまと成功したのです。
相手の届かない間合いからロケットの様に飛び込んで面を打つ、というのが私の得意業でした。
しかしそのときは、所謂良い剣道を観客に見せる気など更々無く、M先生に恥を掻かせてやる、という気持ちしかありませんでした。ボクシングでいえば相手を仕留めるときのラッシュと同じです。私は三分間メチャクチャに打ち込みました。M先生の目の色が変わりましたが、私は怯みませんでした。何本かがM先生の面や小手にクリーンヒットしました。喚声が気持ちよかったです。終了の笛が鳴り、私はいろいろな方々から大変褒められました。そのときの私の鼻は天より高かったと思います。
長くなりましたが、私は当時、とんでもなく生意気で、自信過剰な剣士だったのでした。
そんなときでした。私が超人に叩きのめされたのは。
インターハイを間近に控えた我が高校は、バスで五時間かけ、隣県の或る剣道名門高に練習試合に行ったのです。その県の有力処の数校も来ていて、総当たり戦で試合を行いました。全国大会を制したこともあるその高校には負けたものの、我が校の成績は中々優秀で、見学者からは感嘆の声も挙がりました。
私自身は、当然のごとく全ての試合で全く危なげ無く勝ちました。なんといっても私は、世界チャンピオンをメッタ打ちにした剣士なのですから。
一通り練習試合が終わり、合同稽古が始まりました。その県の先生方が十人程元立ちを勤めました。私は例のメチャクチャ流で、恐らく五段、六段と思われる大人達をボコボコにしました。
ふと、体育館のステージの方に目をやると、ステージのすぐ下のパイプ椅子に小さなおじいさんが座っていました。白い稽古着と白い袴を着けているそのおじいさんは、ニコニコしながら皆の稽古を眺めていました。私は、なんだあのジイさん、早く面付けろや、少しは手加減してやるぞ、などと、今から思えば背筋がゾッとすることを考えていました。
私の思いが通じたのか、そのおじいさんは、チョコチョコと端の方に歩いて座り、ようやく面を付けました。
そのおじいさんは恐らくはその地方の大家で、時々健康の為に、手加減した若者と軽く手合わせする。そんな程度の大家は私の地元にも沢山いましたし、大家というものはそういうもんだ、というのが私の当時の認識でした。
おじいさんがいよいよ元に立ちました。私は我先にとそのおじいさんの前に走りました。
「おねがいします」
殊勝なのは言葉だけで、心の中は薄ら笑いです。何度も言うようですが、当時の私は生意気で、今思えば顔が紅くなるのですが、心の中はまさに天下無双の意気でした。
中段に構え前後左右に動き回ります。獣のような奇声を張り上げおじいさんを威嚇しながらロケット面を繰り出しました。「ポコ」と音がして、私の右手になにか温かいような感触がありました。そうです。私はそのおじいさんに小手を打たれたのです。なんじゃこのジジィ生意気なんじゃコノヤロウ、と、私はまたメチャクチャ流を繰り出しました。
私の竹刀は、おじいさんの体どころか、そのゆっくり動く竹刀にも、触れることはありませんでした。それは全く不思議な体験でした。
空振りをして床を叩く。つんのめって転ぶ。鋭く小手に打ち込むと簡単に抜かれて面をやさーしく叩かれる。
糠に釘、柳に風どころではありません。それは幽霊と格闘しているようなものでした。私が打つことが出来るのは、良くて体育館の床、殆どが空気です。私は精神的に追い詰められました。馬鹿にされてる気持ちになっていったのです。これは体当たりしかないな、と思いました。
本来、高段位の方に体当たりはご法度なのですが、面金越しに見えるおじいさんの表情があまりに柔らかくて涼しげで、私は今だから正直に話しますが、殺意のような感情さえ抱きました。
竹刀を立てたまま突っ込み、相手の腹の部分に私の両拳をぶつけようとしました。仕留めた!と思った瞬間、私の全身に強い衝撃があり、私は仰向けにぶっ倒れてしまいました。
なんと私は体育館の壁に激突したのでした。激しい息切れと激痛で、私は中々起き上がることが出来ませんでした。
私がようやくフラフラと立ち上がったとき、そのおじいさんはニコニコして私に近寄ってきました。なんとそのおじいさんは、竹刀を置いて、私のほどけた胴ひもを結んでくれたのです。
なんという余裕なのでしょうか。
私は完全に戦意喪失でした。胴ひもを結んでもらってる間、周りを見回すと、既に皆稽古をやめて、おじいさんの一挙一動を注視しているようでした。
それからの数分間、私はおじいさんの操り人形になりました。最後にようやくお情けで面を打たせてもらい、その日の稽古は終了しました。
とんでもなく怖くて、とんでもなく息が切れて、とんでもなく幸せな数分間でした。 後で聞いたのですが、そのU先生というおじいさんは、当時八十一才、範士八段の達人だったのです。U先生はなんと武道専門学校という、村上もとかの名作漫画『龍』の舞台にもなった伝説の武道家養成所の卒業生で、封建時代に生まれた本物の侍から直接手ほどきを受けた先生だったのです。
並みの剣道家ではU先生との稽古は三分も持たなかったそうです。私は人生で最も体力があるときだったので、幸いにも五分程もたせることができました。
この体験は、私の今までの人生において一番衝撃的な体験でした。U先生は残念ながら、その次の年に鬼籍に入られました。亡くなる一週間前まで稽古をなさっていたそうです。先生は本当に超人でした。天上でも毎日剣を振っていることでしょう。
さて、本当の本題は実はここからなのです。話は今の日本のスポーツ界についてなのです。
今、日本のスポーツ界では、古からの根性論が排除され、効率の良い練習、科学的な根拠のある良い食事、充分な体のケア等がプロスポーツ選手の間でもてはやされています。
果してそれだけで良いのでしょうか。我々日本人は欧米人などに比べて体格的に不利ですし、筋力、骨格共に劣ります。
ということは、精神力と技術で勝つしかありませんよね。その為には練習しかないのだと私は思います。
明治から昭和初期に活躍し、剣道、居合、杖道全てで範士号を取得した中山博道という人は、睡眠時間を削って稽古したといいます。(興味のある方はYouTubeで見れます)
また近年まで存命しておられた中倉清という剣の達人は、脚の骨がスネから飛び出すという大怪我を乗り越えて、公式戦七十九連勝を達成しました。(晩年に現役の全日本チャンピオを子供扱いにする動画見れます)
次に剣道だけではなんですから色々紹介します。
大きな若者をコロコロぶん投げる合気道の開祖、植芝盛平(これもYouTubeインチキではありませんぞ)
比較的新しいところでは、柔道の鬼といわれた木村政彦(エリオグレイシー手も足も出ずYouTube)などの超人がいます。
まだまだたくさん凄い人はいるのですが割愛します。あまりにクドくなりますので。
さて、この人達に共通することはなんでしょうか。それは命を懸けた猛稽古なのであります。しかもそれは、我々常人が想像するハードトレーニングとはレベルが全然違います。彼らは本気で稽古に命を懸けていたのです。目先の大会に勝つために練習するのではなくて、道を極める為に稽古したのです。
今の時代にそんな求道者がどこにいるでしょうか。
例えば中山博道は、睡眠時間を惜しんだ為に体を壊し、木村政彦は一度負けたら腹を斬る覚悟で切腹の作法を常々反復練習したといいます。
それは昔の僧侶が悟りを開く為に苦行したのに良く似ています。
私を操り人形にしたU先生もそれに近い苦行をしてきた人なのでしょう。
彼らの目に映る景色は、我々凡人の目に映る景色と全く違うものなのだと思います。
私は全ての日本のスポーツ選手に言いたい。もっと精進しろ、と。
さすがに命懸けでやれとは言いませんが、まだまだやれるはずなんですよ日本人は。日本人の取り柄は根性と努力に尽きます。欧米人は古い日本人、特に侍の精神を尊敬しています。私は、その精神を忘れたら日本人の価値が無いとまで思っています。
私は別に右翼でも軍国主義者でもありません。しかし侍の精神があったからこそ今の日本があると思っています。
よくオリンピックなどのインタビューで、出場選手が「楽しみたいと思います」なんて言いますよね。そんなのは本来日本人の感情には無いことなのであって、欧米人のまねゼリフに過ぎません。そんなセリフを吐いた人は殆ど負けていますよ。
死ぬ気で頑張って結果が出たときの心境は「楽しむ」なんてもんじゃない、もっと大きな、悟りに似た境地に達するのだと思います。
選手寿命も本当はまだまだ出来るはずなんです。
特に武道は一生修行なんですから。
プロやオリンピックに出る選手には是非、超人達人を目指していただきたいと思います。
最後に、昭和の剣聖と呼ばれた持田盛二範士十段の遺訓をここに載せたいと思います。
『私は剣道の基礎を体で覚えるのに五十年かかった。私の剣道は五十を過ぎてから本当の修行に入った。心で剣道をしようとしたからである。六十歳になると足腰が弱くなる。この弱さを補うのは心である。心を動かして弱点を強くするように努めた。七十歳になると身体全体が弱くなる。今度は心を動かさない修行をした。心が動かなくなれば相手の心がこちらの鏡に映ってくる。心を静かに動かさないように努めた。八十歳になると心は動かなくなった。だが時々雑念が入る。心の中に雑念を入れぬよう修行している』
これを初めて読んだとき、小便垂れの生意気剣道小僧が、八十一の老人にオモチャのようにあしらわれた理由がわかった気がしました。
持田十段の稽古もYouTubeにUPされています。他国の人達が感嘆のコメントを多数寄せています。機会があったら是非見てください。
かつての天才剣士は生活に終われ、今では並みの剣道中年になってしまいました。それこそ今では、活きの良い高校生に打ち込まれながらも、剣道六段合格を目ざして頑張っています。
人間は究極の鍛錬をすれば超人になれます。
がんばれ日本人。がんばれ若い人達。
思ったことを書き連ねただけの駄文でしたが、最後まで読んでくださった方々に感謝します。ありがとうございました。