セイゼンなぼくにグッドエンド
ふと、ぼくは三日後に死ぬんだなと思った。
そのままおもむろに、ポケットからいわゆるスマホを取り出してカレンダーを確認する。幸運にも、明々後日はちょうどクリスマスだった。ぼくみたいに誰とも過ごせず、聖なる夜を淫らな夜だと皮肉ったような負け惜しみをしている人間には、若干ながらもうれしい報せだった。
しかし、この報せは一体どこからやってきたのだろう?
でも今のぼくにはそんな疑問、どうでもよかった。この疑問だけじゃなく、ほかの何もかもがぼくにとってどうでもいい。自暴自棄というやつか。
高校に入ってからというものぼくにはいいことなんて一つもなかった、と振り返ってみる。………いや出だしから最悪だったわけじゃない。むしろ好スタートを切っていたし、高校デビューには失敗なんてなかったはずだ。彼女ができたりはしていないけれど、そもそも高校デビュー程度でお付き合いができるような易しい現実じゃない。だからそのあたりの後悔は割り切って、諦めをつけているのだ。クリスマスに男だけで過ごすのだって、悪くはないはずだ、とぼくは思っていたから。…………とんだ言い訳に過ぎないのだけれど。
けれど最近になって、男だけで過ごすのも不可能になった。
理由は簡単だ、ぼくの周りに人がいなくなったから。つまりは『ぼっち』というわけだ。
高校デビューに成功したぼくは、以前よりも快活な人間になった。これはあくまで自負の域をでないけれど、それでも大きな成長だと噛み締めていた。もともとは引っ込み思案で怠け者のクズ人間代表と称されても仕方のないぼくだったのに、それが大胆にビフォーアフター。友好関係も広がったと思うし、女子諸君と緊張せずに話せるようになったはずだ。女子と話せても恋仲に必ずしも発展するわけじゃないからこの現状だ。そして友好関係においても、今のぼくが『ぼっち』であるのを見れば上手くいかなかったことが分かるだろう。
一時は人生の絶頂かと思うほど仲のいい友達がたくさんいたのに、今じゃ仲がいいとか言うのも吐き気がする。さらに『ぼっち』だ。
思い出すだけでもいらいらする。あまりに理不尽で一方的な非難を浴びたのだ。たかだかテストでいい点を採った程度で人生のどん底を味わわされたのだから、あまりにも不当である。
肩にかかけている鞄をかけ直して、駅へ向かう。この道も誰か友人だった奴らと歩いた道だということが、さらに気に食わない事実だ。
もういっそ、どうにでもなれ。
隕石でも、未確認飛行物体でも、なんでもこいだ。重要なのは、ぼくが生きるかどうかではなく、『むかつくあいつら』がどんな罰を受けるかだ。
怒りに誘われて歩幅が大きくなる。信号機にぼくは止められる。なるほど、ぼくは世界にも見放されたようだ。
つま先で小刻みに地面を叩く。いくら叩こうが、信号はぴくりともしないうえに地球は傷つく様子もない。それが余計にぼくをいらいらさせる。
ぼくの腰くらいの背丈であろう少女が、向こう側の信号の下で足踏みをしている。母親を待ちかねているようで、まだかまだかと時折後ろを確認していた。彼女の母親は心配そうに後を追っている。
つまらない光景だ。しかし自然と、ぼくのつま先は落ち着いた。
ぱっと、目に映る景色が移り変わる。
少女が前へ駆け出していた。信号は赤のままだ。
――まずい、大変なことになった。
一瞬の躊躇、でもぼくは横断歩道に足をかけた。少しでもためらえば、ぼくは死ぬだろう。
ぼくから向かって右側から、軽車両が駆けてきていた。ぼくは少女の腕を引いて、向こう側へひたすら走った。たいした距離じゃないが、長く感じた。
ぎりぎり、だった。本当にギリギリ。もう一瞬でも遅れていれば、ぼくも少女も命はなかっただろう。ぼくは膝から崩れ落ちた。
母親が口元を手で覆ってこちらを見ている。目には涙が浮かんでいて、そして大きく見開かれている。ゆっくりとその目は細くなった。
車から初老の男性が降りてきた。ぼくへ、少女へ、そして少女の母親へ謝罪を繰り返す。
ぼくも彼女たちも、呆然としたままだった。
いつの間にやら、男性は姿はなくなっていた。人気のない道路だったからか、人が集まってきたりはしていなかった。
少し経って落ち着いて、ぼくは少女と母親から感謝の言葉を述べられた。うれしかった。なんだかぽかぽかした。
誰もかもが立ち去ってから、ぼくは三日後に死ぬのだとまた思った。となると、それまでは死なないのではという気がしてきた。
そうなると、気が昂ぶってきた。結局は死ぬとしたら、なにかしてから死んでやろう、という気になってきた。さっきみたいに感謝されるのは悪い気分じゃない。
立って、駅と反対方向へ足を向ける。今まで来た道だ。
十五分くらいで学校に着いた。厳密には戻ったのだが、それまでの道のりは意外とあっさりしていた。危うく轢かれかける場面なんてそうそうあるもんじゃないのだから当然か。もしくは、ぼくが助けられる場面が用意されるようになっているのか?それこそまさに、神のみぞ知るといったところだ。三日後まで死なないように仕向けるのも、一苦労なのかもしれない。
つい三十分前と、学校は姿を変えていない。まぁ三十分で姿かたちが変わるようなものじゃないし、建築物っていうものは。
先ずなにをすべきかと、とりあえず職員室へ向かう。先生に聞いてみるのが楽だろうという心づもりだが、なんと安直な。
「おかしいな、滅亡の日は明日だったはずだが?」
失礼なことを言うものですね、ぼくが人を手伝うような性格じゃないのは自分が一番知ってますけど。
担任の先生はすまんすまん、と笑いながら謝る。それにしてもマヤの予言を持ってくるとは、オカルト好きなのだろうか。
「手伝うことか?特にないが………あ、」途中で何かを思いついたようだ。悪い予感しかしない。この人は仕事を生徒にやらせることで有名なのだ。
「そうだな、じゃあ野球部のやつらにこれ、届けてくれ」
そう言ってスポーツドリンクがいっぱいに入ったかごを指差す。非力なぼくには過酷な労働だ。そして貴方がやるべきだ。
しかし文句をたれても仕方がない、と野球部へ向かう。やけに大歓迎された。口々にぼくへありがとうと言ったり、先生への小言を言ってみたり。いわゆる野球部のノリというものが苦手なぼくだが、この空気は悪くなかった。クラス連中に野球部がいないのが幸いだったのかもしれない。
用を済ませて職員室へかごを返しに行ったところ、先生に委員長の手伝いをしろと言われた。本当に貴方がやれよそのくらい。
けれど今のぼくは頼まれごとを断るような人間じゃあない。委員長のいる教室へ向かって、一仕事手伝った。日誌と掲示物の整理だ。
「助かる。ありがとね」
同年代の女子に言われると、感じることがまったく違う。これは病みつきになりそうだ。
とはいえ暗くなってきた。職員室へ行くとまた仕事をせずに生徒にやらせる先生にこき使われそうだったので、そのまま帰ることにした。
死ぬと気づいて約二時間ほどで、三つも善行を働いてしまったと、ぼくは少し満足げに電車を待った。
人助けをして過ごし、もう死ぬ日になっていた。
時間が経つのは、まさしく矢の如し、一寸も軽んぜられない、という格言もまさしくだった。そのくらい多忙だった。世の中には困っている人がごまんといたのだ。
目覚めから慣用句に共感する日がくるとは思っていなかったが、それはともかくとして今日でぼくは死ぬのか。あまり実感が湧かないものだ。そもそも実感なんてあってなかったようなもので、突然知った自分の死に頭がついていっていなかった。身体のほうは着々と死に向かっているとは全く思えないのもそのためだろうが、しかし身体に異常は感じられない。これは事故か何かで死ぬ兆候だろうか?
御託を並べているうちに二、三分を無駄にしてしまった。最終日といえど全力で人助けだ。
寒さに鳥肌を立たせながら着替える。
しかし、ぼくがやっていることには意味があるのだろうか。死ぬと分かっているのにひねくれず、それどころか更正………ではないが以前よりも「人として善良」を目指すとは本当に奇特である。神の使いでもない、宗教なんて信じちゃいない、果たしてぼくはここまで善い人間だったか。
どれだけいくら無意味に感じても、結局本心ではやりたがっているのだから仕方がない。三日前からずっとこのボランティアの意義を考えてはいるものの、この一本調子だ。
最低限の荷物が入っている鞄を肩から提げて、靴を履く。玄関にある姿見をチラリと見る。見るけど何もせずに家を出た。
歩きながら適当に髪をいじる。どんな仕上がりかなんて気にしていられない。
今日は平日だった。学校に行こうかとも思ったけれど、こみ上げる衝動に負けて街をぶらつくことにした。家族が起きないうちに家を出ているので食事はまだだ。
とりあえずマックへ入る。朝限定を食べようとして、財布がないことに気づく。そういえば学校用の鞄に移しておいてそのままだった。
注文してから財布がないことに気づいたぼくは仕方なく外に出た。店員さんに小さく笑われたのがショックだったけれど、今日死ぬんだから気にすることでもあるまい。
お腹は空いているけど、鞄の中にカロリーメイトがあったのが不幸中の幸いだ。もさもさとして喉が渇くけれど、公園で水でも飲めば済むことだし。
公園で冷たい水を飲んでいると声をかけられた。
「あれ、こんな早くに何してるの?」
振り向いて見れば、中三のときに席が隣だった清水さんだった。ジャージ姿で長い髪を後ろでくくってポニーテールにしているところ、きっとランニングでもしていたのだろう。少し頬が紅潮しているし、それで間違いなかろう。
いわゆるスマホは家に置いてきた(あると連絡が来て後々面倒だからだ)ので、小さい置時計を鞄から出して確認する。腕時計なんて持ってなかったのだ。
清水さんの言う通り、まだ六時半だった。
ぼくは死ぬことを除いて、今の状況を説明した。変な言い訳のついたサボタージュにしか聞こえないだろうけど、清水さんは活発な女の子らしい笑みを浮かべて面白そうだねと言った。死ぬから面白いなんてことはないけどね、とは流石に言えなかった。口に出したところで茶目っ気のある冗談にしかとられなかったかもしれないけど。
それにしてもよく気がついたものだ、高校デビューしたのに大層は変わっていなかったか。最後に会ったのは卒業式ぶりだったはずなのに。
「私の高校、もう冬休みなんだ。どうせだし付き合うよ」
清水さんは立ち上がると、荷物をとってくるから待っててと言って走っていった。
十分は待っただろう、しばらくすると私服姿の清水さんが現れた。
「待った?」にこりとぼくに笑いかける清水さん。
どう返せばいいのか分からず、口を開けてぽかんとしていると清水さんが憤慨気味に「もー」と牛のような唸りを上げた。
「こういうときは形式から入るの。デートっぽくさー」
そんな経験を持ち合わせないぼくは顔を赤らめうつむいてしまう。その横で朗らかに笑う清水さんは少し声が上ずっているように聞こえるが、これはきっとぼくの脳内補正だ。残念。
ベンチに座って中学時代の思い出なんかを話していた。が、身体が冷えて冷えて仕方がないので、どこかお店で話そうと清水さんが提案してくれた。
「あれ、財布がないの?」
恥ずかしながら、であるがマックでの顛末を話した。大きな声で笑われた。
二人横に並んでマックへ向かう。さっき入ったマックへ向かってくれている清水さんはユーモアのセンスがよほどあるようだ。
途中で重そうな荷物を持ったおばあさんがいた。なんでも畑仕事へ行った帰りだそうだ。見れば、大根がかごから頭を出している。手伝わない手はないだろう。
マックにつくと七時ごろだった。財布がないのは承知済みで、ぼくの分までお金を出してくれた。死ぬから返せないとは言えず、唯々諾々と借りたけど、どうしても悪い気がしてならなかった。
「人助けかぁ、凄いねぇ。感心感心」といった具合に清水さんは人助けのことを褒めた。
食事中の会話は主に中学の話だった。近況を織り交ぜつつ、懐かしみながら。かなり弾んだ会話だ。
話しこんでいたらもう一時間も経っていた。ごみを片して、店を出る。風が冷たいけど朝方よりは暖かくなっている。
清水さんがマフラーを買いたい、と言った。近くの徒歩で行けるショッピングモールへ向かうことにした。ぼくは人助けができるならどこでもいいので了解して憑いて行った。
その後は清水さんにおごられて軽く昼食をとったり(鞄の中のカロリーメイトと半々の昼食だった)、ゲームセンターで清水さんが楽しんでいるのを傍目で見ていたりしていた。その間も人助けには余念はなかった。
ぼくは清水さんと一緒に買い物なんかをしているのがただ楽しいなと思った。ぼくは自分が死ぬことに違和感もなにもなかったし、もう誰もぼくのことなんて気にしちゃいないだろうと思っていた。もしかすると、だからこそぼくは人助けなんかしていたのかもしれない。誰かに気にして欲しかったのかもしれない。クラス連中に無視されるようになって、自暴自棄になって、吹っ切れたようで、吹っ切れていなくて。自分が寂しがりやだと認めたくなかっただけなんだろう、きっと。そうと気づくと、気が楽になって、三日前までの自分は阿呆だったなと思った。
そうして日が暮れて、家に帰ろうというときだった。
「あのさ」後ろを歩く清水さんがぼくに話を振る。「もしよかったら、なんだけど」
さっきまでの元気はどこへ行ったのか、というしぼみようだった。ぼくは足を止めずに後ろを向く。背中を前にして歩くと転びそうだ。
小さな声でなにか反復している清水さんは俯いて、顔が赤い。ぼくはもしかして、と思った。
気が動転して、後ろ歩きをしていたら。
左からライトが勢いよく、ぼくへ向かってきた。
こんなタイミングで?そう思わずにはいられなかった。でも助かる余地はなく、どうしようもない。ぼくは今日、死ぬんだった。清水さんの頭上、歩行者用の信号機は赤のままだ。
意を決したように清水さんが顔を上げた。そして、大きな声でぼくの名前を呼ぶ。慌てたように、危ない、と叫ぶ。まぁでも、なにもかもが遅い。
後ろ向きに歩いたりしなければよかった。しかしそれも、もう遅い。
――と思っていたら。
ぼくは足をもつれさせ、背中から地面に転がった。痛みが背中に走る。頭を軽く打って悶える。
そうして足の下を、車が通り過ぎた。
驚き身体を起こすと、信号がちょうど青に変わったのが見えた。
「え、助かった?」
ぼくも清水さんも、間抜けな顔をしているのだろう。
目の前で右折しようとしている車が、笑い声を上げるようにクラクションを鳴らした。
急ぎ足で信号機を渡り終えてから、ぼくは大きな声で笑った。本当はそんな状況じゃなかっただろうが、可笑しくて仕方がなかった。清水さんはキョトンとして、ぼくのことを見つめている。
ひとしきり笑ってから、ぼくはまだなにも言っていない清水さんに話の続きを促した。しどろもどろに、拙く話す清水さんはとても可愛らしくて、まぶしかった。
帰り道、高校生活のことを清水さんと話した。清水さんは優しくうなずいてくれていた。今までの自分ではだめだと分かっているから、頑張るよと言ったら、清水さんはまた笑顔でうなずいてくれた。そして、そんな君が前から好きだったよ、と言ってくれた。
ぼくも同じように言うのには、とても勇気が要った。
優しい時間だった。
日付が変わるまでメールを交わしてから、ぼくはベッドで目をつぶった。
目が覚めたときには、すがすがしい朝で、母親が大声上げてぼくを起こしていた。