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鬼の花嫁  作者: 露爛
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第三話

鈴置家当主である鈴置すずおき 燈一郎とういちろうは、重苦しい空気を纏い、契約の間へと続く廊下を歩いていた。

契約の間とは、その名の通り、鈴置家繁栄のため、鬼と契約を交わすための部屋である。

鈴置家が村長であった頃には、村の外れに小さな社があり、そこで契約は行われていたが、廃藩置県により村が無くなった後は、祟りを恐れ社をそのまま屋敷内へと移し、離れとして改装を行い、契約の間と名付けた。

しかし、その部屋を使うのは数年に一度。

鬼神様から天啓を賜う時のみであり、今回のような契約の方はといえば、百年から二百年に一度という頻度のため、よもや自分の代でこの契約を執り行うことになろうとは、思いもしなかったというのが本音である。

それに加え、度重なる契約の失敗。

燈一郎は疲れきっていた。

その表情は憔悴しきっている。

その上、いくら神とはいえ、得体の知れない鬼に蝶よ花よと大切に育ててきた愛娘を、むざむざ喰わせなければならないという事実に身を切られる思いであり、妻はそのせいで半狂乱となり、一晩中泣いて喚いて手の施しようもない様となったため、昨晩は一睡も出来なかった。

過去二度に渡り鬼神様との契約は失敗しており、娘を差し出すのに戸惑いはしたものの、燈一郎には守らねばならないものがありすぎた。

もはや疲れきった燈一郎の心情は、娘を失った悲しみよりも、本家の娘を差し出したのだから、今年こそは…という当主としての思いの方が強かった。

燈一郎は契約の間までやって来ると、緊張した面持ちで今は閉ざされている庄子の前で膝をついた。

「………鬼神様。鈴置家当主燈一郎にございます。契約の花嫁はお気に召して戴けましたでしょうか?」

恭しく頭を垂れ、燈一郎は中へと声をかけた。

「………」

しかし、周囲はしんと静まり返り、誰の何の返事も無い。

嫌な予感がした。

過去二年は燈一郎が声をかけても返事がなく、仕方なく庄子を開けると、そこには物言わぬ生贄の娘が捨て置かれているのみで、鬼神は既にいなくなっており、数日ののち、怒りをあらわにした鬼神がやって来て、来年こそはと燈一郎を責め立てたのだ。

今年もまた駄目であったのかと燈一郎は酷く落胆し、今まで以上に疲れた表情を浮かべた。

大切な娘を失ってまで、自分はいったい何をしているのだろう………?

もう、全てがどうでも良くなってきた。

かなり投げやりな気持ちで、燈一郎は庄子を開けた。

「………!?」

燈一郎は今までにない衝撃を受けた。

「何だっ。貴様らは!!」

燈一郎が見たものは、愛娘の変わり果てた姿でも、怒りをあらわにした鬼神の姿でもなく、意味の解らない研究ばかりに身を費やす人生の落伍者である実弟の長男と、見知らぬ赤毛の男が、裸で抱き合って眠る姿であった。

しかも、彼等が敷いて寝ているのは、儀式のために用意させた一等上等な錦の布団である。

燈一郎は鬼も驚くような形相で二人を睨み見た。

「ん。んん?………うわぁっ!?伯父上!?」

先に気がついた朝霧が、目の前に立つ燈一郎を見て、悲鳴にも似た声を上げた。

「あぁ~さぁ~ぎぃ~りぃ~。お前というやつはぁぁあっ!!」

一歩一歩ゆっくりと近づいてくる燈一郎の背後に暗雲が見えた。

「伯父上っ。落ち着いて下さい!!」

これはまずいと、朝霧はバネ仕掛けのからくりのように勢い良く起き上がり、あたふたと慌てた。

だが、起き上がったことにより、朝霧の白い肌に浮かぶ生々しい情事の跡が燈一郎の眼前に晒され、逆に燈一郎の神経を逆なですることとなった。

「………この神聖な場に、よりにもよって異人の男なんぞを連れ込み、このような破廉恥な真似をしくさるとは!!この鈴置家の恥さらしめがぁ!!わしの娘を何処にやった!?よもや知らぬとは言わせんぞっ!!」

「し、知りません!!」

「何だと貴様ぁ!!」

燈一郎は雄叫びを上げると、奉ってあった刀を鷲掴み、その刀身を引き抜いた。

「娘の仇!!わしがたたっ斬ってくれるわぁぁあっ!!」

「ひいぃぃっ!!起きろっ。起きてくれっ。紅葉ぁっ!!」

ぎゃーっと、叫びながら、朝霧はまだ暢気に眠っている伴侶を揺さ振り起こした。

「んんっ。なんだ?朝霧。もう朝か?」

そう言いながら、紅葉はまだ眠たげにうぞうぞと緩慢な動きで朝霧の細腰に抱き着いた。

蜜月なのだから、ほほえましいはずの情景だが、現状が緊迫しているだけに、その甘さに浸っている余裕は無い。

朝霧は小憎たらしい年下の伴侶の赤髪を力いっぱい引っ張った。

「いたた………。朝霧。何をするんだ!?………ん?」

頭皮が引き攣れる痛みに、微かに目を潤ませながら顔を上げた紅葉は、やっと自分達に向けられている抜き身の刀に気がついた。

だが、状況がわかっているのかいないのか、はて?と首を傾げ、燈一郎を見た。

「貴殿が現当主の燈一郎か?」

突然、見知らぬ異人に名指しで呼ばれ、驚いた燈一郎の動きが止まった。

朝霧はほっと胸を撫で下ろす。

「そ、そうだが貴様は………!!」

どこの馬の骨だ!!と、続きを言う前に、燈一郎はあるものに気がついた。

ずっと異人だと思っていた男の頭に付いているあれは何だ?

「………」

一瞬の後、燈一郎の顔から一気に血の気が引いていった。

ぶるぶると体が震え、がしゃんと音を立て刀を床に落とした。

そして、本人もがくりと膝をつくと、畳に頭をこすりつけるような勢いで、紅葉に向かって土下座をした。

「も、ももも申し訳ございませんっ!!鬼神様と気付かずとんだご無礼をぉぉお!!」

「いや、私は何もされた覚えは無いのだが………」

強いて言えば、初夜を迎えた後の特別な朝だというのに、愛しい伴侶に悲しくなるくらい乱暴にたたき起こされたことくらいだ。

紅葉は困惑した表情を浮かべ、隣に座る朝霧を見た。

「されたのは私の方ですよ」

寿命が縮んだと、恨めしげにぼそりと呟く。

「そもそもお前が何の弁解もしないのがいけないのだっ」

燈一郎はがばりと顔を上げ、朝霧を睨み見た。

「なっ。そんな暇もなかったではありませんか!!」

朝霧も目を吊り上げ言い返す。

「何もかにも人のせいにしおって!!変なとこばかりあやつに似おって。どうしようもないなっ」

「それは伯父上の方じゃありませんか!?似た者兄弟!!貴方方が顔を合わすたびにくだらない諍いを起こすのは、単なる同族嫌悪だと思うんですけど!?」

「ぬぁにお~ぅ?」

「ふんっ」

「ふ、二人共落ち着いてくれぬか?私には何がなんだか………」

「ああ。すみません。紅葉。いつもの事なので気にしないで下さい。それから伯父上。契約は無事成立致しましたよ」

朝霧はにっこりと微笑んで、紅葉に寄り添った。

「何!?本当か!?」

「本当ですよ。ねぇ?紅葉?」

「ああ。真だ。朝霧は私の伴侶となったからな。契約は相成った」

「おお。誠にありがとうございます。鬼神様」

「私も善き伴侶と巡り会うことができたことを嬉しく思う。鈴置家の安泰は保証しよう」

「恐れ多きお言葉………」

「ところで伯父上。夕月は何処に?」

「何を言っておる。お前が何処ぞにやったのではないのか?」

「そんなわけないでしょう。むしろやられたのは私の方ですよ。私は夕月と話している途中で、背後から何者かに殴り倒されたんです。気がついたらこれの中ってわけです」

朝霧は恨みがましく、じとっとした視線で燈一郎を見据え、これと言って花籠を指差した。

「私が意識を失う前、あの子は慕う人がいるから花嫁にはなれないと言っていました。今頃はその相手と何処かに隠れているんじゃないですか?私を襲ったのも多分その相手の男ですよ」

「なんと………あのお転婆は………」

燈一郎は軽く眩暈を感じ、頭を抱えた。

「朝霧は私に捧げられた花嫁ではなかったのか?」

紅葉は紅葉で新たな事実に衝撃を受けていた。

「あ~…まぁ。そういうことですね。いろいろ手違いがあったというか………」

ははっと乾いた笑いを浮かべ、朝霧は不安そうに自分を見つめる紅葉から視線をそらした。

「朝霧は本当は私と添い遂げるのが嫌だったのか?」

何を誤解したのか、朝霧の愛しい鬼は血の気の失せた今にも泣き出しそうな顔をして朝霧の肩を掴んだ。

朝霧はぎょっとして紅葉を見たが、すぐに我に返ると、

「違います!!始まりはそんなですけど、貴方に言った言葉に偽りはありませんっ。全て真実です。添い遂げる気がなければ、同じ男に身は捧げません」

朝霧はもどかしげに紅葉の両頬を掌で挟み込んだ。

「よかった。私はもう朝霧がいなければ生きていけない」

紅葉はほっと胸を撫で下ろし、そのままぎゅっと朝霧を抱きしめた。

「大丈夫。私は生涯貴方の傍にいます。紅葉。愛していますよ」

「………あの~。仲が宜しいのは喜ばしい事ですが、人の目の前で睦言を交わされるのは如何なものかと………」

燈一郎が渋い顔をして二人を見る。

「………伯父上。まだそこにいらっしゃったんですか?もう少し気を利かせてくれてもいいんじゃないですか?」

「煩い。言われなくとも今出ていってやるわっ」

「ああ。当主殿」

出ていこうとした燈一郎を、紅葉が呼び止めた。

「はい。いかがなさいました?鬼神様」

「この屋敷より南に下った所に古い宿屋があるだろう?そこに鈴置の血筋のものが一人、もう一人誰かといるようだ。そなたが探している娘ではないだろうか?」

「真ですか!?」

「ああ。そなたの娘を知らぬからおそらくではあるが………」

「ありがとうございますっ」

「いや。これくらいならば、力を使ったうちには入らない。気にすることは無い。早く迎えに行ってやった方が良いのではないか?」

「はは。ありがとうございます。鬼神様はごゆるりとお過し下さいませ。何かありましたら、朝霧の方に言い付けて下されば、出来る限りの持て成しをさせていただきますので」

燈一郎の申し出に、紅葉はいや。と、手で制した。

「気にせずとも長居はしない。これからは先代に代わり私が鈴置家の先見となるので宜しく頼む」

「はは。畏まりました」

燈一郎は深く礼を取り、契約の間から出て行った。

きっと娘の捜索やら、まだ本家にいる分家への対応やらに追われるのだろう。

全く当主とは大変だと、朝霧は暢気に肩を竦めた。

「朝霧」

甘く名前を呼ばれて、朝霧は紅葉の紅い瞳を見つめた。

「何です?」

「………本当は両親に早く知らせた方がよいのだろうが………今暫く朝霧を感じていたいのだが………」

駄目だろうか?と下手に朝霧を伺っているようだが、その実、紅葉の手はそろりと怪しげな動きで朝霧の肌を撫で始めている。

朝霧はわざと嘆息して紅葉を見た。

「先程、伯父上に長居はしないとおっしゃっていたのはどなたですか?」

「だが………」

もっと触れたいのだと紅葉の目が訴えてくる。

神と呼ばれる者のはずなのに、なんだかおわずけを喰らった犬のようで可笑しい。

朝霧は耐え切れずぷっと吹き出し、くすくすと笑いながら紅葉の首に腕を回した。

「良いですよ。好きなだけ抱いて私が貴方のものであると感じてください。でも、御両親への言い訳はご自分で考えて下さいね」

言った途端、ぱっと嬉しそうな顔を見せた紅葉に、朝霧はあっという間に押し倒された。

いそいそと朝霧の身体に愛撫を施しながら、紅葉が口を開く。

「言い訳ならば心配せずとも大丈夫だ。父も母が愛しくて、始めの一月は母を部屋に閉じ込め、自分もほとんど部屋から出なかったらしい。一日くらい可愛いものだ」

「それはまた………」

随分と絶倫なことで………。

この鬼はわかってて言っているのだろうか?

しかも、彼は母が鬼だと言っていなかったか?

人間であった父がそれだけであれば、鬼である彼はどれ程であるのだろうか?

ちょっと自分の腰に不安を感じずにはいられない朝霧であった。

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