外伝:ソフィア編 第二話
ソフィアは、教団を出ました。
二年をかけて瘴気の名を知り、術を身につけても、この場所には世界の異変へ向き合う者が一人もいませんでした。
ここにいても、失われていく時が増えるだけでした。
人に訴えても、届かない。
女神に祈っても、応えはない。
それならば、祈るのではなく、自らの足で神のもとへ行くしかない。
かつて教団の書物の片隅で読んだ、神々が住むという山のことを、ソフィアは思い出していました。
確かめる術はありません。
けれど、行かなければ何も始まらないことだけは分かっていました。
それからソフィアは各地を巡り、瘴気の歪みと思われる場所を見つけるたび、地図に印をつけていきました。
町や村の近く。
森の奥。
人の通らない街道の外れ。
印の数は、旅を続けるほど増えていきました。
やがてソフィアは王都から遠く離れ、ある山へ向かいました。
そこには、神々が住んでいるという古い言い伝えがありました。
神の領域へ人の名をつけることは畏れ多いとされ、山にも、その一帯にも名前はありませんでした。
山から離れた場所には、小さな村がありました。
ソフィアは村に立ち寄り、食料や水、登山に必要な道具をそろえていました。
「あんた、あの山に行くのかね」
店の者が、ソフィアの荷物を見ながら尋ねました。
「はい。神に会いに行きたいのです」
「あんた、命知らずだね。あの山に入って、戻ってきた者はいないよ」
「それでも、私には行かなければならない理由があります」
「やめておきな。だいたい、神なんているわけがないだろう」
近くにいた村人も、鼻で笑いました。
「神話の中だけの話だ」
「それでも行きます」
「好きにするんだね」
村人たちは、それ以上ソフィアを止めようとはしませんでした。
山へ入るよそ者がどうなろうと、自分たちには関係がないという顔で、それぞれの仕事へ戻っていきました。
翌朝、ソフィアは一人で山へ入りました。
麓には木々や草が生い茂り、足元には獣が通った跡も残っていました。
けれど、高い場所へ進むにつれて木々は減り、やがて草の一本さえ生えていない岩場へ変わりました。
ソフィアは足を止め、山頂を見上げました。
頂は厚い雲に覆われ、どれほど目を凝らしても、その姿を見ることはできませんでした。
それから何日も山を登りました。
確かに上へ向かっているはずなのに、景色はほとんど変わりません。
同じ形の岩を何度も見かけ、進んだはずの道へ戻されていることもありました。
ソフィアは足元の岩へ印を刻み、しばらく進んだあと、再び同じ印の前へ戻ってきました。
「誰かが意図的に結界を張り、山頂へ近づけないようにしているのね」
ソフィアは厚い雲を見上げました。
杖を掲げ、雲へ向けて魔力を放ちます。
放たれた光は雲へ届く前に弾かれ、白い霧の中へ散っていきました。
もう一度、魔力を込めます。
今度は先ほどより深く入り込みましたが、雲は裂けることなく、光をのみ込んで閉じてしまいました。
「……硬い」
額に汗が滲みました。
これまで学んだどの結界とも、格が違います。
それでも、ここで引き返すわけにはいきませんでした。
ソフィアは杖を両手で握り、息を整えました。
持てる魔力を一点へ絞り、渾身の力で雲の一角へ叩き込みます。
光が雲の奥へ食い込み、厚く重なっていた層が、軋むように裂け始めました。
隠されていた道へ光が差し込み、これまで見えなかった岩肌が姿を現します。
ソフィアは、肩で息をしていました。
一度放っただけで、身体の芯が重くなっています。
それでも、開かれた道を見上げ、杖を握り直しました。
雲を抜けた先には、それまでの荒れ果てた山とは異なる、美しい景色が広がっていました。
澄んだ空の下に、見たこともない花々が咲き、水は光を映しながら岩の間を流れています。
その先には、天を塞ぐほど巨大な門が立っていました。
ソフィアは門の前まで進み、両手を当てました。
力を込めても、門は動きません。
普通の人間の力で開けられるものではありませんでした。
ソフィアは門を見上げました。
その向こうに何があるのかは分かりません。
けれど、人の理では測れない存在が、この先にいる。
その気配だけは、確かに感じられました。
神の住まうところ?
ソフィアは巨大な門の前に立ち、その向こうへ意識を向けました。




