託す
託す
アスリートに「頑張れ~」と声援を送る。小さな子供が一生懸命旗を振って応援する光景は微笑ましい。しかしこの言葉にはいつも違和感を感じる。相手の状態を考えているのだろうか。人一倍頑張って来た人に言う。今以上に頑張れる余裕があるのか? そもそも頑張れと言う人はどの立ち位置で言っているのだろうか。その人に何かをしてあげたのか? 単純な上目線? アスリートに何もしなかった他人がいきなり頑張れという。もうだめだ、限界だ、負けそうになった時、応援されると、もうちょっと頑張ってみようと思うかもしれない。でもそれは余力がありまだ全力を出していない時に限る。アスリートの様に限界まで頑張って勝ち抜いてきた人に、ぼーっと生きてきた凡人が頑張れと言う。負けて帰ってきたら、恥さらしだ、せっかく応援したのにと生卵をぶつけたりSNSで誹謗中傷したりする。こんな行為は最低だ。そんな応援者には心底ムカつく。
受験勉強やプレゼンテーションなど未来の事に対してに頑張っては強力な言葉だ。何かを協力する事もできる。本人が精神的にめげそうになった時こそ、頑張りが必要だ。ちょっとした気のゆるみが勝敗を分ける。その時が来るまでは頑張ってと言う言葉は非常に有功だ。継続は力になる。小さな積み上げは長期で見ると大差になる。何もしてくれなくても言葉だけで力がみなぎる。八方ふさがりでどうしようもなくなった時、一歩引いて見ると今まで見えていなかったものが見えてくる事がある。まだ頑張れる。また頑張れる。無駄だと思えていた事が使い方次第で有功に見えてくる。頑張っての一言が世界を変える事がある。何と素晴らしい言葉だ。
何も出来ないけど応援している、頑張って。これば微妙だ。ファンクラブなどグッズを買えば応援している事は明白だ。言葉だけの応援してます、頑張っては通行人と変わらない。何の意味があるのだろう。社交辞令としての言葉、3秒後には思いは消え、有名人と会話ができた、握手した等、自分中心の考えになっていたり他の話題に移っている。
頑張って この言葉は、推しへの「頑張って」のプラス思考から、負け組への突き落としとしての「せいぜい頑張れや」のマイナス思考まで使い道が広い。言う方も言われる方もその時の気持ちや立場で扱い方が変わる。相手の真意が分からなければどうにでも取れる危険な言葉の一つだ。
でも達成できなかった自分の夢を重ねて託すことはできる。このパターンが一番多いと思う。目標に向かってかつて頑張っていたが金銭的健康的その他諸事情で夢を諦めた。または自分にはこれと言った人に自慢できる物がない。だから頑張っている人を応援したくなる。当然の事だ。私はにわかサッカーファンである。運動神経が鈍いからスポーツは苦手だ。でも途切れなく戦うスポーツ観戦は好きだ。途中で止まると興ざめしてしまう。一瞬のスキを突きゴールする。それは偶然かもしれない。戦略かもしれない。それはどちらでもいい。日本のサッカーチームが世界レベルに勝てる訳がない。そう思っていたらいつのまにかベスト8を目指している。すごい。ゴールしたら涙腺がウルウル、顎下の喉の奥が締め付けられるようになる。思わず立ち上がったり声を上げたりしている。ゴール前のカオス状態からカウンター状態へ持って行けば、いけ~、持って行かれたら、うまいな~。一喜一憂して楽しんでいる。勝ち負けは2の次、頑張っている姿が素敵だ。無条件に感動する。これ以上の楽しみがないと言っていいほどだ。もちろん勝てばもっと嬉しい。強豪相手に一矢報いた。それでいいのだ。日常生活では味わえない感覚だ。
昨日より素敵な明日に出来ますように




