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妹から言われて今でも心に残ってる言葉

作者: 山田マイク


 僕が20代中頃の時。

 原因不明の首の痛みに悩んでいました。

 それほど強い痛みではないんですけど。

 なんというか慢性的に疼くし喉が詰まったような感覚になって、とても不快でした。

 僕は色んな病院に行きました。

 すると、お医者さんはみんな原因が特定出来ないとして「不定愁訴」として曖昧な診断をされました。

 どこ調べて見てください、そこに行ってみたら分かるかもしれません、と病院をたらい回しにされるわけです。

 ネットでもたくさん調べました。

 けれども、分からなかった。

 首の手術をしたらどうか。

 脳の手術をしたらどうか。

 それなら九州に良い病院がありますよ。

 そんな情報がたくさんあって、どう治療すればいいのかと考え込んでしまった。

 遠くの病院にいくにはお金がかかる。

 まとまった休みを取る必要もある。

 そもそも、その手術も結構なリスクを伴うらしい。

 そして僕は本当に悩んでしまって、割りと精神が追い詰められていたんですね。

 で、ある時。

 そんな様子を見た妹がこう言ったんです。


 もうその痛みを取り除くことは諦めて、その痛みとは一生付き合っていくことにしたら?


 その時は、正直承服しかねました。

 俺にこんな不愉快な想いを一生しろっていうのかと。

 なんで治そうとすることを止めるのかと。

 そう想いました。

 けれども。

 僕も参ってしまっていたし、病院に行く時間もとれないし、妹の助言に従ってみようかと思ったんです。

 もう首の痛みのことに執着するのはやめようと。

 痛いけど。

 苦しいけど。

 不愉快だけど。

 もうこの首の痛みは受け入れて、原因を探すことは止めようと。

 そう思ったわけです。

 すると。

 数週間経った頃、ふと気付いたんです。

 首は痛いまんまだけど。

 心は軽くなっていた。

 この痛みの原因はなんなんだと。

 どうやったら取れるんだと。

 そんな焦燥や懊悩がなくなっていた。

 あの、どうしたらいいんだという追い詰められた感覚がなくなっていたんです。

 そしてやがて。

 痛みのことは、当たり前のことになって、あんまり気にならなくなった。

 数年後には、それは「どうでもいいこと」になっていたんです。

 そして徐々に痛みは薄れていって。

 今ではほとんど痛みはありません。


 この経験から、僕はこう思うようになりました。

 苦しみの原因って、本当に突き止める必要があるのかと。

 原因を突き止めようとすること。

 治そうと躍起になること。

 それそのものが、自らの心を蝕むこともあるんだと。

 痛みや悩みというものは、必ずしも向き合う必要はないんだ、と。

 

 悩みは千差万別で。

 どんな悩みも当事者にとっては深刻です。

 しかし、その悩みは、本当に原因を突き止めなければならないのか。

 解決しなければならないのか。

 そもそも、本当に解決出来るようなものなのか。

 その辺りは、見極める必要があると思います。

 時には悩みを受け入れて、諦めて。

 その悩みごと前に進んでいく、という選択肢も、アリなんじゃないかと思うんですね。



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