◆5 高下屋敷での歓待と忠告
日も沈み、外回りの調査を終えた藪沢は高下屋敷家に招かれていた。
20畳を越える広い畳敷に、見事な一枚板の座敷卓。
大きな卓の上には豪華な食事がずらりと並ぶ。
「大しだもでなしは出来ねぁーんだども、堪忍してくなんしぇ」
高下屋敷治郎右衛門が藪沢と美作に席を勧める。
「いえいえ。
見事な御馳走でのご歓待にあずかり、恐縮してしまいます。
お手数おかけした事、大変申し訳なく…」
藪沢は長々と礼を述べた。
美作は、こんなに饗されるとは思ってもみなかったのか、目を丸くして料理を見ていた。
「いづもうぢの息子がお世話になってらがらねぇ。
遠慮しねぁーで食ってくなんしぇ。
未卯ぢゃん…だったげが?
若えんだがら、いっぱい食ってくなんしぇね」
「突然、お邪魔してしまい申し訳御座いません…」
コロコロと笑いながら忙しそうにパタパタと走り回るのは、見た目50前後の女性。
背が低くて何処となく幼く見えるが、フワフワした割烹着から覗き見えるガッシリとした手足は、農家の嫁と呼ばれるのに相応しい力強さを感じさせる。
藪沢に村を紹介した高下屋敷治三郎の母親、名は、高下屋敷琴。
治郎右衛門の妻は既に他界しているので、実質この家の女主人。
彼女の人懐こい笑顔と迫力に気圧されたのか、突然参加してご相伴にあずかるのが心苦しいのか、美作は、少しおどおどしながら礼を述べた。
「可愛らしいお嬢さんだなはん。
いえいえ、ご飯追加で用意するども大した手間は掛がんねぁー。
気にしねぁーでくなんしぇ」
彼女は手をパタパタと振りながら微笑み、次々に出来上がった料理を並べていった。
川魚や山菜の天麩羅、肉味噌きゅうりを乗せた太麺、鶏の唐揚げ、鶏ガラ出汁のすいとん、そして山盛りの白米。
座敷卓に居るのは治郎右衛門と琴、藪沢と美作の4人。
「少し作り過ぎだがな?
んだどもお嬢さんは若えがら、食われるだべ?」
そう言って、ガハハと豪快に笑う琴。
「息子も孫も、今日は帰れねぁーっつったごったが。
こったらいっぱいご馳走作ってしまって…。
うぢの嫁はいづもわしの言う事聞がねぁー。
済まねぁーね。先生」
こめかみを掻きながら苦笑いする治郎右衛門。
主人である治郎右衛門よりも、小さな女主人の方が大きく見えた。
「それで、調査の方はどうだが?先生」
料理を突付きながら、治郎右衛門は藪沢に尋ねた。
藪沢は箸を止めて、少し考えながら口を開いた。
「川周りを少し調べた後、上田と下田の方々に河童子について尋ねました」
『上田』という言葉を聴いた治郎右衛門は、ピクリと震えて箸を止めた。
「…誰さ尋ねだ?何が嫌な事言われねぁーでしたが?」
「え…?ええと、島司の親子に河童子に関して少し伺いましたが、特に嫌な事はなにも…」
藪沢は彼等から聴いた内容は伏せて、大した事は聴けなかったとだけ答えた。
治郎右衛門はホッと息を吐いて箸を置く。
「そが、島司の。
あいづらは結構いい奴等だがら大丈夫だべ。
先生…上田のえらには気付げなさい。
嫌なごどされるがもしれねぁーがら。」
そう言って、真剣な眼差しで藪沢達を見た。
「ん…?『上田』の方々と何か確執があるのですか?」
「こ…こら…!」
これ迄、黙々と食べ続けていた美作が箸を止め、口を開いた。
直接的なもの言いに、藪沢は慌てて彼女を嗜める。
「…いやいや、おらだづに確執があるわげでゃーねぁー。
ただ、彼奴等は河童子を過剰さ崇めでらがらなぁ……」
「そったら崇めだり恐れだりする様なものでゃーねぁーどもねぇ」
琴は、美作の空になった茶碗にご飯を足しながら、アハハと笑った。
美作は成る程と言って手を打った。
「私達が上田の方々に、崇拝する神の社を暴こうとする得体の知れない連中だと思われて危害を加えられるかも知れない…という事を、治郎右衛門さんは心配してらっしゃるのですね?」
治郎右衛門は美作の言葉を聞いて少し目を見開き、小さく頷く。
「…流石は先生のどこの娘さんだ。
未卯ちゃん、ほんにうぢの孫の所さ、嫁に来ねぁーが?」
治郎右衛門は顔のシワをクシャリとさせて、ニコニコと笑った。
◆
「あれだげの量、平らげるどは健啖な子だなはん」
「本当に、本当に美味しいご飯でした。
有難うございました。琴さん!」
「あはは。そう言ってけるのはお客さんだげだ。
久しぶりの来客で嬉しかっだよ。
…おらのこどは琴ど呼びすてでくなんしぇ」
「いいの?…琴ちゃん…?」
「なぁに?未卯ぢゃん?アハハハ…」
高下屋敷から集会所へ続く夜道に、琴と未卯の甲高い笑い声が響き渡っていた。
姦しい二人の前を、琴の持つ懐中電灯の淡い光が先導する。
頭上を厚い雲が覆い、月も星も隠れてしまっている。
街灯も無い田舎道なので、光の外れた場所は真の闇。
僅かに聴こえる川のせせらぎが、自分達が川辺を歩いている事を認識させた。
「都会の人に、田舎の夜は暗えべ?」
黙って後ろを歩いていた藪沢に、琴が話しかけた。
「ホント、真っ暗。全然目が慣れない!
琴ちゃんは見えるの?」
「まぁね」
すっかり打ち解けて、タメ口になっている美作。
「おらだづみだいな田舎育ぢでねぁーど、そう簡単には慣れねぁーごったな」
そう言って、琴はガハハと豪快に笑った。
「すぐ右手側さ葦生えでらがら、足取られんように気付げな。
龍神川で怪我するど、河童子さ引がれるぞ」
琴が懐中電灯をそちらに向ける。
藪沢の歩く土手道のすぐ下には、鬱蒼と茂る葦の原が広がっていた。
葦の根本は膝上丈に水が溜まり、葦の茎には大きなタニシが団子状になって集っていた。
「…わぁ、全然気が付かなかった。危ない…」
「川の淵は、日の照り具合で溜まり場所変わんだ。
今年は土手近ぐまで水が上がったんでな。こったな場所さ出来てら。
一昨年は向ごう岸だったのんだども…」
「本当に、蛇が身体をくねらせる様に位置が変わるのねぇ…」
「蛇神様だがらな!
お陰でまどもな橋も架げられねぁー。
未だに小舟で行ぎ来してらのよ。アハハハ…」
琴の笑い声が真闇の川面に響く。
「ひとつ良いですか?
川で怪我すると河童子に引かれるというのは?」
藪沢は携帯を取り出してボイスレコーダーを起動させた。
「おお、おらも取材されるのだが?
緊張するなはん」
そう言いながら、琴は頬を掻いた。
「昔がらの言い伝えだな。
川さ慣れでら子供でゃーば、浅え水溜りで溺れる事はねぁーけれどな。
稀さ水さ慣れでねぁー子供なっかが、こったな水辺ん草や湿地さ甘ぐ見で、結構酷い事故起ごすんよ」
神妙な顔で、琴は闇を見つめている。
藪沢達には全く見えないが、彼女は葦の原の向こうに広がる龍神川を見つめながら、何かを思い出している様子だった。
「そったな時、河童子さ引がれだぞ。仲間欲しがって引いでらぞ…なんてな…。
まぁ、上田の連中さ対する嫌味みだいなもんだ」
「上田の…?」
藪沢が尋ねる。
「上田の連中は川には近付がねぁーのだ。正確には、蛇神様の本体には…な。
勿論、上田のえらも蛇神様の支流は利用してらげどな。蛇神様も許してら。
…多分、河童子さ恨まれでるって怯えでらんじゃねぁーかね?」
琴は川面から目を離さない。
「それは河童子伝承…」
藪沢が言いかけた時に突然、バシャーンと水面を激しく叩く音が響いた。
「これはいげねぁー。
河童子らが怒ってら。上田のやづらの話出したがらな。
すまねぁー。この話はこごまでだ…」
そう言って、琴は話を終わらせた。
再び懐中電灯を持って先頭をスタスタと歩き始める。
藪沢と美作は彼女に置いていかれない様に、早足で後に続いた。
右手に広がるであろう龍神川は、墨を落とした様な暗闇の中。
何処までが葦の原で、何処からが川か判らない。
ただ藪沢と美作は、見えない川の中から何者かに見つめられている様な視線を感じ、身を強張らせた。
言葉少なになった一行の歩いた後には、草むらで求婚する虫達と、遠くで跳ねる水の音だけが、いつまでも響き残っていた。