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河童子  作者: 黒猫ミー助
2/11

◆2 鏡谷擂村




 「遠いどご、良ぐ来てくれだ。藪沢(やぶさわ)せんせ」

 村の集会所に着いた藪沢達を出迎えたのは、恐らくは還暦を20ばかり過ぎたであろう年齢の老人、高下屋敷(たかしもやしき)家の主人だった。

 「この村の『下田(しもだ)』の長やってら、高下屋敷治郎右衛門(じろうえもん)と申します。

 よろしく見知り置ぎを」

 農作業着のまま、座敷の上から挨拶するお爺さん。

 腰は少し曲がっているが動きはキビキビしている。

 外仕事を長年、真面目に続けた結果の土方(どかた)焼け。

 農業に適した筋肉に覆われた肉体。

 顔に入ったシワの数と反比例するかの様に、若々しい身体つきをしていた。


 「わざわざお出迎えいただき、有難うございます。

 藪沢壬午(じんご)と申します。

 文学部の教授をしております。

 ある程度の話は治三郎(じさぶろう)君から伺っております。

 今回は実地での調査を許可して頂き、感謝致します」

 藪沢は深々とお辞儀をして、謝意を伝えた。


 治郎右衛門は藪沢の丁寧な態度を見て一つ頷き、ゆっくりと口を開いた。

 「偉え大学の先生が、この村の伝承記録さ遺してけるのは、大変喜ばしい事だ」

 深い皺をニュッと曲げて、黒く日焼けした口角を引き上げて微笑んだ。

 「孫の治三郎は大学休めねぁーそうで、村には戻れねぁーらしい。

 先生さ案内出来ねぁー事、詫びでらった。

 出迎えはおらだげだ。すまねぁー」


 藪沢壬午は、此処、鏡谷擂(かがやずり)村に来る前に、あらかじめ必要な話は通しておいた。


 彼のゼミ生に、高下屋敷治三郎という学生が居る。

 藪沢は治三郎から、彼が生まれ育った村に特異な伝承があるという話を聴き、強く興味を惹かれた。

 治三郎を通じて村民や彼の親族に連絡を取り、現地取材と、この村関連の発表に関する許可を手に入れていた。

 その際、治三郎の先生ならば…と、宿泊出来る場所も村の方で用意してくれたのである。


 しかし…

 「…孫がらは、来るのは先生お一人ど言う話だったど思うのだけれど?…

 …そぢらのおなごは?娘さんだが?」


 集会所の入口に立つ美作(みまさか)を、怪訝な目で見る高下屋敷治郎右衛門。

 歳の割には鋭い眼光で、彼女を睨みつけている。

 自分の事が話題に上がった事で、美作はニコリと微笑んで応えた。


 「始めまして。

 私は藪沢の助手を務めます未卯(みう)と申します。

 藪沢の義娘(むすめ)です。

 なので別部屋の用意等は結構で御座います。

 空いている場所で適当に休ませて頂きますので…」

 しずしずと頭を下げ、おっとりと上品に『礼』を示す美作未卯。


 彼女の変貌に驚き、藪沢は顎が外れそうになった。

 だが、かろうじて口を挟まずに我慢した。

 ここで話が(こじ)れると、約束が違うだとか揉め始め、最悪、現地調査にならなくなる可能性を懸念したからだ。


 「ほぉ…実娘(むすめ)さんでしたが。

 確がに、調査さ助手はづぎものだべ。大変なすごどだがらね。

 テレビでも、そったな事言ってらった気がするなぁ。

 ……そごまで考えが至らずにおもさげね。

 部屋は、集会所の此処しかねぁーが、後で追加の布団届げさせるべー」

 彼女の人畜無害そうな笑顔に絆されたのか、騙されたのか、彼は優しい笑顔を浮かべて、彼女の宿泊許可も出してくれた。

 藪沢達は靴を脱ぎ、畳座敷に上がった。


 治郎右衛門は、集会所の各部屋を軽く紹介した後、畳座敷に戻って自分の上掛けを脇に抱えた。

 そして、部屋に置かれている物は自由に使ってくれて構わない、必要な物があれば言ってくれれば届けると言いながら、自分の履物に手を伸ばした。


 「んだんだ、ご飯はおらの家で用意するがら。

 …んだなはん、五時ぐりゃーになったら来てくなんしぇ」

 彼は、農作業用ニッカボッカの上に被せる様に深底の靴を履き、足首全体を脚絆(ゲートル)でギュッと絞めた。


 「至れり尽くせり、有難うございます」

 「治郎右衛門様のご厚意、ご親切に、深く感謝致します」

 藪沢が軽く頭を下げる横で、美作は両手両膝を揃えて正座し、深くお辞儀をした。

 「良ぐ出来だお嬢さんだね。ウチの孫の嫁さ欲しいな」

 彼はそう言って、笑いながら軽トラックに乗った。

 そして、窓から軽く手を振りながらエンジンをかけて、集会所を後にした。


 「…流石は、ぬらりひょんだな」

 藪沢は頭を下げたまま美作に向けて囁いた。

 「誰が茶飲み妖怪ですか。

 此処では『実娘(むすめ)の未卯』と仰って下さいませ。お義父様」

 彼女は治郎右衛門に見せた作り物の笑顔を藪沢に向けた。



 「随分と辺鄙(へんぴ)長閑(のどか)な村に来ましたねぇ。先生」

 集会所の畳の上で、ゴロゴロと転がる美作未卯。

 先程までの『出来た娘』の皮を脱ぎ捨てた途端、ひどくだらし無い姿へと変貌した。


 藪沢は彼女を無視しながら、調査用機材の準備を始める。

 「先生ぇ先生ぇ…『下田(しもだ)』の主ってどういう意味です?」

 美作は、先程の治郎右衛門との会話中に気になっていたらしいが、話の腰を折らない為に遠慮していたらしい。


 藪沢は言おうかどうか迷った。

 だが、彼女を助手として紹介してしまった以上は、彼女も知っておかないと色々と余計に勘繰られると思い、仕方無いかと愚痴を溢しながら口を開いた。


 この村はすり鉢状になっていて、川に近い家々を『下田(しもだ)』、川から離れ、坂を登った防風林に隔たれた先の家々が『上田(かみだ)』と呼ばれている事を説明した。

 「高下屋敷の家は代々、川沿い(下田)の家々の纏め役(まとめやく)をしているそうだ」

 彼は、学生の治三郎から聞いていた話を、彼女に聞かせた。


 「へぇ…高下屋敷君って、村の有力者のボンボンだったんだ〜」

 しょっちゅうゼミに潜り込んでいる彼女は、当然、高下屋敷治三郎とも知り合いである。

 「乗り換えてもいいんだぞ?

 治郎右衛門さんも喜ぶだろう」

 藪沢は、美作が息子から離れてくれる事を期待半分に、軽口で促した。

 「私は貴方の息子様一途ですのよ?浮気は致しませんの。

 安心して下さいませ。お義父様」

 彼女は口角をわざとらしく持ち上げて、ゾッとする様な笑顔を作ってみせた。

 「表裏ありの妖怪みたいな奴が傍に居て、安心出来る訳ないだろう?」

 藪沢が嫌味をぶつけると、美作は「ひどーい」と言いながらケラケラと笑った。


 「ところで先生、『上田』の纏め役は誰なんですか?」

 寝そべり、大の字の格好のまま聴いてくる美作。

 「上屋敷(かみやしき)さん…だそうだ。

 しかし伝手が薄くてな。連絡は取れなかった」

 藪沢は彼女から目を逸らし、ビデオカメラの動作チェックを始めた。


 「下田が高下で、上田が上ですか。

 単純な様な奇妙な様な…変な苗字ですねぇ」

 美作はうんしょと起き上がり、胡座をかいたまま(もつ)れた髪の毛を手で()く。

 「それで、この村の特異な伝承とは何なのですか?お義父様」

 彼女は藪沢の背中に問い掛けた。


 「河童子(かわわらし)…と呼ばれている妖怪の伝承だ」

 藪沢はボイスレコーダーを胸ポケットに仕舞い、ビデオカメラのバックを肩にかけ、ゆっくりと立ち上がった。

 



 

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