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河童子  作者: 黒猫ミー助
1/12

◆1 来訪者 藪沢壬午と美作未卯




 藪沢(やぶさわ)壬午(じんご)鏡谷擂(かがやずり)村に着いたのは、太陽が頂点から傾き始めた頃の事だった。


 藪沢壬午は大学の教授である。

 主に日本古代史と民俗学、そこから派生する古い奇祭や神道、神霊信仰の伝承を研究し、纏め上げて発信している。

 書籍もそこそこ売れており、日本を舞台にした歴史ドラマや映画等で監修に加わる事もある、ある程度に名の知られた人物だ。

 そんな彼は今、山の斜面の木々の間に立ち、足下に広がる景色を一望していた。

 山々に囲まれた巨大な盆地と、そこに広がる田畑と村落の風情は、まるで半世紀前から時間が止まったかの様。

 令和の今では殆ど見られなくなった希少な光景が、彼の足下に広がっていた。


 鏡谷擂(かがやずり)

 東北地方に在る小さな山村。

 村は楕円形の盆地の中にあり、周りを囲む険しい山々が村と外界を隔てている。

 村に続く道は細い山道が主。

 自動車道もあるが、長く曲がりくねり、山を幾つも越えないといけない遠回りの道。

 何処かへ向かう幹線道路の途中にある様な宿場村ではなく、この村が長い経路の最終端。

 この村に来る目的のある者以外に立ち寄る人間は居ない。


 「先生〜、シャツが張り付いて気持ちが悪いですよぅ。

 痛!…靴擦れ出来てるぅ…

 ああ…お気にのパンプスが泥々じゃないの…

 …こんな田舎に来ると知ってたら、スニーカーで来たのに…!

 ねえ、聴いてます?先生。

 何で行き先を前もって教えてくれなかったんですか?」

 「………」


 藪沢は最寄りの幹線道路に車を止めて、歩いて山を越えた。

 ハイキングコースに入り、背後から聴こえる声を無視しながら細い山道を1時間かけて歩いてきた。

 車で来るより早いからだ。


 「ようやく開けた場所に着いたと思ったら、何ですか?此処。

 随分と古臭い村ですねぇ…。昭和か?」

 「……」


 よくもまぁ…1時間もの間、ずっと喋り続けられるものだな。

 藪沢はその女声に感心しつつ、聞こえない振りをしながらリュックからカメラを取り出した。


 ファインダー越しに見る景観は美しかった。

 険しい山に囲まれた古い村。

 田畑の間にポツポツと見える茅葺きの屋根。

 村の中心に向かってなだらかに形成された、緩いすり鉢状の段々畑。

 そして村の中央を貫く川。


 この村を紹介してくれた学生の話によれば、あれが龍神川と呼ばれるものなのだろう。

 太い本流は、村の中央を蛇行しつつ貫いている。

 本流から分かたれた細い支流は各田畑に向けて腕を長く伸ばし、村全体に水を分け与えている。

 その姿はまるで、大きな生き物の体内を巡る血管の様に見えた。


 「うわー!水、綺麗ですねぇ!

 気持ちよさそうですねぇ…私も水浴びしたいなぁ。

 服、ベトベト…汗流したい!

 鮎いるかな?ご馳走様です!先生」

 「……」


 田んぼの水は冷たく透き通り、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。

 村全体が宝石を散りばめた様に美しく、この光景に額を被せるだけで、見事な芸術作品と呼ばれるだろう。

 

 「面白い形の村ですねぇ。

 防風林というか防風森林?が川から一定の距離に綺麗に並んで、川の周りとそれ以外の場所を隔てている様に…」

 「……」


 パシャ…パシャ…

 藪沢は逆光に気を付けながら、黙々と写真を撮り続けた。

 手巻き式の古いマニュアルカメラのフィルムを1枚1枚送る度、彼は顔を上げて川の様子をじっと見つめた。

 しばらく見つめた後、再びファインダーを覗き込んでシャッターを切り始める。

 彼は一言も発さずに、村全体の様子をカメラに記録していった。


 「ねぇ!先生、聴こえてます?

 おーい!おーい!!」

 …カシャッ!


 背後から執拗に響く女声が山峡(やまあい)にこだまする。

 その大声のせいで藪沢の手が振れ、ピントがずれてしまった。


 「五月蝿い…君はいつも」

 これ迄無視し続けていた藪沢も、流石に我慢の限界に達して、彼女の声に応えてしまった。


 美作(みまさか)未卯(みう)

 藪沢の元ゼミ生なのだが、卒業後も彼のゼミに入り浸り、気付くと生徒達の間に紛れ込んでいる。

 藪沢は陰で、彼女の事をぬらりひょんと呼んでいた。


 彼女は他人と簡単に馴れ合える性格。

 毎年ゼミに現れては、新しく入って来た学生達とすぐに仲良くなってしまう。

 藪沢が彼女を追い出そうとすると、何故か彼が非難される。

 そのうちに面倒くさくなり、彼は彼女が居座っていても無視する様になった。


 元々、美作は経済学部に在籍していたが、()()()事情で文学部へと移ってきた。



 こいつは昔から何を考えているか良くわからない奴だった。

 はじめて会った時は、彼女の事を在学生だとは思わず、迷子だと思って追い返してしまった。

 それくらいに幼い。見た目というより性格が。

 行動に落ち着きがない。


 回りくどく聞こえ良く言えば、子供の様な素直さと正直さを持った天真爛漫な娘。

 端的に言えば五月蝿い。学生風に言ってウザい。

 そのくせ論文は良いものを書くので質が悪い。


 元々経済学部で優秀な成績を修めていたのに、途中から文学部に移ってきた。

 単位不足・経験不足になる事も承知の上でだ。

 なのに1年からずっと在籍している学生達よりも、遥かにマシな論文(もの)を提出する。

 ただの馬鹿なら追い出せるのに、学校側から見ると非常に優秀なので、周りの教員達からは羨ましがられ、経済学部の教授達からは妬まれた。

 ようやく卒業したかと思ったら、仕事の合間に来校し、私のゼミに顔を出す。

 それだけでなく…


 「…だってえ!先生が私の事を無視するんですもん!」

 「そもそも同行を許可していない。

 もう学生でもないのだから、フィールドワークがしたいなら一人で勝手にやって、一人で帰りなさい」


 美作は、この村に来る為に朝早く大学を出た私の後を、勝手に尾行して(つけて)来た。

 「先生!いえ、お義父様!お手伝いさせて下さい!」

 私がハイキングコース入口の駐車場に車を入れた時、すぐ隣に停まった車から降りてきた時のコイツの一声がこれだ。


 「…手伝いはいらない。一人で充分だ」

 「そんな事言わずに。未来の義娘が手を貸しますよ」

 終始こんな調子だ。

 コイツは息子のストーカーなのだ。


 「この村の伝承を調べたいなら勝手に調べたまえ。

 私の調査の邪魔をするな」

 「ひどーい!せっかく手助けしてあげようと思って、ついて来てあげたのに!」

 「頼んでない。荷物ひとつ持たないで何を言っている」


 私の息子に惚れているらしい。

 しかし、その息子は大学を途中でやめてしまった。

 我が家にまで押し掛けたそうだが、当の息子は現在絶賛引き篭もり中。

 会う手段を探っている最中に私が彼の実父だと知った彼女は、私に近づく為に文学部に移ってきたそうだ。


 「将を射んと欲すれば…」

 悪びれもせずに私の学生達に言っていたらしい。

 誰が馬か!

 「未卯はきっとお役に立ちます!」

 そんな事ばかり言うが、途中から移籍して来たせいもあって、圧倒的に実地経験不足。

 成績とレポートだけでも充分卒業資格があったので、手を尽くして社会に放り出したというのに。

 ブーメランよりも早く戻って来た。


 「優秀なわたくしの活躍、是非、息子様に喧伝して下さいませ!お義父様!」

 …うるせぇ…この、ぬらりひょんが…!




 

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