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宇宙世紀のベースボール

作者: 中川 篤




 おれはフロストを鞄持ちと財布代わりに連れ歩いて、あちこちで飲み歩いた。おれが少しでもクソみたいな生活をすることで奴らが嫌な顔をすればいい、奴らが戦争で手に入れたこの町をへどとアルコールで穢してやる。おれは汚らしく、毎日安酒ばかり飲んでは吐いた。奴らは今頃パーティーでカクテルでも飲んでいるのだろう。


 ある日、バーで男と知り合った。そいつは締まりのない太鼓腹の実業家で、このクソみたいに頭に虫の沸いた時代には、さらに娯楽が必要だと考えているらしかった。

 そのサミュエルのいうことによると、それには野球がうってつけだという。

「何故、野球が?」

 おれは笑って尋ねた。ジョードは離れた席ですれ枯らしミリーの相手をしている。何を言えばいいのかわからないでいる。

 「それは野球が道具を扱って、何より、精神で戦うスポーツだからですよ。これを見てください。ダンさん」


 おれはサミュエルの差し出した一冊の本をテーブルの上で眺めた。見るからに怪しいオカルト本だ。


 「で?」

 「いいですか、ダンさん。国は特殊な兵士――まあ、何と言いましょうか精神観応力のある部隊をあの大戦でひそかに持っていた。でも戦争が終わってしまい、彼らは今行き場をなくしている。何せ、物心ついたときから戦争の事しか教育されてこなかった連中ですからね。とうぜん身よりもないし、連中は仕事にもつけないで飢えている……」


 彼らが特別だという事ですよ、とサミュエルはいう。


 「要するに、スーパーマンか。で……、今度はあんたがそいつらを野球漬けにすると? 奇跡のエスパーチームか。ハハッ、こりゃ傑作だね。一杯注いでくれ」

 サミュエルがおれの前のあるグラスにワインを継いでくれた。おれは上背を目いっぱい曲げ、丸っこい手首をうまく利用して飲んだ。

 周囲の目が気にかかり、周りをねめつける。

 「すまんね。こんな手で、うまく飲めないんだ」

 「気にしてませんよ」

 「酔ってきたよ。……そこのぼんくらフロストがおれの手と部隊を奪った。そしてこの戦争の英雄様だよ」

 「ほう?」

 「あんたにはそのスーパーマンどもを集める手はずはついてるのか?」

 「新聞とテレビに、公告を出すつもりです」

 「あんたがもし良ければ、あいつを試合で使うか? 客が呼べる」

 「それは素晴らしい……けど、当人はなんて?」

 「おれがいいといえば奴はやるよ。ギャラも……何、紹介料さ」

 「ところで、ダン中佐、あなたは軍隊の前、大学で野球をやっていましたよね? 学生選手権では、キャプテンだった」

 「あれを知ってるやつがいまだにいたとはなあ。昔の話だが」

 「それを見込んで是非お願いしたいことがあるのですが……、受けていただきますか?」

 用向きは言われるまでもなくわかった。

 「スタジアムとグラウンドを見せてくれ、チームのメンバーもだ」

 おれは言った。



 別れてから翌朝、サミュエルから連絡があるまで、おれはまんじりともできず、一睡もできなかった。思えば、サミュエルの眼は怪しい感じにらんらんと輝いていて、それは今よく考えると、やつがそのチームに固執していて、その精神感応(サイキック・ウェイブ)なんたらのある人間を集めさえすればチームは無敵で、常勝軍団を作れるに違いないと信じている、というか、信じ切っていたからだと思う。


 ことそのサイキックのチーム、戦争で名をはせたニュー・タイプの集団を、野球チームのオーナーとして使役することにかけてかなりこだわっているようにおれには見えた。

 そんな簡単に野球で勝てるなら、誰も苦労はしねえ。

 それからおれたちは何とかその特殊な脳みその持主どもを集めたし、試合もさせたが、初めのうちは散々負けっぱなしだった。ミスをした選手にサミュエルは甘かった。


 それでもおれは嬉しかった。おれのかつての敵だった奴らを――兵隊どもを――練習と試合の名のもとに檄を飛ばし、手はなくとも足で、蹴り飛ばしまくれるからだ。操縦桿を握ることしかできないぼんくらどもめ。


 おれは少しだけ、何かと和解できたような気がした。


 リーグ戦を五日連続敗退したその日、おれはやつらを呼び集め、一人か二人、蹴り殺してやるつもりで、試合の総括を行った。



 さて、おれが連中に雷を落としにグラウンドに向かうと連中はすでに一列に勢ぞろいしておれを待っていた。さすがは軍紀に厳しい特殊兵団の兵士どもだ。

 気に食わん。

 開口一番おれは、「楽にしろ」、といった。が、その意味が分かっていないようだった。

「楽にしろ、と、おれは言ってるんだ。これからおれはお前らを怒鳴りぬくだろうが、まあ戦場で殺されるよか、ましだろう。今回の敗因は、マックスだ。恨むならジョナだ。ジョナ・マックスはどこだ?」

 おれはチームを編成するにあたって一人一人に手ごろなニックネームをつけることから始めた。ニックネームはその内使わなくなったが、これはこいつらの名前を覚えるのに役立った。その一人がこのチームの中継ぎピッチャーマックスだ。何と驚き、女性ピッチャー。

 サミュエルは相当『頑張れベアーズ!』が好きらしい。

 「行ってこい!」

 マックスを呼びに行ったクソまじめピーチャはクソまじめだからくそまじめだ。守備位置はレフトで、サミュエルが言うには二人とも、精密機械のようにHAUを操ったらしい。ここはグラウンドだ。

 その横で眠そうにしているのがミード。戦場ではクソみたいに敵機を落としまくっていた。とびっきりの悪魔だ。いいぞ。ちなみに、ポジションはショート。

 「……なんだァ、その顏は?」

 キッド。ファースト。骨はある。何かとおれに逆らいがちで、よくサインを無視して打とうとする。TEAMの勝利より個人を優先する。結構。

 「まったくどうしてあそこで一塁に送球する? あそこで投げたら二塁からランナーが走り出すってことに気づけなかったのか? よくそれで……お前ら、野球はほんとうに好きか? ピーチャ。ほんとうに好きか?」

 「はい!」

 「……いいか。もっと練習して野球のことを知れば、お前らは必ず強くなる。操縦桿を操るようにバットを振り、ボールを投げ、相手が何を考えているかを読み取る! それが出来ればお前らはきっと無敵だ。栄光がお前らを待っている、はずだ」



メンバー紹介 下

 キャッチャーを務めているのがフライ。せいの高いのっぽの黒人で、大戦中は友軍に属していた。フライというのもニックネームで、本名はボビー。

 軍属でさえない。ただ体格を見込んで、おれがスカウトした。攻走守かなり使える奴だ。奨学金でフットボールと野球をやっていた。

 サード。メカニックのリリー。リリーは姓で、名前はトム。

 クリード。センター。小心者。

 セカンドを守るのは、キャットフィッシュ。双子の兄弟で、弟のトニーは控えだ。

 そしてその奥で一人、ズボンの埃をはたく作業をくり返しているのが、ライト、使いッ走りフロストだ。契約通りコイツのギャラのほとんどはおれが戴いている。まあ、どうせ大金を持っていても宝のもち腐れだろう。


…以上がこのクソったれに素晴らしいエスパーどもだ。他にも選手がいるが、それは以前までこのチームの主力だったり、控えだったりした面々で一軍。こいつらは絶賛強化期間中なのだ。

 サミュエルオーナーの奇抜な思い付きのせいで入ってきたこのエスパー連中を、奴らは、あまりよく思っていない節がある。そりゃ当然だろうさ。実力は奴らの方が明らかに上で、何だかよくわからない力などなくとも、こと野球に関する限り、明らかにあっちのほうが上位に立ってるんだから。


 その中でも、シェパードとシーカーは別格だ。かつてフィネガン・パイレーツをリーグ優勝させた経歴は伊達じゃない。だからおれは事あるごとにこの二人を頼った。シェパードは抑えのピッチャーとして、シーカーは守備と打撃の要として。一軍には他にも、外野のリカルドや捕手のエル、加入予定のスウィッチがいるが、やつらのことは後で書こう。



 ホームスタジアムの近くにあるトレーニング施設の一室を普段、おれはねぐらにしている。野球選手というものはこのバカみたいに広いアメイジア全土を試合で渡り歩く。

 連戦に次ぐ連戦。敵チームがある州のホテルを借りることもあれば、東部や西部地方でバカンスがてらトレーニングキャンプに励むこともある。

 もっとも、予算が削られて、キャンプにはおれが就任して以来、一度も行けてない。

 この素人集団がそこそこ勝てているのには、もちろん理由があった。原因は戦争だ。多くの野球選手が徴兵されて戦場に向かわされた。前線に配属されるおれのようなやつもいれば、後方で宣伝部隊に加わるものもいた。


 とにかく、あの戦争が文化やスポーツに与えた打撃は大きかったんだ。そして、試合の質が戦前とは比べ物にならぬほどお粗末なほどになった地域が存在した。それが中部アメイジアだ。


 それでもコーチや監督連中は奮戦したし、おれもこうして頑張るはめになった。

 ホテルの一室で夜を過ごした。電灯を消し、手元の夜光塗料が塗られた時計の針を読むと、十一時半だった。


 酒の飲み過ぎで頭が痛い。


 夢のなかで、おれは暗い空間を漂っていた。星屑と闇が広がり、NAUの残骸が広がる宇宙空間。その中をパイロットスーツだけ着て、おれはただよっていた。

 このまま誰にも発見されずに死ぬのか。ヘルメットの端にぼろきれのようになって浮かび上がる友軍兵士の姿があった。トレースだった。それに、他の連中も。みんな、死んだのか?

 それは夢だったが、目が覚めると、訳もなく悲しかった。



 「お雨らに紹介する。打撃コーチのケリーだ」

 「……どうも」

 ケリーと呼ばれた男が乾いた返事をする。大きな手のひらでビールの缶をつかみ、挨拶の後ぐびりと一杯やる。

 「酒はよせよ……」

 「こんな奴にコーチができるのかよ」

 キッドがぶーたれる。

 グラウンドの外でバイクの音がした。地元の不良がフェンスに寄っかかって、こちらを注視していた。

 「いいから守備につけ」

 ケリーが言って、ビール缶をベンチに置いた。半分ほど中が残っていた。

 「酔うほどは飲んでない」

キャットフィッシュとキッドの二人が目配せし合う。多分酔っているからバットを空振ると思ったのだろう。ケリーは手にもったボールをポンと放ると、空中で上手にノックする。球はライナーで、セカンドのキャットが獲れるか獲れないかのきわどい合間を抜けていった。もちろん、球は外野へ抜けていく。

 「口ほどにもない……」

 更にファーストにも球を飛ばす。キッドがジャンプして取ろうとするが、もちろん駄目で、外野の手前にクリーンヒットになった。

 「おい、ダン」

 バットを持つ手を緩めて、ケリーが言った。

 「ああん?」

 「こいつら基本がなってないぞ。先日はどうやって勝ったんだ?」

 「負けたんだよ。シェパードとシーカーを使ったさ。使いまくったさ。それでも負けたんだ。相手はリーグ最下位だった。ただ明日の試合はそうはいかん」

 「そうだったんですか? てっきりオレ……」キャッチャー席からフライが残念そうに言う。

 「黙っていた」

 「おい、何だあ、ありゃ?」

 ケリーが何かに気づいた。

 視界の端を地元の不良がバイクをふかすのが見えたと思うと、グラウンドを突っ切って行こうとした。おい何やってる! おれはすかさず走り寄って、バイク乗りの首根っこをつかんでずり落そうとした。


 バイク野郎はおれの手をすんでのところで逃げ切ると、グラウンドの外へ逃げていった。


 クスクス。

 チームの間から失笑が漏れる。


 「あの野郎。グラウンドを何だと思っとる。これでも喰らっとけっ!」

 ケリーが足元にあったボールを拾い上げると、バイク向かってバットで思いっきり打ち込んだ。ボールは山なりに飛んでいき、不良のヘルメットに当たって、奴がバイクから転げ落ちるのが見えた。チームから再び笑いがこぼれた。

「これに懲りたら二度と来るなよ!」おれは叫んだ。



七回裏 マックス

 すでにパイレーツは四点取られていて劣勢だ。あと一球しくじったら、ピッチャーを変えてやろう。おれは腹をくくった。パイレーツはピッチャーが弱い。主だった投手がほとんど移籍してしまい、投手数が絶対的に足りていないのだ。

 戦後で野球選手は花形職業だ。皆が野球選手になりたがっているといっていい。中でもピッチャーを希望する人間はかなりの数いる。もっと前途のある若者にプロへの道を残してやるべきだと、おれは思っている。

 「ジョナ!」

 キャッチャーのエルがミットの下からサインを覗かせて、指示を出す。

 「ジョナ!」

 胡乱な顔をしている。タイムをエルは取った。フライはベンチだ。マウンドに駆け寄り、ピッチャーの様子をうかがう。

 「どうした?」

 「ちょっとね」

 「俺たちが押してるぞ」

 「うそばっか。八点差じゃない」

 「その調子だ。スリーツーだ。一塁は気にするな。走り出すかもしれないが、今は打者をアウトにすることだけ考えろ。いいな? 走者は次の打席で刺せばいい」

 「わかった」

 「何が気にかかるんだ? あれか」

 エルがネット裏の観客を指さす。地元の不良、ビリーがいた。

 「違うの。なんかさ、見られてるような気がして」

 「バカ言え、選手はいつだって見られてるよ」

 「そうじゃないんだって。なんだか……特殊なのよ」

 「へえ。あのラッシュ・ビルがか?」

 「そうじゃなくって。もっと遠くから、見られてる気がするのよ。画面越しに」

 「光栄なことだろ。いいか。プロの才能ってのは、俺が思うに、ガソリンで動くエンジンみたいなものだ。ガソリンってのはさ、要するに、観客の応援だ。応援を一番力に変えることのできるエンジンが俺らにとっては才能だよ。逃げちゃダメだ」

 「わかった」

 「直球を投げろ。ど真ん中だ。勝負してやれ。いまが勝負だぜ。見せてやるんだ」

 マウンドからエルが降り、ジョナがボールを固く握った。バッターを鋭く睨みつけ、ピッチングフォームを取った。ゆっくりと。そしてしなやかに、素早く、腕が鞭のようにしなり、ボールをはじき出す。

――ナックルか!

 もう習得してやがったのかとおれはうなった。球がぶるぶると震えながら、バッターの手元へ飛び込んでいく。

 バットが振られたその瞬間、カクン、とまるで意思を持っているようにボールが落ちた。

 が、一塁ランナーはすでに走っている。エルが二塁に送球した。

 「クソ。セーフだ!」

 トニーがベンチから叫んだ。

 「ツーアウトだよ、ツーアウト! あと一つ!」

 その隣から打撃コーチのスパムも声援を送る。女子ソフトの代表選手だった女だ。ああ、この連中の気楽さがおれは羨ましい。この点差はおれには重い。五。重いよ。

 「どうしたんですか、浮かない顔して?」

 「ほっとしてるんだよ」

 何はともあれ、マックスが打者を殺せたのはよかった。だが、及第点だとは決して口にしない。するもんか。

「次の打者が強敵ですよ」

 交代だ!

「選手交代ですか?」

 主審が尋ねる。

「ピッチャーをジョナ・マックスから、シェパードにチェンジだ」

 ベンチで、紙カップに入れたドリンクを飲んでいるシェパードを呼んだ。マックスに手で合図し、マウンドから降ろさせる。


 やつはロージンバッグを使っているところだったが、ピッチャー交代のハンドサインを見ると、下をうつむいて、うなだれながらベンチに下がった。ピッチャーとしての力量不足を感じていたのだろう。逆に、シェパードは堂々としていた。


 マウンドに立ったシェパードは厳しい目線をこちらに送った。責任の一端はクソ監督代理のおれにもあったからだ。だが、試合はまだ終わっていない。そのことはシェパードもわかっている。

 落ちているロージンバッグ拾い上げると、シェパードは粉で手をまぶした。

 球を握りしめ、腰を落とし、前方を見据えた。



七回裏 ピッチャーチェンジ

 シェパードがマウンドに上がる。


 中継ぎからボールを受け取ると、そこで一言二言喋って、やっとこさ投球を始めた。ずばんという快音。だがもう過去のような速球を出せないことシェパード自身がよく知っている。


 三十歳で怪我を経験し、変化球投手へ転向を余儀なくさせられたんだ。リーグ優勝し、戦争の期間中は各地を慰問で回ったこともある。今シェパードの名前を知っている野球ファンは少ない。いるとしたら記憶力のいい軍人ぐらいだ。


 キャッチャーは、エル。チームに以前から在籍していた一軍選手だ。投球が終わり、バッターが入ってきた。ブラックジャケット三番ブランコ。左打ちのいい選手だ。



同回 シェパード

 シェパードの交代一球目は、緩やかなチェンジアップだった。高めインコースに投げこみ、ストライクの際どいところにずばんと決まった。しかし相手バッターはそれには手を出さず、見送ってきた。

 ――振らないか。

 外野が下がっている。上手くいけば、外野フライにして、アウトに出来たかもしれないはずだ。シェパードは打者を見た。力を抜いているように見える。だが静かな覇気がある。

 ――押すか。

 打者のブランコが隙を見ながらキャッチャーミットを確認し、どこに投げるか、位置を確認した。ずるだ。そして、すかさず直球を投げ込む。打者のバットががん、とつまった。ボールがチップし、キャッチャーの上を弾くように飛んでいく。

 同時に走っていた一塁ランナーがファールになったのを見て、塁に戻った。

 長い回になりそうだとシェパードは思った。こういう時は、疲れる前にとっととアウトを取っておくに限る。楽して勝負できるなら、した方がいいに決まっている。自信を持って投げろ。俺はまだ若い。強気になってもうまくいくはずだ。

 相手バッターが監督に視線を送ったのを、シェパードは見逃さなかった。額縁眼鏡をかけた、痩せぎすの相手チームのニードルスが、被っていた帽子をくい、と指で真上に押し上げる。

 ――打てか?

 相方エルのサインは強気だ。首を振ってそれを訂正する。勝負したいのは二人とも山々だが、今は真正面から行くべきじゃない。ましてや自分から。いや、駄目だ。

 その心とも、シェパードは戦っている。マウンドに立つ時間が長くなればなるほど、この戦いが苦しくなることは分かっている。

 いくぞ――続いての球を投げた。外角に。高めだ。ストライクには入らず、ボールだった。時速一三三キロのカーブだ。バッターがそれを見送る。

 ――何考えてんだ?

 カウントは有利。こうなると、あとは料理するだけだ。低めに変化球を投げ、その球をブランコが振った。これでスリーアウト。チェンジだ。



八回表 リカルド・ヘルナンデス

 それから次の回。パイレーツの七番、リカルドがバッターボックスに立った。シェパードやエル同様、パイレーツに元からいた選手で、リカルドをスタメンにすることにはダンの意図が働いていた。チーム全員を退役軍人のニュータイプにすることには無理があると、彼は感じていたのだ。

 彼は歓声を(というよりブラックジャケットのブーイングなのだが)盛大に浴びながら、現れた。スタンドからは、まだ真新しいユニフォームの「12」がよく見えた。互いのファンにとって、おなじみの「12」だ。ブラックジャケット時代から変わっていない背番号。

 リカルドは戦時中に入団した選手の一人で、ダン同様、フロストには借りがある。だがリカルドの方は、いく分気楽で、思い悩んだりすることはなかった。

 「裏切り者! スパイ! ばかやろう!」

 酷い言葉が飛び交う。ここには書けないような、かなりひどい言葉も混じっていた。

 まったくひどい。

 みなが貧しかった時代、パイレーツの前のオ―ナーが、カネにものを言わせて分捕った選手――。

 ブラックジャケットのファンからすれば、殺しても飽き足らない。ここのファンは全球団の中でも群を抜いて過激さで有名なのだ。

 雨の中でも、ブラックジャケットのブーイングは鳴りやむことはなかった。稲妻のようだった。ファンの言葉は何物にもかき消されない。ブラジャのファンは黒い、威圧感のあるポンチョを着、雨天にも負けない怒りを振りまいている。

 ――ゴミ袋め。

 ピッチャーが大きく振りかぶって、投げた。球が雨で滑る。リカルドはそれを見逃さない。ボールはストライクゾ―ンへ。スタジアムが歓声と怒号に包まれた。

 スリーベースだ。

 彼は走った。

 大変な怒号、罵声、驚き声……ピッチャーが抑えに代わる……。



八回表 キッド

 スタジアムの観客席から、またはテレビの前の住民から、キッドは視線を感じた。様々な思惑が溶け合って、打つなといったり、キッドにホームランを打つことを望んでいたりする。

 イチロー選手の映像を見て真似た、あのルーティーンで、彼はその視線を彼のバットへ、そして対戦相手の目へと移し換えた。

 「二、三打席目は盛大に空振りましたからね」

 ベンチでキャットフィッシュがシーカーに言う。シーカーは次の打者、三番だ。

 経験では劣っていても、キッドには有利に働く点が一つだけあった。うまく活用すれば、かなり有利にこの回の打席を運べるといっていい。試合が始まる三十分前まで、ロッカールームにある年代物のビデオデッキで対戦投手のピッチングを研究していたのだ。狭苦しい、古びたビデオデッキとカセットがつまったその一室で、映像資料の番をしながらまたチームの作戦を立ててもいる男から、キッドは何度も「振るな」と念を押された。

 分かっていても、なかなか打てる球の持ち主ではないからな。

 打者と投手のにらみ合いの時間が終わった。投球を決めた。

 ――正面からくる!

 サワムラが右腕を大きく後ろに引き、ほぼ真下のサイドから地面すれすれに球を投げる。

 「サブマリナーだ!」

 これを観に来た観客が沸く。キッドは思いっきり振るが、内から外へえぐるようにナックル気味のボールが飛んできて、とてもじゃないが、打てる気がしない。

 ――怪物かよ。

 一瞬、飛んできたボールは170キロにも見えた。実際は143キロ。化け物だ。この角度から投げるボールは速度が三割増しで見えるのだ。ましてやキッドには、経験値が圧倒的に少ない。

 次の球は同じようにえぐってくると予想する。これが奴の決め球に違いない。サワムラが腕を大きく後ろに引く。そしてボールを放った。高速球にキッドは思いっきり空振る。

 ストライィイク、ツウー! 次の球は真ん中に投げてきた。くそっ、読まれた! ピッチャーは一ミリも表情を崩していない。確実に殺しに来る、その構え、表情だ。

 ――ああ、主任が「振るな」と言った訳がよくわかるよ。

 ――ストライクが二、そして……ボールがゼロ。攻略の糸目さえ見えないな。

 ――こちらに出塁に可能性があるならやはり四球か?

 バッターアウト! 


チェンジ!



八回裏 双方ベンチにて

 ブラジャのベンチでは、監督のニードルスが投手やバットボーイを相手に話している。監督は気安く、ベンチは暖かい空気だ。

 「退屈か」と、訊く。

 「いいえ」

 「僕のピッチングは見ていただろ、ツアー。どうだった?」

 「速かったです。球が」

 投げ方がヘンだった、と言いたいのを飲み込み、ツアーは答える。それから三人の会話が続いているのを見て、ライトのリードとショートのブランコも寄ってきた。三人の大柄な選手が輪になって、自分を囲んでいるのを見て、コロニー坊やことツアーはすっかり困惑してしまった。ブラックジャケットの選手は彼に何かと世話を焼いてやりたいと考えているのだ。ベンチの空気はとてもいい。

 コロニー坊やというのは、ツアーの出自と宇宙での戦争体験を少しでもほぐしてやろうとブランコがつけたニックネームだ。ツアーは目が悪い。戦争末期、避難船に乗っていた時に窓ガラスから見た、強い光が原因だった。あの世まで穴を開けてしまいそうなあの光……。

 戦争はまだ各地で終わっていないが、それでもこのチームの人間は優しい。「何も奪うことばかりが人間じゃないさ」と、ニードルス。「争いが続いているさ中だって、人は誰かに対して優しい気持ちを抱いたり、与えることが出来ると俺は思うよ。多分、いやきっと、そうだろ?」


 一方、パイレーツベンチ。

 「いいかお前ら! 一点も入れさせるな!」

 「アイアイサー!」

 「その言い方はよせと言っとろうが! あれと野球を結び付けるな! 勝利こそが正義だ! 勝つか負けるか、なら、勝ちたいだろ! 自分たちを信じるんだ! 俺は、お前たちを信じる……守備位置につけ」



八回裏 ストップ!

 グラウンドを叩く雨音が激しくなる。主審が試合の一時停止を告げる。


 ――雨だ。

 雨による試合の停止を行ってから約十分が経過する。ダンは雨がさあさあと降る、暗い夜空を見あげた。雨はグラウンドの水たまりの上で、雨音を響かせている。

 「ダン監督」シーカーだ。予定のクリーンナップでは次の打者になる筈だった。「いよいよ中止になりそうですね」

 「ああ」

 あれだけ威勢のいい言葉を吐いたのが、今では少し恥ずかしい。

 そして試合が延期になった。明日、再戦だ。

「終わった……」

 マックスのホッとしたような残念そうな声が、足もとにこぼれ落ちた。



試合後 スコア 12‐1 敗退

 レインコートを着込み、雨に濡れながらバスに乗り込む。車外からは罵声がする。試合が中止になったことを受けて、不満を漏らすパイレーツの熱烈なファンだ。

 戦争が終わったときもこうだったとマックスは思う。戦地から帰る船から降りる。帰国して自分たちを待っていたのは国民の罵声。

 人間科学研究所のアカデミー出身を示す仕立てのよい軍服も、すでにいささかくたびれてしまい、街のスポーツ用品店で、上下一着五〇ドルのパイレーツジャージに、今は全身を収めている。

 眼の下のくまと身についた翳は消えそうにない。

 それでも彼女はつとめて明るい。つとめてそう振る舞う。それらを感じさせないほどに。

 「まったく、何でこんな日に雨が!」

 バスの中央で不満の声を上げているのは抑えの投手だったシェパード。三十前後とは思えぬほど若々しく、不満を口にしているのも様になっている。リンゴのようなほっぺたを赤くして、今日の無効試合を悔しがっている。

 怒り、沈鬱、そうした感情が充満するバスの車内とは対照的に通りのファンたちの顔は明るい。スタジアムを出た熱気はこの雨でも冷めることがなかった。

 ――情熱だ。戦争で消えてなかったんだな。

 ふとダンは、戦争ゲームは終わったと感じる。こんなふうに野球の試合に一喜一憂できる時代がまた来たのだ。戦争のために人が作られる? 馬鹿馬鹿しい。それからこう考える。

――二軍の連中にも、試合を組んでやらないとな。



 試合後の翌日、レストランでサミュエルと会った。スタジアムからジョードに運転させ、市庁舎通りにある古びたレストランに入る。中からはザワークラフトのかおりがして、おれの鼻を突いた。

 会うと、開口一番、サミュエルはおれに言った。

 「がっくしきているみたいだね、ダン監督」

 「ああ。何事もうまくいかないもんだ。それに、おれは監督なんかじゃないよ」

 「立派な監督さ。彼らは練習を始めてるよ。すこし見に行ってあげたらどうかな?」

 サミュエルがチームの事情に通じているのが意外だった。おれは試しに、練習試合をする相手が欲しいんだが、と言ってみた。

 「練習相手か」

 サミュエルは少し考えた後、嗜虐的な笑みを浮かべ、

 「君は十一点差つけられて、責任を取って監督を引退するのかと思っていたんだが」

 「バカな。一つの試合の勝敗にいつまでもこだわっていられるか。特別な試合なら話はまた別だ。でも、あの試合はそうじゃない。それにあの試合からは、今後につながるプレーがあった。次は更にうまくやる自信がある。おれにも、チームにもだ」

 「君がそういうなら、なんとかしてみよう。しかし、そこまで言うなら条件がある。聞いてもらえるかな」

 「何でもどうぞ」

 「一つは、リーグ優勝」

 「正気か? いや、あんたのことだ、正気なんだろうな……サミュエル、どうして、あいつらをつかうことにこだわるんだ? 連中は、確かに筋はよくなっているが、野球ができる人間は、この国にはごまんといるんだぞ? なぜだ」

 サミュエルはしばらく黙っていたが、やがて目を光らせていった。

 「私は彼らで一儲けしようと思っているんだ。エスパーの兵士たち! 英雄! それがチームを編成して野球をやる! その超人チームがワールドシリーズのオープニング戦を飾るとなったら! というのは?」

 やれやれ。ここにも馬鹿がいる。どうしようもない、重症だ。

 「子供じみたロマンですよ……第一〝かがやき〟なんて眉唾物のカルトでしょう?」

 「だから君を雇ったんだよ。今のパイレーツには、設備も人員も、欠けているものばかりだが、そのうち揃える。必ず、約束しよう。何せ今は、何もかもが不足している時代だ。そのことは君もわかってくれていると信じている」

 「ええ」

 おれは窓の外につっ立っているフロストをガラス越しに見た。指でちょいちょい、と奴を呼ぶ。ジョードが入ってきて着席する。

 「君はたしか……」

 「トマス・フロストです」

 「ではトマスと呼ぼうか。確か外野、ライトだったね。練習はいいのかい?」

 「ダン監督に来いといわれました」

 「なら、仕方がないかな」

 勧めるようにサミュエルは手を振って見せた。

 「何か食べたまえ。選手は体が資本だ。動いたら、その分、食わなければならない」

 「そして寝ること」

 おれは付け加えた。

 ジョードは目をきょろきょろさせ、それからしばらくの間、注文票を眺めやっていた。

 おれは口を開いた。

「……わたしは何も完璧な選手を求めてるわけではないんですよ。サミュエルさん。試合で三振して壁に穴をあける選手がいたっていい、臆病者やデータ重視、あなたが野球に対してカルト的な信仰やロマンを持っていたって構わない。ただ」

 おれは強調して言った。

 「そいつらが協力して一つのゲームを――可能な限り素晴らしいゲームを――作り上げることが出来たら、きっとそれが、おれたちが目指すべき最大目標なんですよ」

 しかし、サミュエルの次の言葉はおれをがっかりさせた。

 「君にもわかってほしいんだが、野球は次第にマネーゲームになりつつある。資金力のあるチームは良い選手をかき集め、金のないチームはどこか粗のある選手しかとることが出来ない……と。そしてうちは残念ながら資金力のないチームだ」

 「わかってますよ。それくらい。でもあんたは、一番重要なことを忘れていますよ。その金をどう有効に使うかでしょう? 資金力のないチームが成績を残すことは珍しくないですし。アスレチックス然り、かつて日本のヤクルトも阪神だって優勝しましたしね。いや、阪神は今や強いチームか。まあ要するに、どこか欠陥のある選手しか取れないという事ですね?」

 「そうだ。上や特上の選手はうちでは扱えないんだ」


 それからふいに、サミュエルが言う。

 「戦争のことは、忘れたかな」

 「ええ、忘れましたよ」

 おれは続けた。

 「人は前を向いて行かなくちゃいけない。だからおれはもう二度とNAUには乗らないって決めましたよ。平和が続く限りこうして野球をやって暮らすよ」

 「それは悪くない」サミュエルは笑う。

 「サミュエル、おれはな、このクソみたいな歴史に、宇宙世紀に、戦争と破壊ばかりのこの時代に、『パイレーツ世界リーグ優勝』っていう記述を一つ、付け加えてやりたく思いますよ。そしたらおれたちがいたこの歴史も、少しはマシなもんだったって、後の人が思ってくれるからですよ……」





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