王子殿下は、もしかして小犬ですか?
「あなたは、確かフタバと言う名前でしたね?」
「え? あ、はい。そうです、けど……」
葉平と同じ目線までわざわざ腰を落として話をしてくれてた王子様は、何を思ったのか今度は立ち上がって私に声をかけてきた。
いつの間に私の名前……って、葉平が言ったのか。
にっこりと笑うその笑顔がまた、何と言うか屈託ない子供みたいで……。いや、子供なんて言ったら迷惑だわ。でも、普通に人懐っこいなって思った。
この人、本当に王子様なのかしら? 身なりは確かに良いんだけど……。
「僕はクラディ国王の息子、イズムスと申します。あ、でも身分の事は気にしないで下さい。僕、そう言うのあんまり好きじゃなくて……」
あ、やっぱり王子殿下で間違いないんだわ。
じゃなくて、気にするなと言われても、さすがにそれは出来ないと思うんですけど……。
「でも……そう言う訳にはいきませんよね?」
「確かにそうですけど……。あ、じゃあこうして下さい。ここにいる間だけ身分とか気にせず、ヨウヘイに接するみたいに普通にしてもらえませんか?」
いや、葉平に接するみたいにって……。あなたは子供じゃないじゃないですか。それは無理難題と言うものですよ、王子殿下。何より王家の方にそれは、うっかり知れてしまったら私クビになるどころか首がどっかいっちゃう。
だけど私より身長は高いのに、そんな子犬みたいな目で見られると……。
これは完全に、何だか断ったら負けな感じが否めない。
どうしろって言うの? って言うか何でそんな事を言い出したの、この人……。
「でも、葉平とは違いますし……子供って呼べるほど小さくないですよね」
「あ……そうですよね……」
やだやだ! ちょっと、何でそんな大袈裟に落ち込むの!? 何か悪い事してるみたいじゃない!
「わ、分かりました。葉平と同じようには接することは出来ないと思いますけど、普通にお話をさせて頂きます」
「本当ですか!? 良かった! ありがとう!」
私が承諾するとそりゃあもうパッと、嬉しそうに笑う王子殿下……もといイズムスさんに、葉平も調子に乗って「良かったね!」なんて言ってるし。
「でも、ここの事が他の人に知れたら、そう言うのは無しですよ? 私も今日ここに来たばかりで、仕事が無くなったら困るし……」
「分かりました」
「それに、イズムスさんだって困るでしょうから……」
「イズムスです」
「はい?」
「イズムス“さん”は要らないです」
にっこりと自分を指さしながらそう言う彼に対して、急に呼び捨てにしろと言われると何か急に恥ずかしくなってしまうじゃないですか。
妙に照れ臭くなってしまって呼べずにまごついていると、隣で葉平が私の袖を引っ張った。
「お母さん、イズムスだよ。はい、言って!」
「い、いや……」
何で葉平までどさくさに紛れて追いたてるように言うの!? いきなり呼び捨てなんてできるわけないでしょうが!!
「いきなり呼び捨てには……。だってあなたは王子殿下でいらっしゃいますし……」
「僕は確かに王子ではありますが、王位継承権はありません。それに、王家の問題ごとにはうんざりしていて……。僕もあなた方のように平民として産まれたかった。だからせめてこの場だけでもあなた方と対等でいさせて欲しいんですが、ダメでしょうか……?」
そう言うと、途端に彼がもの凄く寂しそうな顔をするもんだから、罪悪感を感じると共に葉平が怒ったように私を責め立てた。
「お母さん! イズムスが泣きそうだよ! 駄目だよ、人を泣かしたら!」
「ひ、人聞きの悪い事を大きな声で言わないでよ!」
「じゃあちゃんと呼んであげて! 人を泣かしちゃダメだって、お母さん言ってたじゃん!」
「……っ」
うぬぬぅ……。何故に葉平にここまで責められねばならないのか……。行ってる事は間違いないし、日ごろからそれを言っているだけにぐうの音も出ない。
それに、目の前にいる王子殿下まで「そうだそうだ」と言わんばかりの雰囲気で私を見てくるし……。
呼ばなきゃ帰れない罰ゲームか何かですかね、これ。
……ええい、もう知らん!!
「……イ、イズムス」
「はい! ありがとうございます!」
あああ……何でそんな名前呼ばれただけで嬉しそうにするんですか。見えないはずの尻尾をブンブン振りまくってるように見える気がする。
「と、とりあえず、もう戻らないといけないので、そろそろ……」
「そうですね。じゃあ僕もそろそろ戻ります」
居た堪れなくてそそくさと葉平を連れて戻ろうとすると、ふいに呼び止められた。
「あ、フタバ」
思わずドキッとしてしまう。
そう言えば彼は最初から何の抵抗もなく私の事をいきなり呼び捨てにしていたっけ。
って言うかこの世界の人は皆そうなんだけど……。
ぎこちなく背後を振り返ると、イズムスはにこにこと笑っていた。
「な、何ですか?」
「明日また、ここに来てくれますか?」
「あ、明日ですか?」
「はい、ヨウヘイと遊ぶ約束もしましたし、フタバとももう少し話をしたくて……」
だから、そんな目を向けるのやめてくれないでしょうかね。
お願いしますと言わんばかりの目を向けられると、断れないって分かってやってるんじゃないの、この人。あざといわ……。
「ぜ、絶対とは言えませんけど、来れたら来ます」
「良かった。じゃあ待ってます」
絶対じゃないって言ってるのに……。
何なんだろうこの人懐っこさは。この人、前世子犬だったんじゃないかしら。
「イズムス、また明日ね~!」
葉平はもう完全に彼の事を友達だと思っているし、めちゃくちゃフレンドリーなやりとりだし。
私はため息交じりに葉平の手を引いて中庭を後にした。
仕事する前からどっと疲れちゃったわ……。
*******
「ここが俺たちの部屋なんだ! へぇ~。広いね!」
部屋に戻ってくるなり、呑気な葉平の声が響き渡る。それに比べて、私は傍にある椅子に腰を下ろして溜息を吐きながら、早くもベッドの上でごろ寝している葉平に声をかける。
「私が王様に会ってる間、何してたの?」
「うん? えっとね~、メイドさんと一緒に散歩してたんだけど飽きちゃって、かくれんぼしてた」
「そうなんだ」
「かくれんぼしてたらイズムスと会って、それからずっとあそこで話してた」
「え。じゃあ他の人は? かくれんぼしてたんでしょ?」
「ん~……わかんない」
おいおい、大丈夫かそれで。
まぁ大騒動になってないみたいだから大丈夫だとは思うけど……。
って言うか、メイドさんたちは皆葉平がどこにいるか分かってるっぽかったから騒動にはなってないのか。
そこまで考えてふと、疑問が浮かんだ。
イズムスと葉平が一緒にいて仲良くしてるのを知ってるのに、何で葉平を連れ戻さなかったんだろう?
平民と王子殿下では身分の差があるから関わること自体がご法度なら、接触してる時点で引き離してもおかしくなさそうなのに。
「ねぇ、葉平とイズムスが一緒にいて、誰もダメだって言わなかったの?」
「ん? 言われてないよ」
「……ふ~ん」
「俺ね、イズムスが読んでた本でね、見たこと無い文字がいっぱいだったから教えてもらってたんだ!」
あぁ、そう言えばそんな感じだったわよね。
でも文字を教わろうとするなんて、勉強嫌いな葉平にしたら珍しい。
明日は雪でも降るんじゃないかなぁなんて思っていたら、葉平がその理由をさらりと告げた。
「お母さん毎日仕事で忙しいし、文字が読めなくて困ってたでしょ? だから俺が勉強したらお母さん少しは楽になるかなって思って」
「……っ!」
ああ、なんていい子だろう! 子供は親の姿を見てないようで見てるって本当なんだなぁ。
堪らなくなってぎゅっと抱きしめてあげると、葉平は照れ臭そうに笑っていた。
「俺は男だから、お母さんを守らなきゃいけないしさ。お母さんにちょっとでも楽して欲しいし」
「も~、ありがとう! その気持ちだけで充分よ~」
「いや、ほんとだから。嘘じゃないからね!」
うんうん、分かってるよ。嘘なんて思ってないから!
離婚してから葉平には大変な思いをさせてしまってるのに、彼は彼なりにしっかりしようと頑張っているのだと分かると胸がいっぱいになる。
「だからお母さんは彼氏を作るべきだよ! だって、お父さんには彼女が出来たんでしょ?」
そう言われて、私は抱きしめていた手を緩めた。
……あぁ、そう言えばそうだったわ。私と別れて一か月くらいでさっさと元旦那には彼女が出来たんだった。それを思い出したら妙に癪に障る。
「いいのよ私は。もうこりごり」
「駄目だよ一人は。俺がいるけどさ、一人じゃ寂しいでしょ」
「そうね~。葉平を本当の子供のように可愛がってくれる人がいるならね~」
と、エプロンを外しながら彼の話を適当に話を流してしまう。
ほんとは私だって分かってる。家族がバラバラになってしまったことで、一番寂しい思いをしているのは葉平だって。
葉平が私に新しい男性を見つけろと積極的に言う理由が“普通の家族”と言うこれまで当然にあった関係が欲しいんだって事も。
でもね……。思った以上にハードルは高いのよ。子持ちバツイチのシングルマザーって。
私は葉平のその気持ちを叶えてあげられない自分に、ずっと申し訳ないと感じていた。