もはや頭の中は真っ白状態です
「誰!?」
アユが慌てたように店主と同時にこっちを振り返って叫ぶ声が聞こえて来た。
あまりの事に気が動転してしまって、私は咄嗟の判断がつけられなくなっていたんだけど「どうしよう!?」って思った次の瞬間には視界が真っ暗になって何が起きているのか分からなくなっていた。でも、視界は奪われているんだけど、代わりに音だけはしっかり耳に届いて来る。
ドアを開く音が聞こえてきて、アユの少し焦ったような声が聞こえて来た。
「……誰かいたのかしら。バレたらまずいのよ」
「この辺りはおかしな人間が多いので、ふらついた足取りでこの小瓶を蹴ったんでしょう」
そう言いながら私が蹴倒してしまったであろう瓶を拾う音が聞こえて来る。
何? 一体何が起きてるの??
「それならいいんだけど……。じゃあ私、もう戻るわ」
「はい。またお待ちしております。気を付けてお帰り下さい」
カタカタと靴音を鳴らしてアユと思われる足音が遠のいていく音と店のドアを閉めてカーテンを引く音が聞こえて来ると、それまで止まっていた汗が急に思い出したように吹き出してきた。
ついでに知らない間に止めていた息を深く吐き出し、大きなため息が出る。
あ、危なかった……。
そう思った瞬間、それまで麻痺していた感覚が色々と戻って来る。
自分の背後にあるのは冷たくて固い、おそらく壁。だけど私の前にあるのは温かくて柔らかくて、お日様のような優しい香りがある。
……はて? どこかで嗅いだことがあるな? この香り……。
「何とか、大事にならずに無事にやり過ごせましたね……」
「ひぇっ!??」
思いがけず私の耳元でイズムスの声が聞こえてきたものだから、変な声を上げてしまった。
え? 何? これどういう状況???
「あ、すみません。つい……」
「!」
そう言うイズムスの声と共に俄かに明るさが戻り、私が恐る恐る顔を上げるとめちゃくちゃ至近距離に彼の顔があったことに驚いてしまった。どうやらイズムスがあの瞬間、咄嗟に私を抱きしめて店とは反対側の壁に私を押し付ける形だったようで……。
つ、つまり、アユ側から見たら路地の物陰でめちゃくちゃイチャついている男女、と言う風に見えたと言う事だ。
ふぁあああぁぁああぁぁぁ~~~~~~~~~~~っ!!!
状況が飲み込めた瞬間ゆでだこのように頭から煙が出たのは言うまでもない。
いくらそこら中にそういう男女が溢れ返っているとはいえ、一番怪しまれにくい誤魔化し方だったとはいえ!! いやあぁああぁぁ!! 恥ずかしくないわけないでしょぉおおおお!!! そ、そんなの、もう久し振り過ぎて……って、違ぁあああぁぁう!!!
「な、な、な……」
「フタバ?」
「~~~~~~~っ!!」
何かを言いたいのに言葉が出て来ず、1人で真っ赤になってパニックになっている私の百面相を見ていたイズムスは、最初はポカンとしてしまっていたけど次第におかしくなってきたようで、彼にしては珍しく控えめながらも声を出して笑い出した。
「わ、笑いどころじゃないです!!」
「いえ、すみません。その、あまりにもフタバが可愛くて、つい……」
「ちょ、や、やめて下さい! そ、そんなこと言うの!!」
追い打ちかけないで!! もうこれ以上私をからかわないで!!!
ゼェハァしながら真っ赤になっている私はさぞかしおかしいでしょうよ。28にもなって、自分の気持ちに向き合おうと思って正式なお付き合いを了承したばかりの、私からしたら人生2人目の男性なんだから! もうちょっとこう、ねぇ?! あるでしょう!!?
「こう言うのは慣れてませんか?」
「ななななな、慣れるって何?!」
くそ〜〜!! 経験値少なくてすみませんね!!!
そもそもこんなシチュエーション普通はないでしょうよ!?
「……フタバ、とりあえずそのネックレスのそれ、切った方がいいですよ?」
「ふぇ?」
笑いすぎて涙目になりながらイズムスが私のネックレスを指さすから、録音機能を止めるのを忘れていたことを思い出して更に顔が赤らんだ。
……嘘。さっきの私たちのやり取りまでバッチリ録音されちゃったってこと?! うあぁああぁ消したい! でも消したら証拠がなくなっちゃう!! いやああぁああぁあ!! 絶望だわ!!
私は盛大に、自分の中でピンスポを浴び、四つん這いで絶望する一人の役者のような姿になっていた。
何から何までこっぱずかしい事ばっかりじゃない! どう言う事よこれ。赤らんだ顔で涙目になりながら録音機能を切る、私の心境を答えてみて欲しい。
ううう……この機能と共に私も消えたいくらいだわ……。
「とりあえず、証拠は押さえられたのでもう帰りましょうか」
「……はい」
まだ笑いが止まり切らないイズムスに、私は本気で消え入りたい思いで頷き返すしかなかったのだった。もはや恥じでしかない。穴があったら入りたいわ……。
******
「うふふふふ!」
私の最後の証拠を聞かせに、あの晩の内に取り急ぎサンディア嬢にアポイントを取ってもらい、私の最後の休日に彼女の邸宅に来ていた。
あの晩に撮った音声を聞かせたら、サンディア嬢は最初は深刻そうに聞いていたのに、最後の方になると我慢しきれなくなったのか次第に肩を震わせ始め、やがてお腹を抱えるほど大爆笑していた。
いや、分かってたけどね。冷静になった今聞いたらなお恥ずかしい。こんなに自分が取り乱してるなんて、ほんと、私としてはあんまり面白くないんだけども……。第三者からしたらもう笑いのタネでしかないでしょうね、ええ。
「……た、大変でしたのね」
「違う意味で大変だったと思ってます……」
涙目になりながら、何とか落ち着いた頃にそう言ったサンディア嬢に、私は恥ずかしさのあまり顔も上げられず視線を逸らしながらややむくれ顔でそう呟く。
「ふ、ふふふ……」
「もう、笑わないで下さい!」
「ご、ごめんなさい。でも、あまりにもフタバが可愛らしくて……」
イズムスもサンディア嬢も、揃いも揃って可愛いって……何なのよ。一応言っとくけど私あなた達より年上なんですからね! もう!!
ま、まあ兎にも角にも!! 成果は3つ得たのはでかいと思う。
一つは、アユは薬を使ってアジール殿下やその他の男性に対し自分に興味を持たせた事。
二つ目は、王宮の財政を自分の思うままに好き勝手無駄遣いしまくっていた事。
それから最後の一つは、アユではなく、薬売りの無断営業の事。
それらは今回私の恥ずかしい黒歴史になりそうな音声入りでしっかり証拠は押さえることが出来た。最後の薬売りの無断営業については、イズムスの方で対応してくれることになっていた。
アユの事に関しては私たちが総仕上げをする事になっている。これでお披露目会、どんなにアジール殿下とアユがとんでも発言しようと怖くない状態は出来た。当日は安心して臨む事ができるだけ良しとしよう。
サンディア嬢は私の手を取り本当に嬉しそうに微笑んでくれた。私はその顔を見れただけで良かったと思う。……恥ずかしいけど。
「フタバ、わたくしの為に本当にありがとう」
「当日、楽しみになっちゃいますね」
「ふふふ、ほんとですわ。フタバの事も楽しみにしてますわ」
「やめて下さい、本当に……」
「うふふふ」
心に余裕が出来たのか、サンディア嬢はよく笑うようになっていた。年相応にこの状況を楽しんでいるみたい。それに結構笑い上戸なのかも?
ひとまず、この一件何とか無事に終わりを迎えられそうで、私もほっとしていた。