スラム街は、想像以上に荒んでいました
すっかり外が暗くなった頃、私たちはお城の裏口からそそくさと外に出た。門番の兵士の目をかいくぐって出た街には酒場や宿屋なんかの街の明かりが綺麗に光っていて、昼間見るよりもちょっと幻想的に見えてしまう。
ちなみに、イズムスはどこで仕入れて来たのか、物凄く質素な街の人の服を着ていて、髪型もあえて崩しているので、顔がいい街人、と言う感じになって変装はバッチリだった。
その姿だと思わず親近感が湧いて砕けた対応になりそうだけど、我慢我慢。今は急いでスラム街に続くあの市場広場に向かわないと。
市場広場は当然ながら、朝の時と違ってやっている露店は凄く少ないし、明かりもポツポツしかなくてかなり暗くなっている。うっかり変な道に迷い込んだっておかしくないくらい。それに人もまばらで、お酒のニオイも充満してる……。
暗くなってから城下に降りる事なんて今まで一度も無かったから、この市場広場の暗さには全く慣れているはずもなく、急がないといけないのに足元が良く見えなさ過ぎて探り探り歩いてしまう。
「フタバ?」
「あ、ご、ごめんなさい。暗くて足元が良く見えないんです」
いきなり私の動きが鈍くなったから、隣を歩いていたイズムスが足を止めて心配そうに声をかけて来る。
そう言えば、イズムスは全然平気なのねこの暗さ。私、自分で気づいてないけど鳥目なのかしら……。
そんな事を考えていたら、イズムスが私の手を掴んで来たからびっくりして顔を上げた。
「僕はこの暗さに慣れてますから、掴まって下さい」
「う、え? あ、は、はい」
ぎこちない返事を返した私に、慣れたものでイズムスはするすると私を引き寄せて自分の腕に絡ませて来る。
はい!? え? ちょ、そこまでする必要ある!? あるかなぁ!?
もはや一人パニック状態。人知れず顔を真っ赤にしていると、こそっとイズムスが耳打ちをしてきた。
「ここは昼間は市場として賑わっていますが、夜はあまり安全とは言えない場所になるんです。女性が一人でいると、そう言う目的なんだと思われて危ないので、僕の傍にいて下さい」
あ……あ~そう言う……へぇ~……。って、昼の顔と夜の顔で違いすぎません?! いや、私個人としてはそれを娯楽として楽しむ人もいるでしょうから、別に否定まではしないけど。治安が良く無さ過ぎません??
こう言う場所なら、葉平も出来るだけ一人で来させない方がいいかもしれない……。
「あの……今更ですけど、あんまりここって治安が良くないんですね?」
「そうですね……。昼間はここまで酷くないんですが、夜になるとどうしても……。国が広い分全てを管理するのは難しいのが事実です。本当ならちゃんとすべきなんでしょうけれど……」
イズムスが困ったように笑っているのが、暗くてよく見えなくても分かる。
彼も王族の人間だものね。どうにかしたいって気持ちはあるんだろうけど、全部に手を回せるだけの余裕がないのも分からないわけじゃないわ。
「ここがスラム街の入り口です。僕が事前に調べて入手した情報によると、この路地の突き当りを右に入ってすぐの場所にある”フルーレ”と言う店が、例の店のようです」
スラム街の入り口に立ってみれば、ただでさえ暗い市場広場よりももっと重苦しい雰囲気に包まれているような異様な空気感が漂っているのが分かる。明かりも切れかけているのかチカチカしているところもあるし、明かりの下にある看板も取れかかっていたり歪んでいたりするのが見えた。
こ。これは、相当荒れている場所ね……。
「僕の用意したボディーガードと、サンディア公爵令嬢が付けてくれたボディーガードの方もちゃんと付いてきています。何か問題が起きても必ずフタバの事を守るので安心して下さい」
入り口にたった一つ小さくついている明かりの下でイズムスがニッコリとほほ笑んでいるのが見えた。
思った以上に彼は頼もしいかもしれない。最初会った時はあんなに小犬っぽかったのに、いつの間にこんな逞しくなったんだろう……。
いや、違うな。たぶん私の気持ちが変わったから見え方が変わったのかもしれない。だけど、比べるのは申し訳ないと思うけど、彼は元旦那よりずっと頼りがいがあって、安心感すら感じられる。だから私も、素直に頷くことが出来た。
「はい。頼りにしています」
「……じゃあ、行きましょう」
私が笑いかけた瞬間、一瞬言葉に詰まったイズムスは顔を僅かに赤らめながら顔を逸らして歩き出した。
ふふふ……。可愛いかもしれない。
二人で並んで歩く石畳はコトコトと音が鳴って、舗装が行き届いていないのか所々レンガが浮き上がっている所がある。うっかりすると躓いてしまいそうになるもんだから、私の視線は常に下を向いているのが何とも情けなくはあった。
「お姉さん、美人だねぇ~?」
すぐそばでそんな声が聞こえてきて思わずビクッとしてしまったけど、近くに一人でいた女性に対してかけられた声だったらしく、女性も男性も掴みどころがない様子のまま何事か話して家の中に入って行ってしまった。
あの二人、妙な薬を使用しているんじゃないかしら……。様子が凄く変だったわ……。
よく見れば、そこかしこでそんな奇妙なやり取りが行われていて、異様な光景が広がっている。
アユは、こんな中を一人で来ているかもしれないって事?
行きついた路地を右に入ると、二軒ほど先に怪しげなライトに照らされたフルーレと言う名前の店があった。
「あ、あの店だわ」
「様子を窺って見ましょう」
私とイズムスはそっと入り口に近づいて、ドアの窓からこっそり中を覗き込んでみる。
店の中は壁一面に小さな棚があって色んな形と色の小瓶がズラリと並んでいる。カウンターの下にも紙袋や見た事も無いような草が束ねられて置いていたりと、いかにもな感じ。
アユだわ……。
カウンターの傍で目深に被っているフードを外して立っている女性は明らかにアユだった。店主の姿が見えないけど、何かを待っているのかしら? 手を後ろに組んで暇そうに店の中を見回している様子が見て取れる。
私が傍にいるイズムスを見ると、彼もまた私を見下ろして小さく頷き返していた。
声が聞こえるかどうか分からないけど、一応録音機能は作動させておこうかしら。
私が念のため付けていたあのネックレスに触れると同時に、奥に引っ込んでいた店主と思しきこれまた怪しげな釣り目の若い男性が、何かを手に現れた。
彼の手に持っているのは、薄いピンク色の液体が入った丸い形の手のひらサイズの瓶だった。
「お待たせいたしましたアユ様。こちらがご注文頂いておりました媚薬の惚れ薬です」
「ありがとう。いつも助かるわ」
小さい店だからか、二人の会話はバッチリこちらまで聞こえてきている。
と、言うかやっぱり、彼女惚れ薬を利用していたのね。
二人は私たちがいる事にも気付かずに話を続けている。決定的証拠余すところなく貰っていくわよ。
「御贔屓にして頂いてありがとうございます。ところで、効果の方はいかがでしょうか?」
「そうね。最近は効き目が前より悪くなっているような気がするのよね。定期的に投与しないと元に戻っちゃう感じ」
「そうでございましたか……。ではもう少し効能が高い物の方が良いかもしれませんね」
「だけど、金額だってバカにならないんでしょ?」
「まぁ、そうでございますね。こちらの薬が10万リレイに対して、もう少し効果が高いものになりますと25万リレイほどになります」
「ふん! ぼったくりじゃない」
たっか!? え? 馬鹿みたいに高い金額じゃない?!
いくら何でも高過ぎでしょう? そんなお金一体どこから出てるの?
あまりの高さに驚愕してしまい、思わず声が出そうになったけど慌てて手で口を塞いだ。
ここで私たちが監視している事がバレたらまずいもの。
「いえいえ、それだけの効果が見込めると思って頂ければ逆にお安い方だと思いますよ? こちらですと一度使えば1年は効果が見込めます」
あくどい笑みを浮かべてる薬屋も大概じゃない? まるで悪代官よ。
高い金額を吹っかけたい薬売りと、高いお金を払ってでも好感度を保っていたいアユと……。
どっちも問題があり過ぎる。
「……それは確かにいいわね……。またアジールに媚びて、お金を出してもらおうかしら」
「……っ?!」
私はビックリして思わず傍に置いてあった空き瓶を蹴倒してしまった。
ヤバイ!???