度重なる問題は、解決しては増えていくものです
私は葉平を一人にしておけなくて、一緒に部屋を出て中庭に向かった。そこには私を待っていてくれたイズムスがいて、彼もまた葉平の様子を見て驚いた顔をしていた。
葉平は泣き腫らして目を真っ赤にしているから驚かない方がおかしいわよね。しかもいつもみたいに無邪気に笑うでもなく、手を繋いでいる私の手を固く握りしめたまま下を向いているんだもの。
イズムスがそんな葉平の前にしゃがみ込んで彼の肩に手を置いたまま、静かに声をかけた。
「ヨウヘイ? どうしたんだい?」
「……」
それでもだんまりを決め込む葉平に、私もその場にしゃがみ込んで彼の顔を覗き込む。
色々やる事があり過ぎて内心は凄く焦っていたんだけど、それを前面に出してしまうとこの子は言葉を飲み込んだままになってしまう。だから出来るだけ落ち着いた声で声をかけた。
「葉平。黙ってても分からないわ。ちゃんと何があったか教えて? そうじゃないと私もどうしたらいいか分からないし、一緒に考えられないでしょう?」
「……」
それでもだんまりを決め込む葉平に、私はイズムスと顔を見合わせて困ったようにため息を吐いた。
一回こうなると意固地になるところは、残念なことに私に似てしまったかもしれない。でも、一体どうしたら……。
そう思っていると、葉平はぽつっと呟いた。
「……して」
「え?」
あまりにも小さな声で呟くもんだからもう一度聞き返すと、葉平はようやく思っていた事の一部を口に出した。
「……どうして、勉強するのがダメなの?」
「ど、どういう事? 誰かにそう言われたの?」
葉平の言っている意味がよく分からず困惑してそう聞けば、彼はこくりと頷き返した。そしてポツポツと市場であった出来事を話してくれた。けど、やっぱり私はそれがよく分からなくて……。
勉強するのはお坊ちゃま? 平民は勉強する意味がない? それってどう言う事なの?
訳が分からなさ過ぎて戸惑いながらイズムスを見ると、彼は葉平の話す言葉が全部理解できているようで考えるように顎に手を当てていた。
「少し語弊があるようですが……」
と少し言い置いてから事の真相を話してくれた。
「話を聞く限り、おそらくエイミーはスラム街に住んでいる子なのかもしれません。スラム街はいわば貧困家庭が多く、勉学に費やすだけのお金が無いため”勉強するのはお金持ちだけ”と言う認識が強いんだと思います。スラム街に住む人たちの一部には、それを皮肉に勉強をする人を”金持ちの真似事をする者”と称してバカにする者もいると聞いています」
「そんな事……」
何でそんな風に捉えてしまうのか。
そう思うけど、でも実際スラム街に住んでいる人からしたら、そう言う風に捻くれた考えをして人を攻撃をしてしまうくらい苦しいんだと思うと、一方的に悪者扱いはできない。
「市場には一般的に学問を学べるだけの学費を出せる平民と、明日食べる事が出来るかどうかと言うスラムの平民とが入り混じって商売をしています。商売ができるスラムの人達はまだマシな方でしょう。この格差は実を言うと王宮でも問題視されている議題で、解決策に頭を悩ませている問題でもあるんです。これ以上の格差が開けば、暴動も起きかねません」
確かに何とかしないとダメな話ではあるけど、今すぐにどうこう出来る問題ではないわよね……。色々改革していかないと国としても落ちていく一方だと私も思うわ。
いや、それも凄く大事な問題だけど、今私が大事なのは葉平の問題だわ。
「葉平。あのね、勉強をする事がダメな訳じゃないのよ? ただ、家の事情がそれぞれあって、エイミーは勉強できる状況じゃないみたいなの。もしかしたら、エイミーも本当は勉強したいのかもしれないけど、したいって言えないんじゃないかしら」
「……そうなのかな」
「今の状態だとハッキリとしたことが言えないから、たぶんとしか言えないけど……」
「でも、俺が教えてあげるって言ったのに……?」
「うん。そうよね。葉平は葉平なりに考えてそう言ったのよね。それは間違ってないと私は思うわ。でも、エイミーは今は勉強できないんだと思うのよ」
私がそう言うと、葉平は「……そっか」と力なく答えた。
きっと周りの色んな人から色々言われてしまったから、間違っていない事でも間違ったと思ってしまうのはしょうがないと思う。もっと周りが理解のある人たちだったなら、ここまでこの子も気負う事も無かっただろうけど、状況が悪過ぎて誰も咎められる状態じゃないだけなのよね。
「ちなみに、葉平はエイミーがどうなったらいいと思う?」
私がそう訊ねると、彼は少し考えて真っすぐに私を見た。
「エイミーも勉強が出来ればいいと思う」
「うん、そうよね。勉強したい人が出来る環境が出来れば、きっとエイミーも葉平と一緒に勉強したいって言ってくれると思うわ。この事については王様達が今一生懸命考えてくれてるみたいだから、いつかきっといい方向に向かうはずよ」
王様たちが考えている以上、私がどうこう出来る問題じゃないからなぁ……。とにかく今は勉強って単語は伏せるべき内容でしょうね。
葉平もそれを理解したのか、いつものように大きく頷き返した。
「葉平が悲しかったり、嫌だった事はもう無い?」
「うん」
「すぐには難しいかもしれないけど、また何かあったら教えてね?」
「分かった」
「あと、エイミーにはもう来ないって怒ったことは、ちゃんと謝った方がいいと思うわ。今頃エイミーも気にしているかもしれないし」
「うん」
とりあえず、葉平の状況はひと段落と言うところかしら。
私がゆっくり立ち上がりイズムスに向き合うと、彼はすぐに理解してくれたようで頷き返した。
「聖女様ですが、今部屋で休まれているようです」
「体調が悪いとか、そう言う事ですか?」
「メイドの話では、しばらく部屋で休むから入ってこないよう指示があったようです」
「そうなんですか……」
じゃあ、今日はもう動きはないかもしれない。私が監視する必要性もなくなっちゃったわね。
その話を聞いていた葉平は、何かを思いついたように私の腕をぐいっと引っ張ってきた。
「お母さん。その聖女って言われてる女の人、さっき街で会ったよ」
「え?!」
私もイズムスも葉平の言葉に驚いて彼を見た。
街で会ったってどう言う事? だって今部屋で休んでるんじゃないの?
「人違いじゃなくて?」
「うん。前と同じ格好してた。ぶつかって謝った時チビって言われた」
……ほんっと口が悪い聖女様ね。どの子に向かってチビって言ってくれてるのよ。いや、実際まだちびっ子である事に間違いはないんだけどね。それにしたって言い方ってもんがあるでしょうよ。子供が謝ったのに大人が謝らないってどう言う事?
じゃなくて、それはそれとしてよ。街で葉平が会ったんだとしたら彼女黙って部屋から抜け出してるって事よね?
「聖女様って部屋から簡単に出られるものなんですか?」
「いえ。それは出来ないようになっています。出歩くにしても誰か供を付けなければいけません」
じゃあ、正面切って部屋から出られないとしたら考えられるのは窓から出たって事になるわよね。もしそうならそこまでしてスラム街に行かなきゃならない理由があるってことでしょ?
やっぱり、どう考えたっておかしい事だらけじゃない。
「イズムス。私たちも急ぎ後を追いましょう」
「そうですね」
「聖女様を探しに行くの? じゃあ俺も行っていい?」
まぁ当然そう来るわよね。でも、もう日も傾いてしまっているし子供が外をうろつく時間じゃない。
「もう暗いし、私もすぐに戻るから葉平は部屋にいて?」
「え~……」
「フローラさんが夕飯を届けてくれるって言っていたわよ?」
「じゃあいる」
この子、フローラさんのことが妙に気に入っちゃってるのよね。楽しいからだって。
料理長の名前を出せば大体大人しく待っていてくれるから、助かると言えば助かるんだけどね。
ともかく、私たちは急いでアユの動向を確かめなくちゃ!