せっかく慣れたのにまた移動ですか?
「私、ここで働く事にしたわ」
「あ、そうなんだ」
サンドイッチを持って部屋へ戻り、第一声に葉平にそう伝えると、彼は素っ気なくもすぐそう答えた。
何かほかに言われるかとも思ったけれど、そこは子供だからだろうか。特に心配もしていないようで、私の決断を素直に受け入れた。
「ここの事を知るのとこれからどうするかを考える時間にもなるし、お給料は出ないけど食事と部屋はあるから、いいかな?」
「いいけど、ご飯は?」
「ご飯は……聞いてみたけどなかった」
「え~……。俺一生パンしか食えないの~?」
そうか。君の基準はここでどう生きていくかより、ご飯が食べられるかどうかが問題なのか。
まぁ……彼にとって大事なのはそこなのかもしれない。大好きなものが食べられないって分かれば、当然それに固執するよね。子供だし。
「でもほら、パンも美味しいでしょ? このサンドイッチとかさ」
「美味しいよ。美味しいけどさ、固いんだよ」
不満そうなその表情が、分からないわけじゃない。
今サンドイッチを食べてみて思ったけど、確かにちょっと固い。乾燥した食パンみたいな感じって言ったらいいのかな……。口当たりも良いとは言えないし、ちょっと酸味もある。いわゆる、黒パンみたいな感じ。
いつも白くてふわふわの柔らかいパンしか食べてなかったからなぁ。耳まで白いやつとか。
ひょっとして、ここでは使ってる小麦が良くないんじゃないのかしら……。
「じゃあさ、母さんが柔らかいパンを作ったとしたら、どう?」
「うん。それなら別にいいけど……」
ご飯を諦めてもらう代わりに、柔らかいパンを作れば葉平も納得してくれるみたい。
なら、やってやろうじゃない。まずは、サーシャさんに相談だわ!
ひとまず、せっかく作ってくれたサンドイッチは全部食べて、空いた籠を持って下の階に向かうと、私は早速サーシャさん夫婦にパン作りを教えてもらう事と、新商品の提案を申し出た。
最初は二人とも私は売り手として働いてもらうつもりでいたみたい。でも、私の提案を受けて試しにやってみようという話になった。
正直言ってパン作りの知識なんて無いし、お目がねに叶う物があるのかどうかも分からないけど……。
でも、葉平に納得してもらえるようなパンを作らなきゃね!
私は早速この日から、パンの作り方を教わりつつ柔らかく焼き上げる工夫を考える作業が続いた。
*****
「出来た!」
独学で工夫を凝らして、希望に近い柔らかさのパンが出来上がったのはあれから数か月後の事だった。
小麦と水と温度と湿度。あと酵母。どれか一つでも駄目だと全然ダメだってことに気づいて、一からメモを取りながら試作を繰り返した。
ここでは小麦は最初“ふすま”部分を多く使っていて、小麦も市場に出回らないような質の悪いものばかりで作っていたのも問題だった。
近くの小麦農家さんに何度も交渉して、出来るだけ安く良い物を仕入れるのにかなり骨が折れたっけ。
酵母に至っては、実は以前レーズンを使って作ったことがあったのを覚えていて、しかもこの辺ではブドウが良く採れるって聞いたから、それを利用して作ってみたらこれが大当たりだったわけで。
湿度は、この辺りの地域は比較的一定であんまり変わらないから、管理の手間はそんなに要らないのは助かったかも。
まぁ、何だかんだあったけれど、そういう苦労の末に焼きあがったパンは、今まで売っていた物よりもずっと柔らかさのある丸パンで、試食したサーシャさん夫婦は初めて食べるかのようなその触感に感激の色を見せて、早速店で売り出してみたところ飛ぶように売れた。
それこそ、焼いて出した瞬間にはもうなくなってしまうくらい。まさかそこまでの反響が出ると思っていなかっただけに、私も驚いていた。
「フタバ、次いつ焼き上がる?」
「えぇっと……あと5分くらいでいけると思います!」
焼いても焼いてもすぐに売れて、店の売り上げはうなぎ登り。更に口コミで遠方から買いに来る人も多数になった。
元々は葉平に納得してもらうために作ったのだけど、他の人にも納得してもらえたなら良かったと取るべきかな。
同じものばかりを作っていてもつまらないからと、中に具材を詰めたパンを作ればそれもまた大盛況! 私たちの国じゃ、普通に売ってる総菜パンなんだけど、この世界じゃ物珍しいみたい。今となっては、「サザンディオ」と言うパン屋さんは知らない人がいないほど大人気の店になっていた。
葉平も、お店が人気になって忙しくなってからは、掃除なんかの手伝いをしてくれるようにもなったし、良かったかな。
そして、当初の目的通り、毎日毎日こんな生活を繰り返していた私も、いろんなお客さんと接することでいろんな知識を吸収できたし、通貨についても理解できた。
この世界の通貨は「リレイ」と言って、金貨でのやり取りのみ。日本でいうところの紙幣は無いみたい。 あと、この村も領地の一つになっているんだけど、アリスレスト王国がここら辺では一番権力を持った国だと言う。まぁ、私には関係ないところだろうから、どうでもいいけどね。
でも、そう思っていた矢先、そのアリスレスト王国からの遣いだと言う一人の男性が店を訪ねてきた。
「こちらに、フタバと言う女性はいらっしゃいますか?」
「はい、私ですけど……」
忙しい最中にそう声をかけられた私は、キョトンとした顔でその男性を見上げる。
見慣れた普段着を着ている人とは違う、きちんとした身なりの男の人。もしかして貴族か身分のある人なのかもしれないけど、そんな人が一体私に何の用があると言うのだろう。
男の人は私の顔を見た瞬間、パッと顔を輝かせて私の小麦まみれの手を握り締めて来る。
うわ、今丁度生地を捏ねてたところなのに、また手を洗わなきゃダメじゃない。
そんな事を考えていた私をよそに、男性は歓喜の声を上げる、
「あなたが! あぁ、良かった。私はアリスレスト王国の遣いで参りました、ニックと申します。この度は是非、あなた様に我が国の王様がお会いしたいとの伝令を賜ってきました」
そう言いながら懐から出してきた、丸められた手紙を両手で開いて私に見せてきた。
えっと……。私、まだこの国の字が読めないのよね……。
戸惑っていると、厨房から焼き立てのパンの乗ったバットを持って出てきたサーシャさんが驚いたようにこちらを見てきた。
「フタバ、どうしたんだい?」
「ええっと……。何か、王国の遣いの方がいらっしゃってて……」
戸惑いながらサーシャさんを見ると、ニックは爽やかな笑みを浮かべて頷いた。
「この度、国王陛下よりサザンディオのフタバ様を、王宮のお抱えパン職人にしたいとの申し出がございましたので、ご同行頂きたいと思います」
……ん? 何ですって?
良く分からず、眉間にしわを寄せて隣にいるサーシャさんを見ると、彼女も驚いた顔をしていた。
「そんな! こ、困ります! フタバはうちに無くてはならない人間で……」
「国王からのご用命です。もちろん、フタバ様を王宮にお迎えするに辺り、サザンディオにはそれに見合うだけの資金をお渡しいたします」
ちょ、ちょっと待って。何か人身売買みたいなことが起きてませんか? 本人を目の前にして。
「ちょっと待ってください。王様のご用命って言ったって、こんな人身売買みたいなやりとりどうかと……」
「王様の命令は絶対です。王宮までご同行願います」
「サーシャさん……」
困り果ててサーシャさんを見ると、彼女もひどく困惑したような顔を浮かべているが、渋々首を横に振った。
「王様から言われちゃ、あたしら平民は逆らえないよ……」
「そんな……」
そんなのってアリですか!? そう言うのってアリなんですか!?
ふと、周りを見ると、買い物に来ていた他のお客さんを見てもみんな同じ顔してる。
せっかくここの生活がなじんできたのに……。
でも、命令だって言われたら、逆らえないのが事実みたいだし……。
私はぎゅっとこぶしを握り締めて、ニックを見た。
「分かりました。その代わり、息子も連れていきますけど構いませんよね?」
「ご子息がいらっしゃるのですか? それは情報が来ておりませんでしたが……。承知いたしました」
にっこり微笑んだままのニックに、私は怪訝な表情を浮かべるしかなかった。