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悩み事が増えました

「料理長! 見て下さいこれ!」


 翌日。

 私は嬉々として昨日拾ったクルミの入った袋を抱えて厨房に出向くと、こちらを振り返ったフローラさんが私の姿を見た瞬間、訝しい顔を浮かべてズカズカと大股で近づいてきた。


「へ?」


 その気迫に私が思わず怯んでしまったのは言うまでもなく……。だって、目の前に来たフローラさんの血走った眼が凄く威圧的で怖かったんだもの。


「……ちょっとフタバ、何なのこの格好。これを見せに来たっていうの!? わざわざ??!」


 ギャ―――ッ!? 何すんの!!


「ちょっ、料理長!? やめて下さい!」


 フローラさんが物凄い敵意剥きだして突然私のスカートの端をつまんで無造作に持ち上げるものだから、その場にいたコックさん全員が一斉にこっちを振り向いたのは……見なかったことにしよう。


「何だか随分洒落っ気が出てるじゃないの!? 何があったのよ! 昨日たった一日の休みの間に!!」

「お、お給料頂いたから新しく服を新調しただけですっ!!」

「ほんとに? 何か他にあったんじゃないでしょうね!?」

「何かって何ですか!」


 わなわなと打ち震えながら劇画みたいな顔してこっちをみるもんだから、思い切りひきつった笑いを浮かべてしまう。


「……まさか、私を差し置いて男を見つけたとか……! そうだったら許さないんだから!!」


 フローラさんのその言葉に、周りのコックさん達から明らかなどよめきが生まれた。

 中には手にしていた泡だて器をボウルの中に投げおいて、オイオイと泣き出すコックさんまでいてその人を慰めるような人もいる。


 って言うか、そんな暗黙のルールみたいなのが存在してたわけ? 恐ろしいわ……。

 とりあえずこの雰囲気を何とかしなければ。


「そ、そんなことないですよ!」

「ほんとかしら? 私の背負うバラの花が霞んで見えるぐらい派手な幸せオーラが溢れてるわよ?! 言いなさい! 何があったの!!?」


 ガシィッ! と私の肩を、フローラさんの大きくてごっつい腕が掴んだかと思うと、食べられてしまうんではないかと思うほど鬼の形相で詰め寄られる。


 ど、どういう解釈したらそうなるのよ……!? 被害妄想怖い!!

 私はすかさず手にしていたクルミの袋を持ち上げる。


「私が見てほしいのは、服じゃなくてコレです!!」

「あん?」

 

 フローラさんは差し出されたその布袋の中身を確認し私を見る。


「何これ。クルミじゃない」

「そう、そうなんです! 昨日近くの森に行ったら沢山これを拾えたんですよ。これだけあれば新しいクルミパンが焼けるなぁって思って。あと、他にもたくさん食材に使えそうな場所を見つけたんです。それがワクワクしちゃってるオーラになっちゃったんだと思います!」


 フローラさんはそれでもまだ疑いの目を向けてきていたけど、嘘はついてない。

 ここにはない食材も沢山実っていたし、たぶんだけどゴボウもあったし、あれがゴボウだったらもしかしたら和食を作れるかもしれないって思ったのよ。


「……そういう事なら別にいいわ。てっきり男を見つけたのかと思った。驚かさないで頂戴!」


 いや、驚かしてきたのはあなたの方でしょうよ……。


 ドサッと持っていたクルミの袋をテーブルの上に置いたフローラさんが引いてくれて、私はほっと胸を撫でおろした。


 怖いわ……。うっかり私にいい人が出来たら、真っ先にフローラさんに殺されちゃうかも。

 予定はないけど、もしそんな事になったら隠し通せるかしら、私……。いやいや、それよりも。


「……あの、料理長」

「なぁに?」

「クルミを割る物って、何かないですか?」

「そんなもん、これを使いなさい」


 フローラさんは金槌に似たような重たい道具を貸してくれた。けど、これ、かなり重いんですけど!?

 でも、これ以外ないとなると、これで割るしかないのかしら……。


 私は試しにクルミを一つ机に置いてみる。

 でもこれ、このままハンマーぶつけるとどっかにぶっ飛んで行って危ないわよね……。かと言って固定するものもないし……。


 ひとまず身の回りに何かないか確認してみたけど、特に良い物がなくて……。

 結局そのままやってみることになった。真上から叩きつけるイメージで思いっきり振り下ろしてみた。するとやっぱり当たり所が悪かったようで、クルミは割れるどころかするんと滑って目の前のコックさんの顔面に思いっきり飛んで当たってしまった。


「ご、ごめんなさい!? だ、大丈夫ですか?!」


 横っ面に食らってしまった強烈なクルミの弾丸にコックさんは気を失ってしまったようで、隣にいた別のコックさんが慌てて支えていた。


 ど、どうしよう!? 死んでないわよね?!


 うろたえている私を見て、フローラさんが駆け足で舞い戻ってきた。


「ちょっとフタバ! 何やってるのよ!」

「ごめんなさい! で、でもこれ、やっぱりちょっと危ないと思います!」

「まったく、パンやお菓子を作らせればピカイチのくせにこういう事は疎いのねぇ。もう! 貸しなさい。私が割ってあげるから」


 仕方ないな、とばかりにフローラさんが私から金槌を受け取ると、机の上に2、3個クルミを置いて、「どりゃあ!」と、随分男らしい掛け声を上げて思い切り金槌を振り下ろした。

 ガンッと音を立てて、作業台は多少軋む音を立てたけどクルミは弾け飛ぶわけでもなく割れる。それはもう、粉々に。


「どう? これでいいかしら?」

「……あの、料理長……」


 普段の鬱憤を晴らせたと言わんばかりのドヤ顔で、額の汗を拭いながらいかにも爽やかな感じで言うフローラさんだけど……。

 気づいたら周りにいる数名のコックさんがノックダウンしてるんです……。


「あらぁ! やだぁ! もう、このクソ忙しい時に何倒れてんのよ!」


 倒れて運び出されるコックさん達を見て、フローラさんは両手を頬に当てて悲壮な声を上げた。

 よく見れば、確かにクルミは粉々に砕けているんだけど、そのうちの小さな殻の破片が弾丸の如く弾け飛んで、被害者が出てしまっていたようです……。


「冗談じゃないわ! 誰よ、こんな危ないもの用意したの!」


 いや、それあなたでしょ。……まぁ、でも、私も使ったから同罪なんだけど……。

 

 今頃救護室はざわめいているでしょうね……厨房で何が起きているのかって……。

 後で負傷したコックさんのお見舞いに行きます。ごめんなさい。って言うか、こんな物騒なものは使っちゃだめだわ。まだ被害が出てないコックさん達がビビって作業台の隅っこの方に移動してしまっているし。

 

 他に何か殻をもっと簡単に割る方法はないのかしら。この殻を割らないとクルミパンなんて作れないもの……。フローラさんが割った分はあまりに粉々過ぎて使えないし。


「あ、そうだ」


 私はふと思い出した事がある。昔お婆ちゃんの家に遊びに行った時、銀杏の実を殻付きのまま水につけておいてフライパンで乾煎りをしていたのを。

 あれと同じ要領でクルミも割れるんじゃないかしら。ここには日本にあったようなクルミ割り機なんて無いでしょうし。


 そう思った私は桶の中に水を張り、その中に持って帰ってきたクルミをザラザラと放り込んでしばし放置する事にする。


 それにしても、この量を一人で割るのは相当時間がかかるわね。とりあえず水に浸して乾煎りまでしたら、葉平にも手伝ってもらおうかしら。あとはクリームチーズを作る為にミルクを分けてもらって……。


 休み期間中だって分かってるけど、皆忙しくて私が抜けたらご飯を食べてないのを知ってるから、昼食だけは作ろうと思っていた。だから明日はクリームチーズと野菜をはさんだクルミベーグルでも作ろうかな。


 小麦粉を出して、ちらりと厨房を見ると負傷したコックさんの代わりに忙しく動き回っているフローラさんは、私に気をかけている余裕はないようだった。


 これはまぁ、自業自得と言うか、何と言うか……。




              *****


 

 クルミを水に浸して2時間。

 その間にベーグル用の生地を作っておいた。

 さて、後々の事を考えて、クルミの中身だけは今日中に出して置きたいかも。だって、凄く手間なんだもの。すぐ使えるようにしておきたいじゃない? 昨日の慣れない乗馬で葉平も疲れが残っているようだし、何なら私もそう。だから地味な作業だけどこれをしている方がいいかなって思って。


 水に漬けていたクルミを取り出して、フライパンで焦がさないように乾煎りすると、固く口を閉ざしていたクルミの殻はわずかに包丁が入るくらいの隙間が出来ているのに気づく。


 やっぱり、銀杏と同じやり方で大丈夫だったみたいね。とは言え、固い事に変わりはないんだけど。


 隙間に包丁を入れて上から軽く叩くようにするとパカッと難なく殻が割れる。クルミの殻を割りながら、余っていたミルクパンを口に加えて黙々と作業していると、ひょっこりと葉平が顔を出した。


「この時間、いつもなら静かなはずの厨房から凄い音がすると思ったら、お母さんだったんだ」

「あ、葉平。どうしたの?」

「イズムスが、お母さんは今日来ないのかって」


 思わずその名前を聞いただけでドキッとしてしまう。

 だ、だって、あんまり大きな声でその名前を言ったらここじゃマズイと思うのよ……。幸い、フローラさんは疲労困憊で早々に休憩に行ってるから構わないけど、うっかり他の人に聞かれたら……。


 だから私はキョロキョロと辺りを見回してから小さく頷き返す。


「あ、う、うん……そうね、後で行くわ」

「分かった」


 葉平はそう言うと嬉しそうにパタパタと厨房を後にした。


 はぁ~、心臓に悪いわ……。二人や三人だけの時なら構わないけれど、それ以外の人には絶対に知られちゃいけないって言うのも気を遣う。周りの目を気にしなきゃいけないって、それはそれでしんどいわ。


 そう思いながら、つい昨日の事を思い出す。

 あれは、さすがに私大人げなかったかしら……。あんなにムキになっちゃって……。彼に気を使わせてしまったわよね。


「……」


 割れたクルミの断面を見つめながら、私は浅い溜息を吐く。


 駄目ね……。冷静になって良く考えてみたら、気を使われている時点でどっちが子供なのか日の目を見るより明らかじゃない。彼にはもう一度、ちゃんと話をしないと。


 私はすっと息を吸い込んで再びクルミの殻を割る手を動かし始めた。

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