メイヴェーリ国の王女
翌日、彼女が目を覚ましたと聞いて向かった。
「容態は大丈夫なのか?」
「はい、ですが……」
言葉を詰まらせ、それ以上は目で見て確かめてくれと言われた。
命に別状がないのならいいことだが、他に問題があるというのだろうか。
「どうぞ」
昨日見かけた娘が扉の前で待機していた。確か名はシャーリンだったか。
その先へ入ると、困惑した爺さんが俺の顔を見て近寄ってきた。
「来たか……。今朝からずっとあの状態で何も言うことを聞いてくれんのだ。あれほど人に怯えているのは初めて見た」
爺さんの視線の先には、部屋の片隅でうずくまり身体を震えさせている彼女の姿があった。
確かにあの目は俺たちを見て怯えているように見える。
だいぶ汚れていた身体は綺麗になっており、泥まみれだった髪の毛はシルバー色と見違えるほどになった。
「俺の名前は千瀬秋だ。君は、なんていう名前かな……?」
極力優しい口調で話しかけてみはしたが、怯えた様子で会話ができる状態ではなさそうだ。
「君が森で倒れているのを見てここまで運んできたんだけど、何があったのか覚えているか?」
「………」
やはり今はまだ無理か。
「……小僧、これはわしの推測でしかないが、この娘もしや奴隷だったのではないか。いや、奴隷に堕ちる寸前だったのかもしれぬが」
「奴隷……?」
その言葉の意味は分かるが、知るだけで見たことも無ければ日本ではいるはずも無い。戦前のその前の時代の話だ。
「この村の先、一日ほど歩いたところにここよりずっと大きい都がある。名はメイヴェーリ、ここらじゃ一番大きい貴族国家なんだが、そこでは特に奴隷制度が活発でな。胸糞悪い話だが貴族共は皆、奴隷を保有していると聞いたことがある」
貴族、それも聞いたことがあるだけでお目にかかったことは一度もない。
「奴隷には必ず首枷がつけられておる。魔法がかかっていて保有者に逆らえない代物なんだが、この娘はそれがない。昨日の格好から見ても、奴隷にされるという時に命からがら逃げてきたのだろう。これだけ怯えているのにも納得がいく」
「爺さんは奴隷を見たことがあるのか?」
「あぁ……何十年も昔の話だ。ちと王都の方に居たからな」
引退でもして今はこの村に隠居しているのか。
「ぁ……あの、」
ようやく口を開けてくれた彼女は怯えながらもしっかりと顔を向けてくれていた。
「フィア……です」
弱々しく掠れながらも名乗ってくれた彼女。
「君は……フィアは、なぜあの森にいたんだ?」
「私は……うぅっ……」
話し始めた途端泣き出してしまった。
嫌なことを思い出させてしまったのかもしれない。
「すまん、無理に聞いてしまった。そうだよな、辛かったよな」
「わ、私は……いや……っ、なん、で……っ」
抑えていたものが一気に押し寄せて涙が止まらなくなっている。
「全部出していいんだ。もう一人じゃないんだから」
そっとフィアの肩に手を置いてやる。
小刻みに震える身体は俺よりもずっとずっと細く小さい。
彼女の事情も知らず、異世界から来たくせに"大丈夫"という安心させる言葉を出せるわけがない。
歳は俺とそう大差ないように見える。
「もう……平気です」
声に出ない泣き声がしばし続いたあと、収まりが付いたのかそんな落ち着いた声が聞こえた。
「取り乱してしまいました。それと、チセ…アキさん、私を助けていただきありがとうございます」
目元が少し赤くなっているが、改めて正面から見てみればかなりの美少女だ。身内贔屓なしに美紅も相当なものだが、なんと言うか可愛い系で学校の全男子を虜にしている美紅に対して、フィアはおっとりした大人しい雰囲気を持っている。
「何を考えていたのですか?……兄様♡」
「あっ、いや。なんでもない」
美紅がいたことを完全に忘れて魅入ってしまった。
「俺はただここに運んだだけだ。後のことはこの爺さんとシャーリンのしたことだ。それと、俺のことはアキでいい。こっちはミクだ」
「……ふん」
「そうですか。では改めまして、フィア・メイヴェーリです。私のことも変わらずフィアとお願いします」
「メイヴェーリ……?おい、爺さん」
「あ、あぁ……メイヴェーリの王女さんだ」
驚きを隠せない爺さん。それもそうだ、王族が奴隷に堕ちるなんてことが有り得るのだろうか。
フィアが着ていたボロボロの布は間違いなく奴隷が売り飛ばされる時に着用するものだと爺さんは話した。
「フィア……君は、王女であるはずの君がどうしてこんな事に……?」
「それは……」
まだ話すことに躊躇いが生じている。
王族が奴隷に堕ちるなど、普通に考えれば有り得ない話であり失態とも思える。ケースとしては敗戦国となり敵国へ奴隷として飛ばされるなどがある。
話せない事情があるのか、覚悟が無いのか。
だがもし本当に国家問題で話が大きいのであれば、何も知らずこの世界すら知らない俺たちに手を出せることでは無い。
俺の私情でミクを危険な目に遭わせたくもない。
「あの、アキさん……フィアさんを助けてあげては下さいませんか」
俺にそう言ったのは、意外にもシャーリンだった。
「……シャーリンは、元は奴隷だったんだ。主人に酷い扱いを受けていた」
「……っ」
下唇を噛み締めてグッと堪えているシャーリン。
「最後は、まぁわしがそいつを殺したんだが、保有者をなくした奴隷は再び売り戻されることもなく処分されるのが一般的なんじゃ」
「それで、どうしたんだ……?」
「……わしが無理やりシャーリンを連れて来たんだ。王都から離れたこの村まで。村長が人情のあるお人でなければ奴隷を勝手に連れ出した男を受け入れてはくれなかった。だから小僧……アキよ、その娘を助けてあげてくれんか。わしからも頼みたい」
二人して俺に頭を下げてきた。
ミクの方を見れば、目が合った。途端に逸らされそっぽを向いてしまったが、俺には分かる。
あれはミクが照れているときの反応だ。
「……分かった、助けるよ。たまたま乗りかかった船だ、最後まで成し遂げないとな」
「あ……ありがとう、ございます……」
差し出した俺の手を握り顔に近づけ、何度もお礼を言っていた。
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それから、フィアは事の経緯を細かく説明してくれた。
国王であるフィアの父親と、次期王位継承権を持つ二人の兄が何者かに殺されてしまったこと。
フィアの叔父が現国王に就いてからメイヴェーリが変わってしまったこと。
そしてフィアは寝ている隙に拉致られ、気づけば国を出て森を走る馬車に乗せられていたという。
「身の危険を感じ、必死に抵抗しましたが攻撃魔法を持ち得ない私には勝ち目などありませんでした。隙をついて馬車から逃げ出し、追いかけられていたところにとても大きなものが飛んできて……」
それはおそらく俺が吹っ飛ばした怪物のことだろう。
まさか盗賊諸共巻き込まれていたとは。
「しかし……なんと酷い有り様じゃな。国王と息子たちを殺したのはまず間違いなく現国王だろうな」
「はい、私もその事に気づいて怪しんでいたのですが、それがバレたのだと思います」
たとえ血縁があろうとも邪魔者は排除するということか。
「じゃあ、その現国王をぶっ飛ばして、メイヴェーリを取り戻すことが出来ればいいんだな」
「え……?!」
「おいおい、待て小僧。話を聞いとったか?国一つを相手にするようなものだ、無謀にも程がある。自らの腕に自信があるのは結構な事だが、そういう若造に限ってすぐ死ぬ」
「なにを兄様に向かって……おいクソジジイ、衰弱するまで二度と歩けない体にしてやろうかァ!?」
「おい話をややこしくするな」
とりあえず手がつけられなくなる前にミクを抑える。
「………大丈夫かその娘」
ヤンデレじゃないですね………