異世界の善良人
地球とは異なる世界の森は単なる緑からなるものではなかった。
植物の大きさが異次元であり、どれもが緑の葉を持ってはいなかった。
根っこを足にして歩いている木を見た時は驚愕したものだ。そのどれもが怪物であり、森を歩く俺たちを際限なく襲ってくる。
群れをなして攻撃してくる怪物は特に厄介だ。美紅だけではどうにもならず俺も戦う必要がある。
超人な力も魔法という御業も持ち得ない俺だが、怪物が迫ってきている状況では冷静を欠いてはいけない。
美紅が俺のそばを離れ、怪物を相手に戦っている。
俺に寄ってきたのは動物の形をした怪物だ。熊と猪を足して割ったような姿をしているが、驚くべきはその巨体だ。人間のサイズとは比べるまでもなく、8トントラックが縦に立ったくらいのデカさをしている。
「ガァ……グルルァ!」
唸りを上げて突撃してきた。
手足を見れば鋭い爪が目立つが、どうやら頭に生えた大層な角で攻撃してくるようだ。
この巨体を相手に通じるかどうか定かではない。
効かなければ吹っ飛ばされて瀕死、というか死ぬだろう。もうトラックに突進されるのと同じものだ。
覚悟を決めるしかない。
「スゥ……───」
地面を揺るがす勢いで迫ってくる怪物を前にし目をそっと閉じる。
この世界にも存在していた。
生物の生と死の循環から生まれる気だ。
むしろ地球よりもずっと濃く大気中を満たしている。それだけ生死の多い世界ということになる。
それらを自らのエネルギーとして体内を巡らせ、直接的に力を増幅する。
今の俺の身体は気を循環させ纏っている状態だ。
怪物の角を目前にして右拳を構え、正拳突きをした。
気の循環、そして放出。この一連の流れからなる攻撃は常人を遥かに凌駕する力を有する。
しかしそれは地球での話であり、異世界というあまりに想定外のケースでは未知数。
だがそれも小さな杞憂であった。
物理的な正拳による攻撃に加え、異常なまでの気の量からなる衝撃波によって怪物は後方に勢いよく吹っ飛んだ。生い茂る木々を削ぎ倒し続けながら、前方100メートルにも及ぶ更地ができあがった。
あまりの結果に頭の理解が未だ追いついていない。地球とは桁外れの環境、そして溢れかえるほど待機中に充満する気。
時間をかけ最大まで出力を上げたら、一体どれほどの威力を誇れるのか。
異世界において、完全にリミッターが外れてしまった。
木がなくなり一直線の更地ができあがった方角には、ほとんど原型を留めていない怪物と、そして一人の人影があった。
巻き込んでしまったのではないか、そう考え近づいてみる。
意識を失っているようで、横たわった状態で反応がない。
性別は女性、だが全身が汚れており、着ている服は簡素な布一枚で所々穴が空いていて汚い。髪の長さから判別はできるが、顔からはまるで分からない。
いかにも暴行を加えられたように、腫れ上がり血が出ている。腕や足には無惨な痣が無数につけられ、切り傷もある。
これはただの一つで片付けられる問題ではなさそうだ。
「……───!」
強烈な殺気、けれども俺に向けられたものでは無い。幾度となく馴染みのあるものだ。
「ダメだ、美紅」
「フゥ……──ッ。ウゥ……」
音速を超えた速度で背後から手を出そうした美紅を抱き抱えて静止させた。
何かを守るためなら容赦なく敵を殺す、そんな目つきで彼女を睨む美紅。その姿は獣と化しているが、この世界ではそんなものすら可愛いと思えるほどに凶暴だ。
抱きつき全身でなければ抑えられない。
「落ち着け、彼女の命が危ない。早く助けないと手遅れになる」
「兄様を……私の兄様に手を出すやつは許さない。私が全部殺してやる……ッ!」
「俺はずっと美紅と一緒だ。居なくならないし、美紅だけを想っている。お前は俺の大事な妹なんだから。だから許してくれ、な?」
まるで怯むことの無い力を必死に抑えながら美紅と顔を合わせる。
「……本当に、私だけ?私だけを見てほしいの。私は兄様のものだから、ずっと持ってて欲しい、絶対に手を離さないで……」
「あぁ、絶対離さない。約束する」
スっと美紅から力が消えて、彼女の方へと振り返る。
このまま放置する訳にも行かず、とりあえず介抱するしかない。
渋々ながら美紅に手伝ってもらって背中越しに抱えて行く。これほどの怪我を負っていればひとつの大きな街へ行かないとどうしようもない。そうでなくとも、身体を休められるベッドがある場所まで行く必要がある。
抱えながら歩く俺の横で睨みをきかせている美紅。
「……何とかやって行けるかもな、こんな世界でも」
「……?どうしたんですか兄様?」
「いや、自分の力が通用すると分かって少し安心しただけだ」
人生の中でイレギュラーな展開に巻き込まれた状況でも冷静に俯瞰することはできた。それでもやはり、全く違う世界へ放り込まれれば時間の経過とともに不安が押し寄せてくる。
「当然です!兄様の力は世界一ですから。誰よりも兄様の凄さを理解している私が言うのですから間違いないですっ!」
まるで自分の事のように胸を張り、かと思えば手をグーにして力強くそう言った。
「美紅は自分の力とか理解できるているのか?」
「魔法のことですか?何となく理解はできていますよ、この世界に存在している不思議な力としてですが。こう、イメージしてみたら使えるようになったんです」
そう言いながら手のひらに握りこぶし程度の大きさの炎を生み出して見せた。
「それはイメージすれば何でも出せるものなのか?」
「そうだと思いますが、流石にそこまで思い通りになるものでも無いとも思っています。こういった大きな力にはそれなりの代償があるのではないですか?」
「それもそうだな……」
この世界がゲームのようなファンタジー世界だとしても、ゲームであるような消費するものどったり代償がつきもの。
調子に乗れば痛い目を見ることもあるだろう。
森を抜け、人里までやってきた。目指していた街ではないにしろ、栄えたところのようだ。
人の歩く姿も、子どもが走り回っているのが見える。
「失礼、旅の者と存ずるがどのような用でいらした」
突然話しかけられ歩く足を止めた。
異民族のような格好をした中年あたりの男だ。他所からやってきた俺たちを警戒している風に見えるが、言葉遣いからは極力争いたくないというのが分かる。
「申し訳ないが、この村に医者はいるか?この怪我人を治療してもらいたい」
背負っている怪我人を見せれば、心良く案内をしてくれた。これで医者の元ではなく牢屋、という事がないと思いたい。
「この先へお進みください」
案内されたのは古い木造型の建物だった。
「ここへ寝かせなさい」
白髪に髭を生やした老男の指示のもと、彼女をゆっくり降ろしベッド寝かせた。
「これは酷い……まだ息があるのが奇跡と思えるほどだ」
「……治せるのか?」
「あぁ、問題ない。シャーリン、この娘を綺麗にしてあげなさい」
後は任せてゆっくりしていなさいと、半ば強制的に追い出された。
「宿なんかはあるか?体を休められるのなら何でもいいが」
まだいた最初の男へ尋ねてみると、笑顔で案内してくれた。優しそうな顔に内面もくっついて善良な人なのだろう。
疑ったことを謝りたい。
「ベッドと朝夜飯つきだよ」
気前のいい宿の女将にお金を渡し、部屋へと案内してもらう。疲れきった体はもうすでに限界を迎えそうだ。
飯の時間に起こしてもらうようお願いして、あとはベッドに身を任せることにした。
二人でと女将に言ったはずなのにベッドが大きいサイズのシングルベッドだったことには、もはや突っ込む気力もなかった。