殺戮の兆し
「お、お止めください……っ!」
「……」
「あっ……ぅう…っ、こわ、れてしまうぅ……!っぐ…」
泣き叫び、抗おうとするも虚しく寝台にて、ただされるがままの人間の女。
その背中には、手のひらサイズの紋様と、首には枷がつけられている。
足りない
何も面白くない。快楽愉悦嬉々とした感情何一つ得られない。
「──団長、もうすぐ時間です」
「……そうか」
処理を済ませ、寝台から降りる。
すぐさま私の元に5人の侍従が現れ、身支度を済ませていく。下着から全てのものを私が触ることは一切ない。
「こちらのものは、どうされますか」
「ん?あぁ……」
侍従長が指した先には、打ちひしがれ無惨に横たわっているものがあった。
醜く今も痙攣している様はただの使い古した道具でしかない。
無機物の道具の方がまだ使い道があったというものだ。
「要らぬ。処分しておけ」
「承知いたしました」
部屋の扉付近で構えていた副団長とともに、宮殿につながる通路を歩いていく。
ひとつふたつと歩みを進める度、纏った甲冑の節部分が擦れる音が鳴る。
曇りひとつない純金でできた甲冑は、聖騎士団長という名誉に付随したあるべき姿。
王の謁見のため呼び出されはしたが、その概要を知らされてはいない。
「いったい何用でいらっしゃるのか」
「それは僕にも分かりません。ただ、言伝をされていたマルガン様の表情からは良い知らせではないと思いますよ」
「ふむ……まさか魔界に関係することだろうか」
「そうだとしたら、ただ事ではないですね」
宮殿謁見の間にて門の前で立ち止まる。
門を守護する二人の男に目配せをし、私が来たことを知らせる。
聖国の王であられるあの御方に通ずる唯一の口であるこの門の番、二人を私は知らない。聖国の中、中枢の上位聖者である私でさえも知らない人物。
おそらくは、聖王と王妃、そしてマルガン閣下しか知らないのだろう。
門が開き、謁見の間の最上部まで伸びた赤い絨毯の先の玉座が目に入る。
聖王ミドガルド
先代の聖王が若くしてお亡くなりになり、六十四という齢で王の席へ就かれた。
私よりもずっとお若いというのに、すでに溢れ出るオーラは先代をも軽く越えられている。
歴代に名の残るであろう御方だ。
謁見の間に足を踏み入れた瞬間に感じる、聖者としての本能。
やがて王を前にして跪く。
これ程までに神に近しいオーラを出す聖者が歴代にいただろうか。神そのものを前にしているかのような重圧感さえ感じる。
聖王が言葉を発するまで、ただ頭を垂れて待つ。
「──…聖者オルグ、お前はこの世界の脅威を何と考える」
「脅威、ですか。魔界からの侵略者でしょうか」
「いや、違う」
一瞬だけ聖王のオーラが歪んだ。
「この世界の外側から来る侵略者だ」
外側、それはつまり異界ということ。それならば魔界も然り、他にも異界はさまざまある。
「最近になって人間の国で多くの異世界人を召喚していると聞く」
「何故そんなことをする必要があるのですか…?」
「力をつけるためであろう。異世界人を召喚し、国力にしようと考える者が多くいる」
異世界人といえど、それはこの世界とも変わらぬ人間ばかりだろう。だというのに有象無象を召喚し戦力にしようと考えるだろうか。
いや、もし異世界人が私の考えを上回る力を有して召喚したとしたら。
この世界の法則が他の世界に通ずる可能性は半々だ。その一方に転がれば超人的な力を得ることができるかもしれない。
「聖者オルグよ、人間の国へ赴き、異世界人の力を己の目で確認して来い。ほかの聖騎士も連れて行って構わない」
「脅威と分かれば…?」
「殺せ」
「……仰せのままに」
人間の国へ行くのは実に200年ぶりとなる。
異界から来た人間、彼らなら私を退屈から解放してくれるだろうか。
速やかに謁見の間を後にし、副団長とともに戻っていく。
「団長は異世界人が脅威だと考えているんですか?」
「まだ分からない。その為の調査だ」
「そんな事が建前であることくらい分かっています。何年団長のそばを歩いてきたと思っているんですか」
「脅威と分かってからでは遅いかもしれない。脅威になり得るのなら早めに対処しておくに越したことはない」
脅威と分かってからでは手遅れになりかねない。
「どれだけ殺すつもりなんですか?」
「半分、場合によっては全て排除する」
その中で面白い人間がいれば生かしておく事があるかもしれない。
「どうせ私よりもお前の方が殺すのだろう、コレル」
宮殿から離れ、聖騎士団の修練場へとやって来た。
「……アヴァリスとリュグールはどこに行った?今日は休日ではないだろう」
「アヴァリスは知らないですが、リュグールは昨日から人間の男で遊んでいます。……もしかしてその二人も連れて行くんですか?」
「他の連中では調査もままならない。お前も連れて行く気はないからな」
「な、何でですか!?一番まともじゃないですか僕」
コレルは俺に変わってまとめ役としてここに残ってもらう。あいつらが暴れた時に抑えられる人物がいなければここは崩壊するだろう。
「あの二人を呼んでこい」
﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊ ﹊
「あっ……ダメ、兄様……そこはっ、あぁんっ!」
日が上り始め、次第に明るくなっていく。そして、木々が生い茂る中で響き渡る少女の甘い声。
「いったいどんな夢を見てるんだこいつは……」
妹の就寝中の醜態を目の当たりにしながら、異世界で初めて見る日の出の光景を目の当たりにする。
つい昨日まで何とない日常を送っていたが、これからは非日常な体験を沢山していくことだろう。
「おはようございます兄様♡」
寝起きから変わらないテンションの美紅は、歩いている最中も一時も俺の腕を離すことなくっついている。正直鬱陶しいまであるが、これはもはや逃れようのない事象であることに気がついた。
強引に剥がすことも可能だが、ただの力のみで美紅を剥がすことはできないのだ。
まるで鉄の剛棒で腕を巻かれているかのようにピクリとも動かない。
おまけに魔法という力も手に入れた美紅は、森の中を歩いている際に出現してくる怪物を、俺にくっついた状態でノールックで消し炭にしていた。
どういった原理で行っているのかまるで分からないが、ただ言えるのは俺と真逆の存在であるということだろうか。
不適合者の烙印を押された俺に対して、並外れたパワーと異能力を手にした美紅は言わばこの世の完全適合者となる。
美紅に守られてばかりいてはただの出来の悪い兄の完成だ。
この世界に通用する力を身につけなければいけない。
「それで兄様、私たちはいったいどこへ向かっているのですか?」
「この森を抜けた先に街が見えたから、そこへ行こうと考えている。まずは食料と寝床を確保しないと、ろくな生活を送れないからな」
この世界に来てから何も食べていないし、湿った土の地面に地べたで寝ている現状は継続困難だ。
美紅が倒した怪物を食料にできないかと言ったが、赤い血を流さない得体の知れないものは食べる気にはなれない。
「私は今のままでも満足ですよ。一日お風呂に入らなかった兄様の身体はいつにも増して素敵な香りを漂わせています」
抱きついた俺の腕に鼻をつけていっぱいに吸っている。
素敵な香りではないが、それはつまり俺の体が臭い始めたということだ。自分では気づかないことだが、なるべく早めにシャワーを浴びたい。
「美紅、お前水の魔法も出てたよな。それでシャワーも浴びれるんじゃないか?」
「………バレてしまいました」
美紅の嘘がバレ、丸一日分の汗を流すことができた。石鹸などはないが、それでも水を浴びられるだけでも幸せに感じる。
決して慢心というわけではないが、風呂場においては美紅が俺に接近してくることは今の一度もなかった。