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「いたたたたたたた!!! 痛ぃっっっ!!!」
目が覚めたから痛むのか、痛むから目が覚めたのか。
縛られている腕や足、それに袖口や首元や胸がギューーッと締めあげられていて、特に首元や胸の苦しさは呼吸をしようとしても空気が吸えない程です。起床直後の思考がまだ上手く回らない状態で襲ったきた痛みと苦しみに、訳が解らなくてパニックを起こしそうです。
「どうしたっ!!」
その声と同時にテントの入口の布をバッと上げて入ってきたのはアンディさんでしたが、私の姿を見た途端に全身を硬直させたかと思ったら、回れ右をしてそのままテントの外に出て行ってしまいました。
「ど、どうしてっ、助け……て、痛いんです」
ヒューヒューと喉がなるほどの苦しい呼吸の合間に一生懸命訴えますが、アンディさんは戻ってきてくれません。ただアンディさんが出て行った途端にテントの外が騒々しくなり、少し経ってからウィルさんが入ってきました。
「全くアンディは何なんだ。おい、大じょ……ぶ……じゃないな。
っていうか、どうしてそうなってるんだ……」
何故か顔を真っ赤にしたウィルさんが、そっぽをむいてしまいます。
「ウィ……ルさ、苦し……の、痛いの、助けて」
必死に現状を伝えると漸く私が切羽詰まっている事に気づいてくれたようで、慌ててウィルさんは私を縛っていた縄を解いてくれました。ですがそれだけでは苦しさや痛みの全てが楽になりません。喉や身体のあちこちに何かが巻き付いているのです。
「これ、これが……いやなのっ!」
そう言いながらも喉元をひっかくようにして巻き付いている何かを外そうとするのですが、首にギッチリと食い込んでいて引き離すことができません。
「ちょ、待ってろ。暴れるな、危ないから!」
ウィルさんは腰に下げていた剣の鞘に仕込んである極小サイズのナイフを取り出すと私を押さえつけるようにして固定します。そうしてから喉元にそのナイフを慎重にあてるとビリッと何かが裂ける音がしました。その途端に肺にたくさんの空気が入ってきてクラリと眩暈がします。まだ胸のあたりが締め付けられていて苦しくはあるのですが、首が絞めつけられていて呼吸すらままならないという状況は脱せました。
そうやって私が深呼吸している間に、苦しく思っている場所に的確にウィルさんがナイフで切れ込みを入れてくれたようで、体中の痛みが少し楽になりました。
「ありがとうございます。どうにか落ち着きました」
とウィルさんにお礼を言うと同時に、頭の上からウィルさんが身につけいたマントがバサリと被せられました。
「いいかっ! 俺が良いって言うまでそのマントから出るな!!」
真っ暗な視界の向うからそんな声が聞こえてきて、ドタバタという足音と共にウィルさんが外に出て行った気配がします。いったいアンディさんもウィルさんもどうしたというのでしょうか?
不思議には思いますが、とりあえずウィルさんの言いつけ通りマントの中で大人しくしていると、
「おい、まだちゃんとマントをかぶっているよな?」
と外から確認され、それに「はい、かぶったままですよ」と返事をすると、ようやくウィルさんが中に入ってきた気配がしました。
「ここに着替え置いておくから、とりあえずこれを着てくれ。
頼むから、絶対に、絶っっっ対にそのまま外に出てくるなよ!」
何だか必死に念押しされましたが、マントを頭からかぶったまま外に出るなんてことはしたくないので了承の旨を伝えると、ウィルさんは溜息をついてから再び外へと出ていきました。
(本当にどうしたんでしょう?
でも着替えといっても彼らの服は私には大きいでしょうし、
連日着る事になっても今のワンピースのままの方が……)
と、もぞもぞとマントから顔を出しました。そして目に入る見慣れない足。
(足? 誰の足??)
恐る恐るつんつんと突っついてみると、自分にその感覚が返ってきます。
「え……?」
思考が追いつかず、肩にかけたままのマントの中をそぉーっと覗いてみたところ、そこにはワンピースの縫い目が盛大に裂けていて下着が見えてしまっている自分の身体が見えます。その下着も一部ではあるものの裂けて肌色が見え…………
は? 肌色……???
「ど、ど、どうしてぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
思わずそう叫んでしまった私でした。
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恐らく4人の中で一番体格が華奢なエルさんの物だと思われる服に着替えおわりましたが、当然ながら私には大きすぎました。なのでだぼだぼの服の袖口やズボンの裾を折り返して、何とか動きの邪魔にならないようにします。
そして流石に下着は無かったので、自分が着ていたワンピースを裂いて、長いモノで胸を押さえるように覆い、短めのものを腰の左右で結んでショーツとしました。即席の下着の着心地は決して良いものではありませんが、無いよりは遥かにマシです。そうやって身支度はなんとか整えたものの、恥ずかしさの余り頭から湯気がシューシューと湧き上がっているように感じるほどで、テントの外に出る勇気がどうしても出ません。
一連の作業をしつつも何度も手を握ったり開いたり、或は頬をつねったりしてみたのですが、私の手足は年相応に近い物になっています。夢に見る事すら出来なかった姿です。
私は寝ている間も魔晶石に魔力を常に送り続けていたのですが、その魔力回路に不具合が生じて滞ったり細くなったりしてしまったのかもしれません。さすがに1日で魔力回路が切れてしまうような事は無いはずですし、魔導士長もそう簡単には切れないと言っていたので切れてはいないと思うのですが……。ただ確実な事は魔力が流出する量よりも体内に留まる量の方が多くなり、少しずつではありますが体内魔力量が回復しつつある……という事です。
その結果、私は本来の年齢に近しい身長になり、ハイネックのワンピースは私の首を、袖口は手首を締め上げました。昨晩ウィルさんが痛くないように縛ってくれた縄は、身体に痕が残るレベルで食い込んでいましたし、更には肌着も私を縊り殺さんばかりに締め上げる枷となってしまい身体のあちこちが今でも痛みます。頭身が変わるだけならそこまで大きくサイズは変わらなかったのかもしれませんが、どうやら頭身というより身体のサイズ自体が大きく変化しているようで、身長も目算で20センチ以上は伸びているように思います。ただ相変わらず肌も髪もカサカサのパサパサで、むしろ酷くなってすらいるような……。
そして、精神的ダメージもありました。
昨晩、胸の下あたりで腕を組んだ状態で縛られて寝ていました。その状態で身体が大きくなった結果、自分の腕に胸を乗せるように……まるで胸を寄せて上げたような状態になってしまったのです。
なのでアンディさんがテントに入っていた時、私は彼に自分の胸をバーンと見せつけているかのようなポーズになっていた訳です。勿論破れていたとはいえ、ワンピースの布が胸をしっかりと隠してくれていたので、丸見えではなかったのですが、それでも……それでも、ちょっと言葉に出来ない程の恥ずかしさです。
もう本当に、誰か私に自決用の短剣をください。
恥ずかしすぎてテントから出られませんし、出たくありません。
そうやってウジウジとしていたら、
「おい、大丈夫か? 男物の服は着方が解らないか?」
と外から心配そうにウィルさんが声をかけてきました。どうやらそろそろ覚悟の決め時のようです。
「大丈夫です。少し手間取りましたが、着替え終わりました」
と今まさに着替え終わったかのように装うと、重い腰を上げてテントから出る事にしました。ですがテントの外に出て揃えて脱いだ靴をはこうとした時に、ある問題が発生したのです。
(どう考えてもサイズが合わないわ……)
7歳児ぐらいの体格だった私の靴は、今の私にとってはとても小さく。仕方ないので裸足のまま外へ出る事にしました。
「……リア……だよね?」
出てきた私を目ざとく見つけたギルさんが、首を傾げつつ確認してきました。そんな彼の横に昨日と同じように並びますが、昨日とは明らかに視線の高さが違う事が解ります。
「はい、リアです」
私がコルネリアである事は間違いありませんが、どうしてこうなったかと問われたら返答に困ります。
「靴はどうした?」
続いてアンディさんが声をかけてきたので、
「小さすぎて、はけなかったので……」
と相手の顔を見て返事をしたところ、アンディさんの顔が急に真っ赤になったかと思ったら顔を背けられました。その反応にこちらも顔が一気に熱を持ってしまい、慌てて視線を逸らします。アンディさんも私も何も悪い事をしていないのですが、なんとも気まずいです。
「リア、とりあえず座ってくれ。
そして、どうしてこうなったのか説明してもらいたいんだが?」
ウィルさんが自分の向かい側、焚火を挟んだ反対にある腰を掛けるのにちょうど良い石を指さしながら言いました。そのウィルさんの後ろではエルさんが私を睨むようにして立っています、ギルさんとアンディさんはといえば、私に続いて移動して石の上に座った私の両脇に腰を下ろしました。
さて、ここで問題です。
説明しろと言われて、何を説明すれば良いのやら……。
すべて現状から推察される「かもしれない」という憶測ばかりで、確定的な事柄はほとんどありません。
もう一つ問題となるのが言語の問題です。彼らは隣国……とはいっても魔境を挟むのでかなり遠い隣国アスティオス皇国の言語を使っています。そして私は母国であるモディストス王国の言葉を使っています。この二つの言語は良く似ていて、多少の違いはあっても意思疎通が可能な程度には似ています。ですが微妙なニュアンスの違いが当然ながら存在し、それが軋轢となる事も過去にはありました。
なので当然言葉はしっかりと選ぶ必要があるのですが、その選ぶ時間や逡巡する様子が、エルさんには不審極まりなく映る事でしょう。なんだか八方塞がりな気がして溜息をついてしまいたくなります。
「説明したいのはやまやまなのですが、
確定的な情報も証拠も持ち合わせていないのです。
私自身も戸惑っておりますし……」
ゆっくりと言葉を選びながら話す私に
「つまり確定的でない情報ならあるという事ですか?
それとも私達に説明する事ができない、後ろめたい事でも?」
と、ウィルさんの後ろからエルさんが圧をかけてきます。エルさんが私を不審に思う気持ちも解るのですが、私からすれば貴方たちだって十分に不審者ですよ!と言ってやりたい気持ちになります。
ウィルさんは自分の背後に立つエルさんをペチッと軽く手の甲で叩いてから、改めて私の顔をじっと見詰めてきました。
「昨晩、俺がした誓言は覚えているか?
俺はリア、君の嫌がる事はしないし、ましてや傷つけるようなこともしない。
だから君が今、何を思っているのかだけでも話してくれないか?」
昨晩に比べて改まった口調のウィルさんが、真剣な顔つきで私に問いかけます。誓いを立ててくださったからという事もあるのでしょうが、不思議とウィルさんには信頼しても良いのだと思わせる雰囲気があります。こうなったら女は度胸とばかりに覚悟を決めるしかありません。
「あくまでも状況から推察しただけで、確定的な情報ではない……。
その事はどうかお含みおきください。
それと……色々と皆さんにも思うところはあるでしょうが、
誓言をしてくださったウィルさんにだけ話す事は可能でしょうか?」
そう前置きをして4人の男性を順に見詰めます。エルさんが反対する事は解り切っていますが、残り2人がどう思うか……。
「最終的には兄さんの判断に任せるけれど、
僕としてはあまり危険な事はやめてほしいかな。
リアが何かするとは思わないけれど、ここは魔境だしね」
そうですね、ギルさんの言い分も理解できます。魔境の奥深くで単独行動なんて自殺行為ですし、止めたくなるのも無理ありません。アンディさんもギルさんと同じ意見のようで、
「出来れば単独行動は止めてほしい。
それがどうしても無理だというのなら、
直ぐに駆け付けられる程度離れるだけというのなら……ギリギリ許容範囲か」
と、苦渋に満ちた顔でギリギリという妥協案を出してくれました。2人とも駄目だとは言いつつも最終的な判断はウィルさんに任せたり妥協案を提示してくれます。エルさんですら、ものすっごく……そりゃぁもうっ!これ以上は無いって程に渋い顔をしていますが、最終的にはウィルさんの判断に任せたあたり、本当に彼らは良い信頼関係を築けているんでしょうね。
そんな彼らがとても……えぇ、とても羨ましくて仕方がありません。
私にもあの国でそんな関係を築けた人が一人でもいたのなら……。
そんなことを思いながら、ウィルさんと2人で少しだけ離れた場所へと移動しました。この距離なら余程大声で話さない限り、ギルさんたちに聞こえる事は無いはずです。
「俺だけに話したい事って??」
目の前にいるウィルさんは穏やかな表情なのに、背後から突き刺さる鋭い視線に背中に冷や汗が伝います。何とも居心地が悪いですが、それでもいきなり大勢の人に事情を話す勇気は出せません。話しかけようとしては口をつぐみ、悩んで、深呼吸して、また話しかけようとしては口をつぐむ。それを何度か繰り返すのですが、その間もウィルさんは苛立つ様子を全く見せずに待ち続けてくれています。
「信じてもらえるかどうか……」
少し自嘲気味にそう呟いた声を、ウィルさんはちゃんと聞いていたようで
「それは聞いてみなくちゃ解らないなぁ?
そりゃぁ自分がアスティオス神の化身だとか言われたら疑いたくもなるが、
そうだとしても君の話を聞くぐらいの度量はあるつもりだぜ?」
と返されてしまいました。その朗らかに笑うウィルさんを前に、自分がいかに卑屈なのかを思い知らされます。それと同時に私は何時から「どうせ話したって聞いてもらえない」とはなから諦める癖がついてしまったのか……。
たしかに両親は私の話しを聞いてくれませんし、話し相手となるような友人も今まで居ませんでした。それは魔力喪失者扱いになる前からの事で、あの意地汚い両親の娘だという事で敬遠され続けてきました。運よく子供同士が仲が良くなったとしても、相手の親が「あの家の者と付き合ってはいけません」と注意する為にすぐに疎遠になってしまいましたし……。我が家より家格が下の家の人は流石に表立って私を避けるような真似はしませんでしたが、裏に回れば悪口をこれでもかと言っていたりして……。
殿下やその側近候補の方々に至っては話すどころか姿を視界の端にすら入れたくないと言われ、王宮での教育係だったミーモス侯爵夫人には口頭で叱られるより先に教鞭で太ももなどの見えない場所を叩かれ、反論どころか弁明すら許してもらえませんでした。
私の話を聞こうという姿勢を見せてくださったのは国王陛下と魔導士長のお二人ぐらいでしたが、お二人ともとてもお忙しい御身分の方なので私のような子供の話しを聞いてほしいなんて我儘は言えませんでした。
ですが、今。私の目の前にいるウィルさんは私の話を聞くと言ってくれています。なかなか話し出さない私をもどかしく思っているでしょうに、それをおくびにも出さず穏やかに待ってくれているのです。その綺麗な夜明け色の瞳に優しさだけを浮かべて……。
コクリと小さく息を飲んでから姿勢を正して顔を上げた私は、全ての覚悟を決めて話す事にしました。
「私は……私の名前はコルネリア・ガウディウムと申します。
モディストス王国の伯爵家の娘で、昨日までは王太子殿下の婚約者でした」
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「……つまり君が王太子の婚約者になった理由は、
瘴気を退ける特殊な魔力にあると??」
「はい。ですが、それを公表する事は禁じられているのです。
万が一にもその事が漏れた場合は、命を失う覚悟をせよと言われております。
その為に両親にすら話しておりません」
「だというのに君の婚約者は
君を守るどころか謂れのない罪で魔境に追放した……と?」
「はい……」
「……君には瘴気を退けられる能力があるから、魔境に追放しても問題ない。
ジェラルド殿はそう思っているという事か?」
「いいえ、私自身にはその能力が効かないのです。
ですから…………」
一言発する度にウィルさんが大きく溜息をつきます。事実しか話していないのですが、荒唐無稽すぎて信じられないと呆れ果てているのでしょうか……。
最初は私の体型が変わった事に関する推察をお話したのですが、魔力に関する事を説明する際にどうしても結界を張る能力の事を伝えざるを得ず。出来うる限りぼやかして伝えはしたのですが、どんどんとウィルさんの声のトーンが低くなっていく事がわかります。
「王命により、決して口外してはならないとされた事でしたので、
お話する事を躊躇ってしまいました。申し訳ございません」
「いや、それは仕方がない事だ。
リア……いや、コルネリア嬢と呼んだ方が良いか?」
ハッとしたように顔を上げたウィルさんが慌てて尋ねてきました。そこで私は今一度、先ほどとは違う別の覚悟を決めなくてはなりませんでした。何故ならウィルさん、彼は……
「お好きにお呼びくださいませ。
ヴィルヘルム・アスティオラ第二皇子殿下」
そう言って礼を取る私に、ウィルさん……いいえ、ヴィルヘルム殿下は息を飲むのでした。
アスティオス皇国語が標準語で、モディストス王国語が関西弁程度の差だと思ってください。聞けば出身を察する事が出来ますし意思疎通もできますが、たまにニュアンスの違いでトラブルも起こるという感じです。