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樹海の中で夜営をするなんて命知らずな行為だと思っていたのですが、どうも樹海の全てが高濃度の瘴気に覆われている訳ではないのだそうです。魔境の瘴気にはムラがあり、濃い場所、薄い場所、溜まりやすい場所、流れやすい場所と色々なんだとか。魔導士であるエルさんはそういった瘴気に敏感で、極力瘴気が薄くて溜まり難い場所を選んで移動したり、夜営場所を決めたりしているようでした。
食事や水も少量ではありますが別けてもらい、ようやく落ち着いてきたところで、
「俺はウィル。アスティオス皇国の冒険者で見ての通り戦士だ。
ここには調査依頼を受けてきている」
と焚火にあたりながら、私のすぐ横に腰を下ろしていたウィルさんが言いました。それに対し、私は想定していたとはいえ困ってしまいました。私の生家のガウディウム家は無名の家門ですが、ジェラルド殿下と婚約した事で一応他国にも名が知られる事となりました。なのでここでガウディウムと名乗って良いのかどうか……。彼らの事を身代金を要求するような悪人と思っている訳ではないのですが、身元は隠した方が良いでしょう。
何よりガウディウム家に……いえ、あの国とはもう関わり合いになりたくないのです。過去の自分を全て無かったことにして、平民として暮らす事が一番幸せな道ではないかとすら思ってしまいます。幸いな事に私の見た目は魔力が全くない平民です。頭身が低いスタイルも、両親が私に買い与えたシンプルすぎるワンピースも貴族のものではありません。
「私は……リアです。 モディストス王国の生まれです。
ここには、その、何から話せばよいのか……」
思わずいつもの調子で「コルネリアと申します」と言いそうになって慌てて止めました。コルネリアという名前は特別珍しい名前ではありませんが、身元がばれるのを防ぐために偽名を使う事にします。といっても全く聞き覚えの無い名前にしてしまうと反応が遅くなって違和感を与えてしまうでしょうから、コルネリアの略称をそのまま名前としました。といっても両親を含めて私を略称で呼んでくれた人なんて、今まで誰も居なかったんですけどね……。
「おや、話してくれる気があるんです?
それとも今、もっともらしい理由を考え中ですか??」
そう言いながら、私の発言の僅かな違和感も逃さないとばかりに睨んでくるのはエルさんでした。この人、本当に苦手です。
いえ、解っています。私は何から何まで怪しすぎますし、ウィルさんが私に友好的すぎて、彼は心配しているのでしょう。でも、もう少し言葉を選んでくれたって良いのに……と思ったところで、
(あぁ、私に言葉を選んでくれるウィルさんの方が珍しいのよね……。
あえてきつい言葉を選ぶという意味では選んでくれる人はたくさんいたけれど)
という事に気付いて暗い気分になって俯いてしまいました。王国に居た頃から私に気遣うような言葉をかけてくださるのは、私の能力を知っている陛下と魔導士長、そしてその部下の3人ぐらいでした。その彼らにしたって私自身を労わるというよりは、結界能力の維持や研究解明に支障が出ないようにという意味合いが強かったように思います。ですが例えそんな意味合いだったとしても、陛下が優しく気遣って下さったおかげであの国でも何とか頑張ってこれたのですが……。
「エル!」
俯いた頭の上から降ってくるようなウィルさんの大きな声に、ビクッと肩を震わせて顔を上げました。すると焚火の向うでエルさんが、やれやれとでも言いたげに肩をすくめているのが見えます。
「あぁ、すまないな。アイツは心配性なだけで悪い奴じゃないんだ。
ただ魔境に居る間は性格が少々きつくなるんだよ。」
魔導士のエルさんは魔境にいると瘴気の影響を受けやすいのだそうです。その結果いつもより苛々してしまうのだとか。確かに瘴気はまず人の心に作用します。瘴気を敏感に感じ取れるという事は、それだけ影響を受けやすいという事なのかもしれません。それにウィルさんの説明によると、瘴気の影響を受けないようにする事は無理ですが、コントロールして影響を最小限に抑えることがエルさんには出来るらしいのです。
その最小限というのが仲間3人に対してはいつも通りの信頼を、それ以外には絶対の猜疑をというもので……。魔境で仲間と諍いを起こさずにパーティとして成立させるためには必要なコントロールではありますが、こうしてイレギュラーな事態が起こり他人が入り込むと今のような状態になってしまうのだとか。
「いえ、お互い様だと、そう思います。
私も……その……率直に言えば、皆さんを不審に思っていますから」
言うべきかどうか少し悩みましたが、お互い様だという事を主張したかったので率直に話してしまいました。そう前置きしてから
「正直、どこから何を話せば良いのか、自分でも整理がつかないのです。
起こった事実だけを順に言えば、やってもいない罪を捏造され、殴られ、
追及され、意識を失い、気が付いたら飛竜が運ぶ籠の中でした。
その籠のロープが切れて樹海に落ち、気が付いたら皆さんがいました。
……こんな感じなのですが……」
つらつらと思い返しつつ簡潔に説明していたら、いきなりガシッと両肩をウィルさんに捕まれました。
「ちょっと待て、じゃぁ頬が腫れ上がっていたのは落下時のモノじゃなくて
誰かに……あんなに腫れ上がる程に殴られたって事か?」
……あんなに腫れ上がる??
きょとんとして首を傾げる私に、ウィルさんの向う側からギルと呼ばれていた神官が声をかけてきました。
「兄さんってば、そんな説明じゃ意味が解らないよ。
あのね、君は身体のあちこちに擦り傷や打撲の痕がたくさんあってね、
その中でも特に酷かったのが左頬と右肩で、かなり腫れ上がっていたんだ。
流石に見ていられない程の傷だったから、僕が治したんだよ」
そう小さい子に説明するようにゆっくりと話してくれるギルさんに、ウィルさんと同じような優しさを感じます。流石は兄弟という感じです。
「あ、ありがとうございます」
どうやら彼の言う事は確かなようで、全身を駆け巡る呻き声を上げたくなるような痛みが今は全くありません。籠の中で横になっていた時はまだズキズキと痛み続けていたので、彼が治してくれていなかったら今でも激痛に襲われていたはずです。
「いえいえ。猛き男神の教えに、力は弱きものを助ける為にあるとあるからね。
僕はそれに従っただけだから、気にしないで。
あっ、僕の名前はギル。猛き男神に仕える神官戦士で、ウィルの弟だよ」
自分を指さしながらにこやかに自己紹介してくれるギルさんに続いて、私の左隣に座っていた熊のような大柄な戦士も
「俺はアンディ。戦士だ」
とこれ以上はない程簡潔に自己紹介してくれました。そうなると残りは……
「はぁ……。私はエル、魔導士。コレで良い?」
大きなため息をついてから、仕方がないとばかりに投げやりな自己紹介をするエルさんに内心苦笑してしまいます。15歳でデビューした社交界も、学校と同じで私に辛辣に当たる人ばかりでした。魔力至上主義と声高に宣言こそはしないものの、モディストス王国にはそういった気質が貴族だけでなく平民にまで色濃くあります。なので魔力の無い平民は「仕方がない」と常に何かを諦めていますし、貴族は自分たちが神に選ばれたのだと尊大に振舞います。そんなモディストス王国における魔力喪失者の扱いなんて、平民よりも低い扱いの事すらあります。私が貴族籍を持ち続ける事ができたのも、ひとえに国王陛下の意向によるものです。そうでなければあの親の事ですから、とうの昔に捨てられていたと思います。
それに対し、エルさんは私の見た目や魔力量を理由に辛辣な態度を取っている訳ではありません。なのでモディストス王国の人々に比べれば、エルさんの辛辣さはマシだと思ってしまいます。まぁ、苦手な事に変わりはありませんが。
「とりあえず、見張り番は俺達が順にするから
子供はさっさと寝ておけ。そっちのテントを使って良いから」
「そうだね。回復魔法で打撲や怪我は治したけれど、
消耗した体力までは回復できないから、早く休んだ方が良いよ」
そう二つ並んだテントの片方を指さしたウィルさんに続き、ギルさんも寝るように進めてきました。ありがたい事に私にもテントを使わせてくれるらしいです。魔境で野宿をする覚悟はしていましたが、当然恐怖も感じていました。なので本当に助かります。心からのお礼を言って頭を下げたのですが、やはりというかエルさんは不本意なようでした。そんな彼の姿を見て覚悟を決めた私は
「あの、私の腕を縛ってもらえませんか?」
そう言って私は両腕をウィルさんに向かって突き出しました。彼らが私を信用できないのは当然で、睡眠という無防備になる時に信用できない人が傍にいては身体も心も休まりません。なので私の手を再び縛れば少しは安心してもらえるんじゃないかという、私なりに考えた最善の方法でした。
「な、何を言っているんだ。大丈夫だから休め」
いきなり縛れなんて言われたウィルさんは目を丸くして驚き、その向こうに居るギルさんも驚いて表情が固まってしまっていました。
「その方が皆さんも少しは気が休まるんじゃないでしょうか……。
そのかわり、私はウィルさんを信用しますから、守ってくださいね。
だって痛い事も嫌な事もしないと仰ったでしょ?」
そう言ってウィルさんの顔を見上げます。そうして見上げた彼の瞳が夜明けの東の空のような不思議なグラデーションをしている事に気づきました。その透明感のある瞳が少し迷ったように彷徨って、私の後ろに居るアンディーさんへ、そしてエルさんへと順に向けられます。
「それが良いですね。
手足をしっかりと縛っておきましょう」
即座にそう言い切ったのはエルさんで、アンディさんはこんな小さい子供を……と少し戸惑っているようでした。ただ最終的には魔境で瘴気の影響が強く出るエルさんの精神的負担を減らすことが最善だという事になり、私を縛るという事で決着しました。
「あの、できれば後ろじゃなくて前で縛ってください。
流石に後ろだと寝づらいので……」
籠の中で横になっていた時、後ろ手で縛られていると本当に身動きが取りづらかった事を思い出してお願いしてみたところ
「あぁ、勿論だ。
痛くないようにするから、少しでも痛いようだったら言ってくれ」
と快諾されて、更には気遣ってまで貰えました。ウィルさんは最初、手首を軽く縛るだけのつもりだったようなのですが、エルさんから手印を組めないように縛るべきだと要望が入りました。
「手印って……。この子は魔力が無いのに必要ないだろう?」
一般的に魔法を使うには3つの方法があり、呪文を唱えるパターンと魔法陣を描くパターン、そして手印を組むパターンがあります。ようは手印が呪文詠唱や魔法陣の代わりになる訳です。ウィルさんは渋ってくれましたが、結局胸の下あたりで腕を組む形で縛られました。これで手印は組めませんし、魔法陣を描くこともできません。
「それでは、おやすみなさいませ」
そう言ってテントへと向かい、テントの中でウィルさんに足首も縛ってもらって横になりました。今日は本当に様々な事があり、考えなくてはならない事が山積みです。ただ、とりあえず命は助かりました。そして王太子妃、王妃となって王国の為にずっと魔力を提供し続ける未来が消えました。十中八九、陛下は捜索指示を出す
でしょうが、魔境投棄の刑に処されたと知ったら諦めてくれるはずです。
(これからは厳しい王妃教育も、煩わしい貴族の慣習も何もかも捨てて
私は私だけの為に生きていけるんだわ。
やっと全てのしがらみから解放されたのね!)
そう思うと先程までの不安感が少しだけ和らぎ、嬉しさがこみ上げてきました。何よりあのジェラルド殿下の顔をもう二度と見なくて済むのです。あの両親と一緒に暮らさなくて良いのです。あの貴族たちとも付き合う必要が無いのです。今まで私を苦しめていた大半のものと決別できるのだと気付いた途端、ホッとすると同時に眠気が一気に襲ってきて、私は深い眠りについたのでした。