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「リアッ!!!」
目を開けた途端、視界いっぱいにお兄様の顔が映りました。その綺麗なアメジストのような瞳には、うっすらと涙が浮かんでいます。
「はぁ……きつい……。
他人同士の精神を繋げるなんて無茶、もう二度としたくない」
ボトルシップの甲板に寝かされていた私のすぐ横でぐったりとしながらも愚痴っているのはファフナーです。何故か以前にファフナーの守護界の中で見た、白い角のある人間形態になっています。そんなファフナーの向うではギルさんが呼吸をするだけで精一杯という程に疲労困憊になっていました。
そして両手に伝わる温もりを不思議に思って自分の両手へと視線を移せば、私の両脇に座ったウィルさんとアンディさんが私の両手を握っていました。それも単に握っているだけでなく、決して離れないように指を絡めるようにして手を握っています。そんな2人の閉ざされていた瞼がゆっくりと開いたかと思うと、急に私の方へと顔を向けました。
「無事……戻ってきたな」
「お帰り、リア」
ウィルさんとアンディさんはそう言うと、ブハーーー!!と大きく息を吐きだしてそのまま後にひっくり返ってしまいました。2人が何か大変な事をやり遂げたという事は解りますが、同時に私に何が起こったのかが解りません。
「私は……どうしてここに……。
その……エルンストお兄様ですよね?」
私はつい先程までモディストス王国の高等学院に確かに居たのです。背骨が折れるかと思う程の痛みや呼吸ができない程に抑え込まれた苦しさ、その全てが今も身体残っていて、背中はズキズキと痛みますし呼吸も整いません。ウィルさんとアンディさんが迎えに来てくれた事も確かに覚えていますが、モディストス王国の高等学園の卒業パーティにお二人が来られる訳がなく。現実と夢と記憶と空想が全て合わさって、どこまでが自分の経験した事実なのかが解らないのです。
「あぁ、記憶が混濁しているんだね」
そう言いながらお兄様の指がそっと私の目元を拭うように動きました。その指の動きで自分が泣いていた事に気付きます。
「ゆっくりと説明してあげたいのは山々なんだけど、今は時間が惜しいんだ。
リア、動けるかい? 動けるようなら移動しながら話そう」
「えぇ、大丈夫です」
お兄様の手を借りて立ち上がった私でしたが、身体のあちこちが激痛を訴えていて思わず顔を顰めてしまいました。その様子を見ていたギルさんが、慌てて回復魔法をかけてくれます。減った体力の回復はできませんが、あんなに痛かった頬や背中の痛みが一瞬で消えてなくなり、ようやく深く呼吸ができるようになりました。私がギルさんにお礼を言っている間に、お兄様はウィルさんやアンディさんを立たせると
「急ごう、このチャンスを逃す訳にはいかない」
そう険しい顔で前を見据えて歩き始めました。
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「僕達はファフナーが悲嘆の叫喚だと言った精神攻撃を浴びてしまったんだよ。
ただ魔王の狂化に伴ってかなり悪質化していたみたいでね。
本来はその人が一番恐れているモノの幻覚を見せる事で恐慌状態にして、
精神ダメージを与えて行動不能にする技らしいんだ。
だけど今回使われた技はその人が一番忘れたいと思っている記憶を掘り起こし、
何度も繰り返し体験させる事で精神ダメージを累積させて、
心の死を招く効果があったようなんだ」
私の横を歩きながら説明してくれるギルさんに、反対側から補足が入ります。
「この世界では何と呼ぶ技なのかは知らないがな。
ただ瞬間的に察知した技が俺の知っている技と酷似していて、
その場合の効果がそうだったというだけだ。
幸いにも俺は咄嗟に魔力で精神抵抗を上げる事に成功したし、
ギルは「精神異常抵抗」のグラティアだからで影響を受けなかった」
「いや、僕も決して影響を受けない訳じゃないんだよ?
あくまでも抵抗しやすくなる恩寵で、常に無効に出来る訳じゃないんだ。
だからアレを何度も喰らえば、いつかはやられてしまうと思う」
「だから急ぐ必要があるんですね」
全員が無事に回復できたのも、ギルさんという回復の要が無事だった事が大きく。また豊富な知識を持ったファフナーがフォローに入る事で、素早い回復が可能だったからです。
「それもあるが、俺達は精神攻撃の全てを跳ね返す事に成功した。
この手の攻撃の最大のデメリットは
攻撃を受けた側が無効化や抵抗に成功すると、
ダメージが全て術者に跳ね返るという点だ。
つまり今、溟海の魔王はかなりのダメージを負っているという事になる。
魔王が回復する前に決着をつけたいと、お前の兄は考えているのさ」
それは少しでも急がないと……と思った私は、思わず歩くスピードを上げてしまいました。ところがすぐに横からギルさんが私を制止します。
「魔王の位置は解っているけれど、
途中で何と出くわすかはわからないから慎重に進まなくちゃ。
それにリアの体力を少しでも温存しておく必要もあるしね。
だから急がない、急がない」
そうですね、ギルさんの仰る通りです。歩くスピードを元に戻して反省しきりの私です。本当に私は経験が足りません。ギルさんと私は2歳しか歳が違わないのですが、冒険や戦闘の経験に差がありすぎて、こういう時の状況判断は足元にも及びません。おそらく私の横にギルさんが付きっきりで居るのも、何かしらの判断があっての事でしょう。先頭を行くアンディさんやその補助をしているお兄様、最後尾を守っているウィルさん、全員が何かしらの役目を果たしています。私の役目は体力と魔力を温存して、全力で魔王の浄化にあたる事です。それを見失わないようにしなくては……。
「……そういえば、みなさんは悲嘆の叫喚から直ぐに回復されたのですか?
あと、私はみなさんからどれくらい遅れて目覚めたのでしょう?」
今でもどこまでが夢だったのかあやふやなのですが、夢の中で私は確かにあの地獄のようだったモディストス王国高等学園の1年生の日々を欠かす事なく過ごしていました。大きな傷によって隠れていた、私自身が忘れていたような細かい、それでいながらしっかりと傷ついた事柄も再体験しました。そしてファフナーの言う通りだとすれば、私はその記憶を何度も何度も繰り返し体験していたという事になります。その場合、私は皆さんを年単位で待たせていた……なんて事は皆さんの様子から見てありえませんが、それでも数時間~数日は待たせてしまっていた可能性はあります。
「技能は血縁関係にある人に影響を及ぼす事ができるから、
まずは兄さんを回復させた後、体力の低いと思われる順に回復させたんだ。
でもなかなか君が回復しないから、仕方なくエルとアンディを
ファフナーの手を借りて回復させたんだけど、
その間にも君はどんどんと悪化していくし、
本当に血の気が引く思いをしたよ……」
「時間はリアが気を失ってからそれ程経ってはいない。
おおかた精神を蝕まれ続けた結果、
時間の感覚が解らなくなっているのだろう」
ファフナーが言った「精神を蝕まれる」という言葉にゾッとしてしまいます。
精神、つまり心を蝕まれた私はいったいどうなってしまっているのでしょう??
そんな不安が顔に出てしまっていたのか、
「安心しろ、今のところは特に問題はない。
まぁ家に帰ったら寝込む可能性が高いが、それは何時もの事だろ?」
とファフナーが苦笑しつつ言います。何だか人間形態のファフナーが横にいるのは落ち着きません。表情が解りやすいという良い点もありますが、いつものふわふわもこもこのファフナーの方に慣れているだけに、今は違和感しかありません。
「ファフナーはどうしてその姿に?」
「ん? あぁ、お前が毛玉の姿に親しみを持っている事は解っているし、
あちらの方が魔力や体力の消耗が少なくて効率が良くはあるんだが、
逆に細かい作業や魔力の微調整といった作業が致命的にできなくてな。
あの2人の精神をお前の精神を繋げるなんて緻密な作業、あの姿では無理だ。
今もこの姿を保っているのは……なんとなくだな。
それにお前も両手が空いている方が安全だろ?」
「それはそうですね」
ファフナーはふわふわ形態でも、片手で抱き上げらるほど小さくも軽くもありません。いつ何が起こるか解らない溟海の城の中では、このままの方が良いというファフナーの意見には納得しかありません。溟海の城は広く、何より暗いのです。何故か巨大なイカ型モンスターや毒々しい色をした海藻モンスターが既に倒れている所ばかりに遭遇しますが、すぐそこの暗闇にモンスターが潜んでいて襲い掛かってくる可能性は十分にあります。
ただ、その後。
そういったモンスターの死体は、魔王が居ると思われる場所に近づけば近づくほど増えていきました。
「これは……」
「恐らくですが私達と同様に魔王から精神攻撃を受け、
抵抗しきれずに絶命したのだと思います。
ファフナーの時もそうでしたが、
魔王は人間に標的を絞って攻撃している訳ではなさそうですし」
モンスターにも私のように忘れたい過去があるのでしょうか?
疑問に思った私の耳に女性の悲鳴のような絶叫が聞こえてきました。まだ遠いのですが、それでもその悲愴さに胸が痛くなるほどです。
「これ、魔王の声か?」
全員がその声に気付いたようで、ウィルさんは眉根を寄せてかなり辛そうな表情です。明らかに女性の声なので優しいウィルさんには倒し辛いのかもしれないと思ったのですが、真相はもっと切実でした。
「俺はそろそろ危ないかもしれん」
「だよね。僕もビリビリと圧を感じてきてるよ」
2人がいう「そろそろ」は、魔王の精神攻撃が再び脅威となり始めている事をさしていました。精神攻撃は一度無効化や抵抗に成功すると、一定時間の間は体内に残る敵の魔力の残滓の所為で抵抗しやすくなります。ですがその体内に残った魔力は時間の経過と共にどんどんと減っていくので、そういう意味でも時間との勝負だった訳です。
「急ごう! 布陣を変える。
先陣を俺が努めるから、エルはその補助。
ギルは少し後ろで、アンディはリアを抱えて走ってくれ」
「解かりました!」
「了解です」
「承知!!」
「はい!」
精神攻撃に対する二度目の抵抗は難易度が上がるとも下がるとも言われていて、それは攻撃者のレベルによるのだという説があります。どちらにしてもゆっくりしていて良い事はありません。アンディさんに抱えられる事を恥ずかしがっている時間があれば、その時間で少しでもアンディさんの負担にならないようにしつつ魔王に対峙する際の準備を進めるべきです。皆さんが付けている装飾品に念の為に結界と浄化の力を追加で籠めると、私は何時でもすぐに力を発揮できるように目を瞑って自分の中で魔力を回転させるのでした。
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そうして走り続けた私達はその場所に辿り着きました。
溟海の城とは呼ばれていましたが、実際にはまるで古代の神殿のような造りの最奥部。そこには大きな、でも浅い水場があり、その中央にはターコイズグリーンの長い髪を振り乱して泣き喚く人影がありました。ひと目で女性だと解る起伏に富んだ身体のラインも目を引きますが、何より頭部の両脇に髪の間から見えるのは魚のヒレのような突起物です。ここまで人に近い姿を持ちながら、決定的に人ではない特徴を持つ。それは今、横にいるファフナーと同じでした。
「ひぃぃぃぃいああああああーーー!!!!!」
先程までは精神攻撃だった波動が、今は耳を劈く物理的な波動となって襲ってきます。そしてその声を直接聞いて、ハッと気付いた事がありました。
「この声、夢の中で私に死を促してきた声……。
それに今思い出したけれど、ファフナーを浄化した時に聞こえてきた声だわ」
サブタイトルって付けた方が良いのか悩みます。




