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「うっ」
意識が戻ると同時に全身を襲う痛みが酷く、その痛みのあまり吐き気すらします。同時にバサッバサッという何かが羽ばたく音が聞こえてくるのですが、目隠しをされているようで状況が良く分かりません。しかもご丁寧に両手両足共に拘束されていて身動きが取れず、また口も猿轡で封じられていて呪文の詠唱が出来ないようになっています。私は(自分以外に)結界を張る事はできますが、逆に四属性魔法は一切使えません。ジェラルド殿下はそれを知っているはずなのに随分な念の入れようです。
仕方なく駄目元で床に顔をこすりつけるようにして、視界を塞ぐ何かをずらそうとしてみます。殿下に叩かれた方の頬は痛すぎて擦れないので、反対の頬をこすりつけているのですが頬が固い床に擦れてヒリヒリと痛みます。それでも何度も挑戦しているうちにようやく右目の視界が開けました。
(やっぱり……)
心のどこかで予想はしていましたが、外れてほしいと思っていました……。
私は直径1クラフターほどの大きな籠の中で横になっていて、その籠を飛竜4体がぶら下げて飛んでいました。
モディストス王国には重罪人に科す刑罰の一つに、王国の東に広がる樹海へ追放するというものがあります。飛竜に籠を運ばせて樹海の奥深くに捨ててくるのですが、飛竜と籠を繋ぐロープはわざと脆く作られていて飛竜が飛ぶ際に生じる風を受け続けているうちに切れてしまうようにできています。
運が良ければ落下時に即死できますが、運が悪ければ生き残ってしまいます。
そう、この樹海では生き残る方が不運なのです。瘴気に満ち溢れ、強大凶悪な魔物が闊歩し、大地は呪いがかかっているのか食料どころか飲み水すら入手が難しい樹海では、生きながらにして地獄が味わえる地だと伝え聞いた事があります。じわじわと自分の心身が変質していき、最終的に死に至る訳ですから。
(私、樹海追放を科せられるような罪を犯した覚えは無いのに……。
じっとしていよう。少しでもロープが切れないように……)
飛竜は決められたルートを飛んで、最終的には王都へと戻るように訓練されているといいます。ならば出来るだけ王都に近い場所でロープが切れるようにすれば、九死に一生を得るかもしれません。幸いにも私の身体は小さく体重も軽いのです。暴れさえしなければ、もしかしたらそのまま王都にだって戻れるかもしれません。
(それにしても……)
とジェラルド殿下が巻き起こした一連の騒動を思い返します。
王国で私の能力を知っている人はとても少なく、両親ですら詳しくは知りません。両親は私が珍しい属性を持たない魔力持ちなうえに魔力量がとても多く、それを王宮で陛下の指示に従って大量消費しているという認識です。大きくは違いませんが結界という特殊能力の事は知りません。知っている人は国王陛下、そして一緒に私の魔力の研究をした魔導研究所長兼王宮魔導士長と、その腹心の部下3名。そしてジェラルド殿下です。そうジェラルド殿下は知っているはずなのです、私が結界を張って殿下や王国を守っているという事を。
(殿下は何を考えているのかしら??
……あの殿下の事だから、何も考えてないのかもしれないけれど)
ジェラルド殿下は耳障りの良い言葉だけを聞きたがるところがありました。王宮で教育係だった方が何度も苦言を呈しておられたのですが、何時の間にかその姿を見なくなりました。あの方、もしかして地方に左遷でもされたのでしょうか……。
そうやって恐怖心を紛らわせるために色んな事を考えつつ、少しでもロープへの負担が減るように籠の中でじっとしていたのですが、フッと自分の頭上で火の魔力が発動した気配に顔を上げました。飛竜には鞍がつけられているのですが、その鞍から延びる鎖と籠から延びるロープの連結部から火の魔力を感じます。直後、その連結部分からブスブスと煙が上がり始め、ロープが燃え始めている事に気付きました。
恐らく飛行時間や距離等で条件付けして、どれだけロープが切れないようにじっとしていても最終的には確実に切れるように作られていたのでしょう。
(イヤ!)
慌てて落下に備えます。発動してしまった火の魔力を抑え込むなんて事が出来るのなら良かったのですが、そんな事が可能なのかどうか解りません。そもそも今の私には魔力は使えませんし、何より手も足も口も自由が利かない以上、出来る事は本当に限られているのです。
(……死にたくない!
でもどうせ死ぬのなら痛くなく、苦しくなく、熱くなく、冷たくもなく。
えと、あとあと怖いのも嫌だし……)
とパニックになったところで、ガクンッと籠が大きく傾きました。
恐怖のあまり、見たくもないのに勝手に視線がそちらを向いてしまいます。そんな私の視界に焦げて切れたロープの先端が力なく落ちていく様子が映りました。そして1本が切れると残りの三本も立て続けに切れていきます。そのロープが切れる僅かな時差の所為で籠は上下さかさまになるようにひっくり返り、私は籠の外へと放り出されてしまいました。
「ひっ!! んん-ーーーーーーっっっ!!!!」
猿轡をされていなければ、樹海中に響き渡る絶叫になっていたかもしれません。片目で見る世界は空の瑠璃色と樹海の深緑色だけで、その片方がどんどん遠ざかり、もう片方がどんどんと近づいてきます。
(怖い怖い怖い怖い怖い!!!!)
いっそ気を失ってしまいたい。そしてその間に死にたいとすら思いますが、意外と頑強な私の精神はしっかりと保たれたままです。
もう駄目、そう思ったの時。
迫りくる深緑の壁から木の葉や小枝を巻き込みつつ竜巻のような風が湧き上がったかと思うと、うねるように私の方へと向かってきました。その風の渦が私の身体を包むと、竜巻の根元に向かって身体がググッと引っ張られて行きます。その際に木の葉や小枝がバシバシと身体に当たって痛い事この上ないのですが、それ以上に私の注意を引いたのは、竜巻の根元に居た人の姿でした。竜巻によってぽっかりと開いた木々の合間から見えたのは体格の良い人間……恐らく男性4人で、こちらをジッと見上げていました。その姿を確認した途端、私はようやく意識を手放すことに成功したのでした。
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「兄さん、この子……やっぱり何かおかしい」
フッと意識が浮上した時、最初に聞こえてきた言葉は隣国アスティオス皇国の言葉でした。王太子妃としての教育を受けていた際に、近隣国の言葉を覚えなくてはならなかったのですが、思わぬところで役に立ちました。
「おかしいと言えば、何もかもがおかしいさ。
樹海の上を飛竜が編隊を組んで飛んでいるだけでもおかしいが、
その飛竜が籠をぶら下げていて、その籠の中に拘束された子供が一人。
おかしくないところを教えてほしいくらだ」
ごもっとも……と返事をしたいところですが、相手の素性が解らないので出来るだけ寝たふりをして情報を集める事にします。
「ウィル。念の為、籠の中を確認してきたんだが……。
奇妙な事にその子供以外、人も荷も何も乗せていなかったようだ」
ガサガサと下草を踏みしめながら此方へと歩いてきた金属鎧を着た男性は、ウィルという人にそう報告しました。
「荷も無い? いったいどうなってる。
エル、何か気付いた事は?」
「そうだねぇ……。あの飛竜は明らかに訓練を受けていたように思う。
そして樹海の向うのモディストス王国には、重い罪を犯した者を
樹海に追放するという刑罰があるって聞いた事があるんだよね。
だから、この子供が重犯罪者ならば説明はつくかなぁ……」
エルという人の言葉を聞きつつ、こっそりと目を開けて周囲を確認することにしました。どうやら私は厚手の布の上に横にされていて、目隠しと猿轡は外してもらえたようですが、両手両足は相変わらず縛られたままでした。素性どころか、本当に人間なのかすら怪しいこの状況では仕方がない事だと思います。
話し合っている4人の男性は冒険者でしょうか?
一人はウィルと呼ばれていたとても濃い藍色……そうまるで夜空のような髪色をした男性で、装備品や体格からして軽戦士のようです。
そのウィルを兄と呼ぶ、同じく濃い藍色の髪をした男性。こちらはアミュレットを首から下げているので、神官か神官戦士といったところでしょうか。お兄さんに似ていますが、比べると全体的に細身です。
そして籠の中を確認してきた男性は、栗色の髪をした金属鎧の戦士。4人の中でも特に身体が大きくて、その髪色からして熊のようです。
最後は小さな棒をクルクルと回しながら、思案気に説明を続けるローズブロンドのエルと呼ばれた男性。こちらは魔導士でしょうね。恐らく私を助けてくれた竜巻を作ったのは、この人なのだと思います。
4人の男性はだいたい20代前半といった年齢で、流石に距離があるので目の色までは解りません。そして好みはあるでしょうが全員整った顔立ちをして、4人とも素晴らしいスタイルをしています。つまり全員が高い魔力を持っているという事です。
「この子供が重犯罪者?
絶対に無いとは言えないだろうが、こんな子供に何が出来るというのだ」
「僕もアンディに賛成です。
それにおかしいのはこの状況もですが、何よりこの子自身です。
エルは解っていますよね?」
どうやら籠を見に行っていた男性はアンディという名のようです。4人のやりとりを見ていて思うのは、どうやら悪い人ではなさそうだという事。これが野盗の類だったら、私は今頃再び目隠しと猿轡をされて、彼らは奴隷商に売りつける値段の相談でもしている事でしょう。
ただ、悪い人ではないという評価が、イコールで信頼できるという評価に繋がるとは限りません。特に私の場合、魔力量や結界能力の事がありますし、ここが樹海だという事もあります。
「まぁねぇ。ギルの言う通り、この子は明らかに魔力の流れがおかしいよ。
魔力を常にどこかに垂れ流しているし、それを隠蔽しているようにも見える」
「魔力って……見た感じ、平民の子供で魔力無しに見えるが?」
4人の視線が一斉にこちらを向いたので、慌てて目を閉じて気絶続行中のふりをします。どうやら弟の神官さんはギルという名前のようです。4人全員の名前が解ったところで、
「君、さっきから起きてるよね?
どうして此処に落ちてきたのか、君の口から説明してほしいんだけど」
と私に言いながらこちらに歩いてくるのはエルと呼ばれた魔導士でした。理由は解りませんが、私が目覚めていた事がバレてしまっていたようです。エルという人がそう言った途端、他の3人もこちらを睨みつけました。その視線はまるで剣で突き刺されたのかと思う程にとても鋭く、慌てて目を開けて周囲を見回して逃走ルートを探しますが、こちらを睨みつける4人の男性の視線が怖くて仕方がありません。
助けて貰った恩はありますが、樹海の中に居るという時点で彼らも真っ当じゃない可能性が高いのです。この樹海は人が入り込むには瘴気が濃く、魔物も強大です。そんな場所に危険を冒してまで入り込むなんて、正気でないか訳アリです。
(逃げなきゃ!)
と一瞬で恐怖に包まれるのですが、逃げたくても足を縛られていては逃げられません。近づいてくる足音に、ドクンドクンと心臓が痛い程に鼓動を打ち、冷や汗が止まりません。
「エル! 止まれ。
……おい、今から俺がそっちに行く。
猛き男神に誓って何も痛い事はしねぇし、嫌な事もしねぇ」
そう言ったのはウィルと呼ばれていた男性でした。一度目を瞑ってフゥーと大きく息を吐くと、先程までの鋭い視線や気配はなくなりました。そうしてから自分の腰に下げていた剣を横に居たギルという人に渡してから、此方に向かって歩き出しました。
「ウィル、気を付けてくださいよ」
「あぁ、解ってる」
途中で私を睨んだままのエルさんと短く言葉を交わすと、更に私の方へと向かってきます。歩くことができない私は、それでも何とか遠ざかりたくて藻掻いてどうにかして座ると、立ち上がる事もできないまま後退りました。
「大丈夫だ。何もしねぇと男神に誓っただろ?」
ウィルさんはそう言うとぎこちなく笑いました。少し引きつった不器用な笑い方でしたが、不快感は感じません。モディストスでは綺麗な笑顔に不快感をたっぷりまぶした笑い方を散々見てきましたが、彼の笑みからは逆に此方を気遣う優しさまで感じます。
それに言葉から察するに、4人はアスティオス皇国の人のようです。かの国では猛き男神を信仰していて、その男神へ誓いは絶対に違えてはならない至上の誓いとする文化があると習いました。その宣誓を信じれば、彼は私が嫌がる事も痛がる事も絶対にしないという事になります。
とうとう手を伸ばせば私に届くところまできたウィルさんは、視線を合わせるようにゆっくりと屈むと、そーっと慎重に手を伸ばしてきました。そして私の頭の上にそっと手を乗たのですが、その瞬間私は思わず首をすくめてしまいます。
「すまん、怖がらせて悪かったな。
こんな樹海の奥深くに人が居る……っていうか、
降ってくるなんて思いもしなくてな。警戒してしまった」
そう言ってウィルさんは私の頭を撫で続けます。更にはどう反応すれば良いのか迷っている私を見て、そっと抱きしめると背中をポンポンと優しく叩いてきました。それは小さな子供をあやすときにする行為で、彼が私を小さな子供だと思っている事の証でした。
「今から手や足の縄を解くが、逃げたり暴れたりしないでくれよ?
Aランク程度の魔物なら俺達でもどうにかなるが
Sランクの魔物が騒ぎを聞きつけてやってきたら俺達では無理だし、
子供一人で樹海を逃げても危険なだけだぞ??」
小さい子供に言い聞かすように説明するウィルさんに、解りましたと答えようとしたのですが喉がカラカラで掠れた声しかでず、仕方なくコクリと小さく頷いて返事をしました。
こうして私はようやく手足の拘束を解いてもらえ、更にはウィルさんから水を貰って人心地つくことができました。緊張というか警戒は相変わらず解けませんが、少なくともこのウィルという人は信頼しても良いのかもしれないと思い始めています。それぐらいアスティオスにおける男神への宣誓は強力なものですし、彼の言動も他の三人に比べて信頼できると思います。
と言っても、他の三人が信頼に値しないと思っている訳ではありません。私が彼らを警戒するように、彼らから見れば私は警戒して当然の対象でしょうから。
「とりあえず、暗くなる前に夜営の準備をしよう」
そう言って立ち上がったウィルさんに続くように私も立ち上がり、お互いがお互いを警戒しながらも夜営の準備を始めたのでした。