無変換キー? 何それ、美味しいの?
「やっちまったよなー、順番がちげぇーんだよ。昨夜手を出す気はなかったってぇ〜の」
オレはベッドの上、ふとんから腰まで這い出し、窓からの日差しを睨んだ。二日酔いの残る頭がズキズキする。
アイツ、藍花は職場の後輩だ。だというのに、金曜日恒例の居酒屋に行き、夕食がてら数杯ひっかけ、相談があるというから静かなカラオケへ行って、飲みながら歌って、おい、何を歌ったかも憶えてねぇ。
相談って何だったんだよ?
アイツが思ったより泣き上戸で、酔い潰れるからウザくって、じゃない、可愛すぎて、「お持ち帰りOKか?」って冗談めかしたら頷くもんだから、理性がぶちっと……。
ビジネスホテルに置いてくるつもりが、いや、置いては来たんだが、いつもはしっかりしてるくせに「せんぱぁ〜い、そろそろみばれしてくださぁ〜い」ってしな垂れかかるから、上着を脱がせてベッドに寝かせて、ってしてたら、つい、ほら、な?
え? 身バレしてって言ったのか?
「いい女だった……」
口に出してしまって足先から髪の毛までどっと赤面した。そして直後に同じスピードで、逆方向に真っ青になった。
「やっちまった……」
告白も何もしてないうちに、あんなに先輩として信頼してくれてたのに、何か真面目な相談があったんだろう? それなのにオレは……。
『送り狼』ってカッコ悪すぎ。いい男は理性利かせて節操をもって、騎士道精神にのっとりストイックに……。
いや、アイツが悪い。可愛すぎんのが悪いんだ。それしかないだろ……。
ホテルの払いは済ませてきたから、フロントからチェックアウトの電話が入って起き出したくらいか? それとももう家に着いたか。
身体、大丈夫だろうか……。
藍花が恋人ならいいのに。想い通じ合ってのことなら、こんな後ろめたさなんて欠片もなくて、もしかしたらまだ隣で、恥ずかし気に笑っていてくれたかもしれないのに。
ふと、『後朝』という言葉が頭に湧いた。
外見はガサツなオレでも内面はウェットで、想いを定期的に言葉にして吐き出さないと辛くなる。
あれは高校の『土佐日記』の授業だった、和歌の名人が女のフリで日記を書いたと習い、真似をしてみた。
いざ書き出すと短歌形式、五七五七七は言いたいことを言えるけど感情に走り過ぎない、オレにとってちょうどいい長さ。
その後ずうっと日記代わりに一日最低一首、詠んできたことになる。
今の会社には、そんなオレに好都合の文芸部がある。
社長の趣味で始められたそうだが、社のサイトにリンクして文芸コーナーがあり、小説、短歌、俳句、川柳などをペンネームで上げることができる。
会社の文化程度の高さを広く知らしめイメージアップに繋がると言われているが、それはどうだか。守秘義務は遵守ってんだから害毒にもならないんだろう。
部とは名ばかりで社員なら誰でも参加できるし、川柳ともなれば普段の業務の鬱屈を笑いとして吐き出す格好の媒体になって大盛況だ。
年に一度、部活動として親睦旅行があるから、それだけ参加する社員もいるし、いつも投稿してるくせに隠している者もいる。
そんな呑気な会社だ。まあ余裕のあるいいところだな。やることやってれば文句は言われない。
やることやっちまったのは、オレか……。
臆病なオレは3つのペンネームを使い分けている。親睦会に行って盛り上がっても、3つ目、短歌用の名前は絶対明かさない。
大抵短歌が先に思い浮かび、それを笑いを取るほうに縮めれば川柳、趣深く抑えれば俳句。
短歌はオレの一番男らしくない部分から浮かんでくる。だからペンネームは女性名。紀貫之に倣って女のフリをしているのだ、同僚たちに知られるわけにいかない。
アイツもよく短歌を投稿する。ペンネームのほうは去年の秋の旅行で自分から名乗っていた。
女のフリのオレは、短歌の世界ではアイツの歌友。
クリスマス直後にしてきたアイツのイニシャルのネックレスに絡めて、
「胸元に光るRのペンダント 生誕祭の背の君の影」
「彼氏いるみたいねー」と歌いかけたら「兄貴からよー」と歌で返ってきた。
「私もクリプレは家族からだけだった」と歌って以来、何やかやと話している。
今この後朝に、想いの丈をぶつける歌をアップする勇気はない。
昨晩、どれほど愛しかったか、どれほど嬉しかったか、泣くほど想い溢れたか。
早朝我に返って、寝顔を見ていられず怖くなって逃げ帰ってきてしまった。
藍花は酔っていて流されたんだろうか。付け込まれたと思っているんだろうか。
「言の葉に優しい想いも詰めたくて友に文出す答え無くとも」
短歌の友人になら何が起こったのか、語ってくれるだろうか? 同性だと思っているなら、本音を吐いてくれるかもしれない。
何も言ってくれないとしてもオレは黙っていてはいけないのだろう?
躰だけ先走ってしまったけれど、言葉でこれからゆっくり、この気持ちを伝えさせてくれないか?
返歌がなくても、ひとつずつ恋歌を詠んでいくつもり。今は同性の友達だとしか思ってないだろうけれど。
スマホが見当たらなかったので、横たわったままずりずりとPCを引き寄せ投稿し、再度ふとんを被った。
―◇―
目が覚めたら夕焼けになっていた。慌てて洗濯機をかけその合間にコンビニに行くことにした。
極度の空腹を感じたのだが料理をする気になれない。独り暮らしの土曜日なんて、まあこんなものだ。
歩き慣れた道をぶらぶらしながら考えた。やっと少し頭が冷静になってきたから。
ーー連絡を入れて謝りに行こう。それが男だろ。
月曜日、社で顔を合わせるまで知らんぷりというわけにもいくまい。それまで良心の呵責を抱えての生殺しも辛い。
藍花が怒っているなり悲しんでいるなり、オレを恨んでいるとしたらなおさらだ。殴られにいかなくては。それだけのことをしでかしたのだから。
先輩の立場を利用して付け入ったのだとしたら、責任取って退職もあり得るし、OK出してないと言われれば犯罪だ。
弁当を食べて洗濯物を屋内に干し、身だしなみを整えてから家を出た。自宅は知らないが最寄り駅はわかる。地下鉄で二駅しか離れていない。
改札を出たところで「話がしたい。○○駅にいる」とラインで送り、電話をかけたがコール音が虚しく鳴るばかり。
一度切って肩で息を吐いた。
わかってはいたものの全面無視は辛い。罵ってくれたらどれだけ気が楽だろう。
「オレの立ち位置を、教えてくれよ、藍花……」
図らずも涙しそうになって慌ててスマホに目を落とした。
「それだけ、傷つけたってことか……」
社の文芸ページにアクセスしてみた。藍花のペンネーム、『インディゴブルー』を探す。
定休日の土曜に、自分以外にも20首も新着があるのに驚いた。
「事の端に優しい思いも冷たくて 共に踏み出す答え 泣く友」
「はぁ? 何だ、これ……」
スマホを取り落とすかと思った。これが答え?
オレの朝の短歌に対する藍花の答えなのか?
――ことの端、始まりには優しかった思いも冷たくなって、一緒に踏み出して得られた答えは「泣く友」。
オレの短歌を思い起こすと、一音も違っていない。全て同じ音。
わざわざこう読み替えたのか?
――最初は優しかったくせに冷たくなって、一緒に先に進んだと思ったらお友達として泣かせるの?
意訳したら、こうか?
待てよ、オレはいったいどう詠んだんだっけ?
サイトを遡って前ページ、7つ前にオレの歌がある。
「うそだろ!?」
「ことのはにやさしいおもいもつめたくてともにふみだすこたえなくとも」
全部ひらがなになっていた。
「ぐわーっ!」
心の中で叫んでいた。声に出さなかったオレ、偉い。
地下鉄駅の入り口付近じゃ全くの不審者だ。
きっと無変換キーにでも触れてたんだろう。すぐさまオリジナルの漢字表記を当て再度投稿した。
そしてラインに、
「ひらがなじゃない。身バレするから、共に踏み出したと思うなら電話に出てくれ」
と打った。
祈りながら再度通話を押した。着拒か? それとも?
何回か鳴ったところで呼び出し音がふっと途切れた。
「藍花……?」
沈黙。
「藍花、好きだから、大好きだからっ!」
通りすがりの人が振り返った。
またの沈黙の後聞こえたのは、「ヤリ逃げ、サイテイ……」。
「すまん、悪かった、動転したんだ、本当に、藍花の魅力に、負けた……」
「歌の宛先はおともだち、なんでしょ? ただの歌友……」
反論しなくちゃと目を泳がせたら、数メートル先にスマホを耳に当てた、ジーンズ姿の想い人が立っていた。
「恋歌はこれからいくらでも、藍花のためだけに詠むから!」
スマホを下ろして本人に宣言したら、オレの腕の中に愛しい髪の香りが飛び込んできた。
オレは藍花の細い腰を抱きしめ、低い肩に顔を埋めて、必死に涙を隠した。
―了―