第1話 家族主義経営
(1)
M県M市、霧雨山脈の麓にある小さな工場
古い木造の事務所にある応接室
ダークスーツに巨体を包んだ野津隼人は
落ち着いた様子でソファーに座っている。
先ほどから盛んに外でウグイスが鳴いている。
のどかなものだ。
窓の外に目をやった。
陽光の下、広がる田園地帯
雀が舞い集い、野良仕事の煙が見える。
野津は緩んでしまいそうな気を引き締めた。
トントン
ドアをノックする音がした。
顔を覗かせたのは、作業服に身を包んだ白髪短髪の痩せた老人だ。
といっても、実年齢は野津より5歳上なだけ
この老け込みかたは病気されたせいか…
株式会社森田食品社長・森田清盛は一礼するとしんどそうに野津の向かいのソファーに座った。
続いて小太りの中年女性が入ってきた。
一見大人しそうに見えるが、つり上がった目許に微かに気の強さが覗く。
清盛の妻で取締役管理本部長・時子である。
田舎の小さな工場に似合わぬシャネルのスーツのいでたちで
野津を一瞥すると夫の隣のソファーに静かに座った。
(2)
「私はこの会社はまだまだ伸びると思っているんです。」
清盛が弱々しい口調で言った。
「裸一貫で立ち上げて、年商を7年で2億円代に乗せて10年。3億円の壁が突破できんのです。」
森田食品はソースメーカーである。品質が良いと評判で創業以来業務用中心に売上を伸ばしてきた。取引先には大手スーパーも多く、黒字経営で徐々に工場も大きくしている。
品質保持のため、あえて生産量を押さえ売上を伸ばさない選択肢もあるが、そうでないのに何故売上が伸びないのだろう。野津は森田食品のソースにつき事前にリサーチしていた。経験上、このグレードで3億円突破出来ないのは不思議だ。そのとき、壁に貼ってある社訓が目に入った。
会社の発展は従業員の発展
従業員の物心両面の幸福を目指します。
「ああ、これですか。私の尊敬する大社長の受け売りです。」
野津は立ち上がって社訓を指でなぞった。
「良い社訓です。正面からこれを掲げる会社は少ない。」
清盛は照れた顔をした。
「家族主義経営、日本独自の善き理想を追い求めてやってきたんですが…。」
野津は清盛の顔を見ながらソファーに座った。
「理想を実現しようとする姿勢が大事です。そういう社長の下にいる従業員は幸せですよ。」
言い替えればWinWin
それは野津が追い求めてきた会社の姿でもある。
(3)
「もう限界です。大きい病気をして私は気力が持たない。」
力なく清盛が呟いた。
「だから野津さん、あなたに来てもらいたいんだ。3年私をフォローしてわが社の事を知りながら会社を成長させ、社長を引き継いでほしい。」
野津は経験上、この手の話を簡単に信用しない。
「お子さんたちがいるじゃないですか。」
清盛には20歳代の娘と息子がいる。
清盛は頭を弱々しく横に振った。
「娘は美容師していて会社経営などする気がない。息子は隣県の会社に勤めていて会社を継ぐ気がない。やる気が無い子供に継がせても従業員に迷惑だ。一時は売却も含め悩んだ挙げ句、思いきって第三者にやらせようと考えたんです。」
立派な考えだ。字句どおりなら…
42歳まで国税調査官だった野津は疑り深い。
「しかし、お二人が心血注がれた会社や商品でしょう。他人に任せられますか?」
清盛の目の奥に微かに動揺が走った。
「…確かに、そういう面はあるかもしれませんね。」
やはり本音はそうか…うかつに信じると手痛い目に遇いかねない。
「私は前職で後継者教育もしていたので、まずはお子さんたちに会わせてください。徐々に教育などしながら次期経営者に育てていく。私はそのフォローする。そういうことで行きませんか?」
時子の顔に分かりやすく喜色が浮かんだ。
清盛もほっとした様子だ。
「それでお願いいたします。」
面談が終わって外へ出ると、天は今にも泣き出しそうにどんよりしていた。まるでこの後の展開を示唆するように…