094.アルマとジアルマ
ジアちゃん。
彼女の事はずっとそう呼んでいた。
デュアル族の村にいた頃、私は、同族からひどいいじめに遭っていた。
デュアル族なのに、人格を一つしか持たず、デュアル族なのに、職業適性の低い自分。
その上、男でありながら、女の子のような性格の私が、同族からつまはじきに遭うのは当然と言えば当然だった。
家の外に出れば、なにかしらの因縁を吹っ掛けられて、いつも泥まみれになって帰ってきた。
身寄りがおらず、幼いながら一人で暮らしていた私は、家に帰ると、いつも一人で床に座って泣いていた。
ある時だった。
『泣くんじゃねぇよ。てめぇ、男だろ』
「えっ……」
頭の中に声が響いた。
言葉は粗雑だけど、少し甲高い女の子の声。
『まったく、あんまりにも情けねぇから、思わず声をかけちまったぜ……』
「えっ……えっ……あなた……は?」
『俺様か……? あー、そうだな……"ジア"……ってことにしとこうか』
「ジア……ちゃん?」
『おい、ちゃん付けはやめろ』
それから、私に初めての話し相手ができた。
私の日常は少しだけ変わった。
子供たちからいじめられ、大人たちからはつまはじきにされ、疎まれる。
それは変わらない。
それでも、家に帰れば、"ジア"と話せる。
姿形は見えない。私の頭の中だけのおしゃべり相手。
いつしか、"ジア"は私にとって、なくてはならない存在になっていた。
「なんだかね。最近みんなあんまり私を殴らなくなったんだ」
『そうか。まあ、俺様が"しめてる"からな』
「しめてる?」
ってなんだろう。
とにかく、ジアが、私のために何かしてくれてるのはなんとなくわかった。
ただ、殴られなくなった分、関われることもなくなったことに正直寂しさを感じてもいたのだけど、ジアがいるおかげで、私はその寂しさも紛らわせることができた。
ある時、何気ない会話の中で、私はジアに聞いた。
「ねえ、ジアちゃんって、家族っているの?」
『……お前』
「えっ……?」
『だから、お前が唯一の家族だよ』
「私が……家族……?」
ということはつまり、ジアちゃんて。
「私の妹?」
『なんで、そこで妹になんだよ! 俺様はお前の姉ちゃんだよ!』
「嬉しい!! 私、ずっと妹が欲しかったんだ!!」
『いや、聞けよ!! 姉だからな、姉!!』
私の頭の中に住んでいるということは、つまり私の姉妹ということ。
なんで、そのことに気が付かなかったのだろう。
ジアを妹として、認識した私は、ますますジアに依存するようになった。
村の仕事にもほとんど顔を出すことはなくなり、ずっと家に引きこもって過ごした。
『今日も家を出ないつもりか?』
「うん」
外に出ても、何もいいことなんてないし。
『たまには陽の光を浴びねぇと、身体に悪ぃぞ』
「優しいんだね、ジアちゃんは」
『か、勘違いすんじゃねぇ! おめえに元気でいてもらわねぇと、俺様も困んだよ!』
「家族だから?」
『ち、違うからな!!』
素直じゃないけど、ジアはとっても優しい。
「やっぱり外に出るより、私はずっとジアちゃんとお話してたいよ」
『お前……』
ずっとずっとつらかった。
殴られることよりも、泥をかけられることよりも、陰口を言われることよりも。
何よりも独りでいることが、とてもとても辛かった。
涙が流れた。
『お、おい! な、泣くなよ!!』
「う、うん……ごめん……ね。お姉ちゃんなのに……」
妹に心配かけちゃいけない。
私は涙を拭うと、笑顔を見せた。
「ほら、大丈夫……だよ」
『どこが大丈夫なんだか……』
「えへへ、お姉ちゃんだからね」
きっとよほどひどい顔をしてたんだろう。
でも、ジアは、そんな姉をいつも受け止めてくれた。
家を出ない日が続いてどれくらい経った時だろうか。
窓から見える景色に、流れる枯れ葉が混じり出した頃、私の家を一人の女の人が訪ねてきた。
「ど、どなたでしょうか……?」
「君がアルマか」
それはキリリとした表情をしたとても美人のお姉さんだった。
プレートアーマーを身に着け、背中には大剣を背負っている。
その姿は、どこかで見た記憶があった。
「私は、この度、西冒険者組合の代表になったミナレスだ」
「あ、族長の……」
そうだ。族長の娘さん。
西冒険者組合の代表は世襲制だと聞いたことがある。
随分若いけど、この人が、代表を引き継いだのか。
「え、えっと……私、何かしてしまったでしょうか……」
仕事をずっとサボっていたのを咎められるのだろうか。
そう思って、恐る恐る尋ねたが、ミナレスと名乗った女性は、そんな私に笑顔を向けた。
「いや、君を雇いにきた」
「えっ、雇う……?」
「ああ、君の噂は聞いてる。なんでも単一人格なのだとか」
「あっ……」
私の存在は村の中でも異例中の異例。噂はいくらでも広がる。
「まあ、君がどういう存在であるかは正直どうでもいいんだ。ただ、いろいろ思うところがあってね。どうせなら、うちで小間使いとして働かないか? ちょうど神域の聖塔の資料整理担当を務めていた者が辞めることになってね。人手が欲しいんだ」
小間使いとはいえ、組合の仕事と言えば、かなり安定した職種といってもいい。
応募だってそれなりにあるだろう。
「な、何で私なんですか……?」
「実は君の仕事ぶりを見ていたことがある」
「えっ……?」
思い出すようにミナレスさんは天を仰ぐ。
「今年の春先の事だ。私はずっと冒険者として諸国を漫遊していたのだが、組合代表の話が出て、一度実家に帰ってきていてね。そこで見たのさ。誰が見ているでもなく、村のために早朝から水汲みや、草を刈る君の姿をね」
「そ、それは……」
デュアル族の村の子ども達のうち、半分以上は冒険者になるため幼い頃から訓練を受ける。
だから、生活のための村の仕事をこなすのは、基本的に才能がない子どもや冒険者ではない村の大人達になる。
職業適性の低い上に、身寄りのない私は当然、冒険者の訓練などに参加できるわけもなく、毎日ただひたすら水汲みや草刈り、畑仕事の手伝い等に従事していた。
みんなが輝かしい未来のために、汗を流して訓練しているその横で。
「誰が見ているわけでもない。褒められるわけでもない。それでも、一生懸命に、やるべきことをひたすらにやる。一見当たり前のようだが、それこそが一番難しいと私は思う。それができる君を、私は欲しい」
そう言って、手を差し出すミナレスさん。
だけど、私は、すぐにはその手を取れなかった。
やがて、ミナレスさんはその手をおさめる。
「いきなりで悪かったね。考える時間も必要だろう。明日、また来る。それまでに返事を考えていて欲しい」
「………………はい」
最後に少しだけ微笑むと、ミナレスさんはゆっくりと扉を閉め、去っていった。
『やったじゃねぇか。街に住めるぞ』
「う、うん……」
組合の小間使いをするということは、街に住むということ。
街にはデュアル族以外の人種の人もたくさんいるという。
そこでなら、こんな出来損ないの私でも、受け入れてくれる人たちがいるかもしれない。
『どうした。浮かねぇ顔じゃねぇか』
「あ、あのね……私、このままで……いい」
『はぁ?』
あからさまに理解できないといったジアの声。
『お前なぁ。こんなチャンス二度とねぇかもしれねぇぞ』
「うん……でも、もしね……もしも、そこに行ってもダメだったらと思ったら……」
怖かった。
村でダメでも、それは環境のせいだって言い訳できる。
でも、もし、街でもいじめられたら、他の種族の人たちからも嫌われてしまったら。
それは私自身がダメだっていうことを改めて突き付けられることになる。
新しい生活への期待よりも、私にはその可能性の方が恐ろしかった。
それに……。
「私にはジアちゃんがいるから」
『はぁ?』
「ジアちゃんがいるから、このまま家に閉じこもって、ずっとお話してる」
『・・・・』
「どうしたの、ジアちゃん……?」
『俺様はそんなつもりで……お前に声をかけたんじゃねぇ』
「えっ……?」
それきりジアは、口を聞いてくれなくなった。
「そうか、やはり希望は聞いてもらえぬか」
「はい……私には、とても……」
翌日やってきたミナレスさんに、私は断りの返事をした。
「強要をするつもりない。ただ、私が君を欲しいという気持ちは変わらない。君の役職はしばらく空けておく。もし、気が変わったら、いつでも訪ねてきて欲しい」
そう言って、一枚の封書を私に手渡す。
ミナレスさんはマントを翻し、颯爽と不思議な鳥に乗ると、去っていった。
渡された封書をただただ眺める。
うん、やっぱり私には……。
『なんで断ったんだよ』
封書を引きちぎろうとしたその時だった。
いくらこちらから話しかけても、ずっと答えてくれなかった妹の声が聞こえた。
「ジアちゃん……!!」
『嬉しそうに名前を呼ぶんじゃねぇよ。くそっ、このままフェードアウトするつもりだったのによ……』
「ねえ、ジアちゃん! ジアちゃん! おしゃべりしようよ! 1日お返事してくれなかったから、私寂しくて……」
『うるせぇよ。ちょっと落ち着けや』
嫌われてしまったかと思った妹が、再び話しかけてくれたという事実に、私は嬉しさで胸がいっぱいになってしまっていた。
そんな私の気持ちとは裏腹に、ほんのわずかな沈黙の後、ジアはこう切り出した。
『……なあ、お前。夢はあるか?』
「夢?」
『そうだ。将来何になりたいとか、そういうのだ』
「将来……?」
将来、大人になった頃だろうか。
今を生きることに必死で、将来自分がどんなふうになりたいかなんて、想像したこともなかった。
『その分だと、お前、将来のことなんて考えたこともねぇんだろ』
「う、うん……」
『俺様には夢がある』
「えっ、ど、どんな……?」
『俺様の夢はな……"世界で一番強くなること"だ』
「えぇ!?」
ものすごく大それた夢だ。
「ま、魔物よりも?」
『当たり前だ』
「ド、ドラゴンよりも?」
『はん、あんなもんトカゲと一緒だろ』
「も、もしかして、魔王よりも?」
『魔王か! そいつを倒せりゃ、名実ともに最強だな!』
ジアの嬉しそうな表情。
将来の事をこんなに楽しそうに話せるなんて……。
なんだか、今しか見えていない自分が、ひどく子どもに思えた。
「で、でも、ジアちゃんは私の頭の中に住んでるんだよね。どうやって強くなるの?」
『あぁ? その辺は、お前が寝てるときに……いや、なんでもねぇ、気にすんな』
はぐらかされた。
『とにかくよ。この俺様のようにお前も夢を持て! なんかあるだろ、ほら!』
「え、えぇ……夢……夢……そうだなぁ……」
未来の私を想像しても、あまり良いイメージが思い浮かばなかった。
それでも、一つ……一つだけ、やってみたいと思えることがあった。
「あ、あのね……私……」
『おう』
「いつか、冒険者になってみたい」
それは、ずっと胸に秘めていたひそかな思い。
村の仕事をしながら、ずっと周りの子どもたちが訓練するのを眺めていた。
剣を振るい、弓を射て、魔法を使う冒険者見習い達の姿。
そして、時折訪れるミナレスさんのような本物の冒険者達。
彼らを見て、私は、ずっとどこか羨ましさを感じていた。
「べ、別に、すぐなりたい、とか、ど、どうしてもなりたいとか、そんなんじゃないの!! ただ、少しだけ……なってみたいかな……って」
最後に行くにつれて、語気の弱くなる私。
でも、そんな私の小さな言葉に、ジアは黙って最後まで耳を傾けると、こう言った。
『だったら、俺様と目標は一致するじゃねぇか』
「あっ……」
ジアの目標は"世界一強くなること"。
つまり冒険者として最強になることだ。
だとすれば、私の夢と、ジアの夢は繋がる……のかな。
『だったら、街に行くのは悪いことじゃねぇだろ。冒険者として、聖塔を攻略する機会だって、いつかはあるかもしれねぇ』
「そ、そうかもしれない……けど」
『だからよ、こうしねぇか』
「えっ……」
『これから全力で、お互い夢に向かって頑張る。それまでお別れ』
「えっ、えっ……!!」
何を言ってるんだろ。
『お前は、俺様と一緒にいたら、ダメになる。そろそろ自分自身の足で歩け』
「そ、そんな!! 嫌だよ!! ジアちゃん、一緒にいてよ!!」
『甘えんなよ。駄々こねんなよ。お前は、俺様の"姉ちゃん"なんだろ』
「そ、そうだけ……ど……」
『大丈夫だ。俺様とお前はいつでも一緒だ。ピンチの時は必ず助けてやる。だから……』
とびきり明るい声で、ジアは言った。
『またな』
気が付くと、私は西冒険者組合の前に、一人立っていた。
右手にはミナレスさんから受け取った封書を握りしめて。
どうやって、ここまで来たのかは全然覚えていない。
でも、なぜか、ジアが力を貸してくれたのだと、そう思った。
一歩を踏み出せない、私のために。
「ジアちゃん……私……」
ぽっかりと心に浮かんだ空白。
ジアのいた場所。
私は、ここにたくさんのものをこれから詰めていかなくちゃいけないんだ。
「がんばる……がんばるから……また、いつか……絶対に……」
ボロボロと涙を流す私の元に、何事かとミナレスさんがやってきたのは、それからすぐの事だった。