087.本当の気持ち
イーズマの港からおよそ10kmの沖合。
活動を開始した鋼帝竜はいよいよ街の高台からも視認ができるほどの距離まで近づいてきとった。
過去数百年に渡り、何度もイーズマの都を襲ってきた鋼帝竜。
今回も、その例にもれず、一直線に港まで海を渡ってきたみたいや。
元々の島は、街からそれなりに離れていたので、このままどこかに去ってくれれば、というほんのわずかな期待もあったけど、脆くも崩れ去ったというところか。
「艶姫様、鋼帝竜が第1次迎撃ラインを超えました」
「そう……」
第1次迎撃ラインとして設定した海上には、すでに50を超える船が配備されとる。
うち10隻が軍艦、残り40隻が即席でカラクリ武器を装備した民間の漁船や。
それぞれが鋼帝竜を迎え撃つように扇状に広がり、会敵の瞬間を今か今かと待っている。
うちの一声で、いよいよ鋼帝竜の迎撃戦が開始されるのだ。
戦いが始まれば、死傷者は少なからず出るやろう。
喉が渇く。手が震える。そやけど、ここから逃げ出すという選択肢はない。
「…………迎撃開始!!」
「通達! 迎撃開始!!」
オペレーターからの指示が飛び、スピーカー越しに、船員達の勝鬨の声が上がった。
「うぉおおおおおおおおおおおっ!!」
怒りに身を任せたオレは、偽物の"オレ"と"アンシィ"を滅多打ちにした。
一撃一撃を加えるごとに、自分の中のどす黒い感情が膨らんでいく。
なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで!!!
何に対して、「なんで」と思っているのか、自分でもわからない。
ただ、掻きむしるような苛立ちだけがオレの心を支配していた。
「死ねぇええ!!」
『アンシィ!!』
『うん!!』
オレがとどめのばかりに銀のスコップを振り上げた一瞬の隙。
そのタイミングで、嵐帝の加護を発動させた奴らは、オレの攻撃範囲から離脱してみせる。
大ぶりの一撃が空しく地面へと刺さった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
力任せに銀のスコップを抜く。
目の前には、ボロボロになりながらも、闘志を失っていない瞳でオレを見つめる"オレ"の姿。
あー、いらいらする。
「殺す……」
悠然と銀のスコップを肩に担ぎ、オレは"オレ"に向かって、一歩一歩歩き出す。
だが、その瞬間、突然足元の地面が崩れた。
「くっ……!?」
これは……落とし穴?
いつの間に設置していた……!?
『うぉおおおおおお!!』
オレが落とし穴にはまったのを確認するや否や、"オレ"が"アンシィ"を振り上げ、跳躍する。
身動きの取れないオレに対し、上空から思いっきり"アンシィ"を振り下ろすつもりだ。
炎帝の加護の力で偽物の"アンシィ"の刃が煌々と赤熱する。
「しゃらくせぇんだよ!!」
踏ん張れない地面の底、スコップを振るうには狭い空間。
だが、強引に穴の中の地面にスコップを突き刺すと、そのまま、力任せに砂かけスキルを"オレ"に向かって発動する。
土砂の如き大量の砂が宙を舞うが、"オレ"に肉薄するや否や、風の膜にぶつかって、散り散りになる。
嵐帝の加護の風で、砂を吹き飛ばしているのだ。
「くっ……!!」
必死に砂をかけるオレをあざ笑うかのように、"オレ"の一撃が眼前に迫る。
ああ、くそ……こんな……ところで……。
諦めに目を閉じたその時──
『ぐぅっつ!?』
横から弾丸のように飛んできた何者かによって、"オレ"が壁際まで吹き飛ばされた。
「…………コルリ……?」
「大丈夫?」
間一髪のところで、オレを救ってくれた人物、それはコルリだった。
伸ばした腕を引っ張って、落とし穴からオレを引き上げてくれるコルリ。
装備していたはずの双剣は持っておらず、身一つだ。
周囲を見れば、いつの間にか、対峙していたはずの"お姉ちゃん"の姿は無くなっていた。
「試練を……超えたのか……?」
「うん」
さすがコルリだ。
オレがこうやってやられそうになっている間にも、試練を悠々とクリアしてしまったのだから。
「オレも……!」
心の中の怒りを燃やして、オレは吹き飛ばされた"オレ"をキッとにらみつける。
まだ、相手は体勢を立て直したばかり。
さっきは不覚を取ったが、今度こそ、確実に殺す。
銀のスコップの柄に力を込め、一歩進み出そうとしたその時、オレの目の前にコルリが立ちはだかった。
「どうした……どいてくれ」
「ううん」
「オレは早く、あいつをぶち殺さなきゃならないんだ。そうしないと……」
「違うよ、ディグ」
「何が違う……? 早く──」
言い終える前だった。
コルリは無造作にオレに近づくと、頭をポンポンと撫でた。
「あっ……」
「落ち着いて、ディグ」
温かい彼女の手が触れた瞬間、オレの心に巣くっていた黒い感情が掻き消えた。
いや、まだ、心の芯の部分には残っている。
でも、少なくとも、全身にまとわりついていた黒いオーラはいつの間にか霧散していた。
「瘴気が消えた。いつものディグ」
「えっ、ああ、ごめん……」
どうやら、オレは、いつの間にか周囲の瘴気に毒されていたらしい。
頭がスーッとクリアになっていく感触。ぼやけていた視界にピントが合う。
「戦うのは相手じゃないよ。自分自身の心」
「自分自身の……心」
そうだ。なぜ、試練は自分自身と戦うことなのか。
強い敵と戦うだけならば、オレの魂の記憶の中には、自分なんかより強い存在がいくらでもいる。
なぜ、そいつらではなく、自分なのか……。
クリアになった視界で、"アンシィ"を支えに立ち上がろうとしている"オレ"の姿を見る。
心の中に残った黒い感情が、再び膨らもうとする。
オレはなぜ、この偽物達を見ているとイライラするんだ……。
これは……この感情は……。
「羨ましい……のか……?」
嫉妬と羨望。
オレは、過去のオレ自身に対して、そんな感情を抱いているのか……。
つまり、オレは……オレは、アンシィと……。
『やっと気づいたみたいだな』
目の前の"オレ"が、どこか柔らかな笑みを浮かべた。
『あとは、話してみればいいんじゃないか』
話す……いったい誰と?
"オレ"が握っていた"アンシィ"を地面へと突き刺し、陽炎のように消え去った。
残ったのは、地面に突き刺さったオレの魂から再現された"アンシィ"のみ。
オレは恐る恐る"アンシィ"に近づくと、その柄を握りしめた。
ほんの2日ほどだ。それでも、その手に馴染む感覚に、懐かしさがこみ上げ、オレは深く深く目を閉じた。
やがて目を開くと、オレは真っ白い空間に立っていた。
目の前には緋色の髪を持つ、絶世の美少女。
いや、違う。
大食いで、あけっぴろげで、どこか図太くて……でも、誰よりも優しくて、頼りになる、そんなオレの相棒。
「おはよう、ディグ」
「…………もう、とっくに昼を回ってるよ」
なんとか口から絞り出した軽口。
ダメだ。胸が熱すぎて、それ以上何も言えない。
「随分、頑張ったのね」
アンシィの手がオレの頬に触れた。
わずかにズキリとした感覚、その後、仄かな温かさが頬に伝わる。
「私を助けるために、こんなにボロボロになって」
「当たり前だろ! お前は……オレのせいであんな風になったようなもんだ」
鋼帝竜に突撃し、みんなを守ってくれたアンシィ。
そんな状況を作ってしまったのは、不甲斐ないオレ自身のせいに他ならない。
「私は、あんたのせいだなんて思ってないわよ」
「でも……!!」
「あいつに突撃したのは、私自身の意思。あんたとは関係ない」
「関係ないって……なんだよ」
まるで、本当に埒外の事のように言われてしまって、なぜだかそれはそれで腹が立つ。
「お前は……オレの相棒だろ」
「そうよ」
アンシィは少しだけ怒りを含んだ表情でオレを上目遣いに見つめた。
「その相棒を傷つけたくないだか、なんだかで、戦わせなかった大馬鹿はどこの誰?」
「それは……」
オレ……だけど。
「だって、嫌だったんだよ。オレは! お前がボロボロになるの……!」
きっかけはジアルマとの戦いだった。
あの戦いの中、オレが振るう度に、ボロボロになっていくアンシィ。
その姿に、オレは自分が痛めつけられることなんかよりも、遥かに強い恐怖を感じた。
それから、オレは心の中で、無意識にアンシィを戦いに使うことに対して、強い抵抗を感じ始めた。
いざ、戦いが始まると、心がそれにブレーキをかけた。
また、アンシィが傷つくかもしれない……と。
「私は別に自分が傷つくことなんて、恐れてはいないわよ」
「わかってるよ……。お前がそんな弱い奴じゃないことだって、でも……」
「本当に……あんたは、変なところ優しいわね」
ギュッと、アンシィがオレの身体を抱きしめた。
「お、おい……」
「あんたのそういうところ"嫌いじゃないわよ"」
いつだったか、行方不明になったフローラを探しに行こうとするオレに対して、アンシィが言ったセリフ。
「でもね。"好きでもないわ"。だって、私は、ただ優しいだけのあんたでいて欲しくない。もっと強いあんたでいてほしい」
「強いって……」
「もっとわがままになっていいのよ。好きなことやっていいのよ。だって、ここは"そういう世界"でしょ」
ああ、そうだ。
ここは、ネット小説を掘り漁っていたあの頃、夢にまで見た転生後の異世界だ。
何もかもが自由の世界。誰よりも強くなったり、たくさんの美少女達とハーレムを作れるかもしれない世界。
でも、それを望んでいたのはオレであって、アンシィではない。
「お前はそれでいいのか? アンシィは、オレのせいでたまたまこっちの世界に来ちまっただけだろう? 自分の意思で来たわけじゃない」
「うん、でも……アタシ、今では良かったと思ってる」
「えっ……?」
「だって」
一瞬だけ後ろを向いたアンシィは、心から弾む声でこう言った。
「"楽しかった"から」
「あっ……」
振り返ったアンシィの笑顔、その笑みは、これまでの冒険の中で、何度も目にしてきた心からの彼女の"楽しい"の表現だった。
「おいしいものいっぱい食べたり。フローラやシトリン、アルマとおしゃべりしたり。時には恐ろしい魔物と戦ったり。まあ、たま~に熱くなりすぎて、自分の本来の用途を忘れてしまうこともあったけど」
「でも……」
「うん、しんどいことだってあったわ。死にかけたこともあったり、痛い目を見たこともあった。でも、それ以上に、私はディグと冒険ができて本当に楽しかったのよ」
思い出すように、目を細めるアンシィ。
「楽しいことも辛いこともみんなひっくるめて、あんたとアタシは相棒だと思ってる。楽しい時だけ一緒にいて、辛い時にあんたの傍にいられないのは、アタシは嫌」
優しいけれど、断固とした口調でアンシィは続ける。
「アタシは、これからもあんたと"冒険"がしたい。ただのスコップとしてあんたと過ごすんじゃない。"相棒"として、あんたと一緒にいたい」
「でも……でも……」
「もちろんあの学習園で、また、小学校の子どもたちと畑を作りたいって気持ちも嘘じゃないわ。でもね、それはもう少し先でもいいかな」
「ほ、本当に……本当に、いいのか……?」
「最初にも言ったでしょ」
右手を差し出し、アンシィは言う。
「あんたが魔王を倒すまで力を貸してあげる」
「う、うぅ…………!」
オレは、差し出されたアンシィの手を、泣きながら握っていた。
「もう……時間みたい」
掴んだアンシィの手が、少しずつ透き通り、その熱が失われていく。
「あとは任せたからね」
「…………ああ……!!」
オレは左手で乱暴に涙を拭うと、決意の籠もった瞳で目の前のアンシィを見つめた。
アンシィの瞳には、ボロボロのオレが映っている。
擦り切れて、土まみれで、血がにじんで、薄汚い、そんなオレ。
でも、彼女が……アンシィが信じてくれたオレ。
「絶対に……助けるから……!!」
「うん」
ほんの小さく、その言葉だけを残し、緋色の髪がまるで火の粉のように白い空間に散り、溶けた。