086.お姉ちゃん
ヒヒイロカネは、人の魂に働きかける力を持つ。
それは時に、魂からイメージを吸い上げ、具現化さえしてみせる。
理屈はわかる。聞いている。
しかし、実際にこうやって死んだお姉ちゃんと対峙した私の心には戸惑いしかなかった。
「はぁああああ!!」
お姉ちゃんの気迫のこもった剣閃が飛ぶ斬撃となって、私を襲う。
私たちの流派、アルマンディン流では、剣の速度こそが最も重視される。
剣速を極めに極めた結果、その一太刀は風となり、例え、相手が離れていたとしても、真空の刃として斬りつけることができる。
同じ流派である私にもできないことはない。しかし、当然、実際に斬りつけるのに比べ、威力は大きく落ちる。
だが、居合を得意としたお姉ちゃんのそれは、もはや実際に斬りつけるのと遜色ないほどの、圧倒的な殺傷能力を有する。
「くっ!!」
私は右手の剣でお姉ちゃんと同じく真空の刃を飛ばすが、当然弾かれる。
しかし、わずかに勢いがそがれたその鎌鼬を、身体の捻りを加えた左の剣の横薙ぎでなんとか受け流した。
進路をずらされたその斬撃は土の壁へと激突し、そこに地割れの如き、巨大な罅を作り出した。
…………強い。
お姉ちゃんが死んで8年、ひたすら剣を振るい続けてきた。
正直、すでにお姉ちゃんよりも強くなったとさえ思っていた。
だが、そんなものはただの傲りに過ぎないのだと、改めて突き付けられた思いだ。
目の前で、お姉ちゃんの姿が掻き消えた。
否、一瞬で距離を詰められたのだ。
曰く、縮地……アルマンディン流の奥義の一つ。
「うっ!?」
いつの間に納刀していたのか、低い姿勢で腰だめに構えた刀が降り抜かれる。
剣が最高速に達した一瞬の威力はすさまじい。
なら、最高速に至る前に、剣を止めるしかない。
瞬時にそう判断した私は、威力を度外視し、とにかく素早く右の剣を振るう。
お姉ちゃんの刀と私の剣が交錯し、火花が散る。
当然、鞘走りから放たれたお姉ちゃんの一撃の方が威力は上、しかし、インパクトをわずかに早めたおかげで、完全な威力にはなり切っていない。
押し込まれるその刹那、威力をわずかにそがれたその一瞬に、左の剣を絶妙なタイミングで合わせることで、威力を相殺せしめる。
アルマンディン術の奥義の一つ、叉拏。
双剣使いである私の最も得意とする見切り術だ。
しかし、奥義を使って尚、完全には相殺しきれず、私は、身を捻って、後方に飛ぶことで、なんとか受け流した。
お姉ちゃんはすぐに、追撃に来るはず。
着地するや否や、双剣を構えて、身構えるが、再び目に映ったお姉ちゃんは、だらりを刀を下したまま、ただその場に佇んでいた。
顔を見る……そこには笑顔。
「強くなったねぇ。コルリちゃん」
「えっ……」
あの頃、泣き虫だった私に、いつも優しく語り掛けてくれたお姉ちゃんの声色。
納刀し、ゆっくりとこちらまで歩いてくる。
突然のことに、私は剣を構えたまま、動くこともできず、その笑顔をただただ眺めていた。
そうして、鼻先へと近づいてきたお姉ちゃんは、私の頭をポンポンと撫でた。
「あっ……」
「たくさん努力したんだねぇ。よく頑張ったねぇ」
ぶあっ、と音さえ聞こえたような気がした。
鍛え抜かれて少し硬くて、でも、温かくて優しい手のひらが、あまりに当時のお姉ちゃんのまま過ぎて、胸が熱くなり、私の両の目から熱い涙が滴っていた。
「お、お姉ちゃん、お姉ちゃん……!!」
「あらあらぁ、強くなったと思ったけど、まだまだ、泣き虫さんね」
そう言って、頬に手を当てるお姉ちゃん。
そんな仕草すら、あまりに懐かしい……。
私は、お姉ちゃんの身体を幼子のようにギュッと抱きしめた。
あれだけ大きいと思ったお姉ちゃんの身体が、今では私と同じくらいだった。
そこに一抹の寂しさを感じつつも、私は、思い出を貪るようにひとしきりお姉ちゃんの感触を、匂いを、温かさをその身で感じ続けた。
どれくらいそうしていただろうか。
やがて、お姉ちゃんが、ゆっくりと口を開く。
「コルリちゃん。ごめんなさいだけど、そろそろ……かな」
……わかっていた。目の前のお姉ちゃんは、ヒヒイロカネが私の魂から作り出した幻影にすぎない。
それでも、こうやって、再び大好きだったお姉ちゃんが目の前で笑っているのが、本当に嬉しかった。
「ヒヒイロカネは私を最後の試練として具現化したわ。コルリちゃんは私を倒さなくちゃいけない」
「…………うん」
こくりと頷く。
郷愁に身を焦がしはしても、私は復讐者だ。
いつまでも、思い出だけに浸っているわけにはいかない。
「うん、やっぱりコルリちゃんは強い子だね」
「お姉ちゃんの……妹だから」
私とお姉ちゃんは笑顔で頷き合う。
「勝負は一撃。私は"韋駄天閃"を使う」
韋駄天閃、アルマンディン流一刀術の究極奥義に位置づけられる大技……。
「この技を破れないようなら、鋼帝竜には勝てない」
破る。私の研鑽は、そのためにあったのだから。
お姉ちゃんが、大きく後ろの飛びのき、納刀した刀の柄に手をかけ、構えた。
韋駄天閃は、人類最速の抜刀術だ。
レベル99の鍛え抜かれた脚力。そこに身のこなしと鞘走りによる加速を加えた剣速は、音よりも早い。
音の壁を突破した剣は、衝撃波を放つ。
すなわち、剣と衝撃波の二段攻撃。それこそが、奥義の神髄。
ならば──。
「韋駄天閃……?」
私の構えを見て、お姉ちゃんがぽつりとつぶやいた。
双剣使いである私は、お姉ちゃんのように鞘を持たない。
だが、左の剣を逆手に持ち換え、形だけはまるで韋駄天閃を模倣するかのような構えを私は取っていた。
「それが、あなたのたどり着いた答えなのね?」
8年間、鍛え続け、思索し続けた末に見つけた、私の答え。
それをお姉ちゃんにも見てもらう。
「じゃあ、行くよ」
「うん」
一瞬の静寂。
天井から滴った水滴が、地面へと落ち、弾けるその刹那。
私とお姉ちゃんは全く同じタイミングで、お互いに向かって駆け出した。
韋駄天閃は強靭な脚力から放たれる技。お互いの最高速が重なるその地点で、私たちは剣を振り抜いた。
身を引きちぎるような強烈な衝撃波がお互いを襲う中、熱と光を放ちながら、剣閃が交錯する。
一瞬の鍔迫り合いの後、宙を舞ったのは──
「か……はっ……」
私…………の大大大好きなお姉ちゃんだった。
「……ほ、本当に……強くなったのね……」
倒れ伏すお姉ちゃんの両手を握りながら、私は頷く。
「まさか二刀流で韋駄天閃を再現……ううん、超える技を生み出すなんて」
そう、私が放った技は、韋駄天閃の二刀流版ともいうべき技だった。
左手に持ち替えた剣に、右手の剣を滑らすことで、鞘走りの代わりとし、お姉ちゃんと同等の剣速を生み出す。
右手のインパクト後、さらに左手の剣を振り抜くことで、威力を倍加させ、最大限の攻撃力を引き出す。
身体はもちろん、武器にかかる負担が大きく、戦闘中一度しか使用できない大技。
事実、技を放った直後、私の両の剣は砕け散っていた。
「コルリちゃんの剣の中に、私がいたわ。本当にコルリちゃんは優しい子ね」
そう言って、笑うお姉ちゃんの姿に、再び頬を熱い涙が滴った。
「ヒヒイロカネを使えば、きっと今の技にも耐えられる武器が作れるわ。そうしたら、きっと鋼帝竜を倒して」
「うん……!」
「でもね、復讐のためじゃない。"守る"ために戦うの。私はもう過去の人よ。今、大切な人達を"守る"ために、あなたの力を振るって。きっとあなたは一人じゃないから」
「…………わかった」
涙を流す私の頭を、お姉ちゃんは最後のもう一度だけ、ポンポンと撫でてくれた。
一瞬の後、その温かさは、宙に溶けるように霧散した。
残るのは、頬を伝う熱さ、そして、胸に残る熱さ。
「お姉ちゃん……」
その熱さをグッと抱きしめ、私は両の足で大地へと立った。




