071.チョップスティック
今後の事を艶姫さんと話しているうちに、やがて、陽が暮れてきた。
辺りはすっかり夜。だが、建物の中は、暗さとは無縁だ。
というのも、建物の中には、提灯や灯篭のようなものがいたるところに設置され、暖色系の温かい明かりに包み込まれている。
そんな明るい楼閣の中庭を窓から眺めつつ、オレはひとりそわそわとしていた。
遊郭……さすがに元高校生のオレでも、その言葉にはある程度知識がある。
ノクターンでもちらほら出てきたしな。
その……野郎がそういうことを楽しむ場所だ。
オレ以外の女性陣は、初めて聞く言葉だったようで、キョトンとしていたが、オレにはここがどういう目的で、どんなことが行われている場所だというのがある程度わかる。
となれば、そわそわしてしまうのも仕方がないというものだろう。
「いつまで待てばいいんだろうか……」
艶姫さんが女性陣を連れて、部屋を出て行ってからすでに数十分が過ぎていた。
どこに連れて行くんだろうとか、なんでオレだけ残されたんだろうとか、いろいろ疑問を問いかける間もなく艶姫さんが行ってしまったのも、そわそわに拍車をかけている。
この後、どうなるんだ。
不安1割、期待9割くらいの割合で、悶々とただただ時間が過ぎるのを待っていると、やがて、ごとりと音がして、部屋の欄干が外された。
一瞬の後に入ってきたのは、あの狐仮面少女──コルリだ。
少女は、先ほどまでとは違い、艶やかな金と濃紺の打掛を身に纏っている。
「…………こちらへ」
今まで通り、指差しで指示をするのかと思いきや、コルリはボソリとだが、口で要件を伝えてくれた。
最初に名前を名乗った時と同様、思ったよりもずっと可愛らしい声だ。
これまでがこれまでだっただけに、そんな風に声を聞けただけで少し嬉しくなってくる。
「うん!」
コルリに促されて、オレは部屋の外へと出た。
スタスタと早足で歩く彼女を追うようについて行くと、やがて、大広間へとたどり着く。
すっかり陽が落ちた時間ではあるが、そこは大灯篭から色とりどりの光が漏れだし、さながらダンスホールのようだ。
「あ、ディグ様~!!」
アルマの元気のよい声が聞こえ、いつものように飛びつかれるかと思い、一瞬身構える。
しかし、衝撃がやってこないので、声のした方をゆっくり振り向くと……。
「お、おぉ……!」
パーティの女性陣がいた。
しかし、全員いつもとは装いが違う。
それぞれがそれぞれ花魁のような打掛衣装へと着替えていたのだ。
どうやら、艶姫さんが貸してくれたらしい。
みんな髪色など、イメージカラーに合わせた艶やかな衣装に身を包んだ姿は、なかなか見ごたえがある。
柄は全員が花模様になっており、アンシィがあじさい、フローラが撫子、シトリンが菊、そして、アルマが牡丹だ。
アンシィやフローラはメリハリのある体つきゆえか、少しわざと着崩して着付けをされているようで、普段とは違い、主に胸元が大きく露出している。
ほんのりと朱が入っているのは、なにか塗ってもらったのだろうか。
普段からへそやふとももはそれぞれ露出してる彼女達ではあるが、胸元がここまでがっつりはだけている姿を見るのは初めてだ。有り体に言って、クソエロイ。
思わず視線がそちらばかりいっていたら、アルマがオレの手を引っ張った。
「ディグ様! アルマも見てください!」
「お、おう……」
アルマがオレの前でクルリと回って見せる。
うん、アンシィやフローラのようなセクシーさは感じないが、これはこれでかわいらしい。
ピンク色なのもいいね。
「可愛いよ。アルマ」
「ありがとうございます! ディグ様!」
「ディ、ディグ……」
満面の笑みを浮かべるアルマの横から、今度はシトリンがやってきた。
そういえば、シトリンは和装に少し興味があると言っていたが、なかなかどうして上手く着こなしている。
艶姫さんと同じく、黒地の打掛に落ち着いた菊の柄が施されたその衣装は、シトリンの金髪とベストマッチしている。
その上、普段と違って、いくらか髪を結って、アップにしているので、いわゆるうなじが見えるのだが……。
ごくり、とちょっと生唾を飲み込んでしまうレベルで美しい……。安直に乳ばかり目が言っていたオレを殴りたくなるぜ。
「シトリン、めっちゃ似合うなぁ」
「そ、そうか……!?」
パッと一瞬目を輝かせたシトリンは、にへらと相好を崩した。
そんな様子を見ていると、普通の女の子らしくて、本当に可愛いらしい。シトリン、かわいいよ、シトリン。
と、そんなやりとりをしていたら、にわかに会場が騒がしくなった。
一瞬の暗転の後、ライトアップされたステージの上に、見目麗しい和装の女の子達が、現れる。
様々なタイプの子がいるが、いずれもかなりの美少女だ。
どこからか三味線の音が響きだしたと思うと、彼女達が一斉にフォーメーションを組んで歌って踊り出す。
すると、周りで酒を飲んでいた男たちの一部が、一斉にステージの周りに集まり、何やら光る竹筒のようなものを持って腕を振り回し始めた。
息の揃った掛け声……完全にオタ芸やないか。
「どや、ディグはん。楽しんでもらってるか?」
さながら、地下アイドルのステージのような盛り上がり方を見せ始めたところに、艶姫さんがやってきた。
「あのこれって……」
「うちの花魁坂46のメンバーや。かわいい子ばっかりやろ」
「確かに、みんなそれぞれ個性があって……じゃなくて!」
と、他のメンバーから聞こえないように、艶姫さんがオレの耳元でささやいた。
「うちの子たち可愛いやろぉ。今のうちに、しっかり好みの子選んどきや。今夜はその子とお愉しみや」
「えっ、お愉しみって……えっ、えっ……」
マジ……ですかい。
オレはごくりと唾を飲み込む。
「どうしたんですか、ディグ?」
「いや、なんでもない。なんでもないぞ、フローラ」
「ねえ、それより、ご飯はいただけないのかしら」
ぐぅー、と腹の虫を鳴かせながら、アンシィが艶姫さんに問いかける。
「お、そやったな。こっちや」
ステージが一番よく見える、2階席の中央のテーブルに案内されると、そこにはすでに大量の食事が並んでいた。
島国だけあって、海産物も多い。
さっそくアンシィは、巨大な伊勢海老っぽい料理に手づかみでかぶりついている。
少し遅れて、オレも席に着く。中華レストランなんかでよく見る、回転する丸テーブルだ。
「ディグ様、これって、どう使うんでしょうか」
アルマが戸惑っているのは、箸だ。
どうやら文化的に日本に近いところのあるこの国では、基本的に箸を使う文化があるらしい。
とはいえ、外国から来る人も多いためか、しっかりスプーンやフォークも用意してくれているのだが、好奇心の強いアルマは、一緒に置いてあった箸の方が気になったようだ。
「ああ、これはな。こうやって持って……ほら」
鉛筆を持つように親指から中指までを使って、箸を持ち、小さな豆を掴んで口の中に放り込んでやると、アルマはそれをもぐもぐと咀嚼した後、パァッと顔を輝かせた。
「凄いです! ディグ様!!」
「アルマもやってみ」
「はい!」
アルマは箸を手に取ると、見様見真似で食べ物を掴もうと四苦八苦しだした。
「シ、シトリン……」
「ああ、フローラ……」
普通にスプーンで食べていたフローラとシトリンは頷き合うと、オレの方へと近づく。
「あの、ディグ、私達にも箸の使い方を……」
「えっ、うん、いいよ」
オレは二人にもよく見えるように、箸で今度は肉団子を掴んで見せる。
「こんな感じ」
「あの、えーと……」
なぜかもじもじとするフローラ。
「その……アルマちゃんがやってもらっていたみたいに」
「え……あっ」
あの口に入れるやつか。
よくよく考えてみれば、あれっていわゆる「あーん」ってやつだよな。
アルマは妹的なところがあるので、めちゃくちゃ自然にやってしまったが、本来ならかなり親しい間柄じゃないとしない行為だ。
改めてやってくれ、と言われると、ちょっと意識して緊張してきてしまう。
とはいえ、フローラはきっとパーティ間の親愛の行為として、あの「あーん」を欲しがっているのだろう。
まあ、アルマにやってあげたことをフローラやシトリンにやらないのも不平等だしな。
「フローラ、はい」
「あ、ありがとうございます!」
フローラは少しだけ頬を染めながら、オレに顔を近づけてきた。
顔を近づけるということは、身体を近づけることと同意なわけで、グッと身を寄せた瞬間、フローラのなかなかによく育ったお胸がオレの視界にしかと入ってきた。
普段はしっかりと服で隠されたその深い谷間が、今はばっちりと目に入る。でかい……。
以前、ウエスタリアへ行く馬車の中で、ラッキースケベをしてしまったことがあったが、あの感触を思い出してしまう。
「あっ……」
ふと、邪な思いが脳裏のよぎった瞬間、箸でつかんでいた肉団子が、ポロリとフローラの胸元へと落ちた。
ちょうど谷間の上に乗っかるようにして、肉団子が転がる。
「ご、ごめん!」
「いえ……!」
オレは、慌ててフローラの胸の谷間にのった肉団子を箸でつかみ取ろうとするが、同じく動揺したフローラが少し体をずらした。
その結果、オレの箸はするりと打掛の中へと入り込み、何かコリコリとした感触の突起物を……。
「ひゃっ……ディグ……」
うるんだ瞳で、蒸気した頬で、フローラがオレを見つめている。
やばいやばいやばいやばいやばい。
オレ何やっちゃってんの!!
と、胸元の肉団子を誰かがひょいっと箸でつまんで、オレの口へと放り込んだ。
「むっ!? もぐもぐ……」
「ふむ、少し難しいが、案外できるものだな」
いつの間にか、箸を持ったシトリンだった。
肉団子の処理が終わったことで、オレは、慌てて、フローラから離れる。
少し乱れた胸元を直しつつ、フローラも少しだけ下がった。
「ご、ごめんな、フローラ……!」
「あ、いえ、その……大丈夫です」
オレ達のやりとりを箸を閉じたり開いたりしながら、シトリンがしれ~と眺めていた。