062.休息日~ミナレス~
夜のとばりが落ち始めたそんな時間。
ひとり西ギルドへやってきたオレは、ちょうどギルドの入り口から出てきたミナレスさんと鉢合わせした。
「ディグ君! ちょうど良いタイミングだった」
どうやらアルマへの言伝がちゃんと伝わっていたようだ。
「アルマは?」
「今日は早めに仕事を上がらせて、今は家にいるはずだ」
「そうですか」
アルマの事だから、きっとついてくるものだと思ったのだが。
「今から少し時間をもらえるか。君に聞いておいて欲しいことがいくつかある」
「わかりました」
どことなくいつもより真剣な表情のミナレスさんの言葉に、オレはこくりと頷いた。
今日やってきたのは、初日とは違う酒場だった。
オレの世界の居酒屋に近く、それぞれの客席が個室になっている。
この世界では珍しいタイプの酒場だ。
狭い部屋の中で、テーブル越しに相対するミナレスさん。
普段なら、美人のお姉さんとこんな個室で2人っきりなら、テンションが上がってしまうオレではあるが、今日はどことなく雰囲気が違う。
酒と料理が運ばれ、店員の姿が見えなくなると、ミナレスさんはようやく口を開いた。
「まずは、ディグ君、おめでとう。まさか、この短期間で、50層まで到達してしまうとは……。さすがとしか言いようがないな」
「ありがとうございます。オレの力っていうよりは、フローラやシトリン、それにアルマのおかげですけどね」
「アルマからいろいろ聞いている。謙虚なことは美徳だが、君自身の力も相当なものだと私は思うぞ」
「……そうですね。オレとアンシィもなかなか頑張ったとは思います」
「ああ、そうだろう」
ミナレスさんはうんうんと頷く。
と、いつの間にか、彼女の雰囲気がガラリと変わった。
髪色が碧く変化したその姿は、もう一つの人格、ミナレスちゃんだ。
「ねえ、ディグ君、アルマは聖塔ではどんな様子かしら?」
「とても役に立ってくれていますよ。彼女が魔物やフロアに関する情報を教えてくれるおかげですいすい攻略できますし、何よりムードメーカーになってくれています。なんというか、彼女と一緒に冒険してると、疲れを忘れるというか」
「そうでしょ、そうでしょ! アルマって本当に良い娘なのよ……!」
うんうんと頷く、ミナレスちゃんの表情には、どこか親心のようなものが感じられる。
「その……アルマから聞いたんだけど、ディグ君達は、アルマの性別のことは……」
「あ、はい、45層でいろいろあったときに知りました。それに今日、彼女がデュアル族だってことも」
「そこまで話したのね、あの娘。よほど、ディグ君のこと信頼しているんだ」
ミナレスちゃんは、どこか嬉しそうな、それでいて少しだけ悲しそうに笑った。
「アルマはミナレスさんのことが本当に好きみたいでしたよ。感謝の言葉が絶えません」
「あははっ、私はたいしたことはしてないわ。ただ、彼女は人の小さな善意にも、全力で応えようとするから」
「あー、わかります。それ」
ちょっとした善意にも、全力でお返しをしてくれるタイプの人間だよな。アルマって。
「その、聞いても良いですか?」
「何かな?」
「アルマは自分で特殊なデュアル族だって言っていました。でも、人格がもう一つあるわけではないって」
「あー、そんなところまで話したのね……。そうよ、アルマは普通とは少し違うデュアル族……ユニデュアルと言われる存在よ」
「ユニデュアル?」
「ええ、デュアル族だけど、何らかの事情で、一つの人格しか持っていない者をそう呼ぶの。もっとも、これは私の考察になってしまうんだけど」
そう前置きした上で、ミナレスちゃんは語り始めた。
「デュアル族の中には、全体から見れば少数ではあるけど、男女それぞれの人格と身体を持った者が存在するわ。その上で、さらにまれなことに、本来の人格と身体が逆になってしまう場合があるの」
「人格と身体が逆……そうか」
彼女に感じていた違和感はそれだ。
男の身体を持ちながら、女の人格を持つ存在。
だから、アルマは性別的には男でありながらも、あんなにナチュラルに女性なのだ。
「ややこしいのだけれど、アルマという存在は、その人格と身体の不一致とユニデュアルによる単一の人格形成が重なった状況により生み出されたものだと思うの。生まれた時に2つのレアな条件を合わせもってしまったというか……。そのせいで、彼女はデュアル族の種族としての利点を全て放棄してしまうことになったわ。複数人格による複数職業持ちもできなければ、人格と身体の不一致からか、冒険者そのものへの適性も低い」
「そんな事情があったんですね……」
彼女の悩みは生まれた時のそんな神様のいたずらによってもたらされたということか。なんともやりきれない気分になる。
「で、でも、そんなこと関係ないくらいアルマは素敵な人間です」
「うん、私ももちろんそう思う。めちゃくちゃ可愛いし、本当に目に入れても痛くないほど愛らしいわ」
お互い頷きあう。
そうだ。ユニデュアルだとか人格の不一致だとかなんだというのだ。アルマはアルマだ。
「ディグ君が、そういう人間だから、きっとアルマもあれだけ懐いているのね」
ミナレスちゃんは少しだけ安心したように笑うと、ゆらりとミナレスさんに戻った。
「だからこそ、これからの聖塔の攻略に関しては、正直、私は承認をしたくはない」
「…………辻斬りの件ですか?」
「さすがに察しがよいな」
「あの盗人野郎を斬った人物……件の辻斬りなんですね」
「ああ」
ミナレスさんは苦々しい顔で頷いた。
「まず、あの盗人……西冒険者組合所属の冒険者の一人、カスターという名の盗賊だ。元々冒険者の中での盗賊という職業は、トレジャーハンター的な役割を担う存在なのだが、どうやら元々所属していたパーティからの放逐をきっかけに、本当に盗人に身を落としてしまったらしい」
「なるほど」
「目を覚ました彼を取り調べた結果、いろいろとしゃべってくれたよ。彼に傷を負わせた者……特徴から言って"辻斬り"の可能性が非常に高い」
「やはり……」
半ば予想はしていた。
あの袈裟懸けの見事な傷。活かさず、殺さず、絶妙な力加減でなければありえないと思っていた。
そして、ベテラン冒険者がほとんど聖塔の攻略を断念しているこの状況で、そんなことができそうな人物は件の辻斬り以外ありえない。
「今まで辻斬りが現れたのは、街の外であったり、人気のない夜の街中ばかりだった。聖塔の中に、奴が現れるのは初めてのことだ」
「聖塔への入場は西ギルドが管理しているんですよね」
「ああ、西ギルドに所属していない人間は、塔に入ることさえできないはずだ」
「ということは、辻斬りも西ギルドに所属する冒険者ってことですか……?」
身内に辻斬りがいたということだろうか。今の話を総合すると、その結論にしか至らない。
「その可能性が高いとしかいいようがない……。今、直近で聖塔に挑戦した冒険者を改めてあらっているところだ。これまで辻斬りに対峙した冒険者からの情報なども参考にすると、武器は巨大な鉈のようなもの、そして、性別は女性の可能性が高い」
「前衛職の女性冒険者ってことですね」
「ああ、その上49層まで自力で上がることができそうな、ということになると……正直該当者はゼロだ。強いて言えば、私だろうか」
疲れた表情で笑うミナレスさん。確かにミナレスさんなら49層まで、たった一人で昇ることもできるかもしれないが、通常のレベル帯の女性冒険者ではまず不可能だ。
となると、あの盗人のように、特殊なアイテムを用いての攻略をしたとも考えられるが、そんなことまで考慮に入れ始めると、該当者を絞り込むことなどとてもできない。
「不甲斐ないギルドマスターで申し訳ない……。今後、もし、君たちが聖塔を攻略している場に、辻斬りが現れた場合、我々にはどうすることもできない。だから……」
「攻略を断念してほしい……ってことですね」
「ああ……」
そういう話になる可能性もある、と予想はしていたが、やはりこうやって本当に言われてしまうと、かなりショックだ。
50層まで到達するのも相当頑張ったと思うし、なによりこれから頑張ろう、と皆で誓い合ったばかりなのだ。だから。
「お願いします。オレ達に攻略をさせて下さい」
オレはミナレスさんに深々と頭を下げた。
「ディグ君、それは……」
「一度盗人にあったオレが言うのもなんですが……。転移結晶さえあれば、辻斬りが現れた瞬間、すぐに逃げ帰ることもできるかと思います。うちには神視眼を持つシトリンもいるので、ふいうちの可能性もほとんどありません」
「確かに、君達のパーティなら、上手く辻斬りを撒ける可能性もあるだろう。だが、万一ということも……」
「そんなの冒険者だったら、いつだって同じじゃないですか。万が一、なんて冒険者の活動とは隣り合わせでしょ?」
しばし、逡巡した様子のミナレスさんだったが、数秒目を閉じて、考えを巡らせたのち、オレの方へと向き直り、口を開いた。
「……そうだな。私はどうやら辻斬りの正体を掴めないことで焦っていたらしい。君達ならば、たとえ辻斬りと出会ったとしても、上手く逃げ切ることができるだろう」
「じゃあ」
「ああ、50層まで昇ったのに、攻略を断念せねばならない、という気持ちは痛いほどよくわかるからな。ただ、十分に注意をしてくれ」
「わかりました……アルマも、絶対に守り切ります」
「頼む。あの子だけ行かせない事も正直考えたが……おそらく私が静止しても、あの子は君達と勝手に行ってしまうだろう。私が聖塔の資料整理なんて役割を与えてしまったがために、あの子は、聖塔に対して、並々ならぬ執着を持ってしまった。どうか、あの子を聖塔の最上階まで連れて行ってやってくれ」
言葉は発さず、オレはミナレスさんの目だけを見て、しっかりと頷いた。
その後は、ミナレスさんとアルマの普段の様子などの話をしながら、楽しい夜は更けていった。
そうして、ついにラストステージの攻略を開始する朝がやってきた。