059.休息日~シトリン~
「いやぁ、快晴じゃん」
朝、目を覚ましたオレは、宿の窓から空模様を覗っていた。
まさに雲一つない青空、休息日として、これ以上素晴らしいことはないだろう。
うーん、やはり早起きをしてよかった。
休息日だし、惰眠を貪るという選択肢もあるにはあったのだが、こっちの世界に来てから、この時間に起きる習慣がついてしまった。
それはひとえに、わくわく感と共に起きることができるというのが大きいだろう。
信頼できる仲間とわいわいやりながら、クエストに取り組む日々はなんとも楽しいものだ。
ただ、今日は久しぶりに自分のためだけの時間だ。
まずは街の市場にでも繰り出してみようか。
「ぐがぁー、ぐがぁー」
スコップ状態のままいびきを立てて眠るアンシィを置いて、オレは宿の外へと繰り出した。
さすがにウエスタリアは冒険者達の街だけあって、まだ早朝といっても良い時間帯にも限らず活気がある。
冒険者がクエストを受けるのは基本この時間だからな。
とはいえ、辻斬りの件で活動する冒険者が減っていなければ、もっと賑わっていただろうに。
オレは、適当な屋台で串焼きにされた魔物肉を買うと、宿での朝食代わりにむしゃぶりついた。
アンシィではないが、こうやって屋台で買った食べ物を歩きながら食べるのにも、時には風情があるものだ。
大口を開けて、肉にぶしゃぶりつきながら、オレは肩で風を切って歩く。
やがて、人波が途切れると、そこには噴水があった。
周囲には体操をしている老人たちの姿も見える。どこの世界も公園ってこんな感じなんだな。
近くにあったベンチに腰かけ、周囲の風景を何気なしに眺める。
噴水の上に、銅像が立っていた。
右手に剣、左手に盾を持った女性の像。どことなくその姿はミナレスさんを髣髴とさせる。
そういえば、アルマと以前話していた時に、この街を開いたのはミナレスさんの遠いご先祖様だとか言っていた気がする。
もしかすると、あの像は、その街の創始者の像なのかもしれない。
「本当に頂上まで攻略できそうだなぁ」
噴水の向こうに聳え立つ、天まで届く白亜の塔を見上げる。
改めて見てみると、昨日はあの塔のそれこそ雲のかかる辺りにいただなんて、嘘のように思えてくる。
でも、事実だ。
この世界に来て、もうじき1か月になるが、おおっぴらなチートがなくとも、それなりに順調に冒険を進めていけている気がする。
まだまだ、レナコさんやミナレスさんのような、本当の強者には敵いそうもないが、まあ、それはおいおいだ。
なによりも楽しいのが一番。豚野郎にも多少の感謝は送ってやろうというものだ。
圧倒的な力がなくても、楽しい理由は、明らかに仲間たちのおかげだろう。
フローラもシトリンも、そして、一時的とはいえ、一緒に攻略をしてくれているアルマも、本当にいい奴らだ。
この仲間たちとなら、仮に、もっとレベルが低くて、もっと弱くったって、楽しくやっていけそうな気がする。
「あれ……」
ふと、視線を送った先に、何か既視感を感じて、二度見した。
それは、街で神域の聖塔の次に高い、教会の鐘塔だった。
その屋根の上で、最近見慣れてきた黄色いミニのワンピースがはためいたのだ。
「シトリンのやつ……」
何気にあの娘は高いところが好きだなぁ。
「よし」
いっちょ、オレもあの鐘塔に昇ってみるとしよう。
「シトリン」
「ディグ?」
神視眼を発動させていなかったのか、鐘が釣り下がる柱のふちから身を乗り出して声をかけたオレに、シトリンは少し驚いた様子だった。
「ちょっと姿が見えたもんで」
「こんなところまで昇ってくるとは……君も物好きだな」
「ちょうどよい運動になったよ。それにそれはシトリンも同じだろ」
よっと、勢いをつけてシトリンと同じ屋根によじ登ると、オレはその横に腰掛けた。
「うわぁ、凄い景色だな」
目の前に広がる景色は、なかなかの見ごたえがあった。
街の全域を見渡せるほどではないが、様々な色の三角屋根や。広場を闊歩する人々の姿まで、大いに見渡せる。
神域の聖塔からの景色もなかなかのものだが、人々の生活感まで感じられるこちらの景色の方が、オレはどちらかというと好きだった。
「この景色を見に来たのか?」
「見る、というか、感じる、かな」
シトリンはゆっくり目を閉じた。2つの目だけじゃない。サークレットで制御された第3の瞳も閉じている。
「こうやって風を受けながら、街の様子を"感じる"のが、最近好きでね」
目を閉じたまま、風に長い金髪をなびかせるシトリンは、本当に気持ちが良さそうだ。
オレも同じように目を閉じる。
目を閉じた分、一層、細かな風の動きが肌で感じられるような気がする。
「なんとなくわかるよ」
「ふふっ、ディグならそう言うと思ったよ」
シトリンが柔らかく微笑む。
最近はこんな表情も良く見せてくれるようになった。それが素直にうれしい。
「君のおかげで、昔ほど神視眼を疎ましくは思わなくなったけれど、やっぱり、こうやって"視ない"ことを楽しむのも、なんだか心地が良くってね」
「"視ない"ことを楽しむ……か」
どことなく書道家であり、風流人でもあった親父が言いそうな言葉だと思った。
でも、これも、なんとなく、わかる気がする。
「例えば、そこの公園のベンチに、男女のアベックがいるだろう」
「アベック?」
ああ、カップルのことか。
「神視眼をサークレットで抑えているボクには、彼が彼女がどんなことを考え、どんな会話をしているかもわからない。でも、それをふと想像してみたり、そんなことが最近楽しいんだ」
「それって……」
二律背反。心と言動が乖離する人間という種を恐れていたシトリンが、それを受け入れ始めている、ということだろうか。
と、ふと、オレの脳裏にいたずら心が浮かんだ。
「じゃあさ、あの二人の会話。二人で想像してみないか?」
「二人で?」
「ああ、じゃあ、オレからな。えーと、ごっほん……いやぁ、昨日君が作ってくれた肉じゃが、おいしかったなぁ」
「え……っと、その…………う、うん、あなたのために一生懸命作った……から……」
恥ずかしがりながらも、ノッてくれるシトリン。
これはオレも期待に応えねば。
「本当にオレのためにいつもありがとう」
「ううん、ボク……私の好きでやってることだから」
そう言って、オレの顔を見つめてくるシトリン。
なんだろう。本当にオレの彼女みたいに思えてきた。上目遣いに見つめるその表情、かわいすぎるだろ。
そのまま役に入って、会話を続けようとしたその時だった。
会話を想像していたカップルが人目もはばからずいきなりキスをした。
ほんの一瞬のバード・キスだったが、予想だにしていなかった行動に、カップルの方を向いて、オレは一瞬固まった。
そんなオレの右頬に……柔らかい感触が触れた。
「えっ……シトリン……?」
えっと、今のって……いわゆるほっぺにちゅーってやつでは……!?
真っ赤になるオレに向かって、シトリンは珍しくいたずらっぽく微笑んだ。
「君のいたずら心など神視眼を使わなくてもお見通しだ」
「え、あ、ちょ……」
「ふふ、たまには意趣返しもしなければな」
そう言うと、シトリンは動揺するオレの頬に、再びキスをした。
二度も不意打ちを食らったオレは、唖然とするほかない。
「いつもありがとう……。君がいれば、ボクはきっと……」
「シトリン……」
「さあ、そろそろボクは行くよ。ディグもこの休息日を満喫するとよい」
それだけ言い残すと、シトリンは持ち前の身軽さで、隣の建物の屋根へと飛び移っていった。
「ははっ……もう、完璧に人の心、わかってんじゃん」
いや、きっとシトリンはもう随分前から、それこそ大昔から、本当は人の心がわかっているのだ。
それを伝える手段を知らなかっただけ。伝える相手がいなかっただけだ。
そして、その伝える相手になれたことをオレは誇らしく思う。
「……さて、シトリンの助言通り、オレも残りの休息日を楽しむとしますか」
少しずつ高くなってきた太陽を見ながら、オレは大きく伸びをした。
その瞬間、足を踏み外して屋根から落ちそうになったオレを、よく知る小さな彼女が笑う声が聞こえた気がした。