044.閑話・フローラのダイエット
久々に部屋で一人になった。
シトリンは眼帯のおかげで、街を出歩くことができるようになったので、今は一人で街の散策に出ている。
最近はディグやアンシィも一緒に、外泊をすることが多かったので、こうやってプライベートな時間を持てるのは数日ぶりだった。
となれば、やることは一つ。
「沐浴をしましょう!」
やはりまずは身体を清めたい。
私は沐浴が好きだ。
冒険者が毎日沐浴するなんて贅沢だ、なんて言う人もいるにはいるが、最近は病気対策にも、きちんと沐浴することの重要性が言われるようになり、街の宿にも湯場が設置されているところも増えた。
街の中央にある大衆浴場も盛況らしい。
ディグとアンシィはそちらの大衆浴場が好きらしく「なんか銭湯ってわくわくしない?」と私にはよくわからないことを言いながら、もっぱらそちらを利用している。
しかし、私はあまりそちらには行かない。なぜなら、このアパタイさんからお借りしている部屋には、なんと湯場がついているからだ。
聞くと、奥さんのたっての要望で、この家を建てる時に、つけることになったらしい。
アパタイさんの亡くなった奥さんに感謝だ。きっと気が合うことだろう。
そんなわけで、私は贅沢にも、自室からすぐに沐浴ができるのだ。
私はそそくさと服を脱ぐ。
ジャケットと上着を脱ぎ、スカートを脱ごうとしてふと手を止める。
目の前の大きな姿見に自分の全身を移すと、少しだけため息が漏れた。
「やっぱり最近少し……」
スカートの上に少しだけ……ほんの少しだけだけど、お腹の肉が乗っている。
くびれのラインも少しだけ緩くなった気がする。
脇腹の辺りを軽くつまむと、「ぷにっ」という何とも柔らかそうな感触が手に伝わった。
「はぁ……」
何度かぷにぷにとお腹をつまんでも、そのマシュマロのように柔らかそうな感触は消えることがない。
うん、やっぱり認めないといけない。私、太った。
最近はアンシィにつられてついつい食べ過ぎてしまうのに加えて、ディグが作る異世界の大皿料理も食べるようになったことで、食べる量が以前よりもはるかに増えてきた。
ディグと出会う前、薬草採りばかりしていたころは、収入も乏しく、質素倹約を心がけていたために自然と太ることもなかったのだが、クエストの収入で黒字が出るようになり、小金を持ち始めると、やはりついつい食の誘惑に耐えきれなくなってしまう。元々私はアンシィほどではないにしろ、食べるのが好きなのだ。
特に甘味には目がない。デゾメアの街で食べたあのいちごパフェ……本当に美味しかったなぁ。
って、ダメダメ! こんなことじゃ、ぷくぷく太って、いずれは……。
今よりももっとおデブになった自分をイメージして、私は頭をブルブルと振った。
「よし……!」
沐浴する前に、少し運動をしよう。
何事もまずは小さな事からコツコツとだ。
ディグだって、最近隠れてアンシィと夜のトレーニングをしているのを私は知っている。
私も魔力操作については、ディグと出会ってから、かなり頑張っている自負はあるけれど、ダイエットの方も頑張らなければ!
とはいえ……。
「ダイエットってどうやったらよいんでしょうか……」
今までが今までだったので、ダイエットというものを本格的にした経験がない。
運動といっても、どんな運動が効果的なのだろうか。
「こんなのでしょうか」
タオル姿で、私は部屋の中をぐるぐると回る。
石造りの頑丈な部屋の床は、私が多少動き回ったところで、びくりともしない。
そのままスキップしてみたり、ジャンプしてみたりする。
「はぁ……はぁ……」
何周もしているうちに、身体がかなり温まってきた。
ということはすなわち、身体がエネルギーを使っているということだから、きっとこれで間違いないはずだ。
特にジャンプは効果が高そうだ。
よし、今度はもっと勢いをつけて、高くジャンプをしてみよう。
「ふぅ……せーのっ!!」
屈伸状態で力を溜めた後、私は身体を大の字にするようにして、思いっきりを飛び上がった。
案外私、跳躍力がある! なんて思った、ちょうどその時だった。
ガチャリ。
「ただい…………あっ」
「あっ…………」
シトリンだった。
私のジャンプが頂点に達した時、ちょうどお互い目があった。
まるで時がゆっくりと流れているかのように、シトリンの呆然とした顔がつぶさに読み取れる。
時を同じくして、勢いをつけすぎた故に、身にまとっていたタオルが、はらりと宙に舞った。
すっぽんぽんになって部屋で大の字で跳躍している変人の出来上がりだった。
……………。
「はぁはぁ……これは!」
なんとか着地した私は、慌てて床に落ちたタオルを拾い、それで身体を隠した。
絶対変人だと思われた。
さっきまでの運動による高揚感とは違い、羞恥により、顔が真っ赤に染まっていくのを自分でも感じる。
額には大粒の汗がにじんでいた。
「ああ、いや、なんとなくわかる……ダイエットだろう?」
「あ、はい……」
私の不安とは裏腹に、聡明なシトリンは心を読まなくても、察してくれたらしい。
ホッとすると同時に、やはりそういうことをしそうな体型と思われているのか、ちょっと微妙な心境だ。
「頑張っているのだな」
シトリンは感心したように言ってくれているが、ただの自己管理不足から今のような状態になっているわけで……。
こんなことをしているのを知られて、なんとも情けない気持ちが湧き上がってくる。
「フローラ、良ければ、ボクに協力をさせてくれないか?」
「えっ……!?」
シトリンがダイエットに協力?
なんだろう。風魔法で簡単ダイエットとか、そういう方法でもあるんだろうか。
「実はディグと記憶共有をした時に、ダイエットに関する記憶があったのだ」
「なんですと!!」
記憶共有とは、あの魔人竜と戦った時の事だ。
魔人の能力でディグとシトリンの記憶から強力な魔人竜が誕生したときに、副作用で二人の記憶が混濁したというのだ。
二人から伝え聞いただけなので、それがどんなものなのかはっきりはわからなかったが、ディグがシトリンの大昔の記憶を覗き見たことだけは知っている。
当たり前のことだけど、逆にシトリンもディグの前世の記憶を見たはずなのだ。
ディグの前世を知ってるなんて、少しだけ……いや、正直結構羨ましい。
「ディグはどうやら前世でも研究熱心な男だったようだ。DVDという映像機器を使って、何度も何度もダイエットに関する映像を眺めていた。まさに、一挙手一投足まで思い起こせるほど強い記憶だった」
「ディグがダイエットの映像を……?」
なんだろう。ディグはどちらかというとやせ型だし、あまりダイエットとは縁がなさそうだけど。
まあ、スコップを武器にしていることもあるし、常人の発想とは少し違うのかもしれない。
「と、とにかく試してみたいです!」
「わかった。確か、レナコからもらった服の中に、その記憶にあるのと似たような服があったはずだ。まずは、それに着替えよう」
「はい!」
というわけで、レナコさんからもらった服の中から、動きやすそうなものに着替える。
ディグ曰く「ぶるまぁ」という名の、元の世界でも伝説級の衣服だそうだ。
馬車の中で、もらった衣服を物色していた時に、これを見つけたディグは、あまりの神々しさからか、平服すらしていた。
確かに、少し下半身は頼りないものの、その包み込むような手触りや動きやすさは、この世界の服にはない素晴らしいものだ。
きっと貴重なものなのだろう。
せっかくこの高尚な衣装を身にまとうのだ。
ダイエット……なんとしても成功させねば。
「あとは、これをこうして……」
シトリンが私の頭に鉢巻を巻いたのち、上の服をみぞおち辺りでくくる。
うっ、ぷにったお腹がばっちりさらされてしまう……。
でも「見られていた方が意識して痩せやすいのよ」なんて踊り子のお姉さんも言っていたし、我慢だ。
「く、靴下はこれでよいんですか……?」
「ああ、確か膝上までの長さだったはずだ」
なんだろう。ちょっと動きやすさとは矛盾しないでもない気もするけど……。
でも、そうか、きっと足を細くする効果があるのだ!
実はお腹だけでなく、太もももちょっと気になってきていたので、素直に受け入れる。
そのまま袖を肩口まで丸めて、二の腕もむき出しにさせられる。
むぅ、これで、私は自分の身体で気になっているお腹、ふともも、二の腕がすべて晒されている状態になってしまった。
女性とはいえ、スレンダーなシトリンに見られているとなると、正直、かなり恥ずかしい。
軽くジャンプしてみると、全身の肉が微妙に震える感触がある。
うぅ、早くこのお肉どうにかしたい。
「さ、さあ、早くやりましょう!」
「やる気だな! えーと、確か、最初は腕立て伏せというやつだったかな」
「わ、わかりました!」
シトリンのお手本のままに、両手を床について、身体を持ち上げる。
うっ、重い……。
そのまま、自分の身体の重さを支えながら、両腕を伸縮する。
「……たゆんたゆん」
「はぁ……はぁ……な、何か言いました……?」
「なんでもない」
「?」
シトリンは腕立て伏せにいそしむ私の様子を真剣に見ていた。
なんだろう? やっぱり私の身体、見苦しいかな……。
そのままさらに続ける。
私も冒険者だけあって、多少は一般の人よりも身体能力が高いとは思うが、しょせんは後衛職。
30回もすることには二の腕がぷるぷるといいだし、私は床へと突っ伏した。
「も、もうダメ……」
「よく頑張った」
シトリンが私の額の汗を拭いてくれる。
腕が痛い。身体をまっすぐにしていたので、腰やお尻にも少し負荷があった。
うん、しんどいけど、これ絶対効いてると思う!
「シトリン! もっと異世界のダイエットを教えて!!」
「わかった」
シトリンからの情報で、私は様々な動きに取り組んだ。
バイシクルクランチ、シッシースクワット、カーフレイズ、ランジにサイドプランク。
どれも初めてやる動きで、ものすごくしんどかったけど、「痩せる!」という強い意志のもと、私はシトリンが提示するメニューをすべてこなした。
「凄いぞ。フローラ!」
「はぁはぁ……はぁ……」
額にじんわりと汗がにじむ。
シトリンが汗をぬぐってくれた。
「あ、ありがとう」
「さすがフローラだ。これからも頑張ろうな」
「え、あ……はい」
そうだよね。なんだか、凄く達成感を感じてしまったけれど、1日やっただけじゃそんなに変わらないよね。
明日からもできるだろうか……。
「あ、そうだ」
元々、沐浴するつもりだったのだ。
もう汗だくだし、このまま服を脱いで、湯船に直行してしまいたい。
「シトリン、私お風呂に」
「ああ、行ってくるといい」
そう促すシトリンの手を私は無意識につかんでいた。
「あっ……」
「あのぉ、その……」
とっさに掴んでしまった自分に驚いたものの、なんとなく心に思い描いたやりたいことを私はシトリンに伝えることにした。
「良かったら、シトリンも一緒に入りませんか?」
「一緒に……?」
「その……私、女友達とかあまりいなくてですね。実は、同姓で一緒に沐浴したりするのが夢だったんです」
実際、冒険者になってからの私はひとりぼっちだったし、その前、村にいた頃も、小さな村だったので、同世代の友達というのがいなかった。
遊び相手と言えば、ずっと年上のお兄さん、お姉さんか、はたまた、逆に年下の子たちだけ。
だから、同世代……実際は、シトリンはもっともっと年上なのだけれど、感覚的に同じ目線で付き合える友達と裸の付き合いをしてみたかったのだ。
もしかしたら、ディグやアンシィもそういうのが楽しくて、大衆浴場までわざわざ通っているのかもしれない。
「そうなのか……わかった。ボクでよければ」
私の提案に、シトリンは一も二もなく頷いてくれた。
二人で服を脱いで、湯場に入る。
アパタイさん宅の湯場は魔力変換機が装備されていて、お湯なんかも自動で沸かすことができる優れものだ。
すぐに湧いたお湯を桶に組んで、私はさっそくシトリンの髪を洗う。
「そういえば、先日、川でも髪を洗ってもらったな」
「シトリンの髪きれいなんですもん。でも、あまりお手入れしてないでしょ。だから、つい……」
「ボクは自分の身体の手入れは不得手で……。いや、こうやって街で生活するようになったのだし、そうも言っていられないか。フローラ、すまないが、ボクに髪の洗い方を教えてくれないか」
「喜んで」
私の指導で、シトリンが長い金髪を丁寧に洗っていく。
さっきの立場とはまるで逆だけど、その関係性がなんだか心地よい。
「こんな感じだろうか」
「うん、とってもいい感じですよ!」
「ありがとう……。フローラ、その……背中を流そうか?」
「えっ!? ……ぜひ!!」
シトリンが少しだけ照れ臭そうに背中を洗ってくれる。
丁寧でいたわるような洗い方にはまだ、少し遠慮が感じられる。
でも、きっと少しずつ、少しずつだけど、その遠慮がなくなっていくと嬉しいなぁ。
「シトリン」
「なんだ、フローラ?」
「ディグやアンシィと一緒に、これからもっと頑張りましょうね」
「ああ、そうだな。きっと最高の冒険者になってやろう」
その後、私たちは一緒に湯船に浸かった。
川での沐浴と違って、温かいお湯につかるのがシトリンは初めてだったのだろう。
のぼせて真っ赤になったシトリンは、それはそれはとてもかわいかった。