003.女神は見た目が9割
気が付くと、オレは真っ白い空間に立っていた。
なんだろう、ここは……?
さっきまでじわりとにじんでいた額の汗はいつの間にか引いていた。
ほのかに涼し気な風が流れてくるのが心地よい。
周囲を見回す。
右を見ても、左を見ても、上を見ても、下を見ても、どこもかしこもやはり真っ白だ。
一応、地面があり、そこを踏みしめている感覚はあるのだが、こうも同じ景色が広がっていると、どうも平衡感覚が狂ってしまいそうだ。
そういえば、昔の漫画でただただ広くて、時間の進み方が速い部屋があったが、あの場所にそっくりだ。
いや、むしろ……。
「これって、転生モノのテンプレなシチュエーションでは……?」
そうだ、そうに違いない……!!
やはりオレは、あの時、学校のブロック塀から落ちて死んだのだ。裏は崖だったから、当然といえば当然か。
安直なことをしたという思いもあるが、今更どうこう言っても仕方がない。
それに、もし、異世界に転生できるのであれば、願ったり叶ったりだ。
「あらあら、察しが良いわねぇ」
唐突に背後から声が聞こえた。
ほら、ほら、来たよ!
異世界転生のお約束、女神様からの状況説明とチート授与だ。
もうこりゃ確定だ。
オレがドキドキする気持ちを抑えきれず振り返ると……。
………………ぶた?
振り返ったオレの目に飛び込んできたのは、いわゆる一般的RPGに登場するオークだった。
いや、違う。一応、人だ。
丸々と肥え太った身体に、妙に手入れのされたキューティクル全開のおかっぱ頭、顎の肉はたぷたぷと波打ち、ふぅふぅと浅い呼吸の音すら聞こえてくる。
そんな見た目に反して、着ている服は古代ギリシャ人が着ていたような清涼感のある白装束、頭には月桂樹の冠をかぶっている。
昭和のコント番組で、汚いお笑い芸人が扮装しているような、そんな見た目の化物がオレの前に佇んでいた。
「あら、初めて見る女神の美しさに、感動してしまったかしらぁ」
「うぇっ……!?」
女神!? 女神って言ったか、こいつ……!?
いや、あり得ない。
大概、どんなウェブ小説でも、転生の女神というのは、こう絶世の美女であるのがテンプレートだ。
もちろん中には、ちょっと淫乱だったり、ちょっと馬鹿だったりといった女神もいるが、それとて、容姿に関しては一級品のはず。
言ったらあれだが、こんな醜悪な容姿で女神なんて言われても……心が受け入れを拒否している。
「私の名前は、女神ヴィナス。あなたの世界を含め、いくつかの世界を管理する女神よ」
いや、邪神の間違いじゃないか。うちの世界、こんなドブスに管理されてんの……!?
「堀川亮介ねぇ」
「あ、はい……」
「あなたは異世界転生の権利を得ましたぁ」
「あ、そうですか……」
なんだろう。
めっちゃ嬉しいはずなのに、テンションが上がらない。
人は見た目が9割なんて話もあるけど、女神もそうなんだな。
自分でも失礼とは思うが、完全に出鼻をくじかれた気分です、はい。
「ふふっ、どうもあなたの世界の子達ってシャイな子が多いわねぇ。異世界転生というともっと大喜びするものだけどぉ」
たぶん、あなたの見た目のせいで、皆、素直に喜べないのだと思います。
と、さすがに、失礼すぎるし、気を持ち直さねば。
「いえ、喜んでますよ! 異世界転生ですよね! チートとかもらえるんですか!?」
「うーん、残念だけどね。ちょっと事情があって、あなたにはチートあげられないのよぉ」
「はい?」
「前回来た子に強力なチートあげちゃったせいで、今、持ち合わせがなくてぇ」
えええぇ……。
何、チートってそんな給料日前みたいなシステムなの?
そりゃないってぇ……!!
嘆いていると、唐突にどこからかピロリンという音が聞こえた。
スマホアプリの着信時に鳴る音だ。
反射的にポケットに手を入れるが、どこかに落としてしまったのか見当たらない。
「あら、ちょっと待ってねぇ」
ガサゴソパーカーのポケットなども探していると、女神が胸の谷間からスマホを取り出した。
って、お前かい!?
その無駄なサービスショット止めてくれ……おえぇ。
およそ神聖な立場に似つかわしくないスマホをしばらく眺めていた女神は突然焦ったように眉をくの字に曲げた。
「いっけなーい☆ 女子会の時間忘れてたぁ!!?」
「えっ……」
「女神友達との女子会よぉ。うわぁ、まだ、髪も作ってないのにぃ~」
えらく俗っぽい話ですなぁ。
っていうか、そのおかっぱ頭にこれ以上どうセットする必要が……。
「悪いけど、説明してる時間がないわぁ! かーつあい!」
「え、いや、ちょっと……!?」
この人、オレへの説明より、女子会を優先する気か!?
そんなオレの心の声など無視して、自称女神が手を上げると、どこからともなく白塗りの扉が現れた。明らかにあれをくぐれば異世界という感じの扉だ。
「さあ、早くその扉をくぐりなさい!」
ぐいぐいと、オレの背を押してくる自称女神。
見た目通り、くっそ腕力強い。
「ちょ、大丈夫なんですか!? せめて、どんな世界かだけでも……!?」
「行けばわかるわぁ~」
「いや、ちょっと、少しは情報を!」
膝を伸ばしてブレーキを掛けるも、無駄な抵抗だった。あっという間に扉の際まで追い詰められるオレ。自然と扉が開くが、まるで靄が掛かったようにその先は見えない。
「じゃあ、行ってらっしゃーい! 魔王をよろしく!」
「えっ、魔王!? 魔王とかいるんですか!? その辺りもっと詳しく……!!」
力士のぶちかましかと思うほどのタックルでオレの身体がぽっくりと口を開けた扉へと吸い込まれる。
既視感を感じる宙を舞う感覚。それまでいた白い部屋よりさらに白い、というより目を開けていられないほどの真っ白な光の波がオレを襲う。
グルグルと回転する感覚に三半規管が保たない。暑いのか寒いのかすらもわからない。
ただ、右手に感じるほのかに冷たい感触だけが明確に感じられ、オレはそれをぎゅっと握りしめた。
意識が遠のく。
そして、オレは異世界へと降り立った。