028.輝眼の巫女
このボク、シトリンは輝眼族だ。
遥か古の時代、女神によって神力を授かった半神半人の存在、それがボク達だ。
ボク達が授かったのは、戦いのための力じゃない。
あらゆるものを見通す力──神視力だ。
人の心さえも読むこの力は、現世において、別格の力を持つ神の御業と言えるだろう。
女神は言った。
『あなた達自身がこの世界を見極めなさい』
その言葉に従って、ボク達の一族は、世界を見て回った。
世界には悪があふれていた。
魔族に魔人、圧倒的な負の存在であるそいつらはもちろん根っからの悪だった。
しかし、自分たちにとって、もっとも見るに堪えなかった存在──それは人間だ。
人間の心は非常に不安定だった。
家族を愛する心を持った若い男が、戦争で他人の家族の命を奪った。
年老いた老婆から金を盗んだ女が、その金で自分の腹を空かせた子供に飯を食べさせた。
自国の国民を心から愛する国王が、魔王討伐を口実に、小国を無理やり自国に取り込む蛮行に出た。
良い心を持っていると思っていた人間が時に悪事を企て、悪い心を持っていると思っていた人間が時に善行を為す。
あるいは口から出てくる言葉と、その心が正反対の者もいた。
そんな人間の二面性を、ボク達は理解できなかった。
数十年か、数百年か、世界を巡り続けたボク達は、いつの頃からか、魔族と共に暮らすようになった。
魔族は、悪であったが、純粋だった。
人のように、時に善であり、時に悪でもある、そんな不安定な存在ではなかった。
心に一貫性があるということは、ボク達の一族にとって、接しやすい存在であった。
たとえそれが、悪であろうとも。
ボク達は魔族のために力を使った。
人の心を読むこの力は、戦争では大いに役立った。
相手の作戦は常に筒抜け、人間と魔族の戦争は魔族有利で進んでいった。
やがて、魔族が、あとほんの少しで世界を支配できるとなったときだった。
一人の勇者が現れた。
彼女は別の世界からの来訪者──女神曰く転生者だった。
たった一人の活躍で、戦況は一変した。
勇者は強かった。女神に与えらえた|万物の要素を組み替える力で魔王軍はほんの数か月で壊滅まで追い込まれた。
そして、勇者は魔王を討伐した。
残されたボク達を、勇者は殺すことをしなかった。
『私が、倒さなければならないのは魔王だけだ』
そう言って、勇者は元の世界へと戻っていった。
ボク達には、もう生きる意志はなかった。
ただただ、崩落した魔王城の奥深くで、石のように動かなかった。
どれだけ日々が過ぎても、半神であるボク達は、死ぬことすらできなかった。
永遠にも思えるほどの時間が経った。
十年だろうか。百年だろうか。あるいは千年かもしれない。
ふと気づいたとき、ボクの周りには何もなかった。
いや、無骨な石壁の部屋だったはずのそこには、いつの間にか植物があふれ、夜光虫達が群れをなし、舞っていた。
仲間の姿は無かった。
どこかに行ってしまったのか、あるいは時の経つ中で、自決を選んだ者もいたのかもしれない。
一人ぼっちになったボクは、ふらふらとかつて魔王城だった山を下った。
そこには小さな村があった。
村では、誰もがお互いを尊敬し合い、人々は助け合いながら生きていた。
平和な時代が来たのだとわかった。
あの勇者のおかげで、人間たちは心の余裕を取り戻すことができたのだろう。
幸いなことというべきか、ボクは長い眠りの中で、女神から与えられた力が大きく弱まっていた。
普通の人間に比較すれば、単純な視力や聴力は比較にならないだろうけど、心を読む力に関しては、自分がその力を忌避していたこともあってか、ほんの近くにいる人の願望が少し読める程度までになっていた。
それはどちらかといえば、ボクにとってはありがたいことだった。
心を読めても、何も良いことなどない。
ボクは、平和な時代の人々の暮らしを眺めることにした。
村の生活は穏やかだった。
時折、天災があったり、魔物による畑の被害が出ることはあったが、数十年のうちで数えるほどだ。
ゆっくりと変わらない毎日が過ぎる。
ほんのたまに魔の森に迷い込んでくる村人を助けたり、魔物が繁殖したときは、それを間引きながら、自分自身が三つ目の化け物として、村人に注意を促した。
やがて百年ほど過ぎた頃、あの人が──ディグがやってきた。
彼は、冒険者にしては非常に警戒心の薄い男だった。
突然現れた怪しい女が差し出す水を、何の警戒もなく飲み干したのだ。
確かに、彼の冷たい水が飲みたいという願望に乗っ取った行為ではあったが、いくらなんでも、と思った。
あまつさえ、美味いとまで言い切るその姿に、あるいは実力行使をしてでも魔の森の奥に行かせまいと考えていたボクは毒気の抜かれる思いだった。
だが、そんな人物だからこそ、ボクは彼を危険な目に合わせたくないと思った。
村人にしているのと同じように、森に幻惑の魔術をかけて、ループを作った。
2日も同じようなループにはまり続ければ、諦めるだろうと思ったのだ。
しかし、彼はループ中の地面を掘り、トンネルを作る、というとんでもない手段をもって、私の幻惑の魔術を打ち破った。
今でこそ、彼が転生者であるとわかったけれど、そんな規格外すぎる出来事まで想定していなかったのだ。
結局、ボクのループを抜けた彼とその仲間であるフローラは、常闇の庭園を住処とするあの魔人に出会ってしまった。
ほんのひと月ほど前に現れた魔人だ。
魔人とは魔王の力によって生み出された存在。
つまりボクが眠っている間か、あるいはこの百年余りの間に、新たな魔王が生まれた証拠だった。
彼らは魔人と懸命に戦ったが、苦戦は明白だった。
人間は眺めるくらいでちょうどよい。
そう思っていたボクだったけど、ピンチになっていく彼らを見ているうちに、つい手を貸してしまった。
彼は最初驚いた顔していたが、すぐにこんな怪しい助っ人を受け入れてくれた。
なんとか魔人を倒して、話してみると、彼だけでなく、彼の仲間たちも皆お人よしだった。
ボクが眠っていた間に、人という種族はこんな風に変わってしまったのだろうか。
いや、違う。きっと彼らは特別なのだろう。
少しだけ、ボクは彼らに興味が湧いていた。
常闇の庭園についた。
魔人が住処としていたこともあって、多少の不安はあったが、久々にやってきた常闇の庭園──旧魔王城最奥の間はほとんど変わらない様子だった。
これなら、彼らの目的である魔草の植え替えも上手くいくことだろう。
そんな風に一瞬気を抜いたことが仇となった。
花に擬態化していた魔人の存在を見逃した。
昔のボクならありえないミスだ。百余年の間で、初めて、力が衰えたことを悔いた瞬間だった。
なんとか奴に暴れられる前に倒そうと、ボクの得意とする風の魔術を放ったけど、常闇の庭園にあふれる芳醇な魔力を吸い続けた魔人は、衰えたボクの魔法など歯牙にもかけなかった。
ディグ達の切り札である竜血石に一縷の望みをかけたものの、それでも倒しきることはできなかった。
本体を倒した末に現れた奴の根は、あまりにも恐ろしい能力を持っていた。
相手の記憶から畏怖の対象となる存在をコピーして、擬態化する能力だ。
本物の花に擬態化していた本体と違い、根の方は、あらゆる形になることが可能だった。
ボクと彼はたちどころに、奴の根につかまった。
いや、彼はボクを助けようとして、結果としてそうなってしまったのだろう。
ボクと彼は、同時に記憶を吸われる中で、お互いの記憶が交錯した。
様々な記憶がボクの中に入ってきた。
彼が転生者であり、元々は日本という別の世界の国で暮らしていたこと。
学校という場所の塀によじ登り、そこから転落したことで命を落としたこと。
その際に持ってきたスコップが、意思を持ち、アンシィとなったこと。
もっともっとたくさんのことがボクの記憶の中に入ろうとしたけれど、そんなことよりも、ボクは自分の記憶が彼に見られるのがどうしても我慢できなかった。
少し興味の湧いていた彼という存在に、自分がかつて魔王に仕えており、人々に害をなした存在であるということを知られたくなかった。
目の前の魔人と同じ、人ならざる存在であると知られたくなかった。
自身の記憶を呼び覚ますうち、ずっと眠らせていた本来の力が身体の内側から噴き出してきた。
ああ、そうだった。やはり、ボクは化け物だったのだ。
人のように揺れていた心は、自分を化け物だと受け入れることで、ひどく落ち着いた。
今のボクなら、あんな魔人に遅れは取らない。
ボクは魔人に腕を振るった。
一振り、二振り、三振り。
腕を振るうたびに、魔人の四肢がはじける。
痛快だ。そう、これがボク本来の力だ。
輝眼族は神視力こそが真骨頂だが、それを制御するための精神力と魔力もずば抜けている。
ボクは、身体の内側からあふれ出る破壊衝動を思うさまに開放した。
だが、そんなボクを彼は止めた。
もはや彼にとって、ボクがただの化け物であるのは明白であるはずだった。
過去のおぞましい記憶も視られ、今現在、こうして実際に本能に身を任せている自分の姿を見ている。
それにも関わらず、彼はボクを止めたのだ。
ボクは心を読んだ。
今のボクなら、一人の人間の心の深いところまでを読むことなどたやすい。
『──助けたい』
なんだこれは?
『──シトリンを助けたい』
今の彼の心には、ボクを助けたいという感情しかなかった。
どれだけ掘っても、他に何の感情も出てこない。
強い、あまりにも強い感情だ。
なんなんだ。なぜ、出会ったばかりの……しかも、こんな化け物に対して、そこまで純粋な気持ちを向けられる?
自分の知っている人間という種族とのあまりのギャップに、ボクの心はついていけなかった。
ボクは自分のイライラをぶつけるように彼にまで魔力を放った。
それでも彼は一歩も引かない。
彼だけじゃない。
スコップのアンシィは、彼と共にボクの攻撃をひたすらに耐えた。
痛い。辛い。そんな感情などみじんもなく、彼女もまた、想いは彼と同じだった。
フローラは、ボクを後ろから抱き留めてくる。
捕縛魔法を使えば、もっと楽にボク拘束できるだろうに、彼女はなぜかボクを自らの腕で羽交い絞めにした。
冒険者といえども、回復術士である彼女の膂力は大したことない。
それでも彼女は魔力ではなく、おのれの身一つで、ボクを抱きしめていた。
ディグやアンシィとは違い、彼女の中には、ボクに対する恐怖や畏怖が確かに存在した。
それでも、それ以上に、ディグに対する信頼、そして、ボクを助けたいという思いが強かった。
本当になんてパーティーなのだろうか。
「どけぇ!!!!」
「嫌だっ!!!!」
フローラの腕を振りほどき、虚勢交じりに放ったボクの言葉は、彼の強い視線に打ち返された。
スッと、身体の中から力が抜けた。
身体の内側から流れてくる輝眼族の力はまだ少しも弱まる気配はない。
だけど、彼の、彼らの、まっすぐな目と、まっすぐな心を"視た"とき、ボクの中の何かがコトンと音を立てて収まるのを感じた。
冷静さを取り戻したボクに対して、彼はまるで赤子のような純粋な笑顔で笑いかけた。
「私は、君のような人間に出会ったことがない……」
「オレもだよ。オレもシトリンほど優しい女の子に出会ったのは初めだ」
ドクンと、心臓が波打った音がボクの聞こえすぎる耳に届いた。
なんだ、この感情は……。
身体が火照ってくる。心臓がバクバク言ってる。
彼に聞こえてないだろうか。
人生で初めてといっていい。これはきっと羞恥という感情なのだろう。
ああ、ダメだ。まっすぐに彼を見ていられない。
でも、高性能すぎるボクのすべての感覚が、彼の一挙手一投足を追ってしまう。
ボクは彼からなんとか目線だけでも外そうとするが、その瞳に彼の背中の向こうで、うごめく魔人の姿が映った。
魔人はその姿を巨大な三つ目の竜へと変えた。
ボクと彼の記憶から、恐怖と畏怖の対象を再現したのだろう。
ふっ、ボクが恐怖を感じる対象が自分自身というのは、皮肉なものだ。確かに間違いないよ。
同様に、姿を変えた魔人を見た彼は、ボクに尋ねた。
「シトリン、勝算は?」
だから、ボクはこう答えた。
「1000%、ボク達の勝ちだ」
ああ、そうだ。
この仲間たちとなら、ボクは。
『負ける気がしない』