026.常闇の庭園
金髪の少女に続いて、オレとアンシィ、フローラは魔の森を歩く。
アンシィは人間形態にチェンジしている。
突然、スコップが美少女に変身しても、金髪の少女は特に驚いた様子もなかった。
歩きながら、少女は自己紹介をした。
「私の名前はシトリン。この魔の森の管理者のようなことをしている」
「こんな場所で? 一人で?」
およそ人間が生活できるような環境には見えないのだが。
「いろいろと事情があってね。その辺りは聞かないでほしい」
「はぁ……」
「君に昨晩警告をしたのは、あの魔人と出会うと危険だと思ったからだ。森のループを作ったのもボクだ」
「あんたは、その魔人っていうのにアタシたちが襲われないようにしてくれてたってこと?」
アンシィの問いかけに、シトリンと名乗った少女はコクリと頷いた。
「ひと月ほど前に、あの魔人は突然この森に現れた。私は幻惑の魔術が得意でね。魔人を森から出さないように誘導をするのは得意だけど、さすがに一人で倒すのは少し難しそうだったから、せめて、誰かが襲われたりしないように、森にループを仕掛けて、遠ざけていたんだ。もっとも、魔人を恐れて、魔の森のモンスター達が里のほうに降りていってしまったのは誤算だったけれど」
ああ、なるほど。村の畑がモンスターに襲われていたのは、さっきの魔人がそもそもの元凶だったのか。
それにしても、あんなに恐ろしい魔人がずっと村に行かないようにコントロールしていたなんて。
その能力も凄いけど、なにより、めちゃくちゃ良い人じゃないか。
「でも、村人の人たちに直接気を付けてって言えばよかったのに」
「私は村の一員ではないからね」
よそ者だから、ってこと?
でも、そのよそ者のために黙って働いているって相当お人好しな気がするんだけど。
「さっきも言ったけど、ボクは目も耳もよくてね。君たちの事情は、麓の村についたときからわかっていたよ。でも、ごめんね。こんなに強い冒険者だとは思わなかったから」
「そういう事情だったら仕方ないさ。今、こうして常闇の庭園まで案内してもらってるわけですし」
「そういってもらえると助かるよ。でも……」
少女は立ち止まると、振り返ってこちらを見た。
再び見えた彼女の薄い琥珀色の瞳は、あまりにきれいで、思わずオレはごくりと唾を飲み込んでいた。
彼女は口を開いた。
「君達は……こんなおかしな人間を怪しまないのか?」
そういったその顔には、どこか卑屈な色が浮かんでいるようにも思える。
正直、まだまだ疑問は尽きない。けれど、少なくとも、本能的にこの人が悪い人ではないのはわかる。
言葉の中身だけじゃなく、これまで話していても非常に真摯だし、私利私欲で動く類の雰囲気が全くしないのだ。
何より、影ながら村を守り続けている姿勢。何の事情があるのか知らないが、誰に褒められずとも、自分の善意で動くその姿には好感が持てた。
「なんで? 村のためにずっと働いてくれてたんだろ?」
「人間は普通、自らの行動に利を求めるはずだ。ボクが村を助ける利は何もない。それをおかしいとは思わないのか?」
「利? ああ、利益ってこと? うーん」
まあ、確かに利益があるに越したことはないよな。
母ちゃんも人間関係でもっともよいのはwin-winの関係だって言ってたし。
お互いに得るものがあるのが一番良いのはわかる。
でも……。
「アンシィ、フローラ。シトリンの行動っておかしいと思うか?」
「ん、何が?」
「立派な行動だと思いますよ」
「だ、そうだけど」
「…………君たちは底抜けにお人よしなのだな」
シトリンはどこか嘆息したような、でも、決して嫌そうではない表情を浮かべると、再び歩き始めた。
「まもなく常闇の庭園だ。あの魔人がしばらく住処にしていたようだから、多少は荒れているかもしれないが、ここは龍脈の要だ。土壌にはかなりの魔力が含まれているから、君たちの目的はおそらく達成されるよ」
「そうですか。よかった」
その言葉を聞いてホッとした。さすがに畑を一晩中耕したり、凶悪な魔人と命がけで戦ったりしたのだ。無駄足だった、ってパターンは避けたい。
フローラが背負ってくれている苗の状態は良いとはいえないが、今朝から劇的に弱っているという様子もない。
この分なら、植え替えもうまくいくだろう。
「着いた。ここが常闇の庭園だ」
指し示された場所は、樹木の根と石造りの建物が融合したかのような場所だった。
建物の方は相当古いだろう。ほぼ原形はとどめておらず、ところどころ巨大な樹木の根からかつての名残のようなものが顔を出すばかりだ。
中央には大きく根が開いたトンネルがある。
オレは、アンシィ、フローラとともに、おそるおそるその中を抜けた。
「うわぁ……」
思わず声が漏れた。
名前から、なんとなくおどろおどろしい場所をイメージしていたのだが、その想像とは全くの真逆だったと言っていい。
巨大な樹木の根でドーム状になった空間。
そこは確かに常闇ではあるのだろうが、ドームの天井付近を舞う、光の軌跡──夜光虫たちがまるで星々の輝きのように揺らめいてる。
地面はところどころ、ほんの足首までほどのプールになっており、夜光虫の放つ光が地面にも反射され、美しいシンメトリーが描かれている。
いうなれば、天然のプラネタリウムといったところか。
アンシィもフローラもその美しさを、しばらくボーっとした表情で眺めていた。
「どうやら魔人もこの美しさを壊すことはしなかったようだ」
後から入ってきたシトリンの言葉でハッと我に返る。
そうだ。目的を果たさないといけないんだった。
「フローラ、苗を」
「…………あ、はいっ!」
フローラもようやく目的を思い出し、背負っていたアルフィニウムの苗をオレへと手渡してくれた。
それを見たアンシィも我に返り、ノーマルスコップモードにチェンジするとオレの手に収まった。
さあ、移植作業だ。
「どこに植えるのが良いのかな?」
「あそこがいいだろう」
シトリンが指し示したのは、空間のほぼ中央にある花畑だった。
黒土の地面の上に、かすかに発光する山吹色の花々が並んでいる。
まるで天然の花壇のようだ。
「あそこに咲いているのもすべて魔草だよ」
「へぇ……!」
同じ魔草があれだけ青々と育っているということは、魔力をたくさん含んだ、それはよい土壌なのだろう。
見渡すと、魔草の中でも特に大きいものがあった。
他の魔草はせいぜいアルフィニウムと同程度、人間の膝くらいまでの茎の長さしかないが、その花はほとんど人間と変わらないくらいの背丈をしている。
花弁も大きく、大きさだけならオレの元いた世界でいうところのラフレシアのようでもあるが、その造形は繊細で美しい。
あの花の近くの地面は特に魔力が潤沢なのだろう。あまり近すぎると養分の奪い合いになってしまうが、少し距離を空ければ問題ない。
オレは足首までを水に浸しつつ、大きな魔草が咲く黒土の地面に向かって、一歩一歩歩いていった。
もう間もなくその場所に到達するというその時だった。
「退けっ!!!」
「えっ……!?」
シトリンからの警告。
それが聞こえた次の瞬間、目の前で何かが一瞬ブレた。
そう思った時には、強い衝撃とともにオレは吹き飛ばされていた。
ケツから水たまりに突っ込み、盛大な水しぶきを散らす。
シトリンの警告で反射的にスコップモードを<角>にしていて助かった。
ほかのスコップモードにしていたら、もっと遠くまで吹き飛ばされて、水たまりでショックを吸収してもらうこともできなかっただろう。
ハッ、そういえば、苗は……!?
慌てて周囲を見渡すと、オレと同じく、吹き飛ばされた苗をフローラが見事キャッチしてくれていた。
ホッと一安心だが、まだまだ、問題は解決していない。
オレは相手の方をぎろりとにらむ。
「何者だ……!?」
濡れてまとわりつく髪の毛を手で掻き揚げるとようやく奴の姿がはっきり見えた。
それは、あの大きな花だった。
花そのものがうごめき、葉が腕に、茎が胴を形作る。
下半身は足の形を成していないが、あれは間違いなく人型を模した何かだ。
とすれば、花弁は顔といったところだろうか。
目も口もないのに、明確な敵意を感じるその花弁。
あんなに美しく感じたにも、関わらず、今は強い嫌悪感を感じる。
「こいつは……?」
「はぁああ!!!」
オレが疑問を口にしたとほぼ同時に、シトリンが風の魔法を放っていた。
閉じられたドーム状の空間に、暴風が吹き荒れる。
飛んでいた夜光虫たちが、木々の隙間へと避難し、星空と見間違うばかりの空から、新月の闇夜へと空間が変化する。
一瞬の静寂ののち、とっさにフローラが放ったライティング魔法でようやく視界が確保された。
しかし、映し出された光景はあまり見たくなかったものだった。
これほどの暴風だというのに、まるで大地に根でも張っているかのように微動だにしない敵の姿だ。
「シトリン、こいつは……?」
「どうやら魔草が魔人化したようだ」
シトリンの額から冷や汗が流れてる。
魔人化とはどういうことだ。
「こいつはもともとここに咲いていた魔草だ。それが強い瘴気に触れ、魔人と化している。それを行ったのは、おそらく先ほどのあいつだ」
「さっき倒した魔人か!」
「ああ、どうやらあの魔人の役割は、魔草の魔人化だったらしい。魔王め。面倒なことをしてくれたものだ……」
魔王? 魔人と魔王は何か関係があるのか?
疑問は尽きないが、今はこいつをどうにかすることが先決だ。
ずっと地面をにらみつけていた奴が顔を上げた。目も耳も鼻もないが、どうやらオレたちのことはしっかりと認識できるらしい。
花魔人とでも呼べばいいだろうか。そいつが両の腕を差し出すと、腕から蔓が伸び、襲い掛かってくる。
「モード<樹>!!」
こちらに殺到する腕という名の蔓を、三面刃の樹モードで切断……しようとしてはじくので精一杯だった。
ただの蔓のように見えて、鋼のように固い。
「こいつ、なんて強度だ……!?」
「あいつの身体は魔草と同様だ。いくら魔力を吸収し、強固になろうとも火には弱いはず!」
シトリンが小さな火球を相手に向けて放ちながら、そんなことを言った。
なるほど、確かにアンシィの攻撃力では弾くのでやっとだったが、シトリンの火球は伸びてくる蔓を次々と灰に変えている。
火属性の攻撃ならば通る!
さっきの一つ目魔人との戦いで、炎帝の加護を使い切ってしまったオレは、ヒートスコップすら使うことができない。
けれども、炎が効くのならば、オレ達にはまだ、あの切り札が残っている。
「フローラ!」
しなる蔓による攻撃をシトリンとともに捌きながら、フローラに促す。
だが、フローラは躊躇した。
「ここで使ったら、庭園が……!」
「あー、そっか!!」
確かに、奴は倒せるかもしれないが、あの火力では庭園ごと焼いてしまうかもしれない。
少なくとも咲いている他の魔草たちはすべて灰になってしまうだろう。
「それは竜血石か……!?」
再び、風の魔法を制御しながら、シトリンが問う。
「そうです!」
「庭園への被害はボクは抑える。あいつを倒すにはそれを使うほかない!」
「わ、わかりました……!」
フローラは意を決して、右手に握りしめた竜血石に、魔力を込めて投擲した。
しかし、それに気づいた奴は、本体に石が到達する前に、伸ばした蔓で迎撃する。
奴の伸ばした蔓の先端と石が交錯したその瞬間──
ボウッ!!!
「ギイィイイイイイイイイイイ!!!?」
突発的な爆発が起こり、奴はこちらに伸ばしていた腕をすべて炭と変えた。
シトリンの風魔法による制御で、爆風はすべて、奴の方へと集中している。土壁を使わずとも、こちらの被害はゼロだ。
しかし、衝撃を奴の方向へと集中させたにも関わらず、距離があったためか、本体はダメージこそ負ったもののまだ健在だ。
「ディグ!」
フローラからオレに、残り一個の竜血石が手渡された。
すでに臨界状態。フローラの魔力が込められたそれをオレは爆発のダメージで一時的に攻撃の手が止まった奴に向けて投擲した。
生前から妹とのキャッチボールで馴らしたくちだ。
オレの投げた竜血石は、まっすぐに奴に向かって飛翔すると、その大きな花弁に直撃した。
瞬間、この世の終わりかという轟音とともに、炎が空間を染め上げた。