024.魔人現る
その日も村では宴会が催された。
昨日は結局一晩中耕作作業に勤しんでしまったので、村の人たちが用意してくれた宴席にも出れずじまいだったからなぁ。
とはいえ、明日も常闇の庭園の捜索ということで、早々に宴会を切り上げてもらうこととなった。
迎えの馬車に来てもらう予定の3日後まであと1日。できるだけ明日中には、植え替えを終えてしまいたい。
「では、おやすみなさいディグ」
「ああ、おやすみ。アンシィもな」
「一人寂しくても泣くんじゃないわよ」
「はいはい」
オレはアイナの家の前でフローラとアンシィと別れた。
今日は、二人はアイナの家に一緒にお泊りをするそうだ。
そのおかげか、今日は珍しくアンシィは酒を飲むのも自重し、しっかり素面状態である。
ダメ人間を更生させるのはやっぱり純粋無垢な子どもだな。
二人と別れたオレは、寝床にさせてもらっている宿屋へととぼとぼ歩く。
村長宅では、まだ、宴会が続いているようで、遠くからはどんちゃん騒ぎの音がわずかながら聞こえてくる。
ずっとモンスターの被害で抑圧されていたから、そのストレスから解放された気持ちはわかるが、こう連日連夜だと疲れないかね。昨日はオレ達抜きに普通に宴会してたみたいだし。
それにしても、騒ぎの途中で出てきてしまったので、水を飲み損ねてしまった。
井戸で冷たい水を一杯もらってから寝床に帰るとしよう。
「ん?」
ふと立ち止まる。
ほんの意識を逸らした一瞬に、オレの目の前に人が立っていた。
黄色いワンピース姿の小柄で、髪の長い女の子だ。
青白く光る月明かりを受け、女の子の薄い金髪がキラキラと煌めいている。
風に揺れるスカートの裾から見える足首は折れそうなほど細く、陶器のように白い。
なんて幻想的な光景だろう。
一瞬心奪われそうになるが、ハッとして我に返る。
なんで、こんな時間に、こんな場所に女の子が?
「こんばんは」
疑問を口にするよりも早くその女の子が口を開いた。
心にスンと響くような、首筋にくすぐったさを感じるような、不思議な声。
「あ、こんばんは」
オレが返事をすると、女の子はわずかに頭を揺らしながら、ゆっくりとオレの方へと歩いてきた。
近づいてくるにつれ、その顔の造形の精緻さがわかる。
まるでビスクドールかのように完璧な造形美。
小柄さもあって、幼さを感じる顔立ちではあるが、どこか大人っぽい雰囲気もある。
村娘……というよりは、どこかの国の深窓の令嬢とでも言われた方がしっくりくる。
「はい」
そんな絶世という枕詞をつけたくなるような美少女から、なんでもないような動作で、何かが手渡された。
それは木製のコップだ。中には井戸から汲んだばかりの冷えた水が入っている。
「喉が渇いてたんでしょ」
「あ、ありがと」
なんで、オレが喉が渇いてるってわかったのだろうか。
不審に思いつつも、せっかく差し出してくれたグラスに入った冷水をオレは飲み干した。
「うん、美味い」
「…………君は警戒心がまるでないんだね」
「ん? 何か言った?」
「うん……君にお願いがあるんだ」
「お願い?」
突然なんなのだろう。
「魔の森にはもう行かないで欲しいんだ」
「えっ……?」
魔の森に行くな、だって?
突然、現れた女の子に、なんでこんなお願いされるんだ?
「悪いけど、それはできない。オレ達は常闇の庭園にどうしても行かなければいけないんだ」
「…………そっか」
女の子はそれきりしばらく黙っていたが、オレに背を向けた。
そのまま背中越しに喋る。
「無駄足になるよ。きっと」
「どういうことだ。というか、君は……?」
「じゃあね」
次の瞬間には、女の子の姿はどこにもなかった。
「…………なんだったんだ……?」
狐につままれたような気持ちを残しつつも、オレは宿に帰った。
翌日、オレ達は、再び魔の森へと赴いた。
インペラさんには今日は同行してもらっていない。
少し危険な探索の仕方をしてみようと思っているからだ。
一緒に歩く二人には昨日の女の子との話はしていなかった。
どうにも突拍子の無い話過ぎるし、一晩寝た今となっては、夢だったのではないかと思える。
変に不安を煽る必要もないと思い、結局、何も言わずにここまで来た。
「さて、着きましたね」
オレ達は昨日、拠点とした粘土質の岩肌の場所までたどり着いた。
とりあえず、昨日と同じように印をつけながら、今日は北東方面へとまず探索をしてみる。
しかし、やはりといってよいのか、しばらく歩いていると、一番最初に印をつけた地点へと戻ってしまっていた。
「やっぱり何か魔法がかけられているようですね」
「このまま歩き続けても同じってわけだな」
ここまで来たら、おそらく他の方向に歩いていったとしても同じだろう。
ゲームやウェブ小説の場合なら、例えば唯一正解のルートがあったり、何かアイテムを持っていることによって道が開けたりするわけだが、今からそんな正攻法を試している時間はない。
「アンシィ」
「ほい」
オレは、昨日から実践しようと思っていた作戦を実行に移す。
「行くぞ!」
全力でアンシィを振るい、地面に穴を穿つ。
そう、地上がダメなら地下作戦だ。
比較的柔らかい腐葉土の地面を抜けて、岩盤へ。そのままさらに掘り抜いてトンネルを作る。
今回はオレだけなく、フローラも通るので、少し大きめの穴だ。
ループの場所を超えるように、百メートルほどの長さのトンネルを一気に掘り抜いた。
普通の人間なら数十日はかかるであろう穴掘り作業もついにスコップ技能レベル60を超えたオレなら、ものの数分で可能だ。
岩盤をぶち破るように飛び出た先は、同じような森の中だった。
しかし、先ほどまでとは違って、わずかに霧がかかっている。
「どうですか、ディグ?」
オレが作ったトンネルをくぐってきたフローラが問いかけた。
照明魔法を携えて、やってきたらしく、フローラが来たことで暗い森が少しずつ照らされていく。
そうやってあらわになった森は、さっきまでとはわずかに空気が違う気がする。
「ああ、どうやらループを抜けれたらしい」
さて、あとは、闇の濃い方に向けて歩いてみるか。
そう思い、一歩踏み出したその時だった。
「ディ、ディグ……あれ……?」
「ん?」
フローラの指差す先に、何かぼんやりとしたものが浮かんでいた。
赤い光だ。
まるで火の玉のようにうすぼんやりとした光源が三つ、ゆらゆらとゆらめいているのだ。
それは少しずつこちらに近づいてくる。
彼我の距離が詰まってくるにつれて、霧が薄れ、その姿が徐々にあらわになってくる。
はっきりとしてきたその姿はまさに……。
「三つ目の化物……?」
「ギギャアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
気づいた瞬間、咆哮が森の中に響き渡った。
その声におぞけがした。
今までも、魔物の叫び声を聞いたことは多々あった。
ドラゴンの叫びは迫力があったし、キングシュロマンダーの叫びは低く唸るような獣の声だった。
だが、この叫び声はこれまでのものとはどこか違う。
人と獣の中間、咆哮と悲鳴の狭間とでも言おうか、生理的嫌悪を催すようなそんなひどい叫びだ。
本能が警戒をビンビン訴えてくる。
「フローラ!」
気づくと、オレはフローラの手を握り、走っていた。
奴が来たのとは逆側、方向はわからないが、とにかく奴から離れたい一心で道なき道を走る。
だが、奴は素早かった。
あっさりとオレたちの頭上を飛び越えると、霧を切り裂くようにして目の前に着地した。
そいつは、人間だった。
いや、シルエットが人間なだけで、あの醜悪な三つ目は、逆立つような漆黒の髪は、決して人間ではありえない。
こいつは今まで戦ってきた魔物とはあきらかに違う。
魔物と人との中間のような化け物だった。
「ギギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
再びの咆哮。同時に、奴は車のテールランプのような軌跡を残しながら、こちらへと迫る。
こうなった以上、もはややるしかない。
「土壁!」
直線的な奴の突進に合わせて土壁を発動。
そのまま壁に激突する三つ目の化け物だったが、まるで壁などないかのように、強引に壁をぶち破ってきた。
土壁に使用した地面が腐葉土ばかりで緩かったこともあるが、それにしてもたいしたパワーだ。
「ホーリーチェイン!!」
土壁を破壊する一瞬のタイムロスを使って、フローラが呪文を詠唱する。
光の鎖がやつに絡みつき、その動きを完全に掌握した。
しかし……。
「グゥウウウウウウウ、ガァアアアアアアアアアアアアア!!」
「嘘だろ……」
鎖に罅が入ったかと思うと、一瞬にして粉々に砕け散った。
「ディグ……こいつやばい……!?」
さすがのアンシィの口からも驚愕の声が漏れる。
「オールアップ!!」
フローラがオレに身体能力強化の呪文を唱える。
瞬間、スッと身体が軽くなった。
「ヒートスコップ!!」
迫る奴の拳を迎え撃つようにアンシィを叩き込む。
フローラの圧倒的魔力での身体能力強化のおかげで、膂力はかなり上がっているはず。
それにも関わらず、オレと奴のパワーはおおよそ互角だった。
鍔迫り合いののち、お互いにわずかに引いて距離を取る。
「グルゥアアアアアアアアア!!!」
「化け物め……!」
と、奴の身体が急にブレた。
いや、違う。分身したのだ。
いやいや、それも違う。これは、分離だ!
三つ目だった奴の身体がズレたかと思えば、いつの間にか一つ目の化け物が三体になっていた。
「そんなんありか!?」
一つ目になった化け物は、三体それぞれが様々な軌道で襲い掛かってくる。
速い!! 合体していたときよりもさらにスピードが上がっている。
「フローラ、いけるか!?」
「は、はい!!」
フローラが再びホーリーチェインを唱える。
しかし、一度見て、学習しているからか、はたまた敵の数が増えて効果が散漫になってしまったためか、奴らはそれぞれ光の鎖を掻い潜ってこちらに殺到する。
迎え撃つも、オレの攻撃は奴らの身体を掠めただけにとどまった。
三体のうち一体の攻撃が、オレの腹部をとらえる。
「ぐふっ……!!?」
身体能力強化のおかげで、防御力も上がっているオレではあるが、それでも、耐え難い衝撃が襲う。
だが、オレは根性で痛みを吹き飛ばすと、オレを攻撃したことで、一瞬動きの止まった一体の腕をすかさずつかんだ。
「グギャッ!?」
奴が初めて、驚いたような声を上げた。
チャンスは今しかない。少し早いが、切り札を使う。
「アンシィ!!」
「炎帝煉獄陣!!!」
ヒートスコップの練度が増したことによって新たに獲得した、オレの最大火力のアクティブスキルが発動する。
炎帝の加護の力を全開にし、相手を芯から焼き尽くす超攻撃的なスキルだ。
敵を掴み、密着していないと使えないという弱点はあるものの、その火力は折り紙付き。
概念的な炎はオレさえも包み込んで吹き荒れ、火柱となって燃え上がる。
やがて、一つ目の化け物の一体を消し炭になるまで焼き尽くした。
「はぁはぁ……」
肩で息をしながら、オレはアンシィを支えになんとか顔を上げる。
炎はオレには当たり判定はないのだが、このスキルは精神力を消耗するらしく、ドッと疲れが襲ってくる。
しかし、これで残り二体。二対二の構図に持ち込めた。
とはいえ、炎帝煉獄掌は1日1回が限度だ。それどころか、一度使ってしまえば、しばらくの間、通常のヒートスコップすら使えなくなる。
どうにかして、残り2体を炎帝の加護なしで打倒さなければならない。
「ディ、ディグ……!!」
燃え盛る業火から距離を取っていた残り2体を指さして、フローラが驚愕の表情を浮かべた。
「マジ……かよ……」
倒したはずの1体の魔人が、何事もなかったかのように、悠然と生き残った2体の横に立っていた。