153.賭博場の演奏者
「この人……凄い……」
ポツリとコルリがつぶやいた。
あまり他人に対して、こんなことを言うタイプじゃないコルリが、思わずそう口に出してしまうくらい、ゲンヤのステージは素晴らしいものだった。
まるで踊るようにステージを縦横無尽に移動しながら、アコースティックギターをかき鳴らす。
ピックを使わず、指だけで、弦を柔らかくも激しく震わせる。
パーカッション奏法というのだったか。リズミカルにギター本体を叩く小気味よい音とメロディアスなアルペジオのラインが不思議と耳に馴染む。
演奏の技術はもちろん、歌声も一級品だ。
少し女性的な、ハイトーンボイス。
語り掛けるように優しいその声色は、女性ならずとも思わず、ぐらりと心が揺れてしまいそうだ。
あの夜の、ゆったりとした曲調の演奏では見られなかった激しく声を張り上げる場面もあり、緩急をつけた演奏と歌唱に、目を、耳を、彼から一時も離すことができない。
これも、もしかしたら、概念スキルの力なのだろうか。
人格的にはどうであれ、この人のパフォーマンスには、確かに"力"を感じた。
と、ほんの一瞬のようなステージが終わり、彼が最後に気障にマントを翻した。
すると、会場中のあちこちから拍手の音が響き渡り、女性達から黄色い声援が飛ぶ。
彼が地面に置いた帽子には、次々と他の客たちからさまざまな色のチップが放り込まれた。
なるほど、彼は、ギャンブラーとしてではなく、あくまで、演奏者として、このカジノで生計を立てていたわけか。
「ややっ、紳士淑女の皆さま! ありがとう! そして、ありがとう!」
大仰に、手を振りながら観客達に会釈をするゲンヤ。
その傍らには、いつの間にか、少女の姿へと戻った神器の姿も見える。
「ディグ」
「ああ」
タイミングとしては、頃合だろう。
オレは、オーナーからもらった黒いチップを一枚、指で弾くようにして、彼の眼前へと飛ばした。
反射的に彼が、そのチップをキャッチする。
「おっ、黒。これはこれは、ありが……って、君は……」
「一昨日ぶりですね。ゲンヤさん」
オレがにっこりと微笑んでやると、ゲンヤは、露骨に嫌そうな顔をした。
「素晴らしい演奏でした」
「当然だ。僕はアーティストだからな。この世界では、吟遊詩人とかいうらしいが」
「今の演奏で確信しました。やっぱり、オレ達には、あなたの力が必要なんです」
「僕の演奏を正当に評価してくれるのは嬉しいがね。でも、それとこれとは話は別だ。何度言われても、僕はここを離れる気はない」
「あんたねぇ!」
「アンシィ、少し離れていましょう! ほら、あのスロットとかやってみませんか!」
ゲンヤの気のない返事に、また、怒り出そうとしていたアンシィを、フローラが気を利かせてこの場から離してくれた。
あいつは猪突猛進すぎて、交渉事には、てんで向いてないな。
オレは、襟を正すと、努めて真摯に頭を下げる。
「おい、君……」
「ゲンヤさん、頼みます。魔王は、きっと転生者を狙ってきます。ゲンヤさんやこの街のことだって狙うかもしれません」
「脅しかい?」
「事実です。実際、オレ達が住む、ドーンの街は、先日魔王軍の襲撃に遭いました」
「ドーン……ああ、僕が最初に目覚めたあの街か」
どうやら、転生した際、ゲンヤもオレと同じくドーンの近くがスタート地点だったようだ。
「その時は、なんとか魔王軍を撃退することができましたが、被害は甚大でした。もう、いつ何時、魔王軍が襲ってくるかわからない状態なんです。だから!」
「…………そんなことになっていたのか」
一瞬、ゲンヤの顔に逡巡が浮かんだ。
やはり、この人にも良心がないわけじゃない。
もう一押しだと、口を開きかけたその時だった。
「あら、ゲンヤ様。お知り合いでしょうか?」
オレとゲンヤが話す横合いから、一人の女性が、声をかけてきた。
先ほどゲンヤと話していた、ドレスを身に纏った妙齢の女性達とは違う。
いわゆるカジノのテーブルゲームの進行役をするディーラーの衣装を身に纏った若い女性だ。
フローラと同じく、エメラルドグリーンの髪色だが、前髪の一部に朱色のメッシュが入っている。
おさげのように、髪の後ろを二つくくりにしており、腰よりも長いその先端は、わずかにくるりと癖がついている。
大きく開いた胸元と、スリットの入ったスカートからのぞく肉付きの良いふとももが、目に毒なくらいセクシーだ。
そんな美少女ディーラーは、オレとゲンヤを引き離すように、身体を割り込ませた。
「フルオラ……」
「ふふっ、先ほどの演奏も素晴らしかったです。軍資金も手に入ったようですし、そろそろ私のテーブルで愉しみませんか?」
「あ、ああ、そうだな……」
「えっ、あっ、ちょっと……!」
あれよあれよという間に、フルオラと呼ばれた女性に、背中を押されて、ゲンヤがその場を離れていく。
慌てて、追いかけようとしたオレだったが……。
「あっ……?」
一瞬、何か花の香りのようなにおいが、鼻腔をくすぐった。
それは、あのディーラーが身に纏っていた香水の匂いだっただろうか。
とにかく、その香りを強く意識した瞬間、妙な感覚が全身を支配した。
思考に空白が生じたとでも言おうか。
なんともいえない雰囲気を感じたと思ったその時には、すでに、ゲンヤの姿は、はるか遠く、カジノ奥の扉へと消えていた。
「ディグ、どうしたんだ。急に立ち止まって?」
「あ、いや……」
慣れない匂いに、身体が反応してしまったのだろうか。
とにかく、オレの失態で、彼と話せるチャンスを逃してしまった。
「ディグ、とにかく、もう一度話を聞いてもらおう」
「ああ、そうだな」
オレは、気を持ち直すと、フローラとアンシィを除いたメンバーで、彼がくぐっていた扉へと歩を進めた。
そして、その扉をくぐろうとしたところで……両脇に控えていたドアマンに止められた。
「お客様、たいへん失礼ではございますが、こちらは、VIP専用ルームとなります。一般のお客様のご入場はご遠慮いただいております」
「VIP専用?」
どうやら、彼はしっかりとVIP待遇であるらしい。
考えてみれば、ホテルの方でも、一番良い部屋をあてがわれていたもんな。
「えっと、ゲンヤ様とお話ししたいことがあるんだけども……」
「ご遠慮願います」
「ですよねぇ……」
まあ、その辺の事情をカジノのスタッフが酌んでくれるわけないよね。
となれば、こちらもVIP待遇を受ける他ない。
「あの、どうすれば、VIPってなれるんですかね?」
「入会料の20倍の金額に相当するチップをお支払いいただくことで、VIP会員になることができます。おひとりがVIP会員様であれば、お連れ様が一般会員であっても、ご入室自体は可能です」
「じゅ、20倍……!?」
いやいや、すでに、入会料だけで、相当の額支払ってるんだぞ。
その20倍の金額なんて、さすがに払えるわけがない。
「どうする、みんな……?」
「私がドアマンの隙をついて、一気に駆け抜ける」
「いや、コルリ。さすがにそれは止めとこう。それに、同じ転生者であるオレが話した方が、たぶん良い」
「となると、こちらも正攻法……つまりお金を稼ぐしかないわけか」
「いや、だが、さすがに、フローラの治療やコルリのパフォーマンスでも、それだけ稼ごうと思えば、どれだけの日数がかかるか……」
「皆様、大切なことを忘れていらっしゃいませんか?」
頭を捻るオレ達の前に、アルマが、ぴょこんと身を乗り出した。
「大切なことって?」
「ここがどこかということです」
「ここはカジノだけど……って、まさか」
「そうですよ。ディグ様」
アルマは無邪気な笑顔でこう宣った。
「稼ぎましょう! ギャンブルで!」