146.サザビィ島
「ふぅ、ここがサザビィか……」
沖合の港街から、船で丸1日。
たどり着いたサザビィ島は、まさに"芸術と快楽の街"という名にふさわしい威容だった。
周囲を断崖絶壁に囲まれた中、唯一開かれた海岸、そこに沿うように立ち並ぶ白亜の家々の美しさは、筆舌に尽くしがたいほどだ。
港には、個人所有であろうクルーザーのような船がいくつも並び、水着姿の金持ちたちが、思い思いにバカンスを楽しんでいる。
そして、島の最も海抜が高いであろう場所には、ド派手な看板をたたえた、まるで城のように立派な石造りの建物が聳え立っている。
おそらく、あれがこの島の象徴ともいえる世界一の賭博場──グランカジノと呼ばれる場所なのだろう。
「しかし、入島するだけで、こんなにお金がかかるなんて……」
慎ましく暮らせば、2,3か月くらいはなんとかなりそうなほどの大金を払い、寂しくなった革袋を逆さに振りながら、フローラが嘆息する。
フローラはスイーツと風呂に関しては金を惜しまないが、そのほかに関しては、基本倹約家なので、ただ入るだけでこんなにお金を取られるという事実に、どうにもテンションが下がっている様子だった。
貧乏時代の長かったフローラらしい。もっとも、実際は自腹ではなく、西冒険者組合が立て替えてくれているものなので、オレ達の腹が痛むわけではないのだが。
この島は、金持ちたちが一時のバケーションを楽しむための場所であり、外地からやってくるのは、ほとんどがどこぞの土地の領主だとか、大商人だとかだ。
入島料そのものが、防犯の役割を果たしている側面もあるのだろう。
事実、オレ達以外で同じ船に乗ってきた人たちも、ほとんどは金持ちそうな紳士淑女ばかりであり、冒険者の姿など一人も見えない。
「本当に、こんな島に転生者がいるのかしら?」
「元々は、クエストで、この島の調査に来ていたんだよな?」
「ああ、ミナレスが言うには、この島には、遥か古の時代の遺跡があり、その調査で派遣されたということだったが」
遺跡……か。
左右を見れば、でっぷり肥え太ったおっさんがこぎれいな奥さんときゃっきゃうふふしながら過ごしている姿ばかり目に入る。
いかにも金持ちの避暑地って感じのこの場所に、遺跡なんてものがあるイメージが一切わかないのだが。
「とりあえず、街中へ行ってみよう。目立つ人物らしいので、地元民に聞けば、いくらでも情報は得られるだろう」
「ああ、そうだな」
というわけで、一部の金持ち連中から、若干うろんげな視線を向けられつつも、オレ達は、桟橋から白亜の壁の並ぶ街の方へと移動した。
緩やかな斜面を登るにつけて、少しずつ避暑地の様相から、一般的な地中海風の街並みへと変化してきた。
道行く人々の様子も、金持ちから島民らしき姿に変わってきたのだが、皆、結構開放的な身なりだ。
比較的あたたかなこの島の気候がそうさせるのだろうか。薄着かつ、胸元がなかなかにはだけた服装をした女性ばかりが目に入る……。ここ、いいな……。
と、無意識に町娘たちの胸元ばかり見てしまっていたら、そのうちの一人と目が合った。
褐色の肌をしたオレより少しだけ年嵩の美人さん。
谷間近くのほくろがやけにセクシーな彼女は、こちらの視線に気づいた途端、うっすら微笑むと、ウインクを返してくれた。
ズキューン!!
その反応は反則ですぜ……。
あれかな、ゲンヤとかいう転生者も、この島のこのどことなく情熱的な雰囲気にやられたのだろうか。ちょっと気持ちがわからんでもない。
「ディグ様、どうかしました?」
「なんでもないよ」
知らず知らずのうちに胸を押さえていたオレは、慌てて手を離す。
いかんいかん。町娘たちの色香に惑わされている場合ではない。
オレは、ここに転生者を探しに来たのだ。ミイラ取りがミイラになってしまっては冗談にもならない。
と、オレのそんな気持ちを知ってか知らずか、ウインクをしてくれたお姉さんが、オレの方へと近づいてきた。
そして、オレの両手を取ると、笑顔を向けた。
「ねえ、お兄さん。どこかの勇者様?」
「うぇっ!? いや、オレは……」
いや、お姉さん、顔近いです……。
おもわずどもってしまうのは、しがないスコッパーの性質なので許して欲しい。
「あら? こんなにかわいい女の子達連れてるのに、初心な反応ねぇ。ふふっ、ちょっと可愛いかも」
お姉さんは、妖艶に微笑むと、ゆっくりとその細くて長い指をオレの胸元へと這わした。
背筋にビリリと電撃が走る。
うっ……いい……。
と、そんなゾクゾクとするような感覚がすぐに途切れた。
お姉さんの手をコルリが掴んでいた。
そのまま、無言で、お姉さんの手を払いのける。
お姉さんは、一瞬、肩をすくめたが、コルリに掴まれた手を確認するように、軽く振るうと笑った。
「ふふっ、いきなり失礼だったわね。ごめんなさい」
お姉さんは、意外なほど丁寧に腰を折る。
「私の名前はオリーブ。あなた達冒険者さんよね? この島では珍しいから、少しお話してみたくって」
そう言って頭を掻くオリーブと名乗ったお姉さん。そんな様子を見ていると、少なくとも悪い人には見えない。
「ああ、ボク達はドーンから来た冒険者だ。とある人物を探しているのだが、心当たりはないかな? ゲンヤという名の吟遊詩人なのだが」
「なんだ。ゲンヤ"様"のお知り合いなんだ」
お姉さんは、合点が言ったとばかりに、手をポンと叩いた。
「知ってるんですか?」
「有名人だもん。この島で知らない人はいないよ」
「あー、やはり目立つ人物なんですね」
「目立つっていうか。まあ、彼ってこの島の英雄みたいな人だもの」
「英雄?」
「あ、いや、別に、彼本人が英雄的な活躍をしたとかそういうことじゃないんだけど……」
「あの、彼のついて、詳しく教えてくれませんか?」
「うん、いいよ。でも、立ち話もなんだし……」
お姉さんは、人差し指を唇に当てると、近くに建っていた宿酒場を指差した。
「あとは、お店で、ね♪」
「団体様、ご一行、はいりまーす♪」
『よろこんで~!』
店中のお姉さんたちが、一斉に声を上げる。
「ははっ、お姉さん、客引きだったわけですか……」
「うん、結構お金持ちのおじさまも入ってくれるのよ。こういう下町の雰囲気もたまには良いって♪」
「まあ、オレも嫌いじゃないですけど」
着席したオレ達。目の前には薦められるままに注文した食事が山のように置かれ、さっそくアンシィが舌鼓を打っている。
昼間だというのに、酒さえ普通に出て来る。
うん、なんとなく、この島が"快楽の島"と呼ばれている所以がわかったような気がする。
と、そんなオレの横に、仲間達を押しのけて、お姉さんが座った。
「さあ、お兄さんも飲んで飲んで」
「あ、その、どうも……」
飲みニケーションに付き合わされる新人社員ってこんな気分なんだろうかと思いつつ、オレは薦められるままに酒を煽る。
うぐぅ……苦いし、なかなか度数が高そうだ。
「どう、口に合う?」
「オレには、ちょっと早いかもです……」
「そんなことないわよ。この島の地酒は、島の女と同じよ。最初は、少し味がきついと思っても、そのうちにそれがないと、満足できなくなる」
頬に触れるお姉さんの指。
ダメだ。どぎつい酒を飲んだせいもあってか、頭がクラクラするくらい熱い。
「ディグ様、お水です」
そのまま、お姉さんに身も心も委ねてしまいそうになっていたところに、アルマが冷たい水を差しだしてくれた。
オレは、お姉さんの腕を振り払うようにして水を飲む。
ふぅ、少し落ち着けた。
本当にいかんぜ。この島は、魔性だ。
「もう、せっかく良いところだったのに」
「いやいや……その、とりあえず、そろそろゲンヤという人について教えてもらえないですかね?」
「えー、もっとお愉しみはいっぱいあるのに……。まあ、いいわ。そうね。ゲンヤ様について話すなら、まず、この島の歴史から知ってもらわないとね」
ごほんと咳ばらいをすると、お姉さんは、眼鏡をかけた。
どうやら、真面目な話をする時は、眼鏡をかけるらしい。
「この島は、数百年前……一度滅びかけた島なの」
まるで、遠い日に思いを馳せるかのように、お姉さんは目を細めた。