012.失われし神の回復術士
「はぁ……はぁ………」
息が切れる。
どれだけ走っただろうか。
いつの間にか、周りは鬱蒼とした木々に囲まれていた。
左手にはほの暗い沼が広がっている。随分、森の奥まで走ってきてしまったらしい。
そう、私は逃げた。
また、逃げたんだ。
「今度こそはって……そう思ったのに……」
また、やってしまった。
これで何度目だろうか。
私は回復術士でありながら、回復魔法を使うのが下手だ。
まったく使えないわけじゃない。
でも、成功率は良くて30%ほど。
10回、回復魔法をかければ、7回は爆発させてしまう。
今度こそは、と思って、普段よりもずっと集中力を高めて、呪文を唱えた。
でも、やっぱり駄目だった。
私は、出来損ないの回復術士だ。
いや、本当は回復術士ですらない。
私の本当の職業は、失われし神の回復術士。
あの人のスコッパーと同じ、EX職業だ。
私を鑑定した魔導士の話では、私の職業は、神々の時代に活躍した、原初の回復術士と同じ力を持った職業なのだという。
最初は自分がそんな大それた職業を持っていることに驚いた。
それまでの私は、何の取り柄もない、ただの村娘だったから。
でも、それが知れた途端、村の人たちの態度が変わった。
凄い事だ。喜ばしい事だ。村の誇りだ。
私はまったく変わってない。
ただ、職業が変わっただけで、皆、私の事を褒め称えた。
私は村を出ることになった。
EX職業を持った人は、女神の寵愛を受けた者。
だから、冒険者になって、人々のために、世界のために働くのが当たり前だった。
正直、悲しいとは思わなかった。
村には、もう私を私として見てくれる人はいなかったから。
この街に来て、冒険者になった私は、自分がEX職業持ちであることを隠した。
私は、私をただの私として見て欲しかった。
だから、普通の回復術士として振る舞った。
でも、私にはそれさえできなかった。
異常なほど高い魔力とそれに伴わない未熟な精神力。
その齟齬が、私の回復術を人を傷付ける凶器へと変えた。
最初は喜んで迎え入れてくれたパーティの人たちも、私が危険な回復術士だとわかるとすぐに愛想を尽かした。
当然だ。使えない回復術士ならまだいい。
足を引っ張るどころか、一緒にいるだけで危険にさらされる回復術士なんて、どこにも受け入れ先は無かった。
自分のヒールが危険であることを知りながら、私は誰かが怪我をしているのを見ると、どうしても癒そうと思ってしまう。
身体がうずうずとして、気を抜いたら、勝手に呪文を唱えようとしてしまうのだ。
<失われし神の>の名を持つEX職業持ちは、前世の記憶の一部保持していることがあるらしい。
どうやら、私は前世の意思に引っ張られているようだった。
ならば、せめてまともなヒールを使えるようになるしかない。
そう思って頑張ったが、でも、どうにもならなかった。
自分を痛めつけて、自分に回復術を使うことを繰り返したが、効果はなかった。
回復術を鍛えるには、怪我をした人を癒すしかない。
いつしか、死の回復術士と呼ばれるようになった私に、回復術で癒して欲しいなどという人はもちろんいなかった。
EX職業持ちは、他の職業に転職することはできない。
どうしようもなくなった私は、日々ソロで、薬草採りのクエストにひたすら打ち込む毎日に甘んじた。
誰とも関わらなければ、内からあふれ出てくる癒しの衝動に苛まれることもない。
何も考えず、ただ、薬草を採り、日銭を稼ぐ。そんな日々が続いた。
今朝も、いつものように薬草採りのクエストに出かけている最中だった。
そこにあの人が現れた。
黒髪黒目。この辺りでは珍しい顔立ちをした、私と同じくらいの年の男の子。
付近を根城にする山賊に襲われた少年は、おそよ冒険者には見えなかった。
だから油断した。
せがまれるまま回復術を使ってしまったことで、私はまた魔力を暴発させた。
幸い、直撃はしなかったものの、彼は爆破のショックで倒れてしまった。
私は、本気で焦った。
彼が気絶してしまったのももちろんだが、ボロボロになった彼に、もう一度ヒールをかけようとしている自分に気づいたからだ。
今、そんなことをして失敗すれば、彼を殺してしまうかもしれない。
その恐怖心でなんとか回復衝動を抑え込み、私は街へと彼を運ぼうとした。
でも、女一人の腕力じゃ、かなりの時間がかかるのは目に見えていた。
道中で、再び回復衝動が抑えきれなくなるかもしれない。
そんな時だ。彼を背負いながらも、歩き出せない自分の元に、どこからか一人の女の子が通りかかった。
緋色の髪と目をした、とても美しい女の子。
女の子は、何も言わず、私が背負う彼のお尻を持ち上げてくれた。
こちらから話しかけても彼女は一切しゃべらなかったけど、助けてくれようとしているのはわかった。
私も、自分の回復衝動を抑えるのに必死だったから、あまり彼女に話しかける余裕も無かった。
私と緋色の女の子は、なんとか街の宿の前へと彼を運んで来ることができた。
ふと、気づいたときには、緋色の女の子の姿はどこにもなかった。
それから、彼が冒険者志望であることを私は知った。
柄にもなく、少し先輩冒険者風を吹かせてしまったかもしれない。
私は彼を冒険者ギルドまで案内した。
そして、カードを作成して驚いた。彼もEX職業持ちだったのだ。
私が例外なだけで、普通であれば、EX職業を得ることは、冒険者にとって誉れ高いことだ。
事実、彼がEX職業持ちだとわかった時、周りからは賞賛の声が上がった。
けれど、彼は喜ばなかった。
なぜかはわからない。
でも、そんな彼の姿を見て「私と同じだ」と思ったのだ。
もしかしたら彼だったら私とパーティーを組んでくれるんじゃないだろうか。
そんな風に、私は一瞬思ってしまった。
現金な自分に対しても、彼は底抜けに優しかった。
他のパーティの誘いを蹴り、私をパーティに誘ってくれたのだ。
嬉しすぎて、涙がこぼれそうだった。
でも、同時に、罪悪感もあった。
彼は、私が死の回復術士であることを知らない。
そんな状態で、パーティを組んでもらうのは詐欺ではないのか。
実際、最初、私と二人でならパーティに入ると言ったディグさんの提案が通ることはなかった。
冷静な部分では、彼とパーティを組むべきじゃない。すぐに断るべきだと理解していた。
けれども、頭では強くそう思っていても、心が彼とパーティを組みたいと叫んでいた。
結局、私は、彼の優しさに甘えてしまった。
クエストに行くことになった。
彼にとって、EX職業というのは、本当にただの制約でしかなかったらしい。
なるほど、まともな武器を欲しがる気持ちもわかった。
彼は、びっくりするほど弱かった。
なにせ、冒険者になったら、まず最初に討伐するであろうあのシュロマンダーにすら、全く歯が立たなかったのだ。
後衛職ですら、杖でぼこぼこにできそうなあの魔物に、彼はあろうことかボロボロにされていた。
心の中で、ディグさんはEX職業持ちだから、という無意識な期待感があったのかもしれない。
自分も使えないEX職業持ちのくせに。
まさか、低級魔物相手に、こんなにボロボロになるなんて、全く思ってもみなかったのだ。
そうして傷ついた彼は、再び私に回復して欲しいと言ってきた。
バカな私はまたミスを犯したのだ。
「もう、嫌だ……」
自分の冒険者カードを見る。
職業欄に表記される失われし神の回復術士の文字。
こんな職業のせいで、私は……。
そうだ。もう止めてしまおう。
いつかはきっとまともな冒険者になれる。
そう信じてやってきたけど、もう限界だ。
これ以上、誰かを傷付けたくない。
私は、グッと力を込めて、冒険者カードを握り込む。
このままあの泥の沼地に捨ててしまおう。
そう思って、カードを大きく振りかぶった。
シュロォオオオオオオ!!!
鳴き声が聞こえた。
聞き馴染んだ、低級モンスター、シュロマンダーの声。
いや、似ているけれども、少し太い。
微妙な違和感を感じていると、カードを投げ入れようとした沼が大きく波打ちだした。
「な、なに……!?」
沼の中から小山ほどもある何かが現れた。
いや、この見た目は先ほども見たことがある、シュロマンダーだ。
でも、サイズが全然違った。
シュロマンダーはせいぜい人間より一回り小さいくらいの大きさだったけれど、今、目の前にいるこの魔物はシュロマンダーの優に数十倍は大きい。
牙も発達し、腹はパンパンに膨らんで貫禄がある。
その上、一般的なシュロマンダーが四足歩行なのに対し、巨大なシュロマンダーは、2本の脚で立っている。
鱗があるわけではないけど、造形としてはドラゴンに近い。
そういえば、聞いたことがある。
魔物の中には、まれにその種族の上位種で、その種族を統率する立場、つまり王や王女のような個体が存在するということを。
さしずめ、このモンスターは。
「キング……シュロマンダー……」
「シュロォオオオオオオオオオオ!!」
雄たけびに、森の木々たちが小刻みに揺れ動く。
鳥たちが一斉に羽ばたいた。
キングシュロマンダーは、自分の縄張りにやってきた私を敵と認識したのか、のそりのそりと私の元へと歩を進めだした。
四足歩行のシュロマンダーと違って、その動きはやや鈍重で、お世辞にも早いとは言えない。
でも、パワーには天と地ほどもの差があるだろう。
なぜだか、逃げなきゃという思いは浮かばなかった。
もしかして、この魔物は、何をやっても使えない私に終わりを与えるためにやってきたのではないか。
ゆっくりと私の元へと向かってくる巨大な姿に、私はそんなふうに感じてしまった。
あの牙なら、あの太い腕なら、私の命をあっさりと刈り取ってくれるかもしれない。
もう、疲れたのだ。
「…………来て」
私は両の腕を広げた。
「シュロォオオオオオオオオオオオ!!!」
轟音と共に、その太い腕が振り上げられる。
ああ、これでやっと──。
「うぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
叫び声が……聞こえた。




