表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/70

9 勇者ロベルトの戦い

サクヤ視点、途中からロベルト視点になります。


 チェスの駒のうち、クイーンと配置されたサクヤは、キングであるニニギから離れて1人になった。

 以前の世界では、ニニギに呼び出されていない時は、存在がないも同然だった。 だが、この世界は違う。


 ニニギと離れたのも、少しでも長くニニギと過ごすためだ。ニニギが元の世界に帰りたがっているかもしれないということは、サクヤにとって恐怖そのものだ。ニニギがいるから存在している。ニニギがサクヤを生み、育て、力を与え、クイーンに任じた。全てはニニギのため、そのためにサクヤは存在している。


 元の世界に帰ればどうなるだろう。ニニギは、元のようにサクヤを大切に扱ってくれるかもしれない。だが、もう二度とニニギと直接話をし、ニニギに触れるは叶わないだろう。それだけならいい。きっと、ニニギに対する思いまでもが失しなわれてしまう。それだけは、我慢できなかった。

 ニニギが望むのであれば、実行されなければならない。戻りたいというのであれば、戻るために全力を尽くすのがサクヤの役目だ。だからこそ、恐れるのだ。


 ニニギが決めたことには逆らえない。だから、ニニギが決めないように、できるだけのことをするのだ。

 サクヤに命じられたのは、王の間の扉に描かれた魔法陣の目的と、誰が描いたのかを調べることだ。元の世界に戻る方法を探すことではない。


 ニニギが知りたいことだけを報告し、元の世界に戻るために必要なことは隠すのだ。

 はたしてできるだろうか。サクヤには自信がなかった。たぶん、できる者はいないだろう。何しろ相手はニニギなのだ。恐るべき力を持つ7人のチェスの駒たち全員を育て上げた、全てを超越した存在だ。天空の箱庭には、7人には及ばないものの、さらに多くの者が控えている。


 魔王と呼ばれる存在の力から推測すれば、世界を何度でも滅ぼせる軍勢だ。

 ニニギのことを思いながら、その考えを誘導しなければならない。

 サクヤは、自分が行わなければならないことの困難さを思いながら、ゆっくりと扉を開けた。






 王の間では、サクヤの予想を逸脱した状況になっていた。

 魔王を倒すために息巻いて突入した勇者の軍勢が、ことごとく床の上に転がっていたのだ。立っていたのは勇者と他3人の仲間たちだ。この4人が主力なのだろうと想像する。

 勇者たちがいたのは、サクヤの目の前だった。つまり、勇者たちは扉を開けて突入し、魔王の軍勢である魔物たちに押し込められて進めずにいたのだ。


 サクヤが再び王の間に戻るまでに、長い時間は経過していない。ごく短い時間に、11人の人間が床に転がされたことになる。

 勇者ロベルトは魔物に対して立ち向かっていたが、魔物の数が多い。並んで剣を構える戦士も、後ろで援護をしているらしい人間にも、疲労の色が濃い。逆に、勇者の前に立ち並ぶ魔物たちは、数が減った様子がない。


 たぶん、増えている。サクヤたちが退出した時、解凍した直後の魔物たちは、約半数が意識不明のままだった。それが徐々に回復して、勇者たちに対して攻撃に参加しているのだとしたら、これから益々数が増えることになる。

 解凍されてすぐに激しい活動ができる、というのは、やはり魔物だからだろう。人間では、数時間はまともな活動ができなくなるはずだ。


「でも……魔法陣についての話を聞く前に全滅されても困るのよね」


 ニニギに報告ができなくなってしまう。ニニギには、この世界の運命を変えることはするなと言われていた。だから、過度な干渉は控えるにしても、少しぐらいならいいだろう。


「ねえ、扉の外側に書いてあった魔法陣のことだけど、あなたたち何か知っている?」


 サクヤは、床に転がっていた人間に問いかけた。床に転がっているといっても、死んでいるわけではない。中には死んでいる者もいたが、大方は力を使い果たしたのと、怪我を負ったので休んでいるのだ。休むといっても、休憩しているわけではなく、動けない状態である。


「あ、あんた……何者だ? どこから現れた?」

「私の質問に答えなさい。私が何者か知れば、どうせ後悔するのだから」


 サクヤが話している間にも、戦っていた4人のうちの1人が、腕を押さえて後退する。


「ロベルト、無理だ。全滅する前に撤退しよう」

「まだだ。魔王の元までたどり着くことができれば、俺たちの勝ちなんだ。諦めるな」

「たどり着けるわけ無いじゃない。全滅するなら、私の質問に答えてからにしてよ」


 サクヤが会話に割り込んだ。


「あ……あんたは……」

「また、そこから話すの?」


 言ったのは別の人間だったが、さすがに繰り返し同じ話をしていると飽きてくる。苛立ったサクヤは、水魔法と熱魔法を駆使して、人間たちと魔物の間に氷の壁を作り出した。この世界で、この王の間で、最初に使った魔法のアレンジである。氷結させるわけではないので、温度も水量も押さえてある。だが、細かいコントロールが必要なので難度は高い。両系統を極めているサクヤだからできる芸当である。


「あ……な……何が、起こった?」


 勇者ロベルトが、突然現れた氷の壁を目の前にして、呆然と振り向いた。サクヤを見つけ、警戒と安堵がいりまじったかのような顔を見せる。

 サクヤは、ダミーの黒鎧はとっくに脱いでいた。ニニギに顔を見せるように言われてから、ナノアーティファクトの外装も、下着のように服の内側に張り付かせてある。サクヤのナノアーティファクトは、駒たちの中で唯一銀色に輝いており、おびただしい戦闘経験を物語る、サクヤの誇りである。


 戦闘に望むサクヤは、目から暗黒の霧を垂れ流し、闇のオーラを纏う。その姿は一目で人間ではないとわかるものだが、現在は戦闘中だと意識することもできない茶番である。平常時のサクヤは、人間とほぼ外見が変わらないため、勇者は援軍が来たとでも思ったのだろう。


「これで、少しは落ち着いて話せるでしょ。そろそろ、誰か私の質問に答えて」

「こ、これは、どれぐらい保つ?」

「勇者ロベルトが氷の壁を叩く」

「私がずっと尋ねているのに無視されているのに、私に答えを求めるの?」


 ニニギの配下の中にも、人間はいる。ニニギが支配する天空の箱庭では、主に生産系の職業に従事している。だから、人間だからというだけで見下すつもりはない。ただ、弱い種族なのは間違いない。サクヤの感覚では、レベル上限が低い種族ということになる。


「そうか。それはすまなかった。まず、質問に答えよう。で……質問とは?」


 勇者は聞いていなかったのだ。ずっと前を向いて戦っていたので、それどころではなかったのだ。サクヤがついに腹を立てる寸前、寝転んで回復を計っていた人間が口を挟んだ。


「外の扉に描かれた魔法陣についてだ。俺たちが知っていることを教えて欲しいらしい」

「そうか……それなら、この魔王城の調度品は、ほとんどが人間の街、この魔王城に近い剣の国アムノリアで作成されていると聞いたことがある。かつては、魔王と人間が協力していた時代もあった。その辺りも興味があるだろうが……」

「そんなことには興味がないわ」

「そうか……」


 ロベルトは、少し残念そうに口をつぐんだ。


「では、扉の魔法陣は人間がこの扉を作るときに刻んだということかしら」

「そうかもれないし、その後で魔王や配下の魔物たちがやったのかもしれない。俺たちの中で、魔法陣にくわしい者はいないし、この城にきた経験のある者もいない。あの扉に魔法陣が描かれていること自体、俺は知らない」


「そう。じゃあ結局、魔王にも聞かないといけないわね。面倒だわ」

「それができればいいけどな。まずは、この魔物の群れを突破しないといれない。あんた、この氷、どのぐらいもつ?」

「私はサクヤ、ニニギ様に仕えるクイーンよ」

「そうか……よくわからないが、サクヤ……か」

「サクヤ様」


 サクヤがやや鋭い口調で言った。さすがに、人間に呼び捨てにされるのは我慢がならない。


「サクヤ……様、この氷は、どのぐらい保つ?」


 すぐに訂正したので、サクヤは気にせずに答えた。


「私の質問に答えたのだから、教えるわ。あまり温度を下げていないから、3日ぐらいかしらね」

「いや……そんなに凍らせなくていいんだが」

「溶かすこともあるできるわよ。あっちの魔王さんは、火系の魔法がお得意らしいし」


 言っている側から、氷の壁が橙色に染まる。炎の魔法が爆発したのだ。サクヤが作り出した壁は、びくともしない。


「また、火魔法単体で使って……熱魔法を重ねて使用するのは基本だって、ニニギ様がせっかく教えたのに……ああ、時間を巻き戻したから、覚えていないのかしらね……どの時点まで巻き戻されたかわからないけど」

「あの……ところで……」

「なに?」


 声をかけたのは勇者ロベルトだった。他の人間は、サクヤが3日ぐらいは氷が解けないと言ったのを信じて、傷の治療に専念している。勇者も負傷しているが、勇者の怪我は別の人間が直すものらしい。


「サクヤ様は、俺たちの魔王討伐に協力していただけるのですか?」

「しないわ。この世界の運命を捻じ曲げる可能性があることは、避けるようにいわれているもの」


 ニニギの言葉がサクヤの中で反復される。ニニギの言葉こそ、絶対なのだ。


「そ、そこをなんとか、お力添えいただけないでしょうか」


 勇者は平伏した。膝をつき、額を床につきそうなほど下げた。


「駄目よ。だって、見ている限り、あなたたちは魔王に勝てるはずがないもの。魔王の軍勢に勇者が殺されるのがこの世界の運命なのだとしたら、それをひっくり返すことになるわ。魔王から話を聞くのも、あなたたちが全滅してからでいいし」

「でも……本来は勝てるはずなのだとしたら、どうします?」


 治療中の神官らしき男が言った。服装は神官に見える。だが、サクヤに見覚えはない。サクヤはあらゆる死を統べるのであり、宗教とは無縁である。


「どういう意味?」

「勇者ロベルトは、魔王に対する切り札です。私たちは、魔王を倒さなければならない。そうしなければ、国が守れないのです。最後の切札として、勇者ロベルトはこの魔王城に立ち向かいました。勇者が魔王を滅ぼすのは、どの世界でも真実です」

「……そうなの?」


 そうなのだろうか。サクヤは、クイーンとしてニニギの指揮を受け、数限りない戦いに臨んできた。勇者や魔王といった存在も、ニニギと一緒にクリアしたイベントの中でしか知らないものだ。確かに、最後には魔王は滅んだ。その時の勇者とは、常にニニギだったのである。


「でも、魔王は倒せるのに、魔物に勝てないの?」

「ロベルトは、魔王には特別な力を発揮します」

「……そう。では、あなたたちを勝たせることが、この世界の運命なのね?」

「間違いありません」


 神官はしっかりと頷いた。サクヤは、再び勇者に視線を向ける。勇者はなぜか気まずそうに顔を背けたが、サクヤが見たかったのは勇者の表情ではない。サクヤなりに、勇者の力を見定めようと思ったのだ。

 魔王の力は近くで見た。種族として火鬼族に属し、レベルとしては180ぐらいになるだろうと見ていた。ニニギの配下の人間族のレベル上限は60なので、同じであれば、この人間たちが魔王に勝てるはずがない。


 だが、ニニギの種族は超人である。卓越した人間、と言えなくもない。ならば、サクヤが知らないだけで、勇者という人間とは別の種族が存在するのかもしれない。


「そう言えば、悪魔はどうしたの? 人間の年寄りみたいな外見だったけど、この中では、1番強かったはずよ」

「門の前で黒い悪魔が召喚してくれたんですが、王の間に入ると消えてしまいました」

「……なるほど」


 多分、その悪魔はペテネラだ。人間たちを守るのが面倒なので、召喚した悪魔に護衛を命じたのだ。だが、贄を使って呼び出した悪魔は、時間経過で消えたりしないはずだ。


「消えるなんておかしいわね。贄はなにを?」

「俺の血です」

「ああ……生き血ね。なら、量かあなたのレベルが足りなくて、存在を維持できなかったのだわ」


 だが、ペテネラがこの人間たちを助けようとした、というのが気にかかる。ペテネラは悪魔であり、サクヤ以上に人間をおもちゃとしてしか見ていない。そういう女だ。


「どうして、その悪魔は力を貸してくれたの?」

「俺たちが全滅すると困るとか……詳しくはわかりませんが」


 つまり、ペテネラはニニギに人間たちを会わせようとしたのだ。

 どうしてだろう。単純に、情報源としてだろうか。それとも、悪魔的に、何かこの人間たちに価値を見出したのだろうか。

 わからなかった。考えてもわからない。悩んだ末、サクヤはニニギの言葉を思い出した。『運命に委ねる』なかなかいい言葉だ。自分に責任が及ばなそうなところがいい。


「わかった。手を貸すわ」

「本当ですか!」


 勇者ロベルトが顔を上げ、サクヤの手を握る。サクヤは振り払いながら言った。


「でも、魔王をどうするか、までは知らないわ。魔王を倒せるっていうのだから、それは自力でやりなさい。私が手を貸すのは、あなたを魔王と戦わせるところまでよ」

「ありがとうございます。偉大な魔法執行者よ。できれば、俺のことはロベルトとお呼びください」


 サクヤは、耳慣れない言葉に思考を停止させた。

 偉大な魔法執行者とは、まさにニニギにこそふさわしい称号ではいだろうか。いや、ニニギの称号としては不十分だろうか。どちらにしろ、そんなことは言われたことがないので、どうしていいかわからない。その上、名前で呼んでくれとは、どういうことだろう。人間の考えることはわからない。多分、もう二度と会わないだろう存在に、名前を覚えてもらってどうしようというのだろう。


「よくわからないけど、わかったわ。ロベルト、魔王と直接対決できるようにすればいいのね?」

「はいっ。お願いします」


 サクヤは再び魔法を発動させた。使う魔法は同じである。水と熱を操り、氷に壁を変質させ、勇者たちがいた扉をくぐって直後の場所から、魔王のいる玉座まで、一直線に氷の通路をつくった。

 途中、通路上にいた魔物が氷漬けになるが、本日2回目である。魔物としても大した問題ではあるまい。


「できたわ」

「えっ、ちょっ、ちょっと、こちらも準備ってもんが……」

「いや……」


 突然慌てだした神官をはじめとする仲間たちの声を抑え、勇者が笑った。


「感謝します」


 勇者の見据える先には、玉座から立ち上がった魔王ゴルゴゾーラがいた。






 勇者が剣を下げ、まっすぐに氷の通路を進む。勇者の息が白く染まる。

 魔王は玉座から腰を上げ、大きく両手を広げた。右手には炎を纏った長剣を持ち、左手には短い杖、ワンドを持っている。防具はない。マントを纏っているが、たくましい肉体を誇示するかのように、赤い皮膚がマントの下に見えている。

 勇者の後に続く者はない。魔王のそばに控える魔物は、氷に閉ざされている。文字通り、一騎打ちだ。


「よくぞ、我が元までたどり着いた。勇者よ」


 魔王の声が朗々と響く。サクヤの魔法で冷やされた王の間に、まるで反響板でもあるかのように響き渡る。


「我が名は勇者ロベルト、魔王の命、いただきに参上した」


 下げていた剣を構える。


「……ロベルトだと? 勇者よ……母の名は?」

「剣の国アルネリアのキリネシア姫」

「勇者よ。そなたの父が誰か知って、剣を向けるのか?」


「知っているからこそ、剣を向けるのです。剣の国アルネリアは、魔王ゴルゴゾーラに守られてきた。だが、もはや限界です。西の魔帝国から……あたなを討たねば、我が国を滅ぼすと脅されています。すでに、国の宝、アムレーリア姫がさらわれ、魔帝が放った魔物により、多大なる犠牲が出ています。父上、あなたを殺すしか、我々が生きる道はないのです」


 勇者ロベルトが、兜の代わりにかぶっていたと思われる王冠を脱ぎ捨てた。髪に隠されてはいるが、人間族には存在しない、小さな角が見て取れる。


「私は、長いあいだ人間の国に庇護を与えてきた。友情の証とて、ほんの二〇年前、我が子を人間の姫とのあいだに成した。その結果が、これか」

「では! 魔帝国からも、お守りください」


「それは無理だ。かの国の魔物は、いずこから来たとも知れぬ強者ばかり。それを知って、私を殺すことにしたのだろう。私と手を組み、ともに戦おうと、滅びの道しかないから、せめて魔帝国に恭順しようというのだろう。だが、その先には未来があると思うな。結局は滅びしかないのだ」


「わかっています。ほんのわずかの時間でも、人間には必要なのです」

「言いたいことはわかった。勇者ロベルトが私の元にたどり着けば、私が事情を察して命を差し出すとでも思ったか。だが……私にも死ぬわけにはいかない理由がある。その理由があるかぎり、倒されるわけにはいかぬ」


「もとより、倒されてほしいとは思っておりません。国の命運が、俺に託されたのです。父上を倒せなければ、国は即座に滅びるでしょう。それだけのことです」

「……ロベルトよ。お前はわかっていない」

「そうでしょうね。魔王の気持ちはわかりません。俺は、勇者として生きて来た!」


 勇者ロベルトが一気に距離を詰めた。大上段に構えていた剣を振り下ろす。


「この程度の剣、我が炎の剣の前では……」


 言いながら、魔王は勇者の剣を炎の剣で受ける。言葉が止まったのは、多分予想より炎の勢いが弱かったからだ。剣から噴き出しているように見える炎は、うっすらと包んでいるだけだ。火力でいえば、トロ火というところだろう。鍋料理には最適だ。


「なかなか、良い魔法執行者を連れている。私の苦手な水系統に特化した魔法執行者か」


 魔王が評したのは、自分のことだろうか。サクヤは、さっきからずっと聞いていた。まるで勇者の従者のような言い方は気に入らなかったが、口を挟んでまた手伝えと言われても面倒なので、とりあえず見ていることにした。


「ああ。あなたを倒す算段は出来ています。あなたが愛した人間達のために、その命、貰い受けます」


 サクヤがこの場所にいることを、勇者が知るはずがない。他に水の魔法を使う者がいないようなので、魔王の弱点が水系統であることも知らなかったかも知れない。

 勇者の言葉ははったりだ。だが、全てが偶然だろうか。

 サクヤにはわからなかった。水の魔法を操れる人材がいなくて、召喚したのだとしたら? それがニニギなのだとしたら? 勇者ではない誰かが、勇者のためにやったのだとしたら?


 もしそうなら、サクヤが魔王を倒すことが、正しい世界の運命だということになりはしないだろうか。

 ニニギの言葉が頭を巡る。

 魔王と勇者の勝者を変えるのは、世界の運命を変えてしまうことになるのだろう。だが、そもそも、サクヤが手を貸すことが前提として折り込まれていたら、黙って見ていることこそ、世界の運命を変えることになりはしないか。

 サクヤは、剣を振るう勇者ロベルトに近づいた。


     ※


 勇者ロベルトは、剣の国と言われるアムノリアでも、最強の戦士だった。

 それのみで勇者と呼ばれるには十分だが、さらにロベルトには出生の秘密があった。王族の血と、アムノリアを長い間隣接する魔帝国から守護してくれた魔王の血をひいているロベルトは、強くあることを望まれた。強くなければ、居場所はなかった。それゆえ、勇者とよばれるまでに強くなったのだ。


 ロベルト自身、懸命に戦士としての修行に明け暮れ、国内の誰にも負けない戦士となった。

 魔王討伐を命じられたのは、突然だった。魔帝国が、アムノリアの将来を握ると言われた大切な姫を奪い、さらに攻め滅ぼすと宣言した。姫を返してほしければ、魔王ゴルゴゾーラを殺せと言って来た。

 選択肢はなかった。魔王を殺せるとすれば、最強の戦士であり、魔王自身の血をひく、ロベルトしかいなかった。ロベルトが敵わなければ、もはや敵う者はいない。魔王が弱いはずがなく、剣の国の民といっても、所詮は人間なのだ。


 魔王ゴルゴゾーラは強かった。だが、ロベルトの存在に、明らかに動揺していた。まともに戦っては、勝てるはずがない相手だ。親子の情に訴え、隙を見て、殺害するしかないのだ。

 あるいは、長い間アムノリアを守ってくれた魔王なら、あえて倒されてくれるのではないかとさえ、人間達は考えた。

 魔王もそれほどお人好しではなかったわけだが、それでも、十分だった。


 勇者ロベルトには、心強い援軍がいた。何者か、どこから来たのかも知らなかったが、かつてロベルトが出会ったどんな女性よりも美しく、人間とは思えない神秘的な雰囲気をまとっていた。その方は、サクヤと名乗った。

 勇者が魔王と剣を交え、まるで剣の稽古をつけてくれているかのような時間が続き、勇者は肩で息を、腕が上がらなくなっていることに気づいた。


 純粋に疲労だ。父である魔王と剣を交えるという光栄に、時間すら忘れていた。腕があがらなくなった勇者に、魔王が告げた。


「よく戦った。勇者ロベルトよ。だが、私はこの場で死ぬわけにはいかないのだ。私は、勇者を待ち続けた。勇者を待つことのみが私の使命。倒されることは含まれていない。その勇者がロベルトだったことは、皮肉でしかない。さらばだ。息子よ。メガフレア」


 魔王が左手に持つワンドから、炎が吹き上がる。絶望的な炎だ。剣戟の邪魔にならないよう、仲間達は後方にいる。ロベルトは純粋に戦士として鍛えてきた。魔法を防ぐ方法はない。

 あの業火に焼かれて、死ぬしかない。それが、勇者ロベルトの最後だ。


「父よ……」

「何? この茶番」


 冷静な声が耳に触れ、ロベルトの眼前にまで迫った業火が消滅する。まさに、ロウソクの火を吹き消すかのような消え方だった。


「……なっ! 貴様、やはり敵か!」


 魔王ゴルゴゾーラの声が響く。勇者ロベルトは、背後を振り向かなかった。見なくてもわかっていた。今日初めて会ったときから、きっとこうなることがわかっていた。


「……サクヤ様」


 勇者のつぶやきを無視して、美しい、漆黒のドレスを纏った、白皙の肌をした美女が進み出る。


「ま、前に出ては危ない」


 勇者の忠告を聞かず、あまりにも美しい女性はゆっくりと腕を広げた。


「この世界の運命を委ねられたのはどちら? 私は、私の力を求めるものに与えましょう」

「俺です。サクヤ様、ぜひ、ご協力を」

「人間風情が、邪魔立てするな」


 サクヤは、魔王を見つめた。ゆったりと笑う。そのあまりの妖艶さに、魔王の表情が凍りついたように見えた。


「あの……サクヤ様?」


 ロベルトの呼びかけを、三度サクヤが無視をする。


「火鬼風情が、随分えらそうね。結構。運命は選ばれた。勇者ロベルト、あなたに力を貸しましょう」

「はっ」


 サクヤが振り返り、勇者の背後に移動しようとする。すれ違いざま、サクヤがロベルトの剣に触れた。剣身が、冷気に輝いた。


「その剣に、氷の力を与えたわ。貫きなさい。あの、思い上がった魔王を」

「はっ」


 勇者ロベルトは、疲労により動かなかった腕が嘘のように、床を蹴り、魔王に迫った。


「くっ……私の弱点を……」


 魔王は鎧を纏っていない。ワンドを持つ腕を盾がわりに振り上げる。さっきまでは、生身の体すら、切り裂くことができなかった。

 ロベルトが剣を振り下ろす。

 魔王ゴルゴゾーラの腕が落ちる。大量の血が吹き上がる。その血は、生物に死を与えるほど燃え上がっていたが、王の間全体が冷えているいま、すぐに冷めてしまった。


 だが、剣の冷気も一時的なものだ。苦痛に顔を歪ませる魔王に与えた二撃目は、肩で弾かれた。防具を身につけていない肩に、である。

 サクヤは助けてくれるといった。だが、サクヤの力にも限界がある。これだけの氷の壁を作り出し、氷の通路を作ったのだ。しかも、まだ周囲の魔物たちは氷の壁を壊せずにいる。信じられないほどの魔力を動員しているはずだ。もはや、ほとんど力は残っていないのだろう。


 魔王の腕を片方切り落としたのだ。これ以上頼っては、勇者としての株が下がるだろう。

 ロベルトは、悲鳴をあげる自分の腕をけんめいに叱りつけながら、剣を振るった。魔王は片腕こそ失っても、まだ戦い続けていた。

 時折魔法を発動させたが、その魔法はことごとくサクヤの氷の魔法につぶされた。


 負けはしない。だが、勝つことも難しい。ロベルトがそう思った時、背後でサクヤが囁くのがわかった。何らかの魔法だ。サクヤは疲れきっているに違いない。だが、まだ終わってはいない。

 勇者ロベルトが、最後の力を剣に込めた。その瞬間、背後から、ロベルトを追い越して魔王に向かっていく影があった。


「イーサン? リテリア? お前たち、動けるのか?」

「いいえ。死んでいたわ。死体を使って私が魔物を呼び出すと、強すぎて邪魔だから、死体をそのままゾンビにしたの。力は強いけど、火には弱いわ」


 サクヤが隣にいた。死んだ仲間たちの死体が、魔王を抑えにかかる。確かに力は強いのだろう。魔王すら、ふり解けずにいる。死んだ仲間が変質したゾンビは、6人に及んだ。


「サクヤ様……あなた、死体をも……」

「やるなら、今しかないわよ。これ以上の協力は、さすがにやりすぎだと思うから」

「ありがとうございました」


 構えた剣に、最後の力を込める。サクヤが剣に触れた。再び、冷気をまとう。

 行けると感じた。


「まっ、待て」

「魔王ゴルゴゾーラ、覚悟を」

「待て。いいのか? 私をお前たちに殺させることそのものが、魔帝国の陰謀だとは思わないか?」

「いまさら、命乞いか?」


「真実だ。私は……私の命を持って、地下に潜むマグマの巨人、ガリゾンを封印している。私が死ねば封印がとける。その力は、封印を解いた者に向かう。人間に私を殺させることで、人間を滅ぼし、ガリゾンを魔帝国が使役する。そのための罠だとなぜ気づかない。今までは、私を倒せる人間がいなかった。だが、お前が生まれた。どうして、人間の姫を魔帝国がさらう? ロベルトよ、お前に私を殺させるためだ。お前が力をつけるのを、魔帝国は待っていたのだ」


「……だとしても、他にどうすればいい。魔王を殺さなければ、魔帝国に滅ぼされる。たった一匹の魔物なら、どんなに強くても、殺す方法はあるはずだ」

「そんなに簡単な相手ではないぞ。どうして、魔帝国が直接私を殺さなかったと思うのだ。魔帝国の将軍たちでは、敵わないからだ。勇者ロベルトよ。まだ、道はある。私とともに、魔帝国に立ち向かうという道が」


 勇者の剣の切っ先が床に落ちる。迷っていた。魔王を倒してもアムノリアが滅びるなら、戦う理由がない。


「ちょっと待って」


 サクヤが声をあげた。当然だ。サクヤはきっと、通常の人間では届かない高みにいる魔法執行者だ。ここまで協力させて、魔王を手を組むなど、納得できるはずがない。


「サクヤ様、俺はどうしたら……」

「魔王さんの死で、封印は解かれるのでしょう? 生き返ると、再び封印されるの?」

「……いや。一度死ねば、封印は解かれる。生き返ることなど……ありえないが……どうして、そんなことを聞く?」


 続いたサクヤの言葉、あまりにも意外なものだった。


「だって、あなた、一度死んでいるわよ。覚えていないみたいだけどね」


 サクヤの言葉とともに、地響きが起きた。


次回は魔王ゴルゴゾーラの死が引き金になり起きた魔物対ニニギ一行です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ